デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

3章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 竜門社
■綱文

第26巻 p.261-271(DK260051k) ページ画像

明治33年12月16日(1900年)

栄一、七月・九月・十月ノ当社月次会ニ出席シ、更ニ是日、第二十五回秋季総集会ニ出席シテ、韓国見聞ニ就キ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三三年(DK260051k-0001)
第26巻 p.261-262 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年    (渋沢子爵家所蔵)
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七月十四日 曇
○上略 夜銀行集会所ニ抵リ、竜門社ノ月次会ニ出席シ、京仁鉄道ノ経歴ニ関スル談話ヲ為ス ○下略


竜門雑誌 第一四六号・第五三―五四頁 明治三三年七月 ○竜門社月次茶話会(DK260051k-0002)
第26巻 p.262 ページ画像

竜門雑誌  第一四六号・第五三―五四頁 明治三三年七月
    ○竜門社月次茶話会
竜門社の月次茶話会は、社長の洋行以来久しく中止の姿となり居りし処、此程以来月次茶話会を催し、論談の間に社員相互の智識を磨き、交誼を温めんとの議起り、会日をば毎月第二土曜日と定め会場には東京銀行集会所を借入るゝこととし、其の第一例会をば本月十四日午后七時、東京銀行集会所に於て開会せり、当日の出席者は青淵先生・社長及阪谷芳郎氏等を始めとし四十五名にして、青淵先生は談話の中心となりて、種々面白き雑談あり、社員一同三々五々茶菓を喫しつゝ雑談数刻に渡りたる際、阪谷君の出席ありたれば氏に乞ふて一場の演説を為すこととなり、社長其の由を紹介す、於是阪谷君には、目下の問題となれる兌換割増の事に就き各国の例を引き、相当の方法を以て正貨の流出を防き、正貨準備を保持するの必要を述べ、兌換割増の如き大いに研究するの価値あることを滔々述べられたり、続て青淵先生には、京仁鉄道をモールスより買入れたる当時のことより説き起して、今日の成効を見るに到りしことを述べられ、尚ほ進んで京釜鉄道をしても亦如此成功せしめんことの希望より、其方法を論述せられたり、右演説の筆記は別項に掲げたれば玆に詳記せず、演説後は又各自思ひ思ひに種々なる談話に移り、来会者は殆んど夜の更くるを知らず、辰儀十一時を報ずるに至て始めて散会せり、当日の出席者は左の諸氏なりし
 名誉社員 青淵先生・阪谷芳郎君・社長渋沢篤二君
 社員(イロハ順)伊藤登喜造・磯野孝太郎・石井与四郎・林保吉・西田教止・西内青藍・堀井卯之助・戸田宇八・岡本亀太郎・大塚岩吾郎・若月良三・和田巳之吉・横山直槌・吉岡新吾郎・武沢与四郎田中楳吉・高木鋼吉・田畑新之助・高橋波太郎・土屋藤吉・角田真平・中野次郎・仲田正雄・中島穀之助・浦田春雄・野口弥三・倉沢粂太・八十島親徳・山中譲三・山際霜五郎・八十島樹次郎・松平隼太郎・槙安市・松村修一郎・小林徳太郎・青木孝・斎藤峰三郎・斎藤平次郎・北脇友吉・三浦小太郎・渋沢長康・渋沢元治
   ○栄一ノ談話筆記ヲ欠ク。


渋沢栄一 日記 明治三三年(DK260051k-0003)
第26巻 p.262 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年     (渋沢子爵家所蔵)
九月八日 雨
○上略 午後五時帰宅、夜食後銀行集会所ニ於テ開ク処ノ竜門社月次会ニ列ス、自然ト人為ト云フ事ニ付テ、一場ノ演説ヲ為ス、夜十一時兜町ニ帰宿ス


