デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

3章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 竜門社
■綱文

第26巻 p.391-398(DK260067k) ページ画像

明治40年5月12日(1907年)

是日栄一、当社第三十八回春季総集会ニ出席シ、「常識ノ修養」ト題シテ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK260067k-0001)
第26巻 p.391 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年     (渋沢子爵家所蔵)
五月十二日 晴 暖           起床七時 就蓐十一時三十分
○上略 食後庭中ヲ散歩シテ、本日竜門社春季総会ニ関スル設備ヲ一覧ス午前十時ヨリ韓国ノ来客数十名先ツ来会ス、迎ヘテ庭園ヲ散歩ス、午前十一時ヨリ開会、坪井博士人類学ト博覧会ト云フ演題ニテ詳細ナル演説アリ、後余モ常識ノ修養ト云フ演題ニテ一場ノ演説ヲ為シ、夫ヨリ韓客及内国来客六十名余ト共ニ午飧ヲ為シ、食後余興ヲ一覧ス、午後四時頃散会 ○下略


竜門雑誌 第二二八号・第二七―三〇頁 明治四〇年五月 ○本社第三十八回春季総集会(DK260067k-0002)
第26巻 p.391-394 ページ画像

竜門雑誌  第二二八号・第二七―三〇頁 明治四〇年五月
○本社第三十八回春季総集会 本社第三十八回春季総集会は、前号に記する如く本月十二日飛鳥山曖依村荘に於て開会せられたり、時恰も新緑の好時節にして、特に当日は天気も好晴なりしを以て、来会者の数も昨年の同会に比すれば頗る多数にして、青淵先生・同令夫人・渋沢社長・同令夫人・穂積博士・同令夫人・阪谷博士令夫人を始め、特別社員・通常社員其他次に記する如く陸続参集したり
午前十一時会員一同前庭芝生に設けられたる天幕内の会場に参集、洋洋なる奏楽と共に渋沢社長演壇に進みて開会の挨拶あり、次に理学博士坪井正五郎君の「博覧会と人類学」と題する講話あり、次に青淵先生の「常識の修養」と題する訓戒的演説あり、右にて会を終り、各自午餐を済して園遊会に移れり
園遊会場は後庭に設けられ、生麦酒・燗酒・天麩羅・鮓・粟餅・甘酒等の露店ありて各自自由に飲食し、或は緑蔭に憩ふあり、或は今を盛の牡丹花を賞するあり、思ひ思ひに園内に遊びつゝありしに、生憎にも午後一時過に天気急変して過雨ありしが、前庭天幕内に当日の余興たる海老一の大神楽、貞一の手品等ありしを以て、皆此に集まりて観覧しつゝありし間に雨全く歇みて幸に天気再び晴れたるを以て、各自十二分の歓を尽すことを得て、午後四時過より随意退散せり
又爰に特記せざるべからざるは、当日韓国視察員の一行が来会せられたることにして、其食卓上に於ては青淵先生の挨拶及之に対する韓相竜氏の謝辞ありたり、嘉賓の芳名左の如し
 - 第26巻 p.392 -ページ画像 
 韓国宮内府参書官      沈璋燮 ○以下二十九名氏名略
猶右の外統監府財政監督官馬場鍈一・大蔵大臣秘書官森俊六郎氏も来会せられたり
又当日参会々員諸君の芳名を録すれば左の如し
 青淵先生    同令夫人
  (名誉社員)
 渋沢篤二君   同令夫人    穂積陳重君  同令夫人
 阪谷芳郎君令夫人
  (特別社員) イロハ順
 一森彦楠    石井健吾    岩本伝
 萩原久徴    服部金太郎   原簡亮
 橋本明六    早速鎮蔵    西田音吉
 西内青藍    西田敬止    西脇長太郎
 堀井宗一    堀越鉄蔵    戸田宇八
 土岐僙     利倉久吉    沼間敏郎
 織田国子    尾高幸五郎   大塚磐五郎
 尾高次郎    尾川友輔    岡部真五
 長田貞吉    川村桃吾    河村徳行
 神田鐳蔵    横田清兵衛   吉野浜吉
 吉田七郎    吉岡新五郎   田中忠義
 高橋波太郎   竹村利三郎   多賀義三郎
 高根義人    早乙女昱太郎  坪谷善四郎
 中沢彦太郎   中井三之助   長尾甲子馬
 成瀬仁蔵    仲田正雄    村井義寛
 植村澄三郎   上原豊吉    梅浦精一
