デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
1節 実業教育
4款 東京高等商業学校
■綱文

第26巻 p.655-659(DK260107k) ページ画像

明治38年7月8日(1905年)

是日栄一、当校第十五回卒業証書授与式ニ臨ミ演説ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三八年(DK260107k-0001)
第26巻 p.655 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
七月七日 晴 風アリ
○上略 午前九時半高等商業学校卒業式ニ出席シ、一場ノ演説ヲ為ス ○下略
   ○七日トアルハ八日ノ誤記ナラン。


東京高等商業学校同窓会会誌 第四一号・第三九―五一頁 明治三八年八月 学校卒業式(DK260107k-0002)
第26巻 p.655-659 ページ画像

東京高等商業学校同窓会会誌  第四一号・第三九―五一頁 明治三八年八月
    ○学校卒業式
我が校本年の卒業証書授与式は去る七月八日午前九時より学校講堂に於て挙行されしが、今其次第を略記すれば、先づ卒業証書の授与を了へて、校長の挨拶、文部大臣祝詞(朗読)、専攻部卒業生総代藤本幸太郎・本科卒業生総代鹿村美久・商業教員養成所卒業生総代長野廉二等の謝辞あり、而して最後に学校商議委員なる渋沢男の演説ありたり、左に各卒業生の氏名を列挙すれば
   ○氏名略ス。
尚ほ当日の渋沢男演説筆記を挙ぐれば左の如し。
    男爵渋沢栄一君演説
 両大臣閣下、臨場の諸君、及び学生諸子、此の式典に際しまして、私にも一言祝辞を申述べるやうと校長松崎博士から嘗て御依托を蒙つて居りました、不幸にも両三日前から少し所労に御座いまして、昨日も蓐中に在るやうな始末で、旁々用意した事も御座いませぬで僅に盛典に参して一言の辞を以て責を塞ぐに過ぎませぬ、元来学者とか若しくは教育実験のある身体で御座いませぬから、斯る御揃ひの席で演説等は甚だ迷惑で御座いまするけれども、予ねて此学校とは最も縁故の深い私で御座います、況や此所に卒業して世の中に出でらるゝ学生諸君は、私共と直ぐ今年から密着の関係を持つと申して宜いのです、又在学の諸子と雖も未来に於て同様の境遇に立たれる御人と思ひますれば、実に其の親みも厚く又諸君に望む念慮も甚だ強いです、故に縦令諸君を益することは玆に申述べられぬでも、日本の実業の大切なと云ふ観念のある限りは、玆に一言の婆心を申述ぶるも敢て無用の事でもなからうと、推して参場を致したので御座いまする
 今申し述べまする通り、甚だ用意も御座いませぬ、殊に学説的に諸君を裨益すると云ふ事は私には申述べ兼ねまするが、此際実業界に御出になる諸君に、又在学諸君の未来の心得ともなるべき事柄に就て、二・三の気附を申述べて置かうと考へます
 商業が迫々世の進運と共に拡張して参りまして、今日の有様は縦令まだ不足を唱へたならば限りも無き欠点は御座いませうけれども、
 - 第26巻 p.656 -ページ画像 
併し之を既往に比べると、なかなか進歩致したと申しても宜いのです、先づ此の実業界に御出なさる学生諸君は、第一に成るべくだけ世の中の時代が如何なる有様で有るか云ふことを能く御知りなさるやうにしたい、即ち時を知ると云ふ一つの考が無ければならぬ、其の身は直ぐ此の実業界に出かけて人を指揮し、物を差配する位置に立つことはむづかしい、所謂尚ほ実地修養の時期であります、さりながら我々の時期は如何なる時であるかと云ふことを知るのは、猶ほ地利に依つて己れの居る此の所はどこであるかと云ふことを知るのと同じことである、此時を知らぬでやられるのは甚だ己れを処するに適当のことでない、そこで今日の商業界は如何なる時期であるか、私は玆に真相を写すことは出来ますまいけれども、併し比較的今日卒業された諸君より時代を知つて居ると申して宜いから、玆に一言申述べます、元来日本の商売は、度々本校の卒業式若くは其の他の会合に罷出て、私は昔日の有様の甚だ歎かはしい有様であつたと云ふ事は始終に繰返して居りましたから、今玆に御座る諸君は初めて御聴きなさるが、此の講堂が若し耳が有るならば其の耳に度々入つて居るに相違ない、実に世の中から卑められて居つた商売が、明治の政治と共に大いに引立てられまして、速に長足の進歩を致したと申して宜いが、併し誠に不規則に進んで行つたと云ふ有様を免れぬのです、と云ふものは従来から学問的に進んだとは申せぬのであります、斯く申しまする私なども商売社会に幾らか有名なる者の中に居ります、甚だ嗚呼がましい、渋沢は如何なる学問をしたか、どういふ修養があるかと御尋ねになると、実に赧然たらざる能はず文明の学問を学んだのではない、けれども世の中の有様からして拠ろない、必ず課程順序立つたる学問をしたものばかりが果して世の中の事業を処すると限る訳にはいかぬ、況や商業教育と云ふものゝ無かつた日本たるに於てをや、故に前に申したる通り、不規則に発達したといふことはどうしても免れませぬ、殊に極く一国内に区域されて居つた商業が、宇宙に通ずることが出来ると云ふやうな、極端から極端に拡張して参つたのであります、幸に充分なる速力を以て都合能く進んで来ましたが、総てがまだ不完全であると云ふことを考へなければならぬ、併し年一年に物事が多少其の適度に進んで参ると云ふことは、是は時代の進歩と共にあるべき筈と見えまして殊更に明治二十七・八年征清の役以後に於ては諸事物の進歩大いに見るべきものがあると申して宜しいやうであります、又昨年来容易ならざる国難に際しましても、爾来此の実業界の有様を学生諸君は或は新聞に又は談話に御聴きなすつても、此の経済界の景況が昔日の有様と大いに変つて居ると云ふことは知り得るであらうと思ふ。さて戦争中は左様に経済界の工合は宜う御座いますけれども、併し何れ平和は克復するであらう、今日は大いに其の傾きを持つて居る其の暁は如何であるかと考へると、是は寧ろ此の二年間経済界に大いに喜びを得たよりも、尚ほ大いなる憂いを加へなければならぬと私は考へるので御座います、其の理由は余り冗長に渉ると却つて煩雑に失しますから、一口に申しますれば、此の戦争に関する総ての
 - 第26巻 p.657 -ページ画像 
需要供給はまるで形を変へて、所謂変調を来たす事になると云ふのみで御座います、今日の金融社会の工合が宜いとか、諸物品売買の景況が宜いと云ふのは、一朝戦争が止み平和が克復したら其の有様が俄然変ずると同様に、経済界も亦変化を来たすと考へなければならぬ、之に反して一方には其の平和克復と同時に、戦争は如何なる場合から起きたと云へば、即ち満韓の経営と云ふことを意味するのは、論を待たぬのであります、故に其事柄に就て着手すべき件々はなかなか一にして足らぬので御座いませう、さうなれば、我れも彼れもと手を出す、即ち我れも彼れもと云ふ言葉は我が帝国の人々を意味するのでなく、色の変つた人間も諸方から手を出して来ると云ふことは、実に防ぐべからざる勢でありますから、其の主脳たる日本が彼等の後に瞠着たることは出来ませぬ、依つて大に資本を求めてやらなければならぬと云ふ必要が生ずる、さうすると一方には不景気の有様を惹起して、一方には資金の必要を感ずると云ふことが瞬く中に生じて来る、故に我々は此の喜びに充されて居る今日に於て、未来の憂ひを慮り、飽迄も国運の進歩し国威の宣揚することに努めなければならぬ、此の場合に於て卒業された諸君が出られて、さうして商業界を歩むと云ふ訳である、斯る時代だと云ふことは能く心に覚悟して、徐々として実地に歩を進めるやうにありたいと思ふのでございます
