デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
3節 其他ノ教育
9款 埼玉学生誘掖会
■綱文

第27巻 p.124-128(DK270039k) ページ画像

明治38年1月15日(1905年)

是日栄一、当会ノ寄宿舎要義発表式ニ出席シ、一場ノ訓示ヲナス。


■資料

渋沢栄一書翰 諸井恒平宛 (明治三七年)一二月三〇日(DK270039k-0001)
第27巻 p.124-125 ページ画像

渋沢栄一書翰 諸井恒平宛 (明治三七年)一二月三〇日  (諸井恒平氏所蔵)
 - 第27巻 p.125 -ページ画像 
  先日之草稿も封入返却仕候也
拝啓、過日御相談申上候埼玉学生誘掖会寄宿寮之主義と可致条項ハ、別紙七ケ条ニて宜敷と存候ニ付、御一覧之上細川氏之修正を請ひ、御取極可被下候、又来月十五日之会合ハ更ニ書状ニて御通知相成候様、高田ニ御申付可被下候、時刻ハ午前と相心得申候、右一書申上度
                         匆々不一
  十二月三十日
                      渋沢栄一
    諸井恒平様
           梧下
(別紙・別筆)
    埼玉学生誘掖会寄宿寮要義
一教育勅諭ノ聖旨ヲ奉体シ、至誠以テ君国ニ報ユヘシ
一剛毅以テ志ヲ立テ、自重以テ事ニ処スヘシ
一自カラ責ムルコト厳ニシテ、人ニ対スルコト寛ナルヘシ
一親愛ノ情ヲ厚クシ、共同ノ精神ヲ発揮スヘシ
一勤倹ヲ尚トヒ、放縦ヲ誡ムヘシ
一規律ヲ重ムシ、礼節ヲ正フスヘシ
一体育ニ力メ、摂生ニ注意スヘシ
  以上


渋沢栄一 日記 明治三八年(DK270039k-0002)
第27巻 p.125 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
一月十五日 晴 風寒シ
○上略 午前十時埼玉学生誘掖会ニ抵リ、寄宿舎要義発表ノ式ヲ挙ク、要義ヲ講演シテ一場ノ訓示演説ヲ為ス、学生会スル者四十名計、畢テ午飧ヲ為シ庭中ニ於テ撮影シ、更ニ学生ノ催ニ係ル茶話会ニ列席ス ○下略


埼玉学生誘掖会十年史 同会編 第三二―三三頁 大正三年一〇月刊(DK270039k-0003)
第27巻 p.125-126 ページ画像

埼玉学生誘掖会十年史 同会編  第三二―三三頁 大正三年一〇月刊
 ○第一篇 埼玉学生誘掖会史
    第一期 会員組織時代
○上略
新築寄宿舎既に開設せられ、学生の在舎せるもの既に十有余名を算せり。此に於て本会は設立当初の趣旨に基き、寄宿生をして厳正なる行動・健全なる思想を保持せしむるの責任を感ぜり。凡そ舎生たるもの常に役員の指揮に遵ひ、秩序を保ち、同窓相扶け、居常活達なる自治の思想を涵養して其実績を挙げ、以て県下青年子弟の模範を示さんこと、是れ本会の嘱望して止まざる所なり。而して此目的を達成せんには、寄宿生の準拠すべき綱領なかる可からず。此に於てか在舎生相謀り討究審議の末、寄宿舎要義案七ケ条を協定せり。因て明治三十八年一月十五日要義発表式及入舎生宣誓式を行へり。此日渋沢会頭並に理事本多静六・諸井恒平・鈴木兵右衛門・斎藤安雄・宮内翁助の五氏出席して、先づ寄宿舎要義七ケ条を確定し、渋沢会頭は在舎生一同に対し、右要義の各条に就きて最も懇篤なる訓示を与へ、次て舎生総代東京帝国大学法科大学生田口庸三之れが答辞を陳べて式を了へたり。寄
 - 第27巻 p.126 -ページ画像 
宿舎要義並に田口総代の答辞左の如し。
      寄宿舎要義
一、教育勅諭ノ聖旨ヲ奉体シ、至誠以テ君国ニ報ユベシ
一、剛毅以テ志ヲ立テ、自重以テ事ニ処スベシ
一、自カラ責ムルコト厳ニシテ、人ニ対スルコト寛ナルベシ
一、親愛ノ情ヲ厚クシ、共同ノ精神ヲ発揮スベシ
一、勤倹ヲ尚ビ、放縦ヲ誡ムベシ
一、規律ヲ重ジ、礼節ヲ正ウスベシ
一、体育ニ力メ、摂生ニ注意スベシ
      舎生総代ノ答辞
維時明治三十八年一月十五日、埼玉学生誘掖会々頭男爵渋沢栄一氏ハ誘掖会ヲ代表シ、玆ニ吾等寮生ニ賜フニ寄宿舎要義七ケ条ヲ以テセラル。寮生タルモノ誰レカ先輩諸氏ガ吾等後進ノ徒ヲ思フノ深厚ナルニ対シテ感謝セザルモノアランヤ。寮生未ダ年少、加フルニ浅学菲才、今懇篤ナル訓示ニ対シテ其責任ヲ全フスル能ハザルヲ憂フ。然リト雖モ、幸ニ先輩諸氏ノ指導誘掖スル所ニ遵ヒ、熱心努力其主旨ヲ体シ、誓テ我埼玉学生誘掖会寄宿寮ノ声名ヲ発揚センコトヲ期ス。
  明治三十八年一月十五日
         埼玉学生誘掖会寄宿寮々生総代田口庸三謹言
○下略


