デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
1節 実業教育
2款 東京商業学校
■綱文

第26巻 p.573-575(DK260089k) ページ画像

明治18年7月10日(1885年)

是日栄一、当校仮卒業証書授与式ニ臨ミ演説ス。


■資料

東京経済雑誌 第二七六号 明治一八年八月一日 ○東京商業学校沿革演説(DK260089k-0001)
第26巻 p.573-575 ページ画像

東京経済雑誌  第二七六号 明治一八年八月一日
    ○東京商業学校沿革演説
 左ニ記スル所ハ東京商業学校商議員渋沢栄一君ガ去十日同学校卒業生徒仮卒業証書授与式ノ節ニ演説セラレタル要領ナリ
生徒諸子予ハ年来本校ニ至密ノ関係ヲ有シ今日モ尚ホ商議委員ノ任アルヲ以テ本日子等ト相見ルノ際ニ於テ、校長予ニ一言ヲ求ムルヲ以テ聊言フ所アラントス、然レトモ予ヤ素ヨリ政治家ニ非ス亦学者論士ニ非サレバ、高尚ナル論理ノ如キハ予ノ跋及ハサル所ナリ、唯予ガ玆ニ述フルモノハ曾テ実歴セシ所ノ尋常普通ノ談タルニ過キス、蓋シ実着ノ談ハ卑近ト雖トモ寧ロ高尚ノ理論ヨリ子等ヲ感動セシムルニ於テ其効或ハ倍蓰スル者アランカ、子等匆々聴了スルコトナクンハ幸甚
予カ玆ニ言ハント欲スル所ノ者ハ即本校今日ニ至ル迄ノ沿革ナリ、只
 - 第26巻 p.574 -ページ画像 
此一事子等ガ注意ヲ喚起スルニ於テ充分ナリト考ヘリ、何トナレバ本校ノ沿革ヲ知ルトキハ予カ本校ニ於ケル従来苦心ノ度ヲ知ルコトヲ得可ク、而シテ予カ左迄苦心シタル所以ハマタ偶然ニ非サル所以ヲ知ル可ケレバナリ、抑本校ノ起源ハ明治七八年ノ交ニアリ、七年東京会議所議員ハ商業教育ノ必要ヲ述ヘテ之ヲ府知事ニ上請セシガ、会マ森有礼君(此時合衆国弁理公使タリ)此ノ事ヲ聞キ深ク其挙ヲ嘉シ、自ラ教師ヲ選バレ八年八月ニ到リ米人ウヰットニー氏教師トシテ来航セリ此時予ハ会議所ノ会頭タリシガ、以為ヘラク、今日ニ当リテ殊更巨額ノ金ヲ費シ教師ヲ聘シテ商業学校ヲ設クルノ急要ナシト、因テ府知事ニ就キ之ヲ止ントセシカトモ已ニ会議所議員ノ上請セシ所ナレバ今更中止スル能ハズトテ、乃チ会議所ニ於テ同氏ヲ雇ヒ之ヲ商法講習所ニ貸与シ、而シテ同所ノ教務ハ森君専ラ之ヲ管理セリ、当時予ガ苟ニモ此ノ如キ謬見ヲ懐キシハ固ヨリ予ガ不明ノ致ス所ナレトモ、未タ我国商業社会ノ実況ニ通暁セザルノ過ナリ、其後両三年ヲ経熟々商業ノ形勢ヲ実見スルニ従テ予ハ実ニ前日ノ謬見ヲ悔ユルニ至レリ、啻ニ之ヲ悔ユルノミナラズ進ミテ商業教育ヲ振作皷