 鵜飼勝輔    野口半之助   倉沢粂田
 八十島親徳   山中譲三    山田敏行
 八巻知道    山本徳尚    松本武一郎
 松平隼太郎   藤村義苗    藤田英次郎
 福田祐二    近藤鉱之助   小西安兵衛
 小金沢久吉   郷隆三郎    小林武次郎
 寺田洪一    麻生正蔵    安達憲忠
 斎藤章達    斎藤峰三郎   佐々木勇之助
 佐々木清麿   佐々木和亮   木本倉二
 渋沢治太郎   渋沢義一    清水釘吉
 清水一雄    芝崎確次郎   広瀬市三郎
 広瀬安七    弘岡幸作    諸井時三郎
 諸井四郎    諸井六郎    桃井可雄
 杉田富
  (通常社員)
 犬塚武夫    板野吉太郎   石田友三郎
 石川道正    市川廉     磯野孝太郎
 伊藤新策    井田善之助   入江銀吉
 石川竹次    長谷川粂蔵   林興子
 - 第26巻 p.393 -ページ画像 
 長谷川謙三   原直      林保吉
 畑次郎     西山喜久平   西村直
 本田竜二    堀英太郎    堀内歌次郎
 堀内良吉    細谷和助    友田政五郎
 豊泉為吉    東郷一気    豊田伝次郎
 千葉重太郎   奥川蔵太郎   岡本謙一郎
 大島正雄    大平宗蔵    岡本亀太郎
 大西順三    大塚正保    織田雄次
 大須賀八郎   和田勝太郎   脇谷寛
 若月良三    河村桃三    神谷岩次郎
 金沢求也    金沢弘     唐崎泰介
 川上覧三    金田新太郎   川口一
 川西庸也    笠原厚吉    加藤秀次郎
 金子四郎    吉田節太郎   横田晴一
 吉岡仁助    吉田久弥    吉岡鉱太郎
 田子与作    高林璦吉    高橋信重
 高橋毅     高橋金四郎   高橋和足
 棚瀬三郎    田中七五郎   田中太郎
 高橋俊太郎   竹沢与四郎   田島昌次
 鶴岡伊作    土橋恒司    中村新太郎
 滑川庄次郎   内藤種太郎   成田喜次
 中村習之    仲田勝之助   中北庸四郎
 村山革太郎   村松秀次郎   村田繁雄
 宇野武     生方祐之    上田彦次郎
 久保田録太郎  久保幾次郎   山崎一
 八木荘九郎   山崎巌     安田久之助
 山崎栄之助   山崎鎮次    八木安五郎
 八木仙吉    松村修一郎   松永米次郎
 松井方利    槙安市     柳熊吉
 町田乙彦    松川喜代美   松園忠雄
 増田亀四郎   藤木男梢    福田盛作
 福島三郎四郎  古作勝之助   小曾根錦之丞
 小山平造    小熊又雄    小林徳太郎
 小林武之助   江口百太郎   相田嘉一郎
 浅見悦三    綾部喜作    赤木淳一郎
 斎藤政治    斎藤又吉    沢盛重
 桜井武夫    阪谷俊作    木戸有直
 北脇友吉    木村亀作    木内次郎
 木村久雄    木村喜三郎   行岡宇多之助
 明楽辰吉    目賀田右仲   御崎教一
 水野克譲    三上初太郎   宮谷直方
 柴田順三    渋沢武之助   渋沢秀雄
 渋沢長康    広瀬市太郎   肥田英一
 鈴木源次    杉山新     鈴木重臣
 - 第26巻 p.394 -ページ画像 
 鈴木富次郎   鈴木紋次郎   鈴木正寿
 鈴木旭
  (準社員)
 板谷譲二    富田善作    岡野敬胤
 大庭景陽    武笠政右衛門  王江素義
 村田五郎    宇賀神敬    松本幾次郎
 古田元清    浅見録三    阿部久三郎
 斎藤亀之丞   坂本鉄之助   島田延太郎
  (購読者)
 今井又次郎   西山貞吉    落合太一郎
 河崎覚太郎   金谷丈之助   田山宗尭
 田中一造    野口夬     山村米次郎
 山内篤     藤浦富太郎   近藤国男
 木村弘蔵    遠藤正朝    森岡文三郎
 元山松蔵
  (客員)
 坪井正五郎   角田真平
  (其他)
 市村芳樹    岡本椿処
   ○韓国視察員一行ノ氏名ハ、本資料第二十五巻所収「其他ノ外国人接待」同日ノ条参照。
   ○栄一、総集会費トシテ例ニヨリ金三百円寄附ス。