埼玉学生誘掖会十年史 同会編 第一一九―一二三頁 大正三年一〇月刊(DK270039k-0004)
第27巻 p.126-128 ページ画像

埼玉学生誘掖会十年史 同会編  第一一九―一二三頁 大正三年一〇月刊
 ○第二篇 寄宿舎史
    一、寮史
○上略
明治三十八年一月十五日寄宿舎要義発表式及其宣誓式挙行さる。先づ本多博士開会の辞を述べたる後、会頭男爵渋沢栄一氏起つて要義七ケ条を朗読せり。謹直の態度、厳正の語調、其主旨の有るところを尽して余薀なし。左に其の大要を掲げん。
 今日此の寄宿舎要義発表式に臨み、本会を代表して要義を諸氏に示すに至りしは、余の光栄とするところなり。要義の趣旨たる一読瞭然たりと雖も、更に蛇足を附して諸子の注意を促さんとす。
 一、教育勅語の聖旨を奉体し、至誠以て君国に報ず可し
 抑も教育勅語たる、日本臣民の常に肝銘して忘る可からざるものなり。謹んで其の聖旨のあるところを惟るに始めに於て国家の根本たる可き教育の淵源を示し、更に人倫五常の有るところを説き、国民の義務を明にせられたるものにして、時の古今、国の東西を問はず堂々不磨の大律なり。諸子は日常善く此の旨を体して修学の羅針盤とす可きなり。而して至誠とは如何。こは元来支那人の作れるものなりと雖も、苟も文明国として世界列国に併列するものにして、此意義を有する語あらざるものなし。至誠とは正直なり。
 事少しく余事に亘る可きも、是を事実に徴して、其の極めて至要なる所以のものを説かん。彼の維新の改革は一瀉千里の勢を以て押し寄せ来り、為に社会の文物制度、悉く根本より破壊し了はれ新に其
 - 第27巻 p.127 -ページ画像 
の建設を見るに至れり。而して其の改新の顕著なるものを軍事及び商工業となす。即ち前者の永く或る階級の手に握られしものを、遂に億兆の義務となすものとし、後者も亦下級社会に限られしものを改めて国民平等に之を営み得らるゝものとせり。是れに付き当時余等は彼の節義と面目を重んじ「武士は食はねど高楊子」と、口にせし武士が専有せし従来の軍事を、歴史的素養を欠ける一般国民に分担せしめんとするは、事の不成功に終るなきやと恐れぬ。而かも是実に杞憂に過ぎざりき。彼の日清戦争・北清事件、又現下の日露の役に於て、帝国軍人が如何に君国の為大和魂を発揮しつゝあるかを認めたればなり、昔時憂ひし者、現時是を思ふに及び、汗顔の思なくんばあらず。是、帝国軍人が貴き至誠の精神を有せるに因るものとせざるべけんや。実に至誠の二字は旅順を陥れ、沙河に勝てるなり。
 更に商工業に於ては、維新前已に外国貿易は禁せざれ《(マヽ)》、時に之を許すも干渉甚だしく、活動の範囲頗る狭少なりき。然るに維新後の貿易は日進月歩の勢を以て増加し来り、日章旗はテームス河畔に翻り信州の生糸はニユーヨークに初荷として現はるゝに至れり。輸出入の合計、亦七億に垂んとす。然れども吾人は、物質的進歩の斯の如く顕著なるに拘はらず、精神的進歩の甚しく欠けたるを認めずんばあらず。即ち商売は一般に秘密・掛引を常用手段と為し、訴偽・瞞着を為して敢て怪しまず。斯くの如くんば世界的活動を為さんとするも、到底其功を奏する事能はざるや必せり。商工業家にして此弊を改めずんば、将来大なる悲観を来さん事を覚悟せざる可らず。
 これ、畢竟彼等に至誠の欠けたるに因るものとせずんばあらず。吾寄宿舎生たるもの将来実業家・学者・政治家たらんとするに当り、宜しく至誠以て君国に報ずる所ある可きなり。
 二、剛毅以て志を立て、自重以て事に処す可し。
  之を以て処世の要訣となす。
 三、自ら責むる事厳にして、人に対する事寛なるべし。