竜門雑誌 第一四八号・第三四―三五頁 明治三三年九月 ○竜門社第二回月次談話会(DK260051k-0004)
第26巻 p.262-263 ページ画像

竜門雑誌  第一四八号・第三四―三五頁 明治三三年九月
    ○竜門社第二回月次談話会
 - 第26巻 p.263 -ページ画像 
本社第二回月次談話会は、八月十一日(第二土曜日)を以て開会すべき筈なりしも暑中に付き同月は休会し、九月八日(第二土曜日)午後七時より日本橋区坂本町銀行集会所に開会せり、当日は渋沢社長及穂積名誉社員を始め、各特別及通常社員五十一名の来会あり、青淵先生にも微恙を冒して臨席せられたり、例の如く茶菓の饗ありて、会員は三々五々団を為して暫時は四方八方の談に時を移し、且つ青淵先生を擁して思ひ思ひに垂誨を請ひしが、軈て名誉社員法学博士穂積陳重君は社長に誘はれて座の中央に進み、欧米巡遊中の所見に付き一場の談話を為され、英国の実況に付き、職業の異同を問はず英国人民が相協力して乖離することなく、以て国運の進張を助くることを説かれ、大に会衆の注意を惹けり、次に当日来会して本社に入社したる原田貞之介氏(堀越商会紐育支店長)は、社長の紹介に依り、久しく米国にありて商業に従事したる実験上に付き、二・三注意すべき要項を演説し最後に青淵先生は経済上自然放任説と人為保護説とに関して評解を試みられ、学者の惑を弁じ以て会衆の参考に供せられたり、先生の演説終るや会衆中先生に対して交々垂誨を仰ぐものあり、先生は一々之に対して弁せらるゝ所ありて、談論湧くが如く、会衆皆夜の更くるを知らす、青淵先生亦深更まで席にあり、全く散会したるは十一時頃なりしが、本会は再興後之にて僅に二回に及びたるのみなれども、前回以来の実況に徴するに、社員の交を厚ふするのみならす、互に益を享くること少なからざること明にして、参会者も追々増加するの勢あり、猶会を重ぬるに従ひて愈々盛会となるべき見込なり
当日来会者左の如し
 青淵先生  穂積陳重君
 渋沢社長
○下略


渋沢栄一 日記 明治三三年(DK260051k-0005)
第26巻 p.263 ページ画像

渋沢栄一  日記  明治三三年    (渋沢子爵家所蔵)
十月十三日 曇
○上略 此夜銀行集会所ニ於テ竜門社員月次会ヲ開ク、幻灯ノ余興アリテ一同歓ヲ尽ス、夜十二時散会ス


竜門雑誌 第一四九号・第四二―四三頁 明治三三年一〇月 ○竜門社第二回月次談話会《(三回)》(DK260051k-0006)
第26巻 p.263-264 ページ画像

