デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
3節 其他ノ教育
9款 埼玉学生誘掖会
■綱文

第27巻 p.140-144(DK270052k) ページ画像

明治41年5月9日(1908年)

是日栄一、当会ノ通常総会ニ出席シ一場ノ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四一年(DK270052k-0001)
第27巻 p.140 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年     (渋沢子爵家所蔵)
五月九日 曇 暖
○上略 午後二時埼玉学生誘掖会ニ抵リ、総会ヲ開キ諸報告ヲ為ス、畢テ一場ノ演説ヲ為ス ○中略 午後五時総会ヲ畢リテ日本橋倶楽部ニ抵リ、懇親会ニ出席ス、島田知事・中川書記官其他ノ県官来会ス、食卓又ハ食後ニ於テ種々ノ談話アリ ○下略


埼玉学生誘掖会十年史 同会編 第五三頁 大正三年一〇月刊(DK270052k-0002)
第27巻 p.140 ページ画像

埼玉学生誘掖会十年史 同会編  第五三頁 大正三年一〇月刊
 ○第一篇 埼玉学生誘掖会史
    第一期 会員組織時代
○上略 九日 ○明治四一年五月本会事務所に於て通常総会を開き、前年度の会務並に会計報告をなし、且つ会則中改正の件、即ち会員中に名誉会員を加ふること、並に総会開期を十月に変更の件を議決せり。次で評議員の改選を行ひしに、前評議員悉皆重任に決せり。総会の開期を十月に変更したる所以は、一は従来の四月は新学期開始の時期にして、舎生の出入頻繁を免れざると、一には従来の経験に徴するに、若し十月とすれば、恰も寄宿舎紀念日の時期なるを以て、舎生の父兄又は郷里の先輩が上京出席するに便なるを以てなり。総会終結後更に評議員会を開きて理事の改選を行ふ。前理事原鉄五郎・本多静六・大川平三郎・竹井澹如・田島竹之助・田沼太右衛門・高田早苗・高橋荘之丞・山中隣之助・福田又一・綾部利右衛門・斎藤安雄・宮内翁助・渋沢作太郎・諸井恒平の諸氏再選重任し発知庄平・野本伝七の二氏新選就任せり。尚必要あるときは定員に達する迄其選定を会頭に一任するの決議をなせり。 ○下略


