デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

3章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 竜門社
■綱文

第26巻 p.376-383(DK260065k) ページ画像

明治39年5月13日(1906年)

是日栄一、当社第三十六回春季総集会ニ出席シ、「青年処世ノ方針」ト題シテ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三九年(DK260065k-0001)
第26巻 p.376 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三九年     (渋沢子爵家所蔵)
五月十三日 雨 暖             起床六時三十分 就蓐十二時
○上略 畢テ ○午前八時過八十島・尾高其他竜門社来会ノ諸氏ト談話ス、午前十時頃ヨリ社員多数来会ス、十一時演説会ヲ開キ、阪谷氏経済演説ヲ為ス、最後ニ青年社員ニ対スル訓戒ノ趣旨ヲ以テ、処世ノ覚悟ト云フ演題ニテ一場ノ演説ヲ為ス、畢テ午飧ヲ為シ、食後園遊会ヲ開キ再ヒ相集リテ数番ノ余興アリ、夜七時頃全ク散会ス


竜門雑誌 第二一六号・第三一―三二頁 明治三九年五月 【本社第三十六回春季…】(DK260065k-0002)
第26巻 p.376-377 ページ画像

竜門雑誌  第二一六号・第三一―三二頁 明治三九年五月
○本社第三十六回春季総集会 は本月十三日午前九時より、飛鳥山なる青淵先生の別墅曖依村荘に於て開かれたり、時下新緑の候、前日までに来会申込の社員は実に五百余名に達したりしが、不幸にも当日午前五時頃より降雨と為りて引続き止まざりし為め、例年に比して来会者の数甚だ少なく漸く二百二十四名なりし、出席者の重なるは青淵先生・同令夫人・渋沢社長・同令夫人・阪谷博士・同令夫人等にして、降雨の為め庭園に設けたる会場を同邸内の大広間に移し、或は露店の防雨設備等の為め、開会の時刻予定より少敷後れて午前十一時と為れ
 - 第26巻 p.377 -ページ画像 
り、先づ渋沢社長壇に進みて開会の辞を述べ、続て阪谷博士は戦役後に於ける竜門社員の覚悟、青淵先生は青年処世の方針と云ふ演題の下に演説せられ、終りて園遊会を開きたるが、朝来の雨尚未だ霽れざるを以て各員蝙蝠傘を翳して思ひ思ひに寿司・ビール・団子・煮込・甘酒・燗酒・蕎麦等に腹を作り、又は丸庭に設けたる天幕内に於て午餐を終る、其間音楽隊の奏楽は絶えず来会者の歓を助けたり、午後一時半より大広間に常設しある舞台に於て、三遊亭一座の落語・手踊・茶番・手品等の催ありて十二分の快を添へ、午後五時散会せり
左に来会者の芳名を録す
 青淵先生  同令夫人
○下略
   ○栄一、総集会費トシテ例ニヨリ金三百円寄附ス。


竜門雑誌 第二一七号・第一―九頁 明治三九年六月 ○処世の要訣(DK260065k-0003)
第26巻 p.377-383 ページ画像

竜門雑誌  第二一七号・第一―九頁 明治三九年六月
    ○処世の要訣
 本編は五月十三日飛鳥山曖依村荘に於て開かれたる本社第三十六回春季総集会の席上に於て青淵先生の述へられたる演説速記なり
生憎と雨が降りまして、折角の総会が大に殺風景になりましたのは残念に存じます、時間がもう大分迫つて参りましたから長い御話は致しませぬが、例として一言の愚見を申述べて置くやうに致したいと思ひます、唯今阪谷氏から戦後に於ける経済上の見込として、我竜門社員の十分なる尽力を求むるといふ御演説がありました、私も誠に同感であつて、時も好し区域も広まり、下地もそろそろ出来て居るのですから、是から先き奮励一番せねばならぬといふことは御説の如く、皆さんと共に十分に力を入れなければなるまいと思ひます、併し一方から言へば左様に悲観して苦難に考へぬでも宜い、十分なる望みありといふ様にも言ひ得るけれども、一方