竜門雑誌  第一四九号・第四二―四三頁 明治三三年一〇月
    ○竜門社第二回月次談話会《(三回)》
竜門社第二回月次談話会《(三回)》は、例の如く本月第二土曜日即ち十三日午後七時より、東京銀行集会所楼上に於て開会せられたり、当日は渋沢社長欧米漫遊中自ら影写せられたる写真を電気応用の幻灯に仕組み、之れを説明すると与に一種の旅行談を為すと云ふ、頗る趣味ありて而も最も有益なる催しありしかば来会者殊の外多く、名誉会員たる青淵先生・阪谷芳郎君、社員には佐々木慎思郎君・同勇之助君・市原盛宏君山口荘吉君、客員には坪井正五郎君等を首とし百三十九名の多きに達し、楼上殆んと立錐の地を余さゞる盛会にてありき、今少こしく幻灯の摸様を記せんに、先づ社長か東京を発し始めて米国バンクヴアーに着せし時より始まり、米国に於ける各種の壮大なる建築物を示し、或
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は紐育と市我古を比し、或はナイヤガラ瀑布の壮観と其之れを見物する仕掛の面白きことを示し、以て一は米国文明の最も嶄新なることと他は同国の富力進歩の非常なる勢を以て進みつゝあることを表彰せられたり、既にして米国を横断し、紐育より船に投じ、大西洋を航して英吉利に渡る途次は船中の状況を示し、倫敦に入ては上はヴヰクトリア女皇陛下の居城の風光より始め、下は倫敦市中繁華の地、閑清の遊園を写し、其裡に英人の気風自ら米国人と異なり、繁劇の中にも亦優美高尚なる処あるを示されたるそいみじけれ、夫れより伊太利羅馬に渡り、彼のオーガスタス、シーザル等羅馬の最も繁栄し殆んと世界に君臨せし時代の建物・古物・古画等を示されたるときは、余輩は歴史上無限の感にうたれ、又フローレンス、アゼレス、ゼノア等往昔商業隆盛を極め、欧亜の貿易を独占せし市府を見るに当ても、亦今昔の情に絶へざりき、若し夫れ人の羅馬に遊ぶあらば、旧苑荒台楊柳新。菱歌清唱不勝春。只今惟有西江月。曾照呉王宮裡人』越王勾践破呉帰。義士還家尽錦衣。宮女如花満春殿。只今惟有鷓鴣飛』の感なからんを得んや。社長に於ても亦此感多かりしが為めか、羅馬古代の遺物を最も多く吾人に示され、吾人をして最も懐古の情を増さしめたり。伊太利より墺太利・独逸に入りて、ヴヰンナ、伯林等繁栄の状を示され、次に彼の有名なる古戦場オートルローの景を示されたる時に当り、余輩は又、昨夜秋風入漢関。朔雲辺月満西山。更催飛将追驕虜。莫遣沙場匹馬還』の感なき能はざりき。又仏蘭西に入りては巴里の壮麗人目を引き、自ら世界の楽園たる状を表はしけり、当夜数時間の社長の説明と数十枚の写真は、未だ海外の地を踏まさるものをしては身自ら其境に入るの思ひあらしめ、既に之れに遊べるの人をしては曩の記臆を喚起し、再ひ彼地に在らしむるの感あらしめたり、而して社長説明の写真たるや、悉く社長自身に影写せられたるものにして、普通の写真屋に於て求むへからさるもの数多あり、殊に各写真毎にフロツクコートを着しシルクハツトを戴ける穂積博士の肖像常に并写せられたる、何よりの余興にして、博士が本誌に久しく掲載しつゝある紀行と并せ見なば、更に一種の妙味を添へんか、既にして欧米の漫遊も略ほ終り船は再び桑港を発して横浜の阜頭に安着し、幾多の人々我社長及穂積博士歓迎の為め出向ひたる所にて幻灯も終り、各自散会せしは既に午後十一時にてありき、当夜出席の人名を録せんに左の如し