埼玉学生誘掖会々報 明治四一年七月 会頭男爵渋沢栄一君演説(DK270052k-0003)
第27巻 p.140-144 ページ画像

埼玉学生誘掖会々報  明治四一年七月
    会頭男爵渋沢栄一君演説
臨場の諸君、学生諸子、本会の総会に当りまして、添田博士の尊臨を願ふて有益な御話を伺ひましたのは、一同と共に誠に有難い仕合と感謝を致します、此寄宿舎設備も追々に整頓して参りまして、誘掖会の総会一回を重ぬる毎に寄宿生徒も殖えて参りまするし、其手続も進んで参つて、追々に吾々最初の目的が一歩一歩に達し得られるかと思ふて、御臨場下すつた諸君と共に甚だ喜ばしいことに考へます、唯今博士は地方観念が余り強過ぎると、何だか他へ対して、昔の藩々の相鬩ぐやうな考を生しるが、今日は夫れではならぬと云ふ、御戒めの御言葉があつたやうでございます、如何にも此聖世には、余り地方観念を強くすると、他へ比較して己の地方は斯くの如くあると云つて、それを自慢らしゆう考へるやうな嫌ひがありますから、吾々左様な誤解をどうか致したくないと思ふのであります、去りながら、一家が始まり
 - 第27巻 p.141 -ページ画像 
で一国に進んで行く順序としては、一村もなければならず、一郡もなければならず、追々に進んで一国或は一宇内とも云ふべき訳になりますれば、どうしても先づ近くより始つて遠くに行くと云ふことは之は理の常である、而して我埼玉は、土地の有様が維新の以前は犬牙錯綜として、小さい藩々の相集りであつて、主義も一つでなかつた、風習も異つて居つたと云ふやうなことからして、一般の気風が頗る一致を欠いて居つた、又東京近くであるから、学生が大勢東京へ出るに便利なれば帰へるにも便利で、悪るくすると生徒中には、往々横道に踏込んだと云ふやうなことも聞えました、学生の方針が一致せぬのみならず、左様な蹉躓の虞れもありました故に、是等の学生にどうか宜しきを得させたいと云ふのが、此寄宿舎を取設くるの一つの要素であつたのでございまして、続いて唯だ単に寄宿舎の設備許りを以て満足とせず、相集つた学生、又其学生の世話をする私共も、共に一つの大主義を持つたが宜からふと云ふのが、即ち玆に掲げられた要義と云ふものに現れて今日に及んだのでありますから、乃ち之が前に申す順序を踏んで国家の進歩を為す階段たるに過ぎぬだけで、添田君の御懸念なさるやうなことは、万々なからうと思ふのであります、前にも述べましたる通り、数年を経て漸く玆にまで進んで参りましたが、決して之を以て満足とは申されませぬ、でもう少し此寄宿舎をして鞏固な有様にして行かねばならぬ、是等に就ては会員諸君にも余程御注意を請ひ上げたいのであります、添田君の御演説は終りに国家の財政論に説き及ぼされましたが、此寄宿舎の財政も今日の処は鞏固である、健全なりと云ふことが出来ぬのであります、故に吾々理事とか会頭とか云ふ位地に居るものは、会員諸君に猶一層の御力入れを願ふて、此寄宿舎をして、財政に於ても鞏固健全なる位地に達せしめたいと希望致して居りますのでございます。
偖私が玆に学生諸子の為に一言申して見たいと思ふことは、新聞などにも度々記載してありますから似たやうな話ではあるが、総じて人間たるに必要なものは常識である、仮令学問が充分あつても常識のない人はどうもそれ程に効能を為さぬ、英語でいふコンモンセンス、私は英語は解しませぬけれども。此常識の修養と云ふことに付て、簡単に申上げて置かうかと思ふのであります、蓋し此常識と云ふことは孰れの位地にも必要なもの、孰れの場合にも欠けてならぬものである、常識の権衡を得ぬ人は、或る場合には大変な非凡な人即ち大豪傑ともなり得ることがあるけれども、所謂片輪の人である、若し其人が或る時勢に適合すれば非凡な功徳がないでもなからうけれど、そふいふ人は多くは一国にも一郷にも一家にも厄介者になると云ふ虞れがないと申されませぬ、但し此常識と云ふものは何と解釈して宜いか、之を細かに言ふなれば、人には此智恵と云ふものと情愛と云ふものと意志と云ふものゝ三つが必要なものである、此三つで人間の活動も出来し、事物に接しての効能も現はして行けるものと云ふて宜いと思ふ、智恵と云ふものが充分に働かなければ、決して物を識別することは出来ない物の善悪の識別の出来ぬ人は、仮令学問があつても善い事を善いと認めてそれに就いて行くことが出来ない、故に此智と云ふものは甚だ肝