から考へれば今日の経済界をして今阪谷氏の述べられたる如き希望に達せしめるといふことは、官民ともに其局に当る人の精励・注意・耐忍総て能く行かなければ、左様には成り得ぬと斯う申さねばならぬのですから、所謂悲観と楽観とは大なる事物には始終着いて廻りますので、一方悲観にのみ傾くは悪うございますけれども、亦楽観に偏して物を軽々に論ずる所謂張活の兵法に陥つてはなりませぬ、で諸君には十分御注意あるやうに致したいと同時に私も亦老ひたりと雖ども奮励致す考でございます、私が玆で申上げやうと思ふことは左様な国家の大経済ではない、大方の諸君には少し遼東の豚のやうなもので、其様なことは聴きたくはないと思はれますか知れませぬが、此竜門社の諸子は青年の御方が多い、俗に申す出世前の御揃ひであるから、私はさういふ諸君に対して処世の要訣とまでは参らぬけれども、世に処する心得方は斯くあれかしと思ふことを一言述べて置かうと思ふのでございます
演説と言ふよりは講話とでも申しませうか、それも少し道話的の講話であるから、中には古臭ひ議論だと御聴取りもありませう、まだ十二時前ですから御空腹とまでは至りますまい、併し余り満腹でも人の話は聴悪いものだし、又余り空腹でも食事の考が強くなつて話がそツち
 - 第26巻 p.378 -ページ画像 
のけになつても困る、丁度其辺には程好い頃ほひと思ひます、偖て人の世に処するのは至つて快楽なものでもあるが、又容易ならぬと考へなければならぬものである、殊に今玆に申述べるのは女子に対するのではなくて男子に対する御注意である、男子が此国家の為に十分に力を尽すといふ、殊に実業界に身を投じて居る諸子の処世の心掛といふものは、別して左様に易々たるものではないと申さなければならぬのであります、御互に日本人として、世界の列強に伍班する大国民として、是から先きに注意して行かねばならぬことは数々多いのです、内にある一身の私徳も、十分修めて行かねばならぬ、私徳を修めて行かなければ良い家庭は造られぬ、良い家庭が造られねば良い郷団は成せぬ、一郷・一村・一都会、それから一国となる、其根本は即ち一家に在る、更に縮小すれば一人に在る、故に個々各其私徳を修めて以て一郷一国に及ほすのである、詩経にいふてある如く、寡妻に則り兄弟に及ぼし、以て治家邦といふ心掛が頗る肝腎であるが、又それと同時に一方には公徳を重じなければならぬ、兎角に御互ひ日本人の是までの風習が、大勢相集まつた間に於ける行作が甚だ悪い、一人々々だと至つて謙遜で、あなたお先へと人に譲る所は寧ろ西洋人抔よりは鄭重である、殊に宴会席なとでは甚だしきは人を突倒して自分は後へ立つことを求める、それが大勢寄ると全く反対で、今度は人を押しのけて先へ出る、人を突倒して下るも悪いが、人を押のけて先へ出るのは尚ほ悪い、是等は即ち公徳を重んぜられぬ一つの証拠である、さうして口ではイヤ大国民の襟度とか何とかいふけれども、大国民どころではない、殆ど孤島の漁夫か何かの行為と似た有様がないとは言はれぬのですから、斯ういふことにも注意せなければならぬ、又性として甚だ事物に行過る弊がある、即ち感情の強過ぎるのである、先づちよッと喜ぶと大層それに激すると同時に憂ふることも亦同様で、謂はゞ早く熱し、又早く冷却するといふ弊が多くはないかと恐れるのです、斯ういふことも余程慎んで、余り俄に激し又俄に忘れるといふことのないやうに心掛ねばならぬ、但し喜怒不現色といふて、陰険とか、深刻とかいふやうな批評を加へられる人種にもなりたくはないが、少し冷静な頭を持つといふことは、所謂大国民の襟度としては望ましいと思ふのです、さういふ事を数へて斯くありたい、斯う心掛けるがよいと言ひ立てたならば数限りがないので、私は左様に都て此処で申述べる訳には行かぬから、二三の重要なる件々を玆に述べて見ようと思ふのです凡そ人の世に処するに付ては、目的といふものが是非なくてはならぬと思ふ、目的といふものは成るたけ明瞭に、又正確に立てるといふことは、男子の世に処するに於て極く必要なる事と申すのである、併し此目的といふものは、時として必ず変化せぬとは限らぬのです、斯く申す渋沢が、其初めにどういふ目的であつたかといふと、それこそ八基村の良農となりて農事に幾許の新知識でも加へて、一村一郷の公益を謀ることを目的としました、又副業として藍玉を商つて居りましたからして、此藍屋といふことに付ても其近辺に於て優等なる位地に進みたいと思ふた、但し独り多く金が儲けたいといふのではないが、其業体が近隣から見て先づ完全なる仕方であると見はれる位の位地には