 青淵先生  阪谷芳郎君  坪井正五郎君
 渋沢社長  (社員順序出席順)
○下略


渋沢栄一 日記 明治三三年(DK260051k-0007)
第26巻 p.264 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年    (渋沢子爵家所蔵)
十二月十六日 晴
○上略 午後一時過両国伊勢平楼ニ抵リ、竜門社秋季総会ニ出席ス、韓国視察ニ関スル一場ノ演説ヲ為ス、畢テ外国人ノ技芸・幻灯ノ余興アリテ夜十時頃散、帰宅ス


竜門雑誌 第一五一号・第四六―四七頁 明治三三年一二月 竜門社第廿五回総集会(DK260051k-0008)
第26巻 p.264-265 ページ画像

竜門雑誌  第一五一号・第四六―四七頁 明治三三年一二月
 - 第26巻 p.265 -ページ画像 
    竜門社第廿五回総集会
本社第廿五回秋季総集会は都合ありて延期しありし所、去る十六日午后一時愈々両国伊勢平楼(旧江東中村楼)に於て、今回韓国より無事帰朝せられたる青淵先生の歓迎会を兼ねて開会したる所、当日は天気の快晴にして東西より集会せる社員は、穂積陳重・阪谷芳郎・佐々木慎思郎・同勇之助・市原盛宏・田口卯吉・金井延・浅野総一郎・木村清四郎・西脇長太郎・星野錫諸氏を始めとして三百余名に上り、非常なる盛会なりし、今式の景況を概述すれば、社員一同席定まるや社長渋沢篤二氏立て開会の辞を述べられ、亜で先頃米国より帰朝せられたる第一銀行員高木正義氏の北米視察談あり、次に青淵先生の韓国見聞談ありしが、満場湧くが如き喝采を博して壇を下られ、於是社員一同予て準備しある和洋酒を酌みて晩餐を終り、是より別席に移りて先づジヨン、ベールの諸芸を見、蓄音器を聞き、最後には曩に渋沢社長が本社月次談話会に於て社員の観覧に供せられたる欧米視察幻灯の中尚ほ残れるものを示され、又同時に八十島親徳氏の説明にて工学士渋沢元治君が今回の渡韓中に影写せられたる同国の風俗・山水・事業界の景況等を示されたるが、曩に社長の説明せられたる欧米各国の景況に比較して文野富力等の程度を考ふるに当ては、吾人は無限の感に打たれ、之れと同時に彼の貧弱国たる韓国に対する責任の頗る重且つ大なるを思ひ、殊に青淵先生等の発起に係る韓国の幹部を縦断する京釜鉄道の如きは、全国民畢生の力を奮て早く成功せしむるの益々急迫なることを思はしめたり、此感たるや吾人の先覚者たる青淵先生の既に已に認められ目下大に尽力せられつゝある所なりと雖、我社数百名の社員に於ても亦先生と同一の感を以て応分の尽力あらんこと、余輩の切望に勝へざる所なり、今当日出席社員各位の尊名を録すれば左の如し
      △名誉社員
 青淵先生   同令夫人  穂積陳重君
 阪谷芳郎君  渋沢社長
      △客員
 金井延君   田口卯吉君
      △社員(出席順)
○下略
   ○栄一、第二十五回総集会費トシテ例ニヨリ金三百円ヲ寄附ス。


