デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

3章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 竜門社
■綱文

第26巻 p.236-240(DK260046k) ページ画像

明治32年4月16日(1899年)

是日栄一、当社第二十二回春季総集会ニ出席シ、「株式会社ノ将来ニ就テ」ト題スル演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三二年(DK260046k-0001)
第26巻 p.236 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三二年    (渋沢子爵家所蔵)
四月十六日 晴風強シ
○上略 午後二時日本橋倶楽部ニ於テ開キタル竜門社春季総会ニ臨ミ、株式会社ノ将来ニ就テト題スル一場ノ演説ヲ為ス ○下略


竜門雑誌 第一三一号・第四一―四二頁 明治三二年五月 ○第二十二回竜門社春季総集会(DK260046k-0002)
第26巻 p.236-237 ページ画像

竜門雑誌  第一三一号・第四一―四二頁 明治三二年五月
    ○第二十二回竜門社春季総集会
当竜門社総集会は例年曖依村荘に於て開会せるも、本年は同荘普請工事中なるを以て、第二十二回の総集会は去四月十六日を以て浜町なる日本橋倶楽部に開会せり
当日午後一時頃より社員諸士は続々来集され、特に遠路駕を枉られたる貴紳淑女少からず、二時頃に及び来会者已に三百余名に達し、園内殆んど人を以て充たされ、三々五々或は談し或は歩み和気藹然たるを覚へき、軈て青淵先生来駕せられたれば三時より開会、一同倶楽部内に集坐しければ、渋沢社長は立て開会の辞を述べたり
次て客員土子金四郎氏は社員の請を容れ、保険の事に関して演説したり、氏は例の如く快弁中巧に滑稽を交へ衆員の頤を解きたり、次て客員添田寿一氏は奢侈の時弊と題し、戦後大に我人民の奢侈に陥りたるを慨嘆し、先つ奢侈なるものゝ定義より、之が影響及結果に論及し、縷々一時間半に渉りて説く処あり、最後に楠公の遺訓を朗読し、聴者をして深く感動せしめたり(該演説は別欄に之を録せり)終に臨み青淵先生演台に進み、株式会社現今の状体に就て痛快なる一場の演説を為され(該演説は次回に収録すべし)拍手喝采の裡に此日の演説は了りたり
其より園遊会に移り、予て園内各所に設けありたる鮨・団子・天麩羅
 - 第26巻 p.237 -ページ画像 
おでん等の露店を開き、特に札幌ビールの出店ありて、来会者をして随意好む所に於て喫飲するに任せたり、尚余興として円遊の落語及梅若実・同万三郎・山本東・同東次郎の囃し狂言ありて、一同歓を極めて散会せるは午後八時頃なりき、当日は左の諸氏を始め三百余名の来会ありたり
   ○氏名等略ス。栄一、総集会費トシテ例ニヨリ金三百円ヲ寄附ス。


