デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
2節 女子教育
2款 日本女子大学校
■綱文

第26巻 p.892-899(DK260159k) ページ画像

明治37年12月15日(1904年)

是ヨリ先、当校ソノ拡張計画ニヨリ資金三十万円ヲ募集中ナリシガ、遂ニ予定金額ニ達セルヲ以テ是日、朝野ノ名士ヲ招キ拡張案ヲ発表シ、組織ヲ財団法人ニ変更スル旨ヲ明ラカニス。翌三十八年五月組織変更サレ、栄一評議員トナル。尚、第二回募金中ニ金五千円ヲ寄附ス。


■資料

家庭週報 第一四号 明治三七年一二月三一日 ○渋沢男爵の演説(DK260159k-0001)
第26巻 p.892-894 ページ画像

家庭週報  第一四号 明治三七年一二月三一日
    ○渋沢男爵の演説
閣下・淑女・紳士、今日御目出度い御席に一言を申述べるといふやうに校長からの委托でございまして、玆に私は創立委員且会計監督として一言申述べます。
既に今日の御披露に付ては、校長から詳しく御話も申上げ、又此学校の玆に至りました経歴は、委員長たる大隈伯爵より叮嚀に御縷述もございましたから、最早蛇足を加へるに及びませぬ。幸ひに今日は英米両国の珍客も尊来を頂きまして、別して此学校の為には所謂錦の上に花を添へたやうな感が致しまする。
丁度数へて見ますると、此学校を起さうといふ成瀬君の発起が私共の耳に這入りましてから、既に歳月が九年を経て居る、年といふものは既往を顧ると甚だ短く、将来を待つと大分長いやうにある、此観念は人に依つて色々違ふやうにありますが、此九年間、但事実此学校に力を入れたのは僅か数年であります。此数年間に斯く学校が発達したといふものは、唯今校長からも、大隈伯からも、御申述べになりましたが、実に我人共に意外に感ずることである。けれ共、即ち此意外に感ずるといふ世の中の気運が……此女子教育の殊に必要を感ずる事実が……斯く盛大に至らしめたものであると思ひまする。而して殊に今日此学校をして大に整頓せしめたる一動機は、段々前席に校長から精しく御披露を申上げましたが、森村君の非常なる御力入が、此学校をして、漸く当初の目的を、稍々完備せしむる機会を与へたのでございます。左様に世の中の気運は女子教育を必要としましても、元と元と多数の寄附・助力に依つて成立すべきものでございますからして、此処に設ける設備は一体の気運の望む程、それ程速かに届くものではなかつたのでございます。
私は教務のことは一向貢献したことはございませぬ、如何となれば無教育家でもあり、学者でもございませぬから……併し斯かる善事は仮令己が教務に就て力を入れることが出来得ぬでも、又資本者として、大なる金を此処へ醵出することが出来ぬでも、どうぞ此美事を成功せ
 - 第26巻 p.893 -ページ画像 
しめたいといふ精神は矢張り人に譲らぬの考、……会計事務に付ては蓋、今数年間継続して尽し得ますのでございますが、何分にも望む通りには設備する丈けの資金を供給し得られなかつたのが、此処に幸ひに前に申す森村君の大なる御力入に依つて、尚引続いて創立委員も基金を作らなければならぬといふ必要を生じ、又独り必要のみならず、一般の気向が左様に進んで参つて、僅か十日か一週間の中に六万以上の基金を作るといふことが行届きましたのであります。是に於て、此学校は今までの姿を改めて、更に財団法人として、未来は国に設けられてある民法の其方針組織に依つて、尚此素志を永久に継続しやうといふ事に相成りました。誠に此上もなき目出度い事と私共は考へまするのであります。古の聖人の言葉にも、徳不孤必有隣。道徳といふものは独り立つてはいかぬ、又必ず隣が出来るといふ、誠に簡単な教であるが時々に感じまする、初、学校を作りたいといふことは即ち一の功徳である、其功徳は決して独りでは立たないもので、遂に我々共も隣となつて、成瀬君に助力して一つ此処へ物を成立てゝ、さて其成立てゝも未だ満足で無い、然るに又森村君の如き大なる道徳家があつてこゝに一つの大なる規模を立てやうといふ御考が発動した、其発動が又一つの隣を作つて、創立委員・前の寄附者、皆共に此処は是非左様な御力入になる人に対して、此学校を相当に完備せねばならぬといふ観念を惹起して、前に申述べる通り、六・七万の金額が立所に集つて玆に此学校を稍々整頓し得せしむることになつた。
さて斯様相成つて見ますると、私共は校長及教員、又此処に御集りの学生諸君に対して、未来の希望を強く申上げねばならぬやうになる、即ち物事は誉れがあり、仕合せがあると共に、責任が増すといふことは、何の方面にも考へねばならぬ、今日本の国家が総ての事物が進んで参つたと同時に、責任が増して来た、責任が増して来たと同時に、亦困難も加はつて来る、今日の時局の困難は、名誉も、責任も、共に進んで来たといふ次第と考へねばならぬ、斯かる事柄は、此処に御集りの女子諸君に御望みする許りでは無い事だけれ共、即ち諸君は、前に申す斯く進んで参つたるところの一般の気運に対して、其事実の功を奏するは如何であるかといふと、此処に御集りの学生諸子である、既に今亜米利加の公使の言はれるにも、教育に於て男子の教育と、女子の教育と、決して差等が無いのみならず、更に女子に重きを置く必要がある、如何となれば、どうしても此国家の家庭を作るには、女子が甚だ関係が多いのであると言はれた、蓋、森村君が深く感じて、此学校の将来に大に発達を求められたのも、丁度、今米利堅公使が道破つた言葉であらうと想像する、我々が教育家で無くても、力を入れて今日までの此学校の成立に微力を致したるも、蓋、其点にあります。此処に集つて居る女子諸君は、斯く進んで参る其多数の精神を能く御腹に入れて、充分なる修業をなすつて、未来に大なる良い家庭を作る即ち、此初の少々なる徳が大なる隣を作つたので、此処に集る千百人が、又千百人に止らぬ、また何千万人の隣を作つて、遂に我日本のみならず、東洋に向つて、総ての精神を普及せしむるやうにありたいと希望いたすのであります。
 - 第26巻 p.894 -ページ画像 
会計上のことに付きましては、叮嚀に申上げまする必要もあるか知りませぬが、既に校長からして最初此位の寄附金もあり、又今日の斯かる寄附を得て、凡そ斯う云ふ風に支出して行くといふ事は、それぞれ御申述べになつたやうであります。是は私が会計監督として、其事の確かであるといふ事を一言証明いたします。
而してこゝに創立委員の職責は止みまするからして、未来の法人となつて、我々は如何なる位地に此学校を……或は力添を致す場合になりませうか、追て又組織の定まりました後にあらうと思ひますが、蓋、大隈伯に於ても、未来に尚力を添へる積りだと仰せられた如く、不当ながら渋沢と雖も、尚未来に力を入れたいといふ積りで居りまするのでございます、玆に一言を呈して、特に学生諸子に希望を述べて置きます。(完)