中外商業新報 第五六六七号 明治三三年一二月一八日 ○渋沢男の韓国談(十二月十六日竜門社総会に於て)(DK260051k-0009)
第26巻 p.265-267 ページ画像

中外商業新報  第五六六七号 明治三三年一二月一八日
    ○渋沢男の韓国談
        (十二月十六日竜門社総会に於て)
頃来風邪に冒され居れば、或は音声の通徹せさるものあらんも幸に恕せられたし、而して余は此頃朝鮮旅行をなしたるを以て、自らも其視察談をなさんと欲し、幹事よりも韓国談の請求ありたれば、聊か朝鮮に就き一言する所あらんと欲す、然るに夫の国の事たる既に久しく我邦に伝へられたるものあり、特に近来は種々の人々同国を視察し、帰朝の上種々の視察談をなせるを以て、既に諸君の耳には各般の韓国談透入し、聊か陳腐の嫌なきにあらさるべく、余も亦旅行を終へ帰朝す
 - 第26巻 p.266 -ページ画像 
るや、博多に、広島に、大坂に、四日市に、名古屋に、至る所朝鮮視察談を試みたれば、諸君の耳に珍しからさるよりは、寧ろ余の口に面白しとなさゞる所なりとす、然れども今高木君より米国の談話ありたれば、之に対する合せ鏡としては亦一興あるべしと信ず
余の夫の国に渡航したるは二回目にして、今回は少しく時日もありたれば、幾分か実況を知れりと云ふを得べし、然れども結局余は開港場若くは国都京城に滞在し、夫の国の官吏又は或種の商人に面会したるに過ざれば、或は余の視察は皮相の観たるやも亦計るべからず、併し皮相なりとするも、其一班を窺ひ得たりとせば幸甚なり
蓋し韓国は我邦とは古来より交際ある国にして、遠く神功皇后の三韓征伐の如き、大閤秀吉の朝鮮征伐の如きは既に人口に膾炙し、三尺の童児も亦之を知悉する所なりとす、而して夫の国の文物にして我物に伝へられたりと思はるゝものも少なからず、或は支那之か祖にして我と彼と共に之を伝へたるか、彼先つ支那より伝へて更に之を我に伝へたるものなるか知るべからすと雖も、家屋の構造と云ひ、衣服の調製と云ひ、其他彼より我に伝へたりと思はるゝもの少なからす、特に今回見て以て異様の感覚を起したるは、夫の国の人足体の者相集り物を蹴て楽む遊戯なりとす、蓋し本邦蹴鞠の起因ならんか、今や朝鮮に於ては上流社会の人之に伍するを好まざるが如く、亦人足体の者の遊戯に係れば一見頗る醜穢にして、我邦の公卿の蹴鞠なるものは非常に高尚優雅なるものありしを思ひ来れば、頗る奇妙の感に打たれたり、或は夫れ朝鮮も幾多の変遷を重ね、或は高麗と称し、或は百済と唱へ、箕氏封ぜられて三韓と称し、延ひて今代李氏の朝に至りては人物も降り文物も鄙しく、遂に今日の韓国となり来りたるは、宛も蹴鞠の古は貴縉の遊戯なりしも今は降りて人足の娯楽となりたるに比すべきか
余は之より今高木氏の演説に傚ひ、政体とか社会とか教育とか云へる如き順序に依りて述ふる所あらんに、政体は形式上宛も立憲政体と云へる如きものにして、議政府あり、行政府あり、更に行政部には日本の如く外部あり、内務あり、農商務あり、度支部あり、海軍と云へるものはなきも、警視庁の如きもの迄具備し、其官制亦立憲的なるも、其実際に就て見れば、純然たる君主専制にして、政治は一に国主の意中に在り、昨日迄重職を握りたる閣臣も、今日は忽ち罪人と化す、実に大臣も政治家も、僅に国王の寵遇を受くる間のみ職に備はるのみ、形は立憲なるも、実は生殺与奪一に国王の意の向ふ所に任する有様なりとす
而して地方に赴任する郡守即ち県令・知事の如き者に至りては、或地方に限るものなるか、将た一般に行はるゝものなるかを審にせざれど宛然受負仕事の如く、先づ若干の敷金を納めて之か任を受くるものとす、是れ愈々赴任の暁に於ては、其職に従て生する収入あるを以てなり、其収入は賄賂と称せんか、一私人か一事の曲庇を乞はんが為に容るゝものにあらざるを以て賄賂にあらず、租税と号せんか、国庫又は地方庁に入り国費に供する者にあらざるを以て租税にあらず、故に唯此収入を目して役徳と称するの外なし、去れば富饒の地に赴任せば随て此役徳多きを以て、自然此種の地に任を受るの敷金は高貴なりとす
 - 第26巻 p.267 -ページ画像 
聞く我幕府時代に於ては町奉行の公用人なる者は、主人に敷金を納めて職を購ひたりと、朝鮮に於ては郡守・監守等皆然りとす、次に困難なる問題は夫の国の貨幣なりとす、同国の本位貨は我寛永通宝の如き孔ある銭なるも、今日に於ては我貨幣を共通し、日本銀行兌換券の如きは貿易場裡の本位貨幣となり居れり、先頃同国に於ても貨幣制度の制定ありしも、事実上の本位貨は尚ほ例の孔ある銭にして、之を葉銭と称す、貨幣制度に依り重に鋳造せらるゝは赤銅及白銅にして、偶々銀貨の鋳造を見しも、今は多く鋳造せず、是れ銀貨は地金を購入して貨幣を鋳造するも、為に毫も利益を生ぜざるに因る、赤銅・白銅の如きは之を鋳造する時は、地金と貨幣との間に著しき利益あり、是を国王の役徳となす、若し夫れ此役徳を国王のみに止めしめは其害や尚忍ぶべしとなすも、国王は若干の敷金を徴して私鋳を許すことあり、其敷金は鋳造の多寡に依りて課するものにあらずして、一定の額を徴するものなれば、一度私鋳の特許を得ば幾何の貨幣をも鋳造し得べし、然れど韓人の悠長なる、特許を得るも差したる巨額の鋳造をなさゞるは僥倖なりとす、呵々、然し近来は此私鋳の増加せる為め漸次日本貨幣との差を生し、甚しきは三割の打歩を生せることあり、或は貿易の作用又は内地より産物の出廻り多く、自然内地に白銅貨を吸収せし時は日本貨幣との差往々一割内外に下ることあり、斯の如く一年中にも屡々斯の如き大変動を生ずることありとす(未完)