竜門雑誌 第一四〇号・第五―九頁 明治三三年一月 ○株式会社の将来(青淵先生)(DK260046k-0003)
第26巻 p.237-240 ページ画像

竜門雑誌  第一四〇号・第五―九頁 明治三三年一月
    ○株式会社の将来 (青淵先生)
 左の一篇は、明治三十二年四月十六日日本橋倶楽部に開きたる竜門社第二十二回春季総会の席上に於ける演説なり
此席に於ては私は義務としても一言申上げねばなりませぬ、前席は土子君・添田君の如き流暢なる御演説やら、適切なる御説を伺ひますると、前座の宜い為めに、後とから出る者は後れを取るやうな次第でございます、偖竜門社も段々進んで参りますのは、誠に喜ばしいことで今日に廿二回に相成まする、即ち十一年を経過致しまする、竜門社の成長すると共に社員も成長し、社員の関係する事業も共に成長し、恰も樹木の成木すると云ふやうな有様で追々に繁昌しますのは甚た心嬉しい次第であります、斯く心嬉しいと申して居る中に、己れか年を取ると云ふことは、是は自然の数て如何とも致方のない訳である、故に一方には喜ひ一方には又憂ひなけれはならぬのである、斯う云ふことは誰も知つて居ることてあらうと思ひますから、先つ自然に委せて置くとして、私は玆に株式会社の将来に就て一言を述へやうと思ふ、此節色々の株式会社が出来て参りまするか、種々の事情の為めに大に不都合なことか出来るやうに思ふのてあります、抑も日本に合本法の起りましたのは最早廿四・五年を経て居りまして、世の中から数へて見ましたならば未た短かい年月と申さぬけれはならぬ、けれども御互に其の経過せし間に於て考へて見ますると云ふと、種々の変遷もあり又大に進んだと申し得られるのである、思ひ起しますと私か官吏を罷めまして、商売社会に足を入れたのは明治六年である、其頃に始めて株式会社と云ふものが日本に生れて出たのであります、先つ私が其時に考へますには、此日本を欧米各国と肩を列へると云ふ迄には行かいでも、東洋の固陋に安ぜしめないやうにするには、唯政治的理想的の観念ばかりで進めて行つてはならぬ、是非経済的即ち商工業と云ふものを進めて、国の実力が盛んにならなければ将来国家の富強と云ふことは迚も期し難いと云ふことを厚く信したのである、此所にて御列席の方々、偶々年長の人は御承知もありませうが、青年の人は余り御記憶かないでありませう、御記憶と云ふより寧ろ知らぬてありませう、今日は商売人も政治家・学者、或は医者・軍人杯云ふやうな御人々と対等に交際するやうになつて居るです、併し廿五年、若くは三十年前に於ては、旧幕の慣例から引続いて、商売人と云ふものは余程位置の卑いものであつて、其待遇に於て軽蔑されるのみならす、商売人自身の心掛も卑いのである、今添田君の所謂、偶々財産のあるものは守銭奴となつて、僅かに銖錙の利を争ふて日を終るに過ぎんのである、苟も
 - 第26巻 p.238 -ページ画像 
道理とか、人間の本分とか云ふことを顧る者はない、況や国家抔と云ふことは頓と知らぬ、国尽しと云ふ書物は読んて居るでありませうか併し国家と云ふ観念は全くなかつた、さうして此政治を執る人は悉く武門武士であつて、実業者の力と云ふものは少も延ひなかつた、私は口癖になる程申して居りますから、又たお株が始つたかと言ふ人もありませうけれども、幾度言つても言ひ飽かぬ程、心に感して居る、左様の有様であつたからして、迚も実業の進歩と云ふことは難かつた、此時に当りて此事業を幾分か進めると云ふには、如何なる手段てやるかと云ふことを私は種々に考へて、終に合本法で事業をやらなけれは可けない、合本せしむると云ふ方法を開かなければ、迚も国の経済を進めて行くと云ふことは出来ぬ、是は先つどうしても株式会社を起さなけれはならぬと云ふので、大に此事に尽力しました、是は私ばかりではなく、政治家も共に心を用ひ力を労したのであります、即ち其結果は明治十年頃より、種々の株式会社か起つたものてある、併し私は器用でも何でもありませぬ、至つて不器用な人間でありますが、日本の人は他の有様を真似、他の物に倣つて事物を進めて行くと云ふことは、稍々上手な性質を有つて居ると言つて宜い、前に述る如き有様から成立つた此株式法、若くは合本法と云ふことは、廿四・五年も過ぎた今日に於て、其進度を見ますると、随分長足に参つたやうに考へます、私はまだ綿密なる取調もしませぬが、明治十年頃から三十年迄二十年間の会社の成立を、数字に依つて申上けて見ませう、明治十年頃合本法に依つて成立つた銀行、若くは各種の会社の資本額は、二千五百四十万一千円であつたが、十五年には進んで、九千六百万以上となり、二十年には又一億五千八百万円となり、廿五年には大に進んて三億三千三百万円となり、明治三十年の計算には、ずつと進んて八億六千七百万と云ふ数字か出まする、併し皆払込済のものではありませぬから、或は此払込額に於ては、比較的其前よりは割か少ないのであらうと思ひます、併し之を十年と三十年と比較して見ると、殆んと三十五倍八分ばかり増加して居ります、又私の主として従事して居る銀行に依て調へて見ると、明治三十二年三月払込済の資本額が三億九千五百万円で、明治十年が二千四百万円でございます、故に矢張二十倍程の進歩であります、斯の如く銀行及諸会社の事業は、皆二十倍とか四十倍とか云ふやうな進みを為して居りまするが、其頃には工業と云ふても其種類は至つて少なかつたが、追々種々なる事業が進んで参つて今取調へました巨額の資本が各種の事業に分たれて営みつゝあるは、随分盛んな事と申して宜しい、故に一方から言へは大に喜ばしいことであるが、さて近頃の株式会社の実際を考へて見ますると、其喜ふへき中に大に憂ふべき有様を萌して居りはせぬかと思ふ、斯の如く商売なり工業なり、我邦の事業を進歩せしめたに就いて大に力ありと云ふものは、何てあるかと問ふたら、即ち此株式会社であると云ふことは如何に株式会社嫌ひの御方ても、言はさるを得ぬです、又異論は申さぬてありませうが、併し又何程株式会社を好む私でも、此株式会社に大に憂ふへき点があると云ふことは、同意を表せさるを得ぬと云ふ事実がある、凡国家に心ある人は、未た雨降らざるに当て、〓戸を綢繆