家庭週報 第一四号 明治三七年一二月三一日 本校小史(DK260159k-0002)
第26巻 p.894-895 ページ画像

家庭週報  第一四号 明治三七年一二月三一日
    本校小史
○上略
帰朝後 ○校長成瀬仁蔵明治二十三年米国ニ遊学シ四年後帰朝ス女子教育と題する一書を著して、多年の抱負を披瀝せられしが、又大に世人の注意を引きたり。明治二十九年始めて女子大学設立の計画を発表せられしが、時の総理大臣伊藤侯等を始め、朝野有力の熱心なる賛同をえられ、殊に大和の土倉庄三郎氏と大阪の広岡浅子氏は、募金費を担任して大に力を仮されたり。然るに不幸にして経済界不振の事起り、一時資金の募集を中止するの已むなきに至りしが、嘲笑《ばり》の評罵詈の言、或は教育家の筆より或は宗教家の口より新聞に現はれ、雑話に載せられしもの一にして足らず、校長は其鞏固なる意志と誠実なる精神とを以て能く此間に処し、堅忍不抜万障を排せしを以て漸く世人の同情を博するに至り、資金も終《つい》に予定額三十万円の半に達するを得たり。
かくて明治三十三年九月愈々設立着手に決し、校舎の建築に取掛り、翌年四月二十日開校式を挙ぐるに至りしが、入学志望者の夥多たる遥に予想の外に出て、三大学部と高等女学校とを併せて八百名を収容するの盛況を呈したり。
明治三十四年九月二十五日、畏くも我が 皇后陛下は本校設立の趣を聞召され、金二千円を賜ひぬ。
爾来専ら内部の整理に注意し、校風寮風の養成に、教授講演の方法に夫れ夫れ力を尽す所ありしが、幸に事なくして三年を送るを得、本年春第一回卒業生を出すに及びしが、終に今回森村豊明会の寄附を受くるを機とし、募金に尽力の結果、本校の資金は終に予定の三十万円に達するを得、創業時代は玆に始めて終りを告ぐるに至りぬ。