中外商業新報 第五六六八号 明治三三年一二月一九日 ○渋沢男の韓国談(続)(十二月十六日竜門社総会に於て)(DK260051k-0010)
第26巻 p.267-269 ページ画像

中外商業新報  第五六六八号 明治三三年一二月一九日
    ○渋沢男の韓国談(続)
        (十二月十六日竜門社総会に於て)
租税は宛も日本の租庸調と同し、是日本が其古に於て彼に真似たるに因るものなるべし、即ち租は地より徴し、庸調は製品より徴し、又夫役を課するものなりとす、今日韓国の国税は日本貨幣六百万円位に当るならんと云ふ、而して之を賦課徴収し国庫に入るゝには、六百万円以上の費用を要するものなりと云へば、結局人民は千二百万円の負担をなすものと云ふべし、我邦に於ても往昔は納税に対し租税と同一位の費用を要したるは、古老の今尚記臆する所なりとす
政体に就て調査せる所は概要以上の如し、更に風俗・習慣に就て述へんに、韓人一体の人情は決して唾棄すべき程のものにあらず、体格は日本人より頑剛にして、筋骨逞しく力量強く、資性柔順にして忍耐力に富むが如く、誠に遇し易く亦可憐の性質を有せり、今一例を挙けて証せんに、京仁鉄道開通するや韓人は之を見て如何に愉快に感したるにや、一韓人の如き再三再四之に乗り試み、遂に全く嚢底を叩き家に帰る能はさるに至り、一停車場に到りて、余は二円以上も乗車せしこと故、二十銭丈け返附し呉れよと、悃請せるものありたるが如き是なり、又韓国の人夫は日本の山方にてシヨイコと称する小楷子の如きものを携え居れり、韓人のシヨイコは楷子の親骨の下方より角の如きもの二本後方に突出し、之に重荷を載せて遠きに運ふものなりとす、近来は京仁鉄道開通したるを以て、沿道余り此種の荷を負ひ行くものを見されど、鉄道開通前は四百斤の重量ある金巾を此シヨイコにて負ひ
 - 第26巻 p.268 -ページ画像 
能く遠方に運ひたりと云ふ、又人夫の水を運ふに当りても、桶に水を盛り、之をシヨイコの角に吊し、能く水を溢れしめざる様他に運搬するは、其熟練の感すべきと同時に、其風態頗る滑稽なるものありとす而して韓人の人夫は事業に着手する当初は頗る鷹揚にして、至てまだるきが如きものあるも、其永きに堪ふるに至りては驚くに堪えたるものあり、廿七年事件の際、運送船より若干の貨物を陸揚けするに際し或時間内に荷役を終るべきを命し、厳しく人夫を督して業に従はしめしに、日本人夫は其取付きこそ勢よかりしも、暫くにして其労に堪えざるに至りたるが、朝鮮人夫は当初と同しき悠長を以て倦ます撓ます予定時間内に陸揚げを終へたりと云ふ、蓋し兎と亀との道行譚を実地に演ぜしものと見るべきか
韓人は能く人の命に服する柔順なる人民なるも、其誠に気閊はしきは正式の事又危険の事を扱はしむるに在り、電気の危険なることも毫も頓着なく、時間に依りて必要なる措置をなさゞるべからざることも毫も意に介せず、甚しきは鉄道のポイントを握りて座眠を貧るか如きものあり、到底危険なる事又は正式の業は委するべからさるものなり、雲山金鉱を営む米人は説をなして曰く、雲山には二千五百人の韓人を使役し居るも、危険の事及機械的事業は到底委任する能はず、韓人は其給料低廉なるも、兎に角危険なる事及機械的の仕事は日本人又は支那人ならさる可らずと――京仁鉄道に就て足立氏の実験せし処も亦然りと云ふ、要するに韓人を使役するは、鉄道なりせは堀割り盛土と云へる如き、技術的ならざることに傭役せは、頗る成蹟可なるを知る