  人動もすれば自己の欠点を見ずして、他人の頭上の蠅を追ふに汲汲たり。斯の如きは決して人に忠なる所以に非ず、亦自己を進むる策の得たるものにあらず。共同生活を為すものゝ善く心得べき事なり。
 四、親愛の情を厚くし、共同の精神を発揮す可し。
  人は孤独にして社会に生存すること能はず。文明の進歩と人事の複雑は、益々人を駆つて共同団結の実を為さしめずんば止まず。同国に生れ、同県に人となり、同一寄宿舎内に起居する者、這般の消息を等閑に附すべからざるなり。
 五、勤倹を尚び、放縦を戒む可し。
  近時上下軽佻に走り、剛健の風地を払つて空し。此の風潮の青年社会に流るゝを見る。此の如き事国家の前途の為決して慶すべきに非ず。吾寄宿舎生たるもの、慨然起つて満天下学生界の革新に心懸けよ。
 六、規律を重んじ、礼節を正しふすべし。
 - 第27巻 p.128 -ページ画像 
  是人格修養上必須の事に属す。
 七、体育に力め、衛生に注意すべし。
  健全なる精神は健全なる身体に宿る。徳学一世の冠たりと雖も、気息奄々言ふ能はざるもの、之を以て真に国家に忠にして父母に孝なるものといふ可からざるなり。
 予は終りに臨み、更に予と本会との関係を述べんとす。
 本会は創設以来已に五閲年なり。初め諸井氏・本多氏等が熱心なる勧誘に遭ひしも、熟考多時未だ俄に承諾の意を表はさざりき。事を創むるは易く、終りを完うするは難きに因ればなり。世の事業を見るに、多くは中途にして失敗に帰し、寧ろ始めより為さざるに如かずと思はしむるものなきにあらず。否寧ろ甚だ多しとすべし。然るに其後佐野中将・竹井翁が再三勧誘せらるゝ所あり、而も其主旨なるものは、一に我埼玉県の前途に対して大に憂ふる所にありしを見る。埼玉県は維新前小藩分立したりし為め、現代に及んで尚同県人の団結に機会を与ふることなく、玆に四十年に垂んとして、本県人の世に活動するもの少数に過ぎず。誠に遺憾とすべきなり。庶幾くば本会によりて此弊を改むると共に、二千に近き在京本県学生を誘導して、後日有為の材幹ある人物を輩出せしめんと、二氏が懇々として説く熱誠は、断然余をして玆に微力を尽さしむるに至れり。而も当時国歩艱難の秋なりしにも拘らず、本会の全旨を賛し寄宿舎設立を速ならしめたる地方及在京の諸有志・知事・部長等の熱誠に対して感謝する所なくんばあらず。
 而して本日特に諸子の為、此要義を示せり。願くば永劫此の要義に則りて、修学の目的を達せられんことを。
渋沢会頭の演説終るや、舎生総代田口庸三氏起つて答辞を朗読す。終つて亦総代として宣誓名簿に自署し、会頭が附与せる要義七ケ条の主旨を体して決して背戻せざる事を誓ひ退席するや、舎生渡辺得男氏・大野栄三氏・藤村篤治氏等の侃々の議、諤々の論、或は自治の重且つ大なるを説き、或は寄宿舎風紀の革新を絶叫し、満場拍手喝采裡に退壇せり。実に寄宿舎開設以来の荘厳なる会合なりき。
式後午餐を供し、午後一時より月次茶話会を開く。渋沢男爵・佐野中将・斎藤安雄氏・本多博士・卜部喜太郎氏・中村林盛氏・諸井恒平氏福田大主計等臨まれ、其他舎外の諸氏、舎生を併せて無慮七十に近し ○下略



〔参考〕渋沢栄一 日記 明治三八年(DK270039k-0005)
第27巻 p.128 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
五月七日 雨 暖気
○上略 埼玉学生誘掖会寄宿舎要義ト、教育勅語トノ大幅各二面ツヽヲ揮毫ス ○下略
   ○右ノ二面ハ久シク寄宿舎ノホールニ掲ゲアリシモ、後寄宿舎ノ改築ニヨリホール滅失セルタメ現在ハ寄宿舎倉庫ニ収ム。