 第二に御話して置きたいのは、学生の御方が実際に従事する場合に多くあるのは、兎角に此の想像と事実と適合して居らぬ為めに不満を起す、斯う云ふやうなことが間々あります、是は余ほど今日から御注意が肝腎だと思ふのです、能く学生の人の云ふことを聞きますると、或は何れの会社に従事した、何れの銀行に勤務したが、どうも事務を与へて呉れぬと云つて不平を云ふ、一体事務と云ふものはさて是だけの事務を貴様引受けろと云ふやうには出来ない、餅か何かを分つてやるやうにお前に一つ、お前に二つと云ふやうに分与されるものでない、事務に就けないと云ふて不平を云ふのは大に間違ひで、決して弁当か何かを貰ふやうに分けて与へられるものでない例へて云へば磁石が鉄を引き、水晶が塵埃を吸寄せると云ふやうに事務といふものは向ふから来るので、己れが引寄せるのである、おれに事務を呉れぬと云ふのは己れは不勉強である、己れは不能であると云ふことを表白することになる、若し今日卒業される二百五十五名の諸君が、将来社会に出て、おれに事務を与へて呉れぬと云ふことがあるならば、私は其の人は不能な人、不勉強な人と判断しますから、其の御覚悟で御居でを願ひたい、唯今校長からも御説諭のあつたやうに伺ひますが、事業に対しては細心に、又其の志操が堅実に、さうして事に当つて行きますれば必ず其の仕事は工合宜く行ける、一事を工合宜く処して行つたら之に対して其の事を委托した人は必ず満足する、一人満足すれば其の隣の人も亦委托する、一つ満足すれば二つ、二つ満足すれば三つと云ふ風になつて遂には十・二十と云ふことになつて来る、是は事実に於て明かで御座いますから、是から処世に付て此の学生諸子の将来は余ほど其の点に御注意
 - 第26巻 p.658 -ページ画像 
をなさるやうに致したいと考へますので御座います
 今一つ御話して置きたいと思ふことは、実際と学理であります、是は屡々人の云ふことで、私が今日喋々するも殆ど無用の弁に属しまするけれども、併し是から事実に御就きなさる諸君には、尚ほ新しく之を耳に入れるものも亦無用たらざることを感じまする、勿論此の学問が総ての物を産み出して盛にして行くものである、畢竟明治の今日に、斯くまでに我が帝国の総ての事物が進んで参つたのは、何に原因するかと云ふと、恐れ多い申上げ方ですが、陛下の御聖徳は論を待たぬが、総て教育の力と申上げて宜い、故に学問といふものが、総ての事物に付て此上も無く必要なることは論を待たぬがさて物事が其の学術と事実とピタリと応じない事がある、或る場合には己れの学問が到らぬ為めに応ぜぬ、縦し到つて居つても事実が学問と適応せぬことがある、是は違ひはせぬかと云ふ疑ひが起る、此の場合に於て学問に偏する人は事実に長じた者を無学と云ひ、又実際に長じた者は学問が薄いと説く、此の所から実際と学問とが相隔離することがあります、幸に本校を卒業された方は、大体の学理に於ては必ず十分に知得されて居ると思ふ、けれども玆に事実に付て見ると、今申すやうな行違ひがあることがあります、此の場合に詳に考へ静に思ふて、其の宜きに就くやうにしなければならぬ、要するに此の実際と学理とが全く適合すると、総ての事物が相合するやうになつて百事が挙つて来る、之に反するものは百事衰ふると云ふことは、決して疑ふべきことはありませぬ、故に左様な実際に相適合せぬ場合には、苟くも学問をしたものは余ほど注意して之を近附ける、密着せしめると云ふことに心掛けねばならぬのであります明治維新の世の中は総ての物に強い変化を与へられまして、予ねて申上げる此の商業界も既に大変革を来して、先づ今日あるに至つたのです、各方面の事物が変化されましたが、私が見渡すと商業界と軍事に付ての変化とが一番強かつたと申して宜いと思ひます、実に壱文商ひの如き小売商人ならでは日本に無い、商売往来とか塵劫記とか云ふ書物ならでは、商業教育と云ふものは無かつたのが、