    ○明治三十七年十二月十五日発表式当日の光景
事、余りに神速に運びしが為め、漸く発表式の前二日といふに、生徒一同は校長より我が校の慶事発表の為めに、朝野の賓客を招くべきよしを達せられぬ。例により各級の代表者、相会して準備の部署を定め道具掛り・装飾掛り・料理掛り・接待掛り・給事掛り等、それそれ手
 - 第26巻 p.895 -ページ画像 
配りをなし、僅か一日、しかも授業のひまひまに、前日来の降雪をものともせず、甲斐甲斐しく立ち働きて、この美はしき喜ばしき式日を迎ふるにせわしかりき。
扨て当日は、夜来の雪はおさまりたれど、なほ消えもあへぬ初雪に、轍のあとを残して早朝よりまづ創立委員諸氏は来校せられぬ。九時といふに創立委員会は開かれ、何事をか議せられぬ。十時に至るや、陸続と来校せられたるは、米国公使夫妻・英国公使夫人を始め、朝野の紳士・各新聞・雑誌記者諸氏なりき。やがて定刻に至るや、これ等来賓と、千余の生徒とは、講堂に相会し、厳かなる式は始められぬ。式場は極めて清楚に装飾せられ、壇上には金屏風を建て廻はさるゝ所、上の写真にあるが如し。まづ一同、君が代を祝し、校長は徐ろに起ちて別項に掲ぐる演説を始められぬ。いよいよ進むに従ひ、満場粛然として、生徒席には、感泣の声折々聞ゆ。更らに大隈伯・米国公使・渋沢男の演説あり、次に文部大臣の口授しおかれたる、演説速記を朗読し、なほ本日来会せられざりし西園寺侯・内海男の特によせられたる書面をよみあげられたり。最後に本校開校の際作られたる唱歌をうたひ玆に式は終り、別室に於て立食を饗しぬ。
○中略
    ○今回の同情者諸氏及び金額
                  (今日迄確定の分)
       一、〇〇〇       公爵 岩倉具定
         五〇〇       侯爵 西園寺公望
       一、〇〇〇       同  細川護成
       一、〇〇〇       同  伊達宗徳
       一、〇〇〇       侯爵 前田利為
       一、〇〇〇       伯爵 大隈重信
       一、三〇〇       子爵 岡部長職
         二五〇       同  秋元興朝
       五、〇〇〇       男爵 渋沢栄一
      一〇、〇〇〇       同  岩崎弥之助
         五〇〇       男爵 内海忠勝
      五五、〇〇〇          森村豊明会
         三〇〇          児島惟謙
       三、〇〇〇          広岡浅子
       五、〇〇〇          住友吉左衛門
         五〇〇          山本達雄
       五、〇〇〇          古川潤吉
       三、〇〇〇          村井吉兵衛
       一、〇〇〇          吉村鉄之助
         五〇〇          服部金太郎


日本女子大学校の過去現在及び将来 同校編 第七〇―七一頁 (明治四四年)刊(DK260159k-0003)
第26巻 p.895-896 ページ画像

日本女子大学校の過去現在及び将来 同校編
                    第七〇―七一頁 (明治四四年)刊
 - 第26巻 p.896 -ページ画像 
  ○第三章 評議員及び教職員
    第一節 財団法人としての本校の評議員
      侯爵 蜂須賀茂韶          土倉庄三郎
 教務委員 伯爵 大隈重信           大倉孫兵衛
      子爵 岡部長職        伯爵 樺山資紀
 理事      成瀬仁蔵           村山竜平
         村井吉兵衛  教務委員 男爵 久保田譲
         麻生正蔵   教務委員 侯爵 西園寺公望
      男爵 北畠治房        男爵 三井八郎右衛門
 監事      三井三郎助  財務委員 界爵 渋沢栄一
         広岡浅子           広瀬実栄
         広海二三郎  財務委員    森村市左衛門
         住友吉左衛門
   ○森村市左衛門ノ弟豊・長男明六ハ共ニ森村商店ニ勤務中歿ス。