 - 第26巻 p.379 -ページ画像 
なりたい、斯ういふやうな観念を持つて居つたのであります、併し夫が時勢の為にころりと変化して、どうしても国家が外国の為めに倒れてしまふであらうか、若くは奪はれてしまうであらうかといふやうな慷慨心が生じて、甚だしきは天子の詔を幕府が蔑ろにする、外国からの脅迫は唯々諾々之を奉する、是れ即ち外を尊ふみ内を卑むの甚しきものである、所謂神洲陸沈といふ漢学者流の議論は事実ぢやないかと思ふた、是は百姓をして居るよりは、此場合微力ながら国家の為めに一身を犠牲にする外はない、即ち尊王攘夷が重なる目的になつて、遂に百姓といふものに安んずることが出来なくなつて、以前の目的は変更したのです、是は私の経歴上の間違ひと言はねばならぬのである、甚だ非分なる企であつたといふ謗を免れぬけれども、其時の私の目的はそれであつた、それから終に浪士になり幕吏になり、維新後に政府の官吏にもなり、其経過中種々熟考して、国の真正なる富といふものは政治とか軍事とか、法律とか教育とかいふものが進んで行かなければならぬが、それと同時に実業の発達が同じく進んで、商工業者の位地が政治界・軍事界の人と較々上下するだけに成り得なければ完全でない、どうぞそれを己れの天職として其位置に達せしめるやうに進めて見たいものだといふのが明治四・五年の頃から指定めた目的であつた、此目的といふものは唯だ単に漠然と立てゝ、それから先きは何れになつても構はぬといふのは真正なる目的ではない、己れが立てた目的には目的に伴ふ理想がある、其理想を是非実現せしめやうといふのが、即ち目的を立てた効能である、爾来殆ど三十四五年、其の目的によりて苦心経営致して居る、素より力も足らず事も難し、決して思ふた事が十分の一も達しますまい、去りながら其目的は次第々々に進んで行つて、今日竜門社諸子が此処に集まつたのも、多くは私と目的を共にする人達と言つて宜しからうと思ふ、此処に集まつた人は僅かであるが、私と謦咳は接せずとも世の中で渋沢を友人として今の目的を持つて勉強して呉れる人は、頗る多いと言ふて宜からうと思ふ、さすれば即ち此目的は決して空想でなかつたといふことが申し得られる、而して自身は商工業者として、どうぞ此目的を完成せしむるやうにしたい、但し身を実業界に処して苟も国家の経済を説く者が、常に窮乏にして他人に煩を掛け故旧に厄介を掛けるといふ有様では、諺にいふ筵打菰に寝るので医者の不養生になるから己れ自らも大なる富を成すことは要せぬでも、相当恥しからぬだけの位置にはなりたい、併し己れの蓄財を目的とはせぬ、世の経済界の進運を目的とした積りでありますから、其点から考へると何れの人が富むも何れの地方が富むも、何の事業が盛になるも措て問はず、自身の目的は即ち達したと申して宜からうと考へるのである、故に是から先きの青年諸子に於ても此目的を確立するが肝要である、前に述べた私の目的が適当であるとは言はぬのです、其間には余程邪路に踏込んで大に一身を危うしたといふこともあるのですから、決して渋沢を摸範になさいといふ意味ではないが、凡そ人は立てた目的は、成るべくそれに伴ふ理想を実現するといふことに覚悟を定めなければならぬ、唯風のまにまに揺られて行くといふやうな、定見も節操もないのは、是は処世の宜しきを得たもの
 - 第26巻 p.380 -ページ画像 
ではないと申すのでございます