次に社交の事に就て云はんに、韓人は一般に言語動作巧にして、韓廷の大官に面接せる時の如き辞令誠に巧にして、些々たる話題も能く之を敷延し、話柄を絶つことなし、現皇帝とは従兄弟に当り皇族中錚々たる西安君李載純氏の如き亦頗る交際の巧者なりとす、特に言語辞令に巧なるは国王なり、此前拝謁を賜りたる際も若く思ひたるが、今回は市原・足立・八十島の諸氏も共に謁を賜はり、余は御前に於て鉄道鉱山等に就き奏問する所ありしに、陛下には高貴の方々にして如何に斯く迄と思はれし程、巧に合槌を打たせ給ひたり、今一・二の例を挙けて証せんに、余は国王に向つて京仁鉄道も明日を以て開業式を挙行するに就き、陛下の御親臨を仰かんと欲せしも余りに寒気の激しきを以て御遠慮申上げたりと言上するや陛下は朕も是非臨場せんと欲せしが、相憎風邪に冒され臨場する能はざるは遺憾なり、兎に角此国に鉄道を敷設せしは一に卿の力にして、朕の大に満足する所なれば、近臣大官に命し揮つて臨場せしむることにせり、聞く所に依れば特に朕の乗車を調製したりとのことなれば是非試乗せんことを欲するも、病の為めに試乗する能はざるは呉々も遺憾なり、明春は必す試乗し其快を嘗めんと仰せられ、更に余は、栄一は銀行専務にして、御国中にも支店を設け置けることなるが、一昨年も申上けし如く今回は京釜鉄道を敷設せんと欲し、夫れ夫れ其筋の方々に交渉中なりと言上するや、陛下には、種々厚配を煩はし大悦之に過きず、国内を縦貫する此大幹線にして成らんには、殖産興業も盛を加へ、文運漸々進歩すべし、何方尽力あらんことを望む云々と、京釜鉄道は京仁鉄道より大なる丈け陛
 - 第26巻 p.269 -ページ画像 
下の御挨拶も随て大なりき、其他の大官に至りても概ね斯の如し、亦以て朝鮮人の言語辞令に巧なるの一端を窺ふに足るべし
教育は全く支那仕立にて、仁義五常を説も全く形式に止まり、要するに韓国の教育と云へる事は文学を教ゆると云ふに過きず、今一々之を説くの要なかるべし
就て誠に気の毒の至りに堪えざるは、夫の国人は一般に質疑心に乏しき事なりとす、『何を以ての故か』と云へる念は夫の国人中殆と絶無なるが如し、是れ果して将来同国の発達に影響せざるや否や、仮令は我邦に於ても明治年代前又は明治当初に於ては、日本人も口に攘夷を唱へ居たりしも、外国製品に対しては孰れも質疑の念を挟まざるはなかりき、現に余の如き始めて外国船に乗したる時、其機関の巧妙なる、其装置の善美を尽せる、如何にも敬せさるを得ざると同時に、如何にして如斯ものゝ出来するものなるやを、問はんと欲するの念勃如たりき、之と同しく日本人には質疑の念多きも、韓人中には絶えて斯の如き念慮なく、誠に無邪気にして、所謂自然を楽むと云へる如き性質を有せり、是れ同国の発達せさる一原因にはあらざるなきか、今一例を挙けんに、京仁鉄道開通式の際の如き、同国人を喜はせんと欲し御料列車を新調し、之を停車場の一方に飾り、他には余興の舞台を設け、附近には楽隊・手踊種々の余興場を設け置きたり、其御料車は日本に於て製造したるものにして、結構善美を尽せりと云ふにはあらざるも平岡工場の丹精を凝したる上に、軌道はスタンダード・ゲージなり、之に立派なるサルーンの如く見ゆる御料車を飾り、内部は特製の純子にて張り詰め、侍従扈従の人々の乗り込み得へき室迄も備へたれば、決して華麗ならずとせず、然れば式場に臨みたる露国公使を始め、外国貴縉五七人は此御料車を見て、其装飾に就き又は其構造に就き、種種の質問を発せしも、臨場せる韓国大官数名は唯華麗なりとて見惚れたる迄にて、何等の質問だも起すものなかりき、此質疑の念なき一事は実に同国の為め気の毒なりとする所なりとす、是れ蓋し風土・気候の然らしむる所なるか、将た制度・法令の致せる所なるかは余は今玆に明言せざるべし、宜しく諸君の研究を要すべき所なるべし(未完)


