デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
1節 実業教育
3款 高等商業学校
■綱文

第26巻 p.594-596(DK260094k) ページ画像

明治27年7月7日(1894年)

是日栄一、当校第四回卒業証書授与式ニ臨ミ演説ス。


■資料

一橋五十年史 東京商科大学一橋会編 附録・第六頁 大正一四年九月刊(DK260094k-0001)
第26巻 p.594 ページ画像

一橋五十年史 東京商科大学一橋会編  附録・第六頁 大正一四年九月刊
    一橋五十年史年表
明治二七《(年)》  七《(月)》 第四回卒業証書授与式を挙行す、本科卒業生四十二名、主計学校卒業生三十名


竜門雑誌 第七七号・第一―五頁 明治二七年一〇月 ○青淵先生の演説(DK260094k-0002)
第26巻 p.594-596 ページ画像

竜門雑誌  第七七号・第一―五頁 明治二七年一〇月
    ○青淵先生の演説
 左に掲ぐるは、本年七月七日高等商業学校卒業式に於て先生の演説せられたる筆記なり
閣下・諸君・生徒諸氏
私は本校の商議委員の一人でござりまするで、此盛典に際して一言を申述やうと存じます、今日卒業の証書を授与される所の諸氏に対しては、校長及阿部君から懇切に御示しがありまして既に足れりでござります、尚ほ蛇足を添へるやうなものでありますが、是れから我々の経済社会に顔を出す所の諸氏に一言愚見を呈して置かうと思ひます
諸君が数年蛍雪の労空しからずして、是に学業が成つて世の中に出ると云ふは申すまでもなく御芽出度ことであります、併し是れから先きが今一つの修業で今までは学理上の修業であつた、其一的は済んだけれども、尚ほ是れから実際の修業に着手すると云ふ時期である、只今阿部君が諸君は是れまでは誠に楽であつた、是れからは浮世に出て、色々な風に吹かれて艱難をしなければならぬと云はれたが、最も妙な御説で私もさうと思ひます、死んで地獄に行くとは反対に、諸君は学問の楽土から紛冗なる娑婆へ是れから生ると云ふ人間であります、而して我々商業社会は成るべく諸君を我側に引付けやうと思ツて、大なる席を明けて待ツて居るから、諸君も進んで御勉強なさらなければな
 - 第26巻 p.595 -ページ画像 
らぬ、又日本の商売も昔日の如きものでない、今日の日本の商人は日本の商売ではない、世界の商売だと云ふ気風を持たなければならぬ、諸君、此等のことは大抵学問の上から悟ツて居られるだろうが、世の中へ出たら随分知らないこともあるだろう、人は学んでも学ぶだけで効能がないなら学ばないが宜い、之を実地に施して効能のあるやうに学ばんければならぬ、諸君は今日は浮世の這入り口へ足を踏み掛けた位なのであります、是から実際の修業を仕遂げると、終に極楽浄土へも行くことが出来ます、そこで世に処するに付て極必要な個条を二三点申上げ置かうと思ひます、甚だ卑近のことでありますがどうぞ御忘れなく十分紳《(マヽ)》に記して貰ひたい
先第一に是れからして諸君が鳥が巣立をして、飛ぶことを習はうと云ふ際にて必要なる処世の大意とも申すべきことは、位地と言行の程合を計ると云ふことである、自分の位置と己の行、己の言ふことが適度でなければならぬ、位地と言行の適度を得なければ貴ひ言葉でも効を奏さぬのみならず、害を為すものであります、人を誤るのみならず己をも損するものであります、経書にも其位にあらざれば其政を議せず或は言に訥にして行ひ敏ならんを欲す抔とありて、古の聖賢の教は決して迂遠だと斥ける訳には参りませぬ、又古諺にブルナ、ラシクと云ふことがある、どうぞ書生らしくあれ、書生ぶるな、学者らしくあれ学者ぶつてはならぬ、独り学者ばかりでない、何でも皆さうだ
第二に志望と才能との権衡を過らぬやうになさらなければならぬ、古人の才は大ならんことを欲し、志は小ならんを欲すと云ふ誡があれども、兎角少年の時は之に反して、気位は大変高いが働かして見ると何の役にも立たぬと云ふ有様が多くある、殊に学校出身の人には動もすると此弊害がある、而して世の中の実地の有様を知らずして、己の注文通りに世の中がいかぬと云つて人を怨み世を誹り、甚しきは之を毀害すると云ふことがある、要するに志望と才能とは、寧ろ才能が増して志望を第二に置くやうにせねば、世の中は艱難に堪へて終に佳境に入ることは出来ぬものであります
又もう一つは実際と学問の密着です、今日は学問の世と相成りましたから、それぞれ学理を以て実務を処すると云ふことになりましたけれども、未だ密着しては居りませぬ、此懸隔の甚い国ほどが商売も進まず国力も弱い、又此懸隔なく密着して居る国ほどが文物も開けて国運も強勢であります、是れは私の申す言葉でない、原則であります、今日日本は決して学問と実地が甚しく懸隔はしては居らぬ、併し未だ密着と云ふ言葉を発する訳には参りませぬ、動もすると世の中は学理と事実と違うと云ふ人があるが、是れは大なる間違で決して真の学問の道理が事実と違う筈がない、唯之を行う場合か或は其見処が違ふのである、一例を挙ぐれば昔時窮理学の開けない時代には、地球が回ると云ふよりも太陽が回るやうに思はれたが、今日学問の進歩した時代に太陽が回るなどと云つたら発狂人だと云はれるに違ひない、それと同じことで決して其の学問の力で研究した道理なら実地に違ふことはない、或場合に実地の見処か違ふから学問とは違ふやうになつて来るのである、諸君は一と通り学問の道理を知つて居るだろうが、実地のこ
 - 第26巻 p.596 -ページ画像 
とは只今阿部さんの云はれた如く月の世界へ出掛けたやうなものだから、違うやうに思ふかも知れない、学問があつて実地を知らず、志望が大きくて才能が小さいと、遂に実際の人に疎んせられ、又自分も実地家を蔑視するとか或は厭うとか云う有様に成り行いて、遂に密着を失うことになる、即ち諸君は学理と実地を密着させるに於て最も其責任がある、其必要なる働を持つて居る身だらうと思ひます、即ち今日卒業証書を授与された諸君に私は望みます、希くは諸君は今申述べた二・三の事柄は、是れから先き実業に処するに付て十分御記臆下さること及び第三に申述た学理・実地の密着に於ては、諸君が十分の精神十分の忍耐力を以て、此密着を益々密着させることを希望します(大喝采)