次には人の世に処するに付て働く途が大別して二様ある、例へば政治上でも官に就くは即ち人に雇はれるのである、又会社の事業に就て務むるも之れに似て居る、或る団体に依つてそれを根本として我が有る所の材能を啓発して行く、我が有る所の技術を施して行く、是れは皆他働的行為である、又全く自分独立して営業をする……人力を牽くのも独立と言ひ得るか知らぬが、終には大きな見世を持ち大事業を為し大勢を使役して自身一己の計算で遣る、是れは独立事業といふので自働的である、此二様の行動が何れが宜いかといふことは、私は何れを是とも非とも言へぬと思ふ、亜米利加のカーネギー氏などは、成るべくたけ人は会社に就くとか給金取で働くよりは、自己の計算で事業に就くやうにした方が宜いと、其著書によりて教へて居ります、日本にもさういふ事を言はれる人が多い、而して独立の事業で成功した人をば殊に世間で之を賞賛する、私も自己の計算で事業を成立たせて行くことを悪いとは決して申さぬが、さればとて其人の性質が丁度会社とか或は政府とかいふ向に相当して居るものを、無理に苦んで隣の人が自己の計算で営業して大金持になつたから、他人の事業に従事するは誠に得る所も少くして詰らぬ、是は望ましくないといふ如き意念を起すは決して適当な考ではなからうと思ふのである、故に其場合と我材能とを能く考察して、或は他の事業に就て其事務を担当するなり、言葉を換へて申せば官に就くなり会社に雇はれるなり、又は独立で業を興すなり、是等は処世の要訣といふことに付て何れにせねばならぬと確定して論ずるものではなからうと思ふ、けれども前にも述へたる目的といふものは、其以前に於て斯くしやう斯ういふ按排にして行きたいといふ考を、自分で定めなければならぬ、其目的を定むるの手続として、或は自己の計算で遣るとか、又他人の仕事に依つて遣るとか云ふことをも極めるのが必要である
それから今の目的中には、もし実業に付て言ふときは誰も先づ利益を余計に得て富を致したい、勿論事物の成功といふものは、破れて貧しくなつたのが成功でないことは言ふまでもない、殊に経済に係る事業では富といふことを以て目的を達するの標準とすることは争はれぬ事実である、さりながら私はさういふ風にのみ立論すると、果して其仕事が道理に適はぬでも富みさへすれば宜い乎といふ反問が生ずる、すると金を一番多く持つた人が世の中に一番効能の多い人といふ議論が生ずる、これは決して私は容赦をせぬ言葉で、さういふことであつたならば、世の中の人の知識も気象も品格も悉く失くなつてしまふ訳になるから、それを重なる目的とすることは宜しくないと、斯う私は考へる、故に目的とする所は自分の従事する事業企てたる仕事を、道理に適ふて必す成功せしむるといふことが必要であつて、其仕事が単に金が儲かるからといふのみを以て、目的とするといふことは宜しくない、若し果してそれのみを目的とすれば、人に知られさへせねば盗賊をして富を作すのが一番の早道だといふ極論が生ずる、要するに人の世に処するには己れ自身も成るべく発達するやうにせぬばならぬが、国といふものゝ発達を図るのが第一の務めである、此務めを満足せし
 - 第26巻 p.381 -ページ画像 
めやうとするならば、他人の物を我が手へ集めるといふごとき事は、決して国の富を増すのでなくして唯人の物を我が手に取るに止まるのであるから真正なる富ではない、真成の富といふものは、即ち我も富み人も富み、国家が其為に進歩拡張して行くといふものであつて、始めて真の富と言ひ得るのである、果して然らば事業の成功は、唯金を多く儲けさへすれば、それが成功であるといふ論拠は、頗る道理に背くものと思ふ、即ち事業の目的が唯金にのみ是れ拠るといふのは誤りであつて、其目的の変化が毫差千里で実に大なる罪悪を生するに至らぬとも限られぬから、前以て注意しなければならぬ、左様に人の世に処するに付ては是非とも堅固にして正当なる目的といふものを持たねば行つて往く事柄が或は右へ振れ或は左に動き、其意思が兎角変化し易くなるから、青年の人々が志を立てるに際しては、自己は此事業を斯る方針で斯ういふ理想によりて遣り遂げたいといふことを定めるのは、凡そ物心を覚えて世に処するといふ際に尤も必要である、而して其目的は是非共履行するといふ考が総ての人にありたいと思ふが、今日の有様は其の場合に至らぬと私は思ふのである、これが人として世に処するの要訣ともいふべきもので、私が自分の目的に付ての経歴を前に申述べたのも、渋沢は斯く目的を立てましたといふ一の標準にお話した積りである
