デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
2節 女子教育
2款 日本女子大学校
■綱文

第26巻 p.900-901(DK260161k) ページ画像

明治38年9月25日(1905年)

是日栄一、桜楓館開館式ニ臨ミ祝辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三八年(DK260161k-0001)
第26巻 p.900 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
九月二十五日 晴 秋冷
○上略 午後一時女子大学ニ抵リ、桜楓館開館式ニ参列シ、一場ノ祝辞ヲ述フ ○下略


家庭週報 第三四号 明治三八年一〇月七日 ○桜楓館開館式(DK260161k-0002)
第26巻 p.900 ページ画像

家庭週報  第三四号 明治三八年一〇月七日
○桜楓館開館式 予定の如く廿五日午後一時より桜楓館開館式は執行されたり。三井三郎助氏・同令夫人並びに本校評議員其の他関係者諸氏、本会特別会員を始め、本会員・大学部生徒・高等女学校各級代表者講堂に着席し、式はまづ君が代を以て始りぬ。次で成瀬校長の式辞大隈伯・渋沢男の祝辞(別欄に掲ぐ)あり。新作唱歌をうたひて式は終りたり。それより階上にて茶菓の饗応ありて、此の間桜楓音楽隊の奏楽ありて、一同桜楓館各部を観覧したり。
 当日の主なる来賓は、三井三郎助氏・同令夫人を始め、大隈伯・岡部子・渋沢男・同令夫人・広岡浅子氏・村井吉兵衛氏夫人・村井貞之助氏夫人、其の他の数氏なりき、其他特別会員・同夫人等なりき。
   ○桜楓館ハ当校卒業生ヨリ成ル桜楓会ノ本部会館トシテ建築サレタルモノナリ。
 - 第26巻 p.901 -ページ画像 


家庭週報 第三四号・第三―四頁 明治三八年一〇月七日 ○同前(桜楓館開館式祝辞)(渋沢男爵述)(DK260161k-0003)
第26巻 p.901 ページ画像

家庭週報  第三四号・第三―四頁 明治三八年一〇月七日
    ○同前(桜楓館開館式祝辞)(渋沢男爵述)
桜楓館の開館の式に参列しまして、皆様に久々で御目に掛るのは誠に喜ばしい事で御座います。桜楓会の成立からして今日まで発展して参りました経歴は、唯今校長から縷々御述べになりまして、皆様も充分に御会得になりましたらう。私も其の詳細を知悉致したです。誠に斯く迄に盛んに進んで参つたのは、此学校の為に、又桜楓会そのものゝ為に、諸君に向つて充分なる祝辞を申上げますることです。
既に桜楓会の将来に、又現在の諸君に対する理想は、校長から詳しう述べられました。側から伺ふと余り要求が強過ぎるかと存じられる程に、熱心に御述べになつた。校長としては左もあるべきことであります。私は玆に一言申上げて置きたいことは、此学校が此の如く盛大に進んで、殆ど千有余人の女学生が追々と進んで、階級を経て卒業せられるといふのは、誠に喜ばしい事である。其学校のモウ一つ更に、此処に桜楓会といふものが形造られて、丁度其卒業生の御人達が此処に一つの会を組立て、其会が或は其内に於て、或は此学校に於て、又は外の方面に於て、社会に種々な働きをなして行くといふことは、実に結構なことであつて、丁度平日の勉強が、或時期に応用して効能を現はすと同じ様な姿になるのです。仮令此の如き大規模なる学校に、千有余人の生徒が始終学んで居つても、こゝに成上つた暁に一つの好い組織が無いといふと、此処に在る間一つの精神は集つて居るけれ共、出ると散ずるといふ嫌ひがあります。然るに此処に桜楓会が、丁度学校と相須つて、或場合には学校に対する好い気風を勧め込み、或場合には学校に対する充分な奨励をし、又は訓戒を与へるといふことも出来るであらう。又他方面に対して桜楓会の会員は種々なる方面に、此学校の気風を総てに働かせるといふ事になるのは、実に此上も無い喜ばしい事である。
丁度取りも直さず、今大隈伯も春秋二季は気候の中和であつて、其の時に桜も発し、楓も色附く、極く平和を得た時であると説かれましたが、如何にも御尤千万で、即ち桜楓会の名も、今伯の説かれた如き意味から、命ぜられたことゝ存じますが、丁度此の桜楓会の社会に対する有様も、左様ありたいと思ふのでございます。私は此未来の会員諸君に望みますのは、どうぞ此桜楓会をしてです、猶、桜花の実に艶々と生々と潔いやうな会風、又楓の丹きに染めて、何処までも国に尽すといふ赤心を執り行ふといふ如きことが、即ち此桜楓会の会風として本校にのみならず、社会に、広く言ふと宇宙にまでも、充満する如き御心掛を持つて頂きたいと希望して止まないのであります。詰り皆様の御申述になりましたことに過ぎませぬが、一言此の喜びの辞に代へます。