舞セント欲スルノ念頻ニ切ナルニ至レリ、其後森君清国ニ使セラルヽヲ以テ会議所ニ於テ同所ヲ管理シ、尋イテ明治九年ニ至リ又東京府ノ直轄ニ属セリ、而シテ東京府管轄ノ年期ハ商法講習所ガ最浮沈ニ遭遇セシ歳月ニシテ、彼ノ府県会ノ制度ニ従ヒテ同所ガ地方税ノ支弁ヲ受クルニ及ビテヤ一浮一沈、遂ニ明治十四年ニ至リ府会講習所経費ノ支弁ヲ拒ミ全ク之ヲ廃止セリ此ノ時ニ当リ予ハ狂奔百方尽力シテ同所ノ継続ヲ企図シ幸ニ故松田府知事ハ農商務省ニ稟請シテ補助費一万円ヲ得、又民間有志者ノ寄附金ヲモ募集シテ再ビ同所ノ興立ヲ見ルニ至レリ、而テ又昨年ニ至リ農商務省ハ同所ヲ以テ官立商業学校トナシ、本年マタ文部省ノ直轄トナレリ、是ヨリ規模漸ク振ヒテ終ニ予ガ平昔ノ宿望ヲ達セントスルノ運ニ会スルニ至レリ
右ハ本校カ今日ニ至ル沿革ノ概略ニ過キサレトモ、此ノ年間予ガ直接ニ間接ニ此ノ商業学校ノ維持振興ニ努力セシコト蓋其ノ幾回ナルヲ知ルヘカラス、而シテ予カ此ノ困難ヲ凌キテ鞠躬尽力シタル所以ノモノ是予等《(子カ)》ガ宜シク力メテ考察スヘキノ点ナリトス、夫予ハ漫ニ名声ヲ博シ栄誉ヲ貪ルモノニアラズ、然ルニ本校ノ浮沈汚隆ヲ見ル猶己ノ栄辱窮達ヲ見ルガ如ク汲々トシテ毫モ微力ヲ惜マザル者豈他アランヤ、顧レバ明治六年予ノ冠ヲ挂ケテ商ニ帰スルヤ、謂ヘラク維新以還我ガ国大勢一変政事法律ヨリ兵制教育ニ至ルマデ百度頓ニ革マリ更ニ旧物ヲ遺サズ、其模範トスル所ニ至リテハ多クハ泰西ノ法制ヲ取リテ之ヲ我ニ移植スト雖、独商業ノ如キハ単ニ法制ノミヲ以テ之ヲ変換シ得可カラズ、是ヲ以テ其売買取引ノ順序等都ベテ旧時ノ面目ヲ改ムルヲ得ズ就中商人ノ如キハ最其ノ人ニ乏シク常ニ落後ノ姿アルハ第一着ニ予ノ感覚ヲ動シヽ所ナリ、然レドモ当時ハ予ガ商売社会ニ入リシヨリ日尚浅ク、未ダ商業ノ実際ヲ知悉セザルヲ以テ其ノ憂フル所モ亦甚深カラザリシカ、爾後予ハ漸ク商業社会ノ実状ヲ知ルノ深キニ従ヒ、倍々我国商業者ノ不完全ヲ感憤シテ始メテ商業教育ノ忽ニスベカラザルヲ確認シ、乃商業子弟誘掖ノ一事ヲ以テ己ノ任トシ黽勉怠ラズシテ終ニ此
 - 第26巻 p.575 -ページ画像 
ノ目的ヲ達センコトヲ企図セリ、蓋シ我国商人ガ往時ノ境遇ハ只伝来ノ株ヲ固守シ一種ノ小売商業ニ偸安シテ身ニ一ノ教育ヲ受クルコトナク、太甚シキハ詐偽破廉恥ハ即商人ニ冠スル套語ナルガ如ク常ニ士人ニ蔑視セラレテ其ノ之ヲ遇スル恰モ奴隷ノ如シ、社会ノ商人ヲ賤ムコト斯ノ如キヲ以テ商人モ亦之ニ忸レ恬トシテ恥ツルコトヲ知ラズ、商業ノ徳義壊紊シ商業ノ学術頽敗スル未ダ是ノ時ヨリ甚シキハナカリキ此ノ間偶々字ヲ知リ理ヲ談