デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
2節 女子教育
2款 日本女子大学校
■綱文

第26巻 p.884-889(DK260154k) ページ画像

明治34年4月20日(1901年)

是日当校開校式挙行セラル。栄一之ニ出席シ、演説ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三四年(DK260154k-0001)
第26巻 p.884 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三四年     (渋沢子爵家所蔵)
三月七日 雨
○上略 十時 ○中略 麻生正蔵来ル、女学校ノ事ヲ談ス ○下略
   ○中略。
四月二十日 曇又ハ雨
○上略 午後一時小石川豊川町女子大学ニ抵リ、開校式ニ列シ一場ノ演説ヲナス、来会者賓客及生徒等ニテ概算千五六百人ニシテ頗ル盛会ナリ祝辞又ハ奏楽及演説等数席アリテ午後五時散会ス、成瀬校長ト共ニ寄宿舎ヲ一覧シ ○下略


家庭週報 第一号 明治三四年四月二九日 (HOME WEEKLY) SPECIAL ENGLISH COLUNNS BARON SHIBUSAWA'S SPEECH(DK260154k-0002)
第26巻 p.884-885 ページ画像

家庭週報  第一号 明治三四年四月二九日
    (HOME WEEKLY)
       SPECIAL ENGLISH COLUNNS
         BARON SHIBUSAWA'S SPEECH
  Baron Shibusawa's speech was a brief one, but nevertheless one very much to the point. He spoke in the capacity of the treasure-superintendant of the University, and as such testified to the correctness of the financial part of the report submitted by President Naruse. Otherwise he gave it as his opinion that the really unexpected success, so far attained by the University, was in part attributed to the fact that
 - 第26巻 p.885 -ページ画像 
the public at large had now attained to the importance of promoting the education of women, paid high compliment to Mr. Morimura for his great liberality, and also gave a homily,as it were,on a Chinese saying "Virture are never alone but always possess neighbours" and exhorted the faculty and students of the University to cultivate virtures in them. In conclusion the Baron expressed his high satisfaction at the felicitous manner in which the Nippon Joshi Daigakko had completed its organization period and now entered on a career. It was especially satisfactory to him,he said, that, insignificant as was his share of service rendered,it had been of some use in furthering the affairs of the institution.He wished he could have done more,but he assured his audience that he was behind none in the interest and zeal he felt in the welfare of the University;and he hoped and offered to continue to be of service to the Nippon Joshi Daigakko.
   ○「家庭週報」ハ日本女子大学校桜楓会ノ機関紙ナリ。


成瀬先生伝 仁科節編 第二〇二頁 昭和三年四月刊(DK260154k-0003)
第26巻 p.885 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

(八十島親徳) 日録 明治三四年(DK260154k-0004)
第26巻 p.885 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三四年   (八十島親義氏所蔵)
三月廿六日 晴
今日ハ、昨日青淵先生ノ命ニ依リ午前九時ヨリ一ツ橋外帝国教育会内日本女子大学校創立事務所ニ至リ、成瀬校長・麻生・戸川氏等ト来四月廿日挙行ノ開校式計画ヲ協議立案シ、覚書及予算ヲ作ル、午後ヨリ小石川高田豊川町ノ学校建築地ノ実地ニツキ、式場設備法等ハ清水方ノ高橋ヲ招キ協議ス
女子大学ハ不慣ノ人ノミニテ計画案モ立チ兼ヌルニ付、予ヲ其委員ニ依頼サレシ次第ナリ、女子大学ノ依置《(位)》ハ高燥閑静ノ地、又建築モ思ヒシヨリ宏壮、寄宿舎ノ如キ意外ニ完全ノ建築ラシ ○中略 午後五時半済ミ ○下略

