デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

3章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 竜門社
■綱文

第26巻 p.240-243(DK260047k) ページ画像

明治32年6月18日(1899年)

是日栄一、当社長渋沢篤二・監督穂積陳重洋行送別ノ為メノ当社臨時総集会ニ出席シ、挨拶ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三二年(DK260047k-0001)
第26巻 p.240 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三二年    (渋沢子爵家所蔵)
六月十八日 晴
○上略 午後二時上野精養軒ニ於テ開ク処ノ穂積陳重及篤二洋行ノ送別会ニ列ス、一場ノ演説ヲ為ス、夜七時半帰宿ス


竜門雑誌 第一三三号・第二六―三〇頁 明治三二年七月 ○竜門社臨時総集会記事(渋沢社長並穂積監督洋行送別の為)(DK260047k-0002)
第26巻 p.240-243 ページ画像

竜門雑誌  第一三三号・第二六―三〇頁 明治三二年七月
    ○竜門社臨時総集会記事
             (渋沢社長並穂積監督洋行送別の為)
園に百花の爛熳たるなく、樹に黄鳥の音なく、唯夫れ満都の士女暑気の甚しきを恐るゝの際、我社特に臨時総集会を催す、抑も故なきにあらざるなり
社長渋沢篤二君夙に欧米漫遊の志を懐かるれ共、蛟竜未だ青雲の機会を得ざるもの数年、然るに今回恰も我社の監督たる穂積陳重氏官命を帯ひて欧洲に赴かるゝに際し、社長も之を機として漫遊、同氏案内に
 - 第26巻 p.241 -ページ画像 
依り欧米の素望を達せんことに決せられたるを以て、我社は此壮挙を祝し且つ無事漫遊を終へて帰朝せられんこと望み、玆に臨時総集会を上野精養軒に開催せるものなり
幹事諸氏の用意周到にして、斡旋数日諸般の準備悉く整頓し、愈々去月第三日曜日(十八日)を以て祝賀送別の宴会を上野精養軒に挙るに至る、当日は天気清朗、暑気烈しかりしも、上野公園内微風徐に来り楽隊の演奏嚠喨として、共に是れ吾人をして此名誉ある宴会に誘ふものゝ如く、定刻前よりして社員諸氏の来集するもの踵を接し、午後三時頃に及ひては来会者三百名に上れり、已にして当日の正賓たる渋沢社長並に穂積監督も出席せられたるを以て一同は予て式場と定め置きたる階上の大広間に着席しけるに、幹事長斎藤峰三郎氏設の席に立ち社員一同を代表して当日送別会開会の趣旨を述へ、次て常務幹事八十島親徳氏立て祝文を朗読せり、次に荒井健三氏準社員を代表して一場の演説をなし、社長の壮挙を祝して降壇し、次に特別社員土岐僙氏演壇に進み、社長が宿年の志望なる欧米漫遊の事愈々今回実行の機に際せるを賀し、快濶なる語調を以て述へて曰く
 社長は実業界に緯勲《(マヽ)》ある渋沢栄一氏の令息にして、其地位名望己れの欲するか儘なるにも拘はらず、今日迄一身を第一銀行簿冊の間に埋め、慈々《孳》として行務を処弁し、他の行員と毫も異ることなく、日日勤勉しつゝありたるを見て余は私に其忍堪に感心せりき、今回偶偶欧米漫遊の挙ある、余は氏の為め大に喜ふ所なり、然れとも氏の発程に際し余輩又多少の感なき能はず、余嘗て米国史を繙読せる際其内の一節に、ワシントンの母人大量にして夙に我子の他日為すあるべきを知られたれは、ワシントン愈々栄達して大統領の冠を亨くるに至り、親母に向ひ人其栄達を祝しける際、母人之を顧みずして曰く、彼が斯程の事を為すは当然の事にして毫も異しむに足らずとなしきと、聞く者彼の母にして始めて彼の子ありとなし、其宏量なるに感ぜざるはなかりしと云ふ、今社長素志成て欧米発程の途に就かんとす、余輩潜越乍ら又此感なき能はざるなり、又余は第一銀行に於て常に社長渋沢氏と食卓を共にしたれば、其際氏が平素嗜好せられたる銃猟の事に就きて度々談話を聞きつゝありしかば、今此事を援用して氏が今回の欧米行に対し余が我儘なる注文を申さんに、世には可なり銃猟を好む者少からずして、日々殆んと之に身を委ね東奔西走日も是れ足らさるが如くなるも、其等の人必すしも立派なる獲物あるにあらずして、獲物なき儘往々烏又は鳶の如き、左程役にも立ざるものを射落して得々たる者あれ共、是れ所謂労して効なきものなり、余は親愛なる社長が今回倫敦・巴里其他に歴遊し、猟に経験あるが如く射止め栄のあるものなれは必すしも多きを望まず唯の一羽なりとも、之を提けて帰朝せられんことを希望するものなり、云々
次て客員島田三郎氏演壇に進まれ曰く
 竜門社長渋沢篤二氏並に監督穂積陳重氏、今回欧米漫遊の途に就かれんとす、玆に吾々は両氏送別の宴に参会し、来会諸君と共に目出度両氏今回の壮図を祝するに当り、聊か胸中に浮ひたることあり、
 - 第26巻 p.242 -ページ画像 