斯の如く大学校までも設けられて、一年に二百人以上の卒業生が出るまでに進んで参りましたから、之を三十年以前の商業界と比較しますれば、実に天地懸隔と申して宜いやうであります、又軍事の改革も変化がひどい、殆ど千年に近い武門武士と云ふ請負商売がひツくり反つて全国皆兵となつて、其の昔は両刀を手挟んで四民の上位に居る士ならでは武事を講ずると云ふことは無かつた、農民や商人は軍事に与かれないと云ふ有様が一変して、豆腐屋の息子も八百屋の次男も皆な軍人になると云ふ、斯う云ふ有様になつた、故に之をチヨツと比較して見ますと、商売人の方は寧ろ上の階級から色々の者が混つて来た、軍人は其の反対に、階級から論ずると下からずツと上ツて行ツたから、此の商業と軍事との進みを論ずると、一通りの順序から考へると彼れは我れに対して一歩後れて宜い筈であります、事実がさうなのである、一通りに成長して行けば、良い方の者が早く進んで宜い訳である、所が之に反対して軍事の成績は、残念なが
 - 第26巻 p.659 -ページ画像 
ら我々商工業の成功よりは遥かに其成功が優つたと申さねばならぬそれは如何なる訳かと云ふと、是は種々に考へて見なければならぬ兄が弟に優つたか弟が兄に優つたか、我々商工業者も此の軍事の成功だけの進みを、将来に為すことが出来るか出来ないかとまで熟考して見たいのであります、今日此の攻究会を開いて見た所が、どなたにも結末が付かぬと同時に、私にも断案は出来ないが、是は必ず原因があらうと思ひます、其原因は多くは教育であらうと思ひます今日の軍事の教育は総て教育に依つた御方のみでないかも知らぬが先づ多数は商売人に比較したら、純然たる教育範囲で仕事をして居ると申して宜しからうと思ひます、之に引換へて我々商業界に於ては、今日こそ商業教育が大いに重んぜらるゝやうになりましたけれども、併し是も度々申述べることだが、明治十三四年から明治二十年頃まではまだ此の商業教育と云ふものは、殆ど冗な事を喋べるとまで疎んぜられたことがありました、現に此の高等商業学校の其の昔、商法講習所と云ふた時分に、帝国大学の卒業生の人々に或る一事務に就て相談した所が、民業に従事するより官途に就く方が宜い商事に就くと世の中から卑下されると云はれた人もあつた、それは明治十五六年の頃のことであります、でありますから、商業教育が決して明治早々から左様に発達したものでないと云ふことは申上げ得らるゝので御座います、是等が多く軍事と商業と並行して進み得られぬと云ふ結果を来したのではないかと思ふが、更に大いに注意しなければならぬことは、此の軍事に対する教育の精神は何に依るかと云ふと、国家の観念・君国に対する至情・所謂至誠君に尽し至誠国に報ずると云ふ、此の精神が大に軍事の発達をなしたと思ふ、然るに商業界には、此精神が甚だ乏しくはないかと思ふのであります、さすれば教育の訓練の足らぬのに、其の根元となるべき至誠と云ふものが乏しいのが、自ら商業の軍事に対して後に瞠若たらしめるやうになつたのではないかと思ひます、若し私の解釈にして大いなる過ちなからしめば、此の商業界に従事する人は余ほど用心せねばならぬ、現時の商業界は如何なる時であるか、其の時を知らねばならぬと云ふことは第一段に述べた通りで、実に強く言ふたら困難と申すべき時代であります、而して是から先き国の名誉の進むほど我々責任の重くなることは免れぬのでありますから、日本の商工業者は将来は楽が出来ぬ、楽が出来ぬと云ふ覚悟はなければならぬ、戦場に於て常に満足なる成功を奏された軍事上の働きは何に原因するか我々は如何にしてそれに遅れるか、それに劣るか、御互に能く之を攻究して、短所があつたら其短所を十分補ふやうに、足らざる所があつたら之を足すやうに致さねばなりませぬ、祝辞の代りに却つて教訓的なる愚痴を申して、諸君の御耳を汚しましたが、之を以て今日の祝辞に代へます(拍手)