ズルモノアレバ却リテ指弾シテ之ニ歯スルヲ厭フ、滔々乎トシテ是昔日我ガ国商人ノ風トセリ、且封建ノ時代ニ在リテハ商業ノ大部分ハ概子其ノ藩主ノ管理スル所ト為レリ、試ニ思ヘ、昔日ニ在リテ重要ナル物産ハ皆各藩ニ於テ直間接ニ製造又ハ販売シ、例ヘバ物産方或ハ商法所等ノ名ヲ以テ之ヲ取扱ハシメ今日所謂大問屋ノ如キモノハ皆政権ヲ有スル者ノ兼子テ経営セシ所ナリ、故ニ商業ノ区域ハ封建時代ニ在リテハ極メテ狭少ニシテ一般ノ商估ハ只小売業ニ従事セシモノト云フモ敢テ過言ニアラザルベシ、維新已降商勢一変シテ商業世界ノ光景復昔日ノ看ニアラズ、今其ノ区域ノ頓ニ拡伸シテ凡百ノ商務一時ニ之ガ方法ノ完全ヲ求ムルハ、恰モ盆ト正月ト一斉ニ持来リタルガ如キ有様ナルニモ拘ラズ、世ノ商法商規ヲ論シテ着実ニ改良ノ方法ヲ講スル者極メテ少キノミナラズ、従来商業ニ勤勉シテ信用アル商估ト雖尚玆ニ注目スルコトナキハ予ノ痛恨ニ堪ヘサル所ナリ、蓋有形ノ事物ハ人意ヲ喚起スルコト他ノ無形ノ事物ニ比スレバ甚切実ナルモノナリ、是ヲ以テ彼ノ政事文学兵制ノ如キ其ノ模範ノ察知シ易キモノハ、早ク既ニ人意ヲ聳動シテ荐ニ欧米ノ宜シキ所ヲ選ビテ完全ノ域ニ推移スト雖、商業ニ至リテハ或ハ其ノ皮膚ノ法制ヲ模スルモノアルモ実ニ其精神ニ至リテハ之ヲ取ルコト甚難ク、遂ニ其堂ニ上ルモ未ダ其室ニ入ラザルノ歎アルハ亦遺憾至極ト云フベキノミ、嗚呼商業ハ一国盛衰貧富ノ関スル所ナリ、国家之ニヨリテ栄エ之ニヨリテ衰フ、盛衰ノ機只其営業ノ宜ヲ得ルト否ラザルトニアリテ而シテ其隆盛興振ハ当業者ノ器局如何ニ拠ラズンバアラズ、是予ガ商業教育ニ尽瘁シテ怠ラザル所以ナリ、予ヤ明治八九年ヨリ本校ノ興廃ヲ以テ己ノ興廃トナシ其興ルヲ視ルヤ之ヲ喜ビテ措ク所ヲ知ラズ、其廃ルヽヲ視ルヤ之レヲ憂ヒテ刃ヲ剚スガ如シ、一喜一憂共ニ皆我ガ国商業ヲ振興セント欲スルノ念ニ外ナラザリシカ、幸ニシテ今日政府ノ盛意ニ藉リテ本校ノ教務隆昌ノ運ニ向ヒシハ予ノ欣喜ニ禁ヘサル所ナリ
予ガ今日ニ至ル迄本校ノ為ニ尽シタル所以ノ者ハ、後進ヲ誘掖シテ我ガ国商業ヲ隆盛ナラシメント欲スルニ由レルコトハ既ニ叙述セルガ如シ、故ニ今後我ガ国商業ニ対シテ負フ所ノ責ニ於テハ予ハ子等後進者ト共ニ負担スヘキ所ナリ、即子等ハ国家盛衰ノ司命者タルヘキ位地ニ在ルモノナリ、其ノ責ノ重クシテ其ノ任ノ大ナルヲ知ラザルベカラズ子等学ニ在ル能ク此ノ心ヲ以テ心トシ他日学成リ出テヽ実業ニ就クニ当・テハ勇往敢為奮ヒテ我ガ国商業ノ為ニ竭ザヽルベカラズ、若シ夫苟且偸安僅ニ一技ヲ修メテ糊口ノ計ヲ為スガ如キハ予ノ甚取ラザル所ナリ、予ノ甚望マザル所ナリ