日本女子大学校寄附金簿(DK260159k-0004)
第26巻 p.896 ページ画像

日本女子大学校寄附金簿        (麻生正蔵氏所蔵)
    第二回寄附  明治三十七年十二月
 一金五千円也               渋沢栄一(印)
   但明年ヨリ五ケ年賦
 一金五百円也               西園寺公望
 一金壱千円也               大隈重信
 一同参百円也               児島惟謙
 一金五百円也               内海忠勝
 一金参千円也               広岡浅子(印)
 一金千円也                岡部長職○《(花押)》
 一金三百円也               岡部抵子(印)
 一金千円也                吉村鉄之助(印)
 一金五百円也               山本達雄
 一金千円也                細川護成(印)
○下略



〔参考〕(八十島親徳) 日録 明治三七年(DK260159k-0005)
第26巻 p.896 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三七年   (八十島親義氏所蔵)
十二月十二日 晴後雨
朝男爵ノ命ニ基キ牛込穂積氏ニ至リ、博士ニ《(会脱)》面シテ、日本女子大学校財団法人寄付行為証書案ニ関スル意見ヲ承リ、昼餐後兜町出勤 ○下略
   ○中略。
十二月廿一日 快晴
○上略 午後牛込穂積氏ニ至リ、博士ニ面会シテ男爵ノ命ニヨリ終ニ予ノ起草シタル日本女子大学校財団法人寄付行為証書案ノ一見ヲ乞ヒテ、一二字句ノ修正ヲ忝フス
○下略


