デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
2節 女子教育
2款 日本女子大学校
■綱文

第26巻 p.904-905(DK260163k) ページ画像

明治39年4月11日(1906年)

是日栄一、当校卒業式及ビ豊明館・豊明図書館新築落成式ニ出席シ、財務報告ヲ兼ネ祝辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三九年(DK260163k-0001)
第26巻 p.904 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三九年     (渋沢子爵家所蔵)
四月十一日 晴 微寒            起床六時三十分 就蓐十二時三十分
○上略
此日午後一時ヨリ女子大学卒業証書授与及図書館・教育部等ノ新築落成式ヲ開ク、一場ノ報告演説ヲ為ス、大隈伯其他ノ委員来会ス


家庭週報 第五七号 明治三九年四月二一日 大学部高等女学校 卒業式 並に豊明館・豊明図書館落成式(DK260163k-0002)
第26巻 p.904-905 ページ画像

家庭週報  第五七号 明治三九年四月二一日
    大学部高等女学校 卒業式
      並に豊明館・豊明図書館落成式
 予定の如く十一日午後一時より、本校大学部第三回・附属高等女学校第五回卒業式、及び豊明館・豊明図書館の落成式は挙行されたり。
△式場 当日の式場は即ち、新築図書館内の大講堂なり。正面に大国旗を交叉し、其処に月桂冠に擬へたる花環を吊したる外、一対の棕梠竹、楽器の上の盛花のみ此の堂を装ひつ。
○中略
時至るやプラツトホームには校長・学監、並に大隈・久保田・児島・三井(三郎助氏)・渋沢・広岡・森村の各評議員、及び牧野文相・三井養之助氏等着席せられ、場内中央に卒業生、右方に来賓及び父兄保証人、左方に教職員・桜楓会員等、定めの席に着き、生徒一同は階上にありき。
△式の光景 先づ君が代を奏し、次に麻生学監は来学期の新設備につき簡単に述べ、財務委員渋沢男爵は建築に就きての報告あり、教務委員大隈伯爵は、本校が今日ある所以は全く校長及び賛助諸氏の熱誠なる扶翼の結果なる事を述べられたり。それより落成式の唱歌ありて後卒業証書授与に移る。
○中略
△落成諸館 今回落成したるは、左に掲ぐる四建物なり。
 - 第26巻 p.905 -ページ画像 
 一、豊明図書館(煉瓦造) 百六十八坪余
   (説明略ス)
 二、豊明館(同上) 百六十四坪余
   (説明略ス)
 三、小学校及び幼稚園(木造) 百五十五坪余
   (説明略ス)
 四、幼稚舎(木造) 五十五坪余
   (説明略ス)


家庭週報 第五七号 明治三九年四月二一日 ○財務委員渋沢男爵演説大意(DK260163k-0003)
第26巻 p.905 ページ画像

家庭週報  第五七号 明治三九年四月二一日
    ○財務委員渋沢男爵演説大意
 此の卒業式に当りまして、併せて書籍館、其の他の諸建築の落成式を挙ぐる事を得ますのは、此の上なき光栄に存じます。此の建築の成るに至りましたのは、一昨年から企てられた事で、特に是に御出席になつて居る森村君及び、御同志の方々の特志の御寄附から、かゝる立派なものが作られたのであります、本校の成立以来相当の年月日を経ましたけれども、未だ充分なる設備に至りませんので、発起一同心配して居りました折から、森村氏の豊明会と云ふ団体が、女子教育につき、今日の日本及び将来の日本につきて、力を添へやうとの御希望がありましたから、合せて発起一同も協力して、これを行ふことを得て基礎を固むるに至り、一方に御寄附により三つの建築が出来ました、即ち一は講堂、今日は兼用して居りますが、近々に図書館とする筈で隣の豊明館は教育部、其の隣が小学校・幼稚園であります。すべての建築物の金額が五万五千円と、三万円であります。これに由て校舎が全き設備を見るを得、稍面目を開き得るに至りました事は、諸君に向つて厚く御礼を申上ぐると共に、かゝる次第に相成つた次第を一言申して、清聴を煩らはしました次第でございます。


竜門雑誌 第二二三号・第五〇頁 明治三九年一二月 女子大学文芸会(DK260163k-0004)
第26巻 p.905 ページ画像

竜門雑誌  第二二三号・第五〇頁 明治三九年一二月
○女子大学文芸会 目白女子大学に於ては十一月二十六日午前九時より同大学構内に於て秋季文芸大会を開きたるが、当日は常宮・周宮・富美宮・泰宮各内親王殿下を始め奉り、閑院宮妃・東伏見宮妃・山階宮妃・北白川宮姫君御両方各殿下の御臨場あり、大隈伯・樺山伯・同夫人・大木伯・青淵先生・高平公使・同夫人・鍋島侯爵夫人・内田総領事夫人等、朝野の名士百数十名参会、頗る盛会なりしと云ふ