 - 第27巻 p.142 -ページ画像 
要である、孔孟の学を深く奉じて、自ら大儒と称した宋朝の程朱抔といふ学者は、此智恵と云ふものを酷く嫌つた、智と云ふものには或る場合には、術数などと云ふものが伴ふて来て詐偽となる、故に功利を主とすれば智恵の働きが多くなりて、仁義道徳に欠けると云ふことからしてこれを嫌うた、為めに却て学問が死物になつてしまつて、唯だ一身を修めて悪るい事さへしなければ宜いと云ふことになつてしまつた、蓋し一心に悪るい事をせぬ丈けの人は世に処して何の効能もないので、素より悪るいことがあつてはいかぬけれども、善い事を多くせねば何にもならぬのであるが、智恵の働きを無闇に防ぐと、善い事をすると云ふ智恵は生ぜず、唯だ悪事をせぬと云ふだけを守る、詰り人間が極く消極に止まると云ふことになつて来る、宋朝学者は虚霊不昧とか寂然不動とか云ふやうな説を以て、仁義を説き忠孝を論じ、智識と云ふものは詐術に奔る者だと云ふので防いだから、孔孟の道を大変に狭くしたやうに私は思ふのである、蓋し智恵と云ふものは頗る尊いものである、併し此智恵と云ふものはそれ許りで活動して行くかと言へば、情愛と云ふものがなければ、決して其智恵が工合能く人に接遇せられぬものである、試みに極く薄情の智恵の勝れた人に接して御覧なさい、溜つたものではない、必ず人を突倒して取つても構はないといふ有様である、既に智恵があるから斯う云ふことは斯くなると事物の終局は知るけれども、人情がなかつたならば人を倒しても利益を図かるやうになる、俗にいふ人の難儀は三年も耐えると云ふやうな人になる、是故に人間には人情がなければ完全なる発達は矢張為せぬのであります、去れば此人情許りが独立して行くかと言へば、どうも人情と云ふのは悪るくすると動き易いものである、最も感動の早いものである、喜怒哀楽愛悪慾の七情によりて生ずる事柄は、どうも変化の強いものである、感情と云ふものは最も動き易いものである、そこで此意志が鞏固でなければならぬと云ふことが肝要である、意志と云ふものが鞏固でなくちやならぬが、意志許り固い人であると云ふと、或は頑固物とか強情な人だとかいふと、自信ばかり強くて己の間違つたことでもなかなかに他人の言ふことを聞かないよふになる、是も或る点からは尊ぶべきこともあるけれども、それでは満足なる人とはいはれぬ、故に曰く此智情意の三つが共に権衡を得て、其権衡を得たものが大きく発達して行つて、初めて之が完全なる常識と相成る、意志許り強い方の人で、智恵と情愛が之に伴はぬ人も片輪である、それと同様に智恵許り進んで情愛が乏しい人も矢張均しく片輪である、或は人情には厚いけれども物の識別は附かぬ、又一旦考へても速かに動く、之は情許りの人であるからして、矢張真正なる常識とは言へないのであるからして、何うしても此智情意の三つが相当なる権衡を得て、小は小なりに大は大なりに発達して行くと云ふので、即ち常識の完備と思ふ、常識の小さいのもあり常識の大きいもあり、曾て井上博士が孔子の人格に就ての演説に於て、孔子の人と為りを段々解釈して、詰り孔子は常識の如何にも完全に発達した人である、即ち前に私が述べた智と情と意が程よく進んで行かれたといふことを細かに説明されましたが、私は甚だ我心を得た説と思ふていつまでも能く記憶して居ります
 - 第27巻 p.143 -ページ画像 
玆に御集りの諸君が皆孔子程に常識の発達を望むと云ふ訳には行かぬ残らず孔子様になつたらば孔子様が安くなつてしまう、其やうに孔子様が出ては大変でありますが、併しなつたからと云つて孔子様の方から尻も何にも来ないのであるから、御遠慮なさるにも及ばぬが、詰り常識と云ふことは前申す通り、何うしても之を識別する智恵がなければならぬ、又人に接遇するのに敦厚なる情愛がなくちや行かぬ、極く機慧なる智恵に、敦厚なる情感、鞏固なる意志と、此三つのものが充分に揃ふて、それが充分に大きければ充分の人、仮令少ふても善人たるを失はぬと斯う思ふて宜しいと思ひますから、是から先