 - 第26巻 p.886 -ページ画像 

日本女子大学校の過去現在及び将来 同校編 第一四―二三頁 (明治四四年)刊(DK260154k-0005)
第26巻 p.886-889 ページ画像

日本女子大学校の過去現在及び将来 同校編
                       第一四―二三頁 (明治四四年)刊
  第三章 設立の趣旨
    第一節 設立の理由
 日清の役は宇内を震蕩し、帝国をして世界強国の一たるの実を顕はしめたりと雖も、是れ単に帝国が世界の舞台に立て、天の使命を演ずるの開幕たるに過ぎざるのみ。此の秀麗なる山河と、高潔なる歴史とを有する帝国が、その任務を完ふするの前途、尚遼遠にして、遂行すべき事業、打破すべき障碍、尠しとせず、畏くも上聖 天子、戦後の国家経営問題として、国防・殖産及び教育の三大事業に軫念を為させ給ひ、億兆亦聖意を奉体し、鞠躬奮励、維れ日も足らざるの観あり。普通教育に於ても、其影響する所、頓に活気を添へ来りしと雖も、女子教育に至つては、之が発達普及の策を講じ、以て上 聖天子の大御心を奉戴し、下国民の開発進暢を謀る者、寥々乎として聞ゆるなきは、抑も女子の教育するに足らざるが為め乎、将た又女子教育の結果目前に顕著たらざるに依り、その必要を認知せざるが為め乎。兎にも角にも、是れ寔に聖世の一大恨事に非ずや。夫れ女子は国民の一半を組織する者にして、そか隠約の間に、社会に及ぼす影響の深且つ大なる、実に予想の外にあり。されば女子教育の振否は邦家汙隆の由て岐るゝ所なりと謂つべきなり。是れ吾人が敢て世上の志士に訴へ玆に日本女子大学校なるものを設立し、女子教育の改善普及を促進し、以て国運振張の一助に供し、国恩の万分の一を報ぜんと欲する所以なり。吾人豈に徒らに好んで蛇足を女子教育界に加ふる者ならんや。聊か吾人の確信する所の教育上の主義方針及び方法を実地に応用し、以て日本女子教育の発達を促し、社会の改善に資し、邦家の進運を助けんとするの衷情切なるが為めのみ。今左に聊か此の主義方針及び方法等の大要を陳述して、吾人の精神の存する所を吐露せん。
    第二節 女子教育上の主義方針
 吾人が実現せんと欲する女子教育上の主義方針は女子を(第一)人間として、(第二)婦人として、(第三)国民としての三方面より教育するにあり。熟々現今世上に流行しつゝある女子教育なるものを視るに往々女子を器械視し、芸人視し、従つて眼前実用の知識芸能のみを授け、更に人間たる教育に注意せざるものゝ如し。吾人は信ず、此の人間たるの教育は、啻に普通教育の主眼たるのみにあらず、高等教育に於ても、亦最も関心すべき要点なりと。抑も人間たるの教育とは、心身の能力を開展して、円満完備の人間とならしめ、器械にあらず、芸人にあらず、高尚有為の人間となり、如何なる境遇に処し、如何なる職業に従ふも、人間として欠くべからざる人格を養成せしむるをいふ而して此れ女子教育上必須の要点なりとはいへ、未だ以てその至れるものとなすべからず。心身の構造及び社会の組織上よりして、女子には、女子の尽すべき自然の天職なるものあり。その主要なるものは、即ち賢母良妻たるにあり。然るに此の賢母良妻たるは、決して容易の事に非るなり。試みに日本将来の賢母良妻たる者の資格とすべき要点を挙げんか、高尚の女徳・鋭敏の知力・強健の身体・相応の芸能を備
 - 第26巻 p.887 -ページ画像 
ふべきなり。吾人は之を以て女子の唯一の天職とはいはざるも、殊に此の方面に向つて主力を注ぐ所あらんことを期す。斯くの如く女子に人間たるの教育と、女子たるの教育とを授けなば、女子教育は完成せるものゝ如き観あるも、是れ又決して然らず。女子も亦国家の臣民なり、宜しく国民たるの観念を懐き、日本婦人としての特性を発揮すると同時に、日本帝国の盛衰安危は半ば懸つて女子の肩上にあるを意識し、仮令身は家庭の内にあつて、些細の家事に齷齪たるが如きも、その一挙一動、悉く国家の休戚に関するものたるを覚り、啻に妻たり、母たるのみならず、国家の一員としての妻母として、その職責を完ふせしめざるべからず
    第三節 組織及び学科の程度
 吾人が創設せんと欲する日本女子大学校の組織は、大要左表の如くにして、その主眼とする所は、下幼稚園より、上大学部・研究科に至る迄、首尾の系統整頓せる教育制度を一校内に併設し、吾人の特殊の教育主義及び方法を実施し、以て日本女子教育の中心点たらしめんとするにあり。

図表を画像で表示--

                 家政学部                 国文学部                 英文学部                 仏文学部            本科   教育部 文科 修業年限三箇年                     理科  入学資格五箇年高等女学校卒業         本校      体育部                 音楽部                 美術部                 理科部 日本女子大学校    研究科――修業年限三箇年以内            幼稚園            普通校 小学校――修業年限六箇年            高等女学校――同上五箇年        附属校         入学資格高等小学校第二学年修業以上の学力            専門学校 工芸部 同前三箇年                 商業部  高等小学校卒業以上の学力 