 - 第26巻 p.239 -ページ画像 
する心掛かなけれはならぬと思ふのです、私は今彼此と株式会社に就て、其名称を指し、事実を挙けて、喋々することは好みませぬが、大に国庫の保護を受け経済上の機関となつて居る巨大の会社にも、種々の混雑がありまして、株主から之を攻撃するとか、又は其役員中に紛議を生して、終に人か代るとか云ふことは、此席にある諸君は、屡々耳にするてあらう思ふ、是は頗る憂ふへきことにて、今日に於て能く其実因を攻究して、未来に予防すると云ふことを、努めなけれはならぬ、前にも申す国家の功臣たる株式会社、事業の発達者たる株式会社をして、情ない惨状を見るに至らぬと言はれぬ懸念があります、先つ此弊害の因て来る所を考へて見ますると、古人の所謂利に弊の伴ふの道理で、兎角に此株式会社と云ふことに就ては、或る場合に於ては、想像上から、将来大に利益を来すであらうと云ふ観念で、株式に声価を生すると云ふことかある、然るにそれか予想の通り行かれぬ場合かあるからして、予想上より高価に其株式を買得せし株主には苦情百出して、終には当局者を攻撃すると云ふこともある、多くは是れ事実に基かぬ投機的の行為より生する弊である、去りながら或る場合には当局者の所為の宜しきを得ぬ為めに此苦情攻撃を生することもないとは申されませぬ、凡そ株式会社の役員になる人は、殆んと憲法政治の国務大臣になつたと云ふ如き観念を以て、其職を尽さねはならぬものてある、苟も此観念を失つたならは、遂に株式会社をして不幸の地位に陥らしむると云ふことは免れぬものてある、株式会社の役員が其職に居るに就て注意すへき廉々は、一にて足りませぬか、私は試に其重要の二・三点を申上けて、私自らも之を戒め、諸君も此点に於て御同意ならは十分に御注意を請ひたいと思ひます、今其二・三の要件を記載して此所に持参致しましたから、之を朗読します、『第一、株式会社の当局者が、其会社の事務を処弁し、財産の管理をするに於ては、全く自己の所有物を愛護すると同一の精神を用ふへき事』兎角、役員と云ふ側から考へますると、此管理と云ふことに就て、己れ一身に関する損得が薄いから、自己の物と同一の精神を以て処置することは、出来にくいものてある、併しもしも此株式会社の役員が、其精神を有たぬならは、必す其会社は、永久に幸福を保つことは、出来ぬと云ふことを私は断言致しまする、さて左様に其会社の事物を全く一身のものの如く愛護するとすれは、勢ひ其会社を我一家の如く心得て、恰も徳川氏か日本を治めたるやうに、国家を家とする弊が生して、終に憲法政治の国務大臣と同しやうな考とは相違する様になる、依て『第二、株式会社の当局者は、法律及其会社の諸規則を恪守して、苟も粗忽の行為、姑息の挙動あるへからさる事』前にも言ふ如く自己の物と同様の観念を以て事物を処置すると云ふと、其の当局者の才能多き場合には会社多数の人々も一時に其当局者の技倆能力に服従するけれとも、自然と会社の規律は整然と行はれぬ様になる、是は玆に明言はしませぬが、或る銀行の既往に就て皆様が能く考へたならば、思半に過きるであらう、故に会社の役員は其会社事物を我物と思ふて処置すると同時に、其会社の諸規則に就ては全然他人の物と心得て之を恪守するを必要とするのであります、『第三、株式会社の役員は勉めて情弊を矯めて
 - 第26巻 p.240 -ページ画像 
改進を謀るべき事』只今土子さんが、保険の有様を御述べになりましたが、私共は保険と云ふものは、海上とか、生命とか、火災とか云ふ位しか知らない、併し日新の世の中、欧羅巴には殊に、種々なる発明が生ずる、故に従来の仕来が、古臭くなるから改正して行かねばならぬ、若し是れを誤つて古から仕来つた有様だと墨守するならば、終には進取の気象を失ふてしまうことになる、故に会社の役員には常に日新の心を以て其事物の改進を謀るは実に必要の勉めである、『第四、株式会社の役員は一時の栄誉を衒はずして事実の成功を永遠に期すべき事』会社事業に就て、一時の誉を衒ふて成功を遂げ得ぬことは屡々あるのである、総て事業は耐忍恒久の力を以て始て其全を見ると云ふは古来より常理である、故に会社の役員は勉て持久の心を養ふべきものである、『第五、株式会社の役員は特種の勢力を恃み、一種の事情に制せられて、公平を欠くべからざる事』兎角会社の事業は、特種の勢を恃みて公平を欠くときは、終に種々の紛擾を惹起すものである、故に会社の役員は勉て之を避くことに注意せねばならぬ
実に株式会社の目今は累卵の如くである、此日本の事業が単に個人的のものゝみて進み行く事を得るなれば私も苦念はせぬけれども、到底今日の処にて合本方式なくして海外の人と相拮抗して行くことは出来ぬと思ふ、故に此株式会社の制と云ふものは、決して悪いものでない悪い所ではない、国家に利益のあると云ふことは、前例に照して明かである、只其従事する役員と其株主との心得違よりして株式会社に汚名を蒙らしむるのである、どうぞ竜門社の諸君は、今私の申しました所を、一場の論と御聴流しになされず、将来充分に之を攻究して此弊を矯正することに、御尽力あるやうに願ひます