学ぶ学問に就いて、今の智情意の成るたけ跛にならぬやうに御心懸けなさるが必要と私は考へます、昔の英雄などには兎角三者の権衡の揃はぬ人がある、或は意志が鞏固で或は知識が甚だ勝れて居る、其割には人情が薄いと云ふことは往々歴史で見るのであります、之は決して仁人とは言へぬ、但し一面に大変に発達して居るからして豪らい人には相違ないが、豪らい人と全い人とは大分違う、私は豪らい人も望むけれども、併し多数に対する希望は完い人が宜いと思ふので、即ち智情意の三拍子揃ふことを深く希望致すのであります、故に学生諸子に深く此事を望みますで、望にもう一つ鄭寧に御注意を請ひたいのは、前には孔子の例を以て諸君を比較したけれども、今は反対に悪るい例を以て諸君を比較する、私は従来養育院の世話をして居る、養育院に感化部と云ふものがある、此感化部に這入つて居る子供が、場合に依ては八十人九十人、今七十二人居ります、之は多く親もなければ、兄弟もあるかないか知らぬが、殆んと浮浪少年と云ふのである、此悪少年にはカツパライ・ボタハシキ抔といふ色々の名がありますが、それから終いには立ん坊と云ふものになる、下等社会の名称であるから何う書いて宜いか知らぬ位の変な名があるが、其浮浪少年の境遇は多くは鉄砲笊を提げて屑拾ひなどをして居る、さう云ふ少年を収容して段々真人間に引直すやうにして居りますが、此多数の人の通有性がある、其通有性は何であるかと云ふと、種々なる悪るい点があるが、其中に最も烈しいのは、自分さへ宜ければ人は何うでも構はぬと云ふことを始終考へて居る、己の都合だけを主として居る、己の都合だけを主として居るから、此連中の都合が大変宜くなりさうなものだが、皆己の為めに不都合を働いて居る、是に於て孔子の教への尊いことが分かる、浮浪少年の通有性を以て孔子の教に引較べて其尊いことが分かると云ふのは頗る奇異なる申分であるけれども、大変に飛放れた不権衡が大に権衡を得て居ると私は思ふのであります、今浮浪少年の通有性は、己さへ宜くば人は何うでも構はぬと云ふのである、反対に孔子の教は何うであるかと云ふと、我道は一以て之を貫くと言つた、其我道は一以て之を貫くと云ふは、何であるかと云ふと、曾子は之を解釈して、夫子の道は忠恕のみと云つた、忠は即ち人に対し君に対して忠実にするのです、恕は思ひ遣りの厚いことで、人の為め許り考へて居るのである、恰度浮浪少年の持つた通有性と正反対である、孔子の道が西であれば浮浪少年の通有性は東である、詰めて行つたならば一緒になるか知らぬ、極端と極端で孔子の道は忠恕のみ、浮浪少年の道は不忠恕のみ、
 - 第27巻 p.144 -ページ画像 
我為め許りを考へると云ふことが即ち我不為めになる、それが不幸に陥る原因とすれば、孔子の忠恕と云ふことを始終教へて居つたのが、誠に道徳の根本であると云ふことが明かに証拠立てられると思ふと、二千五百年以前に、能くそこまで人情の奥底にまで立入りて、鄭寧に言つて置いて呉れたかと私は甚だ喜びに堪えぬのであります、故に諸君は常識を円熟に発達させると同時に、此忠恕と云ふことは始終御心懸けあれかしと希望して止まぬのであります、只今添田君の、一旦緩急あれば義勇公に奉じと云ふ勅語を述べられて、唯だ独りそれが干戈を取り銃砲を持つて敵陣に向う許りと思ふては間違つて居る、総て国の為め人の為めに、義を見て進み道理には己を捨てると云ふ考を持つが、即ち此勅語の御趣意であると言ふことを説明されました、私も同意である、左すれば恰度今の忠恕と云ふものが一歩強く進んで行つたならば、矢張りそれと同じことになるからして、蓋し孔子の言ふことも、亦た教育勅語の御旨意と矢張違ひないと申しても宜からふと考へますのであります、それで此本会の段々進んで参ることを喜ぶと同時に、玆に御学びなさる学生、又寄宿舎に御出でなさる学生諸君には、成るべく立派な人になつて下さるが、即ち吾々微力ながら御世話することが、諸君の身体に依て現はれて来るのである、此現はれて来る諸君には私が今希望する通り、どうぞ常識の充分発達した御方、忠恕の道に違はぬ御人となることを希望致しますから、斯る機会に平生の希望を述べて、諸君の記憶に備へたいと思ふのであります(大喝采)