      第四節 女子高等教育の弁護
 吾人は信ず、女子の高等教育は、一方には、女子其者の当然要求する所のものたると同時に、又他方には、国家社会の要求する所のものたることを。国民の一半たる男子の高等教育は、日に月に進歩発達するも、そが伴侶たるべき女子は、唯弾琴煎茶の道を知るのみにして、家庭教育の原理方法にも暗く、男子の事業に同情を表するの見識もなく、国家の進運・社会の改良に、一臂の労をだに尽す能はずとせんか国家の損害、社会の不利、決して尠少にあらざるなり。然りと雖も吾人が女子大学を創立するは、決して漫然欧米の女子高等教育を直写し又は我邦の男子大学に模倣し、若くは対抗せんとするが如き妄策を企つるものに非ざるなり。吾人が前記の表に示せるが如き学科や修業年限の女子大学を設立せんとするは、偏に現時の本邦女子の脳力及び体力に適合するの学科・課程を編制し、順次漸進するの策を取らんとす
 - 第26巻 p.888 -ページ画像 
るのみならず、又実に本邦の国体国情に適応する女子教育を施さんと欲するに職由せずんばあらざるなり。
    第五節 教育上注意を払ふべき要点
 吾人が女子に高等教育を授くるに当つて、最も注意を払はんとする要点は(第一)は体育に重きを置き、知育をして健康を害するの途を杜絶せんとし、(第二)は各生徒の個性に応して適切有効の教育を施し(第三)には徳育上、殊に我国体国情に従ひ、武士風家庭の精華を標的とし、採るべきの長所は之を外国にも求め、日本の女徳をして万国の師表たらしめ日本の家庭をして世界の模範たらしめんとするにあり寄宿舎に至ては、夥多の家族的別戸寄宿舎を設け、寮監を母とし、長幼姉妹となり、喜悲を共にし、万事善良なる家庭に傚ひ、各自家事を分担し、自動的に女徳を修めしめんことを期す。
 以上は創立者が当初世間に発表したる設立趣意書の要点を抜萃したるものに過ぎざるも亦以て本校設立の精神の一斑を窺ふに足るべし。
  第四章 設立当時の状況及びその後の発展
    第一節 開校式の状況
 前後五年間に亘る設立当事者の辛苦経営の功は遂に空しからず、明治三十三年十二月、文部省より設立認可の指令を得、翌年四月二十日午後一時、桜花爛熳の候、西園寺侯の所謂東洋女学界の先導者たるべき日本女子大学校は、予想以上の好結果を以て開校の式を挙げ、朝野の紳士淑女を始め、生徒及び其保護者等、無慮千三百余名の来会者ありて、弐百余坪の天幕式場も、為めに狭隘を告げたり。麻生学監司式の下に、成瀬校長・渋沢男・大隈伯・西園寺侯の演説あり、次に松田文部大臣・近衛貴族院議長・片岡衆議院議長・千家東京府知事・毛利大日本女子教育会長・菊地東京帝国大学総長・細川華族女学校長・高嶺女子高等師範学校長・土方女子教育奨励会長・辻帝国教育会長の祝詞ありき。今左に開校当時に於ける本校の状況大要を紹介せん。
    第二節 地所及び建物
 甲、地所     五千五百弐拾坪
 乙、建物     七百七坪五合
  内
   校舎(弐棟)    弐百九拾八坪七合五勺
   寮舎(三棟、八家族)弐百七拾七坪七合五勺
   教師館(二棟)   五拾一坪五合
   附属建物      七拾九坪五合
    第三節 開設したる学部及び入学生徒数
 開設したる学部は本科にては、家政・国文・英文の三学部、予科にては、英語予備科の一科にして、附属としては、高等女学校の一枚ありき。而して入学生徒総数は、五百拾名にして、その内訳は実に左の如し。
    家政学部     九拾壱名
 本校 国文学部     八拾四名
    英文学部       拾名
    小計      百八拾五名
 - 第26巻 p.889 -ページ画像 
 英語予科        三拾七名
 高等女学校     弐百八拾八名
  合計         五百拾名
      第四節 教員及び職員の数

図表を画像で表示第四節 教員及び職員の数

 (甲) 校長及び学監        二名 (乙) 大学部及び英語予科教師  三拾名 男子 二十五名                      女子   七名 (丙) 高等女学校教師      十八名 男子   七名                      女子  十一名 (丁) 事務員           三名 合計              五拾三名 



   ○右表中(乙)大学部及ビ英語予科教師員数ノ数字符合セザルモ其マヽトス。
   ○昭和十二年七月七日麻生正蔵氏談話ニヨレバ、日本女子大学校ハ最初各種学校トシテ設立認可ヲ東京府知事ニ願ヒタル為ニ、明治三十四年開校当時ハ各種学校ノ一ナリキ、而シテ二年後三十六年専門学校令ノ発布セラルルヤ同年直チニ専門学校ノ認可ヲ得タリト。