竜門雑誌 第二二九号・第三一―三五頁 明治四〇年六月 ○第三十八回本社春季総集会に於ける演説(五月十二日)(青淵先生)(DK260067k-0003)
第26巻 p.394-397 ページ画像

竜門雑誌  第二二九号・第三一―三五頁 明治四〇年六月
    ○第三十八回本社春季総集会に於ける演説(五月十二日)
                      (青淵先生)
今日の竜門社総会は第一に天気快晴でございまして、会員一同此上もない仕合せでございます、開会の時に社長から申しました通り、今日は韓国の嘉賓が丁度拙宅へ尊来がありまして、幸ひの機会と存じ玆に御招待を致して竜門社の総会に更に光彩を添へたやうに考へまする、諸君も定めて他邦の御方と此会を共にすることは御喜び下さるであらうと思ひます
唯今坪井君から、博覧会から見たる人類学の御話を、詳細に順序正しく、殊に学理的に御演説がございまして、吾々大に感謝致し且つ裨益する所頗る多いことゝ考へます、諸君も共に同じ感情を以て御聴取になつたらうと考へます、私は未だ開会の日に一覧致したばかりで、其後ツヒ一度も博覧会に足を入れませぬ、追々暑くなりますから、是非余り暑気の烈しくならぬ中に、御勧めに応じて近々行かなければなるまいと思ひます、去りながら今日斯の如く詳細に伺ふと最早見たも同じだから、寧ろ行くのを止めやうといふやうな、却て怠惰の念を起すかも知れませぬが、さういふ怠惰の心を持ちませぬで、諸君と共に今御述になつたやうな事を能く視、且つ調べて置きたいと考へるのであります
私が此席で一言申述べたいと思ひますことは、決して大方の会員諸君
 - 第26巻 p.395 -ページ画像 
に申上げるのではなくして、寧ろ竜門社の青年諸子に対し、訓戒的の一言を申して見たいと斯う考へるのであります、且つ時間も大分迫つて参りましたから事短かに一言申述べて、若い人々の現在若くは将来の参考の一端にもなりましたら婆心此上もない仕合せと思ひます
玆に申述べる事は常識の修養といふのであります、常識といふ言葉は近頃口癖のやうに誰も言ひます、元来常識といふ文字は私も学者でないから能く知らぬが―此席には大分学者もいらつしやるやうであるけれども―蓋し翻訳文字で英語の「コンモン・センス」とかいふ文字を移し来つて之を常識と当篏めたものと想像するが、此想像は間違つて居るかも知れぬ、さて此「コンモン・センス」とは如何なる意味であるか、私は英語に達せぬから尚更十分の理解は持たぬが、常識といふ漢文字で之を解釈すると、読で字の如く常識で、ボンヤリした意味になりますから「ハツキリ」と此常識といふことに定義を下すことは私は仕悪いと思ふのです、蓋しあるのでありませう、私が浅学未だ之を知らぬのです、併し多数の人が常識といふことを口にする、或は十四五歳の少年でも屡々常識といふ言葉を用ゆる、聴覚えに言ふことかも知れぬが、常識に欠けた奴だ、或は常識に富んで居る、常識で判断しても大抵解るぢやないか―云ふと、此常識といふのが大変に貴い、所謂聖賢の道とか道徳の極とかいふやうな重い意味ではなく、不断に用ゆる事々物々にあるべき事柄のやうに解釈される、けれども果して是が例へばエライ強いといふことであるとか、或はエライ賢いといふことであるとか、或はエライ高尚のことであるとか、何等の意味であるか、常識といふことに就てはハツキリと定義