〔参考〕日本女子大学校の過去現在及び将来 同校編(DK260159k-0006)
第26巻 p.896-899 ページ画像

日本女子大学校の過去現在及び将来 同校編
                       第三三―三九頁 (明治四四年)刊
 本校評議員森村市左衛門氏は、その弟豊、長男明六両氏の、森村組
 - 第26巻 p.897 -ページ画像 
そのものゝ為めといふよりも、寧ろ、日本帝国の為めに、商戦場裡に名誉の戦死を遂けたるを紀念せんが為めに、店員と相議し、豊明会なるものを組織し、国家公益の為めに投ぜんとて、醵金して時の到来を待ちたり。時は恰も明治三十八年、日露開戦の真最中、我日本の安危存亡の決せんとする年のことなりき。森村氏は大に感憤する所あり、愈々その醵金の幾分を割て、国家百年の為めに投ぜんと決心し、その方法を成瀬校長に謀りぬ。成瀬校長は公平無私に沈思熟考したる後、その確信する所の所見を披瀝せしに、森村氏を初め、豊明会員全体の大に賛成する所となり、玆に双方の意志投合して、新に教育学部を設置することゝなり、之に附帯する豊明館・豊明図書館、並に豊明小学校及び幼稚園が増築せられ、我校は頓に一大飛躍をなすに至りぬ。之と同時に附記せざるを得ざるは、曙寮の新築なりとす。斯寮は豊明会員某氏令夫人の寄附にして、幼年女児の寮舎たり。森村氏が如何なる動機と喜悦とを以て此挙に出られしかは、氏の手紙と感懐とに依つて知るを得べきなり。『国運の前途を慮るに国民教育の基礎たるべき女子教育の、今一層有効切実ならん事を切望に堪えず。玆に国民の本分を尽さんが為め、教育学部開設の趣旨を賛し金五万五千円を寄附す』とは、是れ当時氏の成瀬校長に送りたる書柬の大意にして、『昨夜以来余の心は大なる喜悦に満つ。仮令粟一粒の如き寄附金とはいへ、国家の為めに種を蒔きたるものなりと考へ、余は大なる安心を得たり。余は衷心之を君に謝せざるを得ず』とは、氏の成瀬校長に語りたる当時の所感なりとす。
 森村豊明会が本校に寄附せし金額は、前後相合して金拾八万五千円に達す。之を英米のそれに比すれば、決して多額といふを得ざるも、我国にては、古今未曾有の大寄附にして、我国の風習及び当時の我国情より之をいへば、英米の数百万円に相当するの価値を有するものなり。然るに独り森村氏のみならず、本校創立委員諸氏は、当時国事多端・経済不如意の秋たりしにも拘らず、各自犠牲の精神を奮つて応分の寄附をなし、僅々一・二週間内にして、基本金十万円を得、玆に明治三十八年五月、従来の本校組織を改めて財団法人となす事とはなりぬ。かくて我が校風養成上に一大要素を加へたるのみならず、爾来此美風を模して、教育事業に資を投ずる者続々世間に輩出するの好結果を来したり。今左に財団法人寄附行為証書を掲ぐ。
    私立日本女子大学校寄附行為証書
 東京小石川区高田豊川町拾八番地私立日本女子大学校は、明治三十三年十二月現校長成瀬仁蔵が、別紙第一号に記載する創立委員の指導に従ひ、別紙第二号に記載する数多篤志者の義捐金に依りて、創設せし所なるが、右義捐金を以て買入れたる地所・建物・器具及び其他学校所属資産の所有名義者たる成瀬仁蔵は、今般創立委員と協議の上、前記一切の資産を以て財団法人を設立し、学校の基礎を永遠に鞏固ならしめんことを企図し、玆に寄附行為をなして左の条項を定む
      一 目的
 第一条 本財団法人は現在の私立日本女子大学校を維持拡張し、女
 - 第26巻 p.898 -ページ画像 
子に適切なる高等の教育を施すを以て目的とす
 第二条 前条に掲げる学校の学科課程及其他の規定は、別に之を定む
      二 名称
 第三条 本財団法人の名称は私立日本女子大学校とす
      三 事務所
 第四条 本財団法人の事務所は、東京市小石川区高田豊川町拾八番地に置く
   但評議員会の決議に依り之を移転することを妨げず
      四 資産
 第五条 成瀬仁蔵は、本財団法人を設立せんが為めに、地所・建物器具、其他現在私立日本女子大学校所属一切の資産(別紙第三号表の通)を寄附す
  別紙第二号義捐名簿は永久に之を保存す
 第六条 前条の外現在の私立日本女子大学校に対する義捐予約金にして、将来本財団法人に払込まるゝ資金、及び本財団法人の目的を賛助して寄贈せらるゝ資金は、本財団法人の資産に編入すべきものとす
 第七条 資産の管理に関する規程は別に之を定む
 第八条 現在の私立日本女子大学校の費途に供する為め従来成瀬仁蔵の名を以て借入たる別紙第四号表に掲ぐる借用金は、本財団法人設立の上は債務の更改をなし、本財団法人の負担に帰属せしむ
 第九条 本財団法人の資産は、如何なる場合と雖も、第一条の目的以外に使用することを許さず
 第十条 学校の維持経費は左の収入を以て之を支弁す
   一 資産より生ずる利子及び其他の収益
   一 入学金・授業料及び其他の雑収入
   一 経費指定の寄附金
   如何なる場合と雖も、資産の元本を以て経費に充つることを許さず
 第十一条 本財団法人は、法定の解散事由の発生するに非ざれば解散することなし
 第十二条 本財団法人解散するに至りたるときは、評議員会は予め其決議を経たる後、主務官庁の許可を得て、其資産を本財団法人の目的に同一なるか又は之に類似せる他の学校団体若しくは学会に寄附して、本法人設立者の目的を永遠に継続せしむることを計るべし
      五 評議員
 第十三条 本財団法人に拾乃至弐拾五名の評議員を置く
 第十四条 評議員は法人設立の際、現在の私立日本女子大学校創立委員(別紙第一号記載)の選定に依り、設立者之を嘱托す
 第十五条 評議員に欠員を生じたるときは、評議員会の決議に依りて之を選定嘱托し、現員一名に至りたるときは四名乃至九名の最多額義捐者又は其相続人と協議し、又過半数の投票に依りて之を
 - 第26巻 p.899 -ページ画像 
選定嘱托し、又全員欠けたるときは五名乃至十名の最多額義捐者又は其相続人に其選定を委嘱す
 第十六条 本財団法人の業務に関する重大の事項は、必ず評議員の議決を経ることを要す
   但し評議員会の職制は別に之を定む
 第十七条 評議員会は其議決を以て評議員・理事及び監事を罷免することを得
 第十八条 評議員会の議事は、評議員全員過半数の同意を以て之を決す
 第十九条 評議員は自ら本財団法人の資産及び業務の状況を監査することを得
      六 理事及監事
 第二十条 本財団法人を代表し、法人の義務を処理せしむる為め、理事一名を置き、之を校長と称す
 第廿一条 理事は評議員会の議決によりて之を選定す
 第廿二条 理事は別に定むる職制に従ひ、評議員会の議決に従ひ、其職務を行ふ
 第廿三条 本財団法人の資産及業務の状況を監査せしむる為め、監事二名を置く
 第廿四条 監事は評議員会の議決に依り選定嘱托す
      七 寄附行為の変更
 第廿五条 本寄附行為に定めたる事項にして、第一条・第五条及第九条の趣旨に反せざる範囲内に於て、評議員会の議決により必要と認めたる時は、主務官庁の許可を経て之を変更することを得