第二にお話して置きたいのは、人は成るべく生活を愉快に行きたい、但し苦の世界とか憂き世とか云ふやうなことは歌にも詩にも沢山書いてある、別して詩歌などは世の中を逆に取つて、全体楽みの世の中といふて宜いものを殊更に憂き世とか浮世とか悲しさうにいふ風習がある、殊に漢学者に其流儀が最も多い、甚だしきは一身が貧くなければ好い詩が出来ないといふて、饑寒自古出賢豪などゝいふ句を珍重する又俳諧などもさういふことが間々ある、例へば「蔵売つてさはるものなき月見かな」月見をするといつて何も土蔵を売らなくつても、何処か高い処へ登つて見れば見られるのに、殊更にさういふやうな様子に物を言ふ、兎角金銭と縁の遠いといふことが風流といふやうに誤解して居る、それと同時に吾々実業家仲間でも世の中は辛いとか艱難に打勝たなければいかぬとかいふて、先づ艱難に根拠を置いて、難儀を切抜けるといふことが人世の最も重き務めであるが如く言ひ慣す弊害が多いが、私はさうでないと思ふ、畢竟楽しく愉快に此生活の送れぬといふ根原は何に帰するかといふと、欲望の分量が適当でないから起るといふことになる、所謂足ることを知り分を守るといふ度合がないとどうしても始終不足といふ観念が生じて来る、何事をしても思ふやうに感じない、さりとて淘宮学者の説の如く、これも満足だあれも辱けないといふて、例へば腕を怪我しても頭でなくつて宜かつたとか指を怪我しても腕でなくて宜かつたといつて、悪い方から比較を取つて喜ぶといふ流儀も褒めたことではない、私はさういふやうに無闇に消極に世の中を送れといふ意味ではないが、若し足ることを知り分を守るといふことが安心して出来て、さうして前に申した目的が道理に適ふて理想が正当であつたならば、人間の生活といふものはいつでも愉快なるものであると思ふ、愉快といふて始終笑ひ顔をして居るといふの
 - 第26巻 p.382 -ページ画像 
ぢやない、心に疚しい事がないといふことである、即ち前に申す通り道理に依つて目的が立ち、目的に由つて理想が生じて、其事業がソロソロ実現し得るといふことになるなら此上もなき愉快である、尤も或る場合には実現せぬこともある、一向人にも知られず、甚だしきは苦みを逆に取られて却て人に誹謗されることもある、其時は多少辛いことがあるが、世の中の事はさう一朝一夕に解るものではない、今日の竜門社総会には雨が降る、雨が降つても矢張楽いと斯う考へて行けば決して其の間に苦情とか愁歎とかいふことなしに世の中は渡れる、故に人間といふものは生活を楽く送るべき訳のものである、然るを始終愚痴と苦情で世の中を経過する人がある、甚だしきは苦情を楽みにする人がある、何か不足を言はねば楽みにならないのである、一体世の中は困つたものだ、世間は実に訳が解らないといふて、其声は不平で其人の心中はそれを楽みとして居る、寧ろ其苦情を言ふことを愉快として居る流儀の人もある、併しこれは悪癖として、私は成るべく人は足るを知り分を守り、道理に依つて目的を立て、正当なる理想に基いて之れを実現しやうと努めつゝ行つたならば、誠に愉快に世の中に処して行くことが出来るに相違ないと思ふ、からしてドウか是から先の青年の人達は、成るべく心を広く体を胖かに世の中を送るといふことを心掛けられたい、己れの才能が勝れてあつて、其勉強が十分であれば、先輩は必ず其人に対して満足なる待遇をするものである、己れの力量が足らず其精神が不十分なれば、之を使ふ人も其人に信任も与へず用向も申付ぬ、其場合に其人が不平を言へば言ふ程、却て益々其人には不信用を増す原因となるのである、取も直さず不平を言ふのは更に我不平を増すの働きをするのと同様になる、蓋し不平苦情を言ふは其人の心には、多少其不平苦情を慰藉する意味であらうけれども、焉ぞ知らん不平苦情を言ふのは其不平苦情を増すの働きを為すといふことになるのは、総て世の中の事実である、故に人の世に処するには努めて愉快なる生活を送ることを心掛け、何処までも其行動を活溌にするといふことに勉めたいものと思ひます