そは他にあらず、穂積博士は我国今日に於ける民法を産出せる母親にして、法典の創定か思想上未曾有の大事業なりしと共に、今后又其改正・補修等の為め、法典の出生地たる欧洲の法学社会に於ける新問題に対し、断へず攻究を為しつゝあらざるべからず、即ち博士が法典を我国に創定せるは是れ法律社界に於ける一の革命なり、而して今回其上にも新思想を輸入せんが為め洋行さるものなると均しく、社長篤二氏の親父栄一氏は我国経済界の開拓者にして、実業なるものは維新前迄極めて卑下されつゝありたるものをは、渋沢栄一氏高位の官を辞して専ら身を実業に委ね、拮据経営廿有余年、我邦実業界の今日ある、実に氏の力なりと云ふも不可なかるべし、故に氏は実に経済界の開拓者にして、恰も法学社界に於ける穂積博士と同位地にあるものにして、若し能ふべくんは今日氏も博士と同しく欧米に歴遊し、我実業会の為に更に聞見する処あるべきなり、然るに刻下多忙なる我実業社界は、氏をして一日も去るを許さゝるの事情あり、故に氏の血統を別ちたる令息篤二氏、実業界第二の革命に於ける先導者たるの予備として、実業社界か親父に代へて氏を欧米に視察せしむると同様なれば、氏は洋行の間に於て大に得る所あるべく、両氏共に有益なる材料を提けて帰朝さるゝ事と信す、両氏送別の宴に会し聊か所感を陳ず、幸に両君共身体無事に洋行を完行されんことを祈る、云々
右にて送別の辞も終りたれば、社長は衆員の正面に出で慇懃なる挨拶を為し
 今回不肖篤二が、親父の許可を得て素望たる洋行を為すに就き、来会の諸士今日斯る盛大なる送別会を催され、特に島田・土岐の諸氏より懇篤なる注意を得たるは余の深く謝する所なり、諸君が余に望む所余りに過大にして、或は其希望に添ふ能はざるを恐る、然れども一たび志を決して海外に渡航する以上は、仮令諸君の望に協はざる迄も、多少の得る所なくんは余自身も安心し得ざるなり、別に臨んで偏に諸君の健康を祈る
とて拍手の裡に壇を降り、次て穂積博士演壇に進まれ、今回洋行を為すに付き竜門社か斯く鄭重なる送別の宴を開かれたるを謝すとの意を述べ、氏は前后数回洋行を為せるを以て、洋行なる事の変遷に就て演説されたり、其大要を録せば
 明治維新前後よりして我邦人の海外に渡航する者漸次多きを加ふ、即ち洋行者幾人幾回なるを知るべからず、然れども此等の洋行者に就き是れを観察するときは、種々の階段あり、第一に維新前后に政治社会に働かれたる諸氏の洋行なり、明治初年より六・七年迄の事にして、次て新知識輸入の為めとて洋行を企つる者輩出せり、是れ六・七年より十四・五年頃迄の間に於ける洋行の有様にして、其次には見物的に年長者が一時続々洋行せる事ありき、二十二・三年頃より以後に至つては、更に学術研究等の為め、学生の洋行盛となれり、然るに近年政治・法律・経済等特別の事項調査の為め洋行する者あるに至れり、斯の如く洋行の種類は今日に至る迄幾多の変遷を為したれども、要するに前后を通じて老人と若年者の洋行は、共に
 - 第26巻 p.243 -ページ画像 
失敗に帰したるものゝ如し、云々
最后に青淵先生出壇せられ、今日予も玆に臨席したるに就ては一言を為さゝるを得ずとて、左の趣旨の演説を為さる
 徳川氏の時代に於ては、政治上稍見るべきものありたるにも拘はらず、法律の如きは殆んと之なしと云ふも不可なかりし、然るに今日世界の大勢は法治の主義を採るに至り、政治社界に大変革を与へたり、従て今日法律と実業とは密接の関係を有し居ることは、余が喋喋する迄もなき処なり、今回穂積氏洋行の事あるを機とし、篤二の欧米行を許せる爺の負惜なるや知らされども、夙に洋行を為さしむべきに今日迄之を許さゞりしは、他に故あるにあらず、漫に洋行をなさしめんよりは、多少の経験を得たる上にせんとの考へなりしが為めなり、今回洋行するに就ても余は何事を取調へ、又は視察し来るへしとは命令せさるなり、去れども余が明治の初年に洋行せる際の如き、大したる学問なかりしに拘はらず、当時我胸中に感したるは欧洲諸国の会社に行はるゝ債券発行の方法の如き、今日我経済界に於ける外資の利用方法は、是なりしことと思ひ当ることありし、其他資本を合同して商業界の革進を計らさるべからずと信せしめたること等、皆な洋行の際得たる利益に外ならざるなり、云々
右にて式を終り、幹事より園遊会に移る旨を報じたれば、忽嚠喨たる音楽は始まり、階上の人悉く園内に出てたる頃、余興亦各所に始まり各其絶技を演じ滑稽百出、看者をして笑波を湧かしむるは太神楽の曲芸、円転活脱、端睨すべからざるが如きは是れ手品師の妙手腕なり、或は又円遊の出でゝ巧に弁舌を弄するありて、来賓は各其好む所に従て或は聞き或は見、殆んと時の移るを知ざらしむ、暫くして食卓の用意已に成り一同立食を為す、園内各所或は談し或は食ふ、主客共に陶然として会正に闌なるの頃、会者一同社長万歳、穂積博士万歳、並竜門社万歳を三唱せり
此日天気暖朗、而も微風の徐に来り、炎帝其威を逞ふするの遑なく、樹木の翠緑は殆んと我眉に滴らんとし、不忍池畔の水洋々として涼風を送り、特に両氏行色を盛にし今日の宴に修飾する処あるものゝ如し時漸く七時に垂んとし、暮色蒼然たるの頃漸次散会せり、当日来会者の氏名左の如し
 (名誉社員) 青淵先生 同令夫人 阪谷令夫人 尾高惇忠君
 (特別社員及客員) ○下略