を下すことが出来兼るのです、熟々斯う考へて見ると此常識といふことは、英語の本義は如何になるか知らぬが、人の言ひ且つ己れの理解する所に依ると、先づ心理学から論ずる智とか情とか意とか即ち智情意の三つが程宜く其節に当るといふことが常識に当るのであつて、是に外れたのが常識に欠けたのだと、斯う解釈したら宜いかと私は思ふのです、人間の世に処するに就て、何事を為すにも無くてならぬものが智識である、即ち智情意の三の中、智は或は才識といひ智識といひ智慧といひ、総て物を知り且つ其是非善悪を弁別するのが智の働きである、けれども智ばかりが頗る発達して居つても、それで人間完全なものではない、人には必ず情の発動がある、喜怒哀楽愛悪欲、之を七情と支那人は云ひます、其七情の発して其宜しきを得るは、即ち人の世に処し事に当る節度の極く完全なものである、若し総ての事に七情なきものであつたら、是はもう人間ではなくなる、又其七情が余り過度に発して行つたならば必ず人を傷け己れを誤まる、又此意即ち意志です、意は心の発する所のものと解釈して宜からうと思ふ、支那人の意とか心とか志とかいふ区別を此処で判然と解釈する遑はございませぬが、併し心は静まつて居るもの、意は発するもの、心の発働する場合を意と解釈して宜からうと思ふ、而して智情意此三つが丁度工合宜く権衡を保つて、発し方がいつも節度に当り、宜しきを得るといふのが、即ち常識だと斯う解釈したら、私は正鵠を得はしまいかと思ふのであります、故に私の解釈の如くすると大英雄・大豪傑に必ず此常識があるとばかりは云へな
 - 第26巻 p.396 -ページ画像 
い、凡庸の人にも必ず常識といふものは十分あり得るので、縦令大英雄でも若し不権衡なる人であつたら、或る点には大に発達して居る所もあるであらうけれども、真正なる常識の完備した人とは言へぬに相違ない、人を例して云へば欧羅巴ではナポレオン、日本では太閣秀吉を見たやうな人は、智は如何にも発達して居るに相違ない、併し或る点には欠けて居る所もある、是等の人は智情意の権衡宜しきを得てそれが皆兼備して居る、といふことは言へぬであらうと思ふ、固より其人に常識が無いとは言へぬであらうが、常識が円満である、常識に富で居るとは言へぬかも知れぬと考へる、斯様に解釈すると、此常識といふものは吾々凡庸のものでも常に之を修養して、必ず過たぬやうに出来得ると考へる、即ち常識の修養は極く手短かに考へたならば、孔子の教ゆる仁義礼智信孝悌忠愛、人に対しては老者は之を養ひ、朋友は之を信じ、幼者は之を助ける、親には孝、君には忠、言には訥にして行には敏なれ、日常右やうな注意を欠かぬやうにして、苟も智と情と意との権衡を失はぬやうに勉むるが肝要である、必ず人には発動の場合がある、其発動の場合に此程合を超さぬやうにするのが、是が常識に欠けぬといふ工風である、斯く考へて不断に此常識を修養して行くといふと、唯恐くは非凡の人になるといふことは出来ぬかも知れぬ非凡といふ字は読で字の如く普通でないといふ意味であるから、或は途方もない愚かの人も非凡に相違ない、或は優れた人も非凡である、が常識に富むといふ方の工風を十分に修めて行けば、即ち今申す智情意の権衡を失はぬやうに心を用ゐ、智識の運び方でも余り情意に過ぎないやうに、情意の発動でも智識と相並び馳せるやうにと心を用ゐて行きますれば、必ず物が平凡になる、平凡