更に一つお話をして見たいと思ふのは、権利と義務の事であります、これが甚だ六ケ敷いものである、人は常に此権利と義務の分界を明かにして、踏違ひをせぬやうにせねばならぬと思ふ、或る点に権利がある、権利の直ぐ隣に義務がある、此権利と義務は始終相関聯して並行して居るものですから、其分界は常に注意して居らぬと踏損ひます、而して権利の増す程義務の多くなるといふことも亦弁へなくてはならぬ、一例を言へば、十人寄つた所で其中に一番年を取つて居つて一番世故に慣れて居る人を他の九人は必ず先輩と敬ふ、此先輩と敬はれた人は必ず百事に付て発言を先にするとか、意見を先に定めるとか、或は場合に付指図をするといふ権利が生ずる、これは権利である、けれども此権利の生ずると同時に、其人が一番先へ心配をしなければならぬ、若し其事に過失があつたならば他の九人から不平を言はれる、即ちこれが義務である、適当の方法を立てゝ他の九人に安心をさせるといふ責任が生ずる、所が世間では権利を義務と間違へたり、義務を権利と間違へたり、権利・義務が常に混淆して、遂に世の中に対して不
 - 第26巻 p.383 -ページ画像 
平を言ふたり、愚痴を言ふたり議論をしたりすることが多い、此権利義務の分界が十分に立つて居るといふことは、先づ稀なりと評しても多く違ひないと思ふ、自然に生ずる権利は喜んで己れの権利としながら、之に伴つて生ずべき義務は抛擲して顧みない、それなれば権利をも要せぬといふべきを、先へ権利は行つて、後に義務の場合になつて権利は要らぬと言つて捨てられる訳のものではないが、さういふ事柄が沢山ある、要するに権利・義務の区別が分明ならずして己れの権利義務を十分理解せぬといふ行為に帰着する、要するに此問題は頗る広大なるもので、斯る場合、斯る事柄と一々例証を挙げてお話することは甚だ難いけれども、始終並行して行くものであるから、世に処する人々の常に踏違ひ解釈違ひのないやうに心掛けねばならぬのです、此権利・義務を大きく論じて参りますれば、即ち前席で阪谷氏の言はれる通、帝国は三十七八年の戦役に於て政略も宜かつたり、軍人の武勇も絶倫であつて、国民の後援も亦其宜しきを得た為めに大勝利を得て名誉ある平和克復をした、是れ即ち大なる権利であつて、其権利から遂に列強の伍班に入るといふまでに進んだ、実に我国の権利は大に進んで行つたに相違ないが、同時に又日本の国民に大なる義務が生じ、大なる責任が増したといふことは申すまでもないことである、既に此権利を他の国から与へられたとすれば、是から先き此権利を辞退するといふ訳にはいかない、随て此義務は吾々が否応なしに是非とも履行しなければならぬと覚悟せねばならぬのです、私の想像で申すと、欧羅巴の人でも此権利・義務に付ては多少不権衡の弊があると思ふ、例へば仏蘭西人は権利を行ふことを好む人である、英吉利の人は義務を果すことを好む人であると、斯ふ概評が出来はしないかと思ふ、果してさうであるならば、吾々は権利履行者の方を目的とするよりは、寧ろ義務を能く果す人民たることを望ましいやうに考へます、個人々々の微細なる権利・義務も尚ほ然り、一国としての権利・義務は今日吾人の双肩に懸つて居るので、即ち東洋に於て十分なる商工業を発達せしめて、我国をして実業上東洋の首位に立てしめるといふのが、即ち吾々の権利であつて同時に義務である、此義務は今日玆に列して居る竜門社員諸君にも相当に分担の出来る身柄であるのですから、どうぞ私は諸君と共に此権利・義務を十分に尽して見たいと思ふのでございます、竜門社諸子の世に処する心掛として二三の心附を申述べて今日の演説と致します(拍手喝采)