中外商業新報 第五六六九号 明治三三年一二月二〇日 ○渋沢男の韓国談(続)(十二月十六日竜門社総会に於て)(DK260051k-0011)
第26巻 p.269-271 ページ画像

中外商業新報  第五六六九号 明治三三年一二月二〇日
    ○渋沢男の韓国談(続)
        (十二月十六日竜門社総会に於て)
韓国一体の風俗は概ね上に説く所の如し、次に同国経済の情態に就て一言せんに、同国経済界は実に驚くに堪えたるものあり、概言すれば韓国は国を挙げて農なりと称すへきも、而も其農業は唯人民其日の命を継ぐに足るの農業を営むものにして、決して営業的意味を以て農耕に従事するものなし、農の事たる素と今日耕し明日食するを得べきものにあらざるを以て、相応に畑を作り田を耕すと雖も、要するに唯一年の計を為すのみに過ぎず、然れば多数人の生産力と消費力とを文明国に比すれば、実に霄壌も啻たならさるの差あるを見る、若し夫れ支那風の制度より云ふ時は、各戸生計の低度能く均一し、貧富の権衡等しと云ふべきも、余は戯れに、韓国は貧々能く平均し居る国なりと云
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はんと欲す
要するに政治・経済・教育・風俗等、或部分に於ては賞讚する所なきにあらざるも、概して云ふ時は至て採り得なき国なりと云はざるべからさるなり、此採り得なき国に対する列国の耳目は如何、稍々政論に渉るの嫌なきにあらずと雖も、聊か列国の韓国に対する態度を説かん英国は此国と関係薄き如くなるが、税源を握る総税務司は英国人にして、各海関の事務皆此人の区処を受く、然れば韓国の税務に就ては、英国の勢力少なきにあらず、米国はハント氏先つ北方雲山の金鉱を経営し、其産額一年に百万以上に達すと云ふ、コールブラン氏は電気鉄道受負の為渡韓せしも、今は水道其他の工事に手を拡げ、米国公使以下の官吏は宮内府顧問の米人と共に、手を携えて米人の事業に勢援を与ふる所少なからず、露国は一昨年迄はアレキシーフ氏在り、露韓銀行ありしも、今日全く手を収め、事実上経済的経営をなさゝる如くなるも、公使は今尚ほ充分自国の利益を計り、苟も自国に不利なる事件に対しては頑剛不撓の抵抗をなせり、其他の列国比々皆然りとす、右の如く欧米列強か此半島に対する態度は、毫も他の大国に対する所と異ることなし、亦以て各国の如何に韓の国土に対する注意の厚きやを知るべきなり
我国に於ても、政治上に手を延へ、商工業者をして韓国の事業に力を致さしむることに努むるは喜ぶべき事なりとす、余は京城・仁川に於ても明言したることありしが、近来政治家か商工業者に対する観念を重くせしは誠に喜ぶべきことにして、昔者商工業を以て僅に国を理するの一材料と見做せしに過ぎず、近来に於ては如何なる大政治家も商工業を必要なりとし、口を開けば商工業の要を説く、誠に喜ふべき現象なるも、因習の久しき、口に説く程実際に於て商工業者を重せず、又時に疎する如きことあるは遺憾なりとは、我人共に信したる所なりしが、外国に渡航せば其大に然らざるを見る、即ち我政府の如き近来大に商工業者の後援となり、商工業者をして外国に出てゝ事業を経営するを得るに至らしめたるが如き、是なりとす
半島の将来を如何にすべきやは、日本人たるものゝ深く考査せさるべからさる所なりとす、此国は既に説ける如く、古来より我邦と関係厚き国にして、近くは廿七年の如き飽迄同国の独立を確保せさるべからずとは、我 皇上の大御心にして、同国を扶植せされば我邦の権利利益に少なからさる影響ありとは、我人共に均しく唱道する所なり、而して今後同国に対して如何なる態度を執るへきやは、政治家には政治家としての考案あるべきも、我々商工業者たるもの亦経済上より誘導開発し、彼の進歩するに従ひ我も亦利するの途を講ぜざるべからざるなり、蓋し此利益を将来に扶植せんが為め韓国の誘導開発を計るには鉄道敷設に若くはなし、京仁鉄道の開業も京釜鉄道の計画も、要するに自国の利益を将来に期し、彼の開発を主とせるものに外ならず、而して京仁・尽釜両鉄道の計画は、既に諸君の熟知する所なれは玆に贅せず、余は曩に夫の国の国情に鑑み之を開発誘導するは鉄道に若かずと信したるが、今日再応の渡航を重ねたる後に於ても亦之を確信せり今や京釜鉄道も漸く成立の機運に近けり、京釜鉄道全通の暁に於て夫
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の国の内地を開発し、其生産力を増加し、其消費力を増殖せば、又以て我邦をして大に利せしむることを得へきと同時に、此利益扶植の為め他より生する妨害を防遏するに至るべきなり
今高木君は、米国は各国人の集合体にして、其性はダイヤモンドなり如何に之を粉砕するも光線・角度等の如きダイヤモンドの本質を失はず云々とて、能く米国の風俗・人情を説明せり、若し夫れ東の大国たる米を以て西の朝鮮に比せんか、事々物々悉く反対なるを見る、米国をダイヤモンドなりとせば、韓国は房総若くは野州等に於て産する青右の如し、要するに人の土台となりて、用を充たすものたるに外ならず、然れども其用方に依りてはダイヤモンドも毫も効をなさゞることあり、時に青石を措て他に用ゆべからざるものあり、読者幸にダイヤモンドを熱愛するの余、青石を捨つることなきを希望す、否寧ろ此青右こそ大に利用すべきことなきにあらざるを記臆せられんことを、云云(完)