になつて来るが、其人たるや過ち少く、其人たるや世に処して其力だけに必ず用に立つことが出来る、世を挙げて皆英雄豪傑になることが出来ませうか、多数の希望する所は先づ己れ英雄豪傑といふことを希望するより、過ちの少ない人たることを希望したいものと私は思ふのでございます、既に孔子も遽白玉などを称して、決して過ちない人であると言はれた、己れ優れるといふよりは寧ろ己れ過ちない人といふことが、最も人の守るべき所である、故に此常識の修養といふことに就ては、今私の申述べたことが果して適切であるか、或は猶外に修養すべき真理があるか、多数の人の称へる常識といふ文字に就て如何なる定義を下して宜しいか、如何なる場合を常識に富むといひ、如何なるものを常識に外れるといふか、時々にあれは常識に欠けた人だ、又常識に富んだ人だといふ批評がありますが、尽く注意して其批評を聞いて見ると、果して適切であるや否やといふことを疑ふのである、而して此常識なるものは、誰も彼も尊重せねばならぬものと自分も思ふのです、そこで此常識といふものは如何なる定義を下して宜いか、如何なる工風を以て此常識を修養して行つたが宜いか、自ら問ひ自ら答へて、今申す智情意、此三つの発動を始終権衡を失はぬやうに心掛けるが、即ち常識の修養であると思ふ、其事に就て私が更に玆に一つ証拠立て得る言葉は、孟子が孔子を評した言葉に、孔子聖之時者也といふことがある、即ち伯夷聖之清者也、伊尹聖之任者也、柳下恵聖之和者也、孔子聖之時者也と云
 - 第26巻 p.397 -ページ画像 
ふことがある、又孔子は自ら人に教へて時に中すといふことを言つた即ち今私の常識に富むといふのは高尚に解釈すると、時に中して、いつも其時に程宜い程度に物を処し物を判断して行く、大事が其事に当つても小事に就ても、何事に依らず時に宜しくして行くといふのが、即ち常識に富む、斯う解釈したら大なる間違はなからうと思ふのでございます、唯今坪井君が人類学に就て、殆ど東西何千里・古今何千年の人の進化の具合を御述べになりまして、実に吾々の啓蒙此上もございませぬが、道理といふものは矢張今坪井君の御説と同じやうに、私は決して孔子の学問を十分に攻究した人ではございませぬが、去りながら今日の欧羅巴語を転化して日本で用ゆる常識といふ文字が、若し私の解釈通り、時に中するといふことゝ果して適合するものであつたならば、二千五百年前に孔子が既に常識に富んだ人で、孔子を以て第一に常識豊富の人と評して宜いやうに思ふのです、学問の段々に進んで行くだけ、それだけ遠い事も近くなり、又近い事も遠くまで行渡るのは、物質的の事柄でも精神的に属する論理でも同じことで、頗る趣味あるものと、唯今の御話を伺ひつゝ大に感服致したのであります、私が玆に常識の説を孔子の意見と相匹敵するであらうと思ふのも、丁度坪井君の人類では無うて、是は心理に属する部分の意見を一言玆に申述べるのであります、どうぞ青年諸子は今の常識の解釈を十分御研究なすつて、此次の会に於て、否渋沢は斯う云ふたが自分は斯う解釈するといふ、良い説を伺ひたいものと思ふ、決して私は確定的に云ふまでは攻究して居りませぬ、唯常識の言葉は不断人も言ひ自分も言ふ併し此常識なるものは如何なるものである、どう工風したら常識に富み得るかといふことを、或る場合には時々考ひ及びまするで、一言申述べた次第であります(拍手)



〔参考〕竜門雑誌 第二三二号・第二六頁 明治四〇年九月 本社幹事会(DK260067k-0004)
第26巻 p.397 ページ画像

竜門雑誌  第二三二号・第二六頁 明治四〇年九月
○本社幹事会 九月の本社幹事会は、去る十四日午後五時より社長の招集に依り兜町渋沢事務所に於て開会、渋沢社長を始め尾高・斎藤・八十島・伊藤・原・仲田・野口・松平・橋本の各幹事集合、左の諸件を決議したり
○中略
 三社則第六条を左の如く改正の件
  第六条 本社は毎月一回竜門雑誌を発行し、汎く公衆に発売すべし
○下略
   ○改正前ノ同条ハ「本社ノ機関トシテ毎月一回竜門雑誌ヲ発兌シ、之ヲ社員ニ頒付スヘシ」トアリ。



〔参考〕竜門雑誌 第二三二号・表紙裏 明治四〇年九月 竜門社社則(明治四十年九月改正)(DK260067k-0005)
第26巻 p.397-398 ページ画像

竜門雑誌  第二三二号・表紙裏 明治四〇年九月
    竜門社社則(明治四十年九月改正)
第一条 本社ハ農工商ニ関スル事項ヲ研究論議シ、実業上ノ智識ヲ開発スルヲ以テ目的トス
第二条 本社ハ竜門社ト称ス
 - 第26巻 p.398 -ページ画像 
第三条 本社ハ青淵先生ノ薫陶ヲ受ケタル者ヲ以テ之ヲ組織ス
 但右ノ資格ヲ有セサルモ本社ノ趣旨ヲ賛成シ入社ヲ望ム者ハ、特ニ準社員トシテ之ヲ許可スル事アルヘシ
第四条 毎月一回通常会ヲ開キ、社員各自ノ演説討論ヲ為ス
第五条 毎四月・十月ノ総集会及ヒ一月・七月ノ大会ニ於テ朝野ノ諸大家ヲ招聘シ其講説ヲ請フヘシ
第六条 本社ハ毎月一回竜門雑誌ヲ発行シ、汎ク公衆ニ発売スヘシ
第七条 社員ヲ別テ左ノ四種トス
     名誉社員 特別社員 通常社員 準社員
第八条 社員ハ本社ノ経費ヲ支弁スル為メ、毎月左ノ金額ヲ支出スヘシ
     名誉社員 金壱円  特別社員 金参拾銭
     通常社員 金拾銭  準社員  金拾銭
第九条 社長ハ本社ヲ総理ス
第十条 社長ハ名誉社員中ヨリ監督三名ヲ推薦シ、本社重要ノ件ヲ協議ス
第十一条 社長ハ社員中ヨリ幹事十名ヲ撰ミ本社ノ事務ヲ処理セシム
第十二条 社長ハ幹事会ノ協議ヲ以テ竜門雑誌編纂主任ヲ定ム
第十三条 社長ハ幹事ト協議シ社員中ヨリ若干名ヲ撰ミ編纂顧問ヲ嘱托ス
     編纂顧問ハ、竜門雑誌編纂上ニ就キ其意見ヲ開陳シ、材料ヲ寄送スルモノトス
第十四条 本社ノ目的ヲ賛助セラルヽ大家ヲ推シテ客員トス
第十五条 社員タラン事ヲ望ムモノハ、二名以上ノ社員ヲ介シ幹事ニ申出ツヘシ
第十六条 社員ニシテ退社セントスルモノハ、書面ヲ以テ幹事ニ申出ツヘシ
      社長              渋沢篤二
      幹事長             斎藤峰三郎
      常務幹事            八十島親徳
      同               松平隼太郎
      同               橋本明六
      幹事              伊藤登喜造
      同               石井健吾
      同               原簡亮
      同               尾高次郎
      同               仲田正雄
      同               野口半之助
      同               佐々木清麿
      編纂主任(嘱託)        戸田宇八