デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
3節 其他ノ教育
16款 其他 4. 慶応義塾
■綱文

第27巻 p.178-186(DK270074k) ページ画像

明治30年(1897年)

是年栄一、当塾ノ基本金募集ノ趣旨ニ賛同シテ金三千円ヲ寄附ス。


■資料

青淵先生六十年史 竜門社編 第二巻・第六二六―六二七頁 明治三三年二月刊(DK270074k-0001)
第27巻 p.178 ページ画像

青淵先生六十年史 竜門社編  第二巻・第六二六―六二七頁 明治三三年二月刊
 ○第五十八章 公益及公共事業
    第十二節 慶応義塾
慶応義塾ハ安政五年福沢諭吉ノ創立スル所ニシテ、爾来四十余年入校生徒一万余人ノ多キニ及フ、本邦ノ文明進歩ニ功益アル実ニ大ナリト云フヘシ
明治三十年塾社事業拡張ノ為メ寄附金ヲ募集ス、青淵先生社員ノ請ニ依リ直チニ三千円ヲ寄附ス、人アリ其故ヲ問フ、先生曰ク、予ハ福沢氏父子ト相知ルト雖モ、子弟ノ義塾ニ托スルモノアルニアラス、従来義塾ニ対スル関係ハ甚タ薄シ、故ニ縁故ニヨリ寄附スルニハアラス、予ハ福沢氏ノ事業ノ成功ヲ喜ヒ、聊カ社会ニ代リテ氏ニ報セント欲スルノミ、嗚呼先生ノ志篤シト云フヘシ


慶応義塾学報 第一号・第七〇頁 明治三一年三月刊 【○上略 金参千円…】(DK270074k-0002)
第27巻 p.178 ページ画像

慶応義塾学報  第一号・第七〇頁 明治三一年三月刊
○上略
金参千円            東京  渋沢栄一君
○下略
   ○寄附者氏名ヲ列挙セル中ニ右ノ如ク記ス。尚、当時右ヲ以テ寄附ノ受取ニ代エタリト。
 - 第27巻 p.179 -ページ画像 



〔参考〕福沢諭吉伝 石河幹明著 第三巻・第五八六―六〇二頁 昭和七年四月刊(DK270074k-0003)
第27巻 p.179-186 ページ画像

福沢諭吉伝 石河幹明著  第三巻・第五八六―六〇二頁 昭和七年四月刊
 ○第三十七編 義塾の改良拡張
    第四 塾制学務の改革
 斯る中にも日清戦争後日本社会の有様は大に面目を改め、万般の人事多忙多端となり、有用の人材を養成し実学を普及せしむるの必要ますます大ならんとするに就ては、義塾の教育設備も此趨勢に応じて改良拡張を図らねばならぬ、否な此趨勢に先だつて従来保持し来れる塾の特色をますます発揮せねばならぬ、それには更に学制塾務を改革して一層学科を高尚にし、時勢に適応するの方針を以て進むことに決し評議員中から委員を選任し、当事者と協力して学制塾務の改革を審議し、其結果成案を得たので、三十年九月十八日、塾内の演説館に教職員及び学生を集めて発表した其要旨は、左の通りである。
      慶応義塾の学事改良
 慶応義塾は幼稚舎・普通部及び大学部の三部より成るものにして、大学卒業を以て終局とするものなれども、是迄は三者おのおの独立の姿を為して、其間の聯絡十分ならざりしが為め、経済上に於ても又学事上に於ても遺憾の点少なからざりき。其次第は普通部を卒業すれば即ち慶応義塾卒業の名を得るが故に、大抵の人は此に満足して更らに大学に入らんことを欲せず、大学部は恰も帝国大学の大学院と同視せらるゝの観なきに非ず、特に普通部の卒業生は無試験にて大学部に入るの制なれども、普通部の生徒は毎年四月・七月・十二月の三回に卒業するに拘はらず、大学部は十二月一回の卒業なれば、普通部卒業生が大学に入るには自から不便なきを得ず。近来世間の学事も追々進歩し来りたれば、最早普通部の卒業のみを以て満足す可らず、進で大学に入るの必要は云ふまでもなし。是に於てか今後は義塾の主力を大学部に注ぎ、単に普通部の卒業を以て慶応義塾の卒業とせず、大学の科程を卒て始めて義塾卒業の名を与へんのみ。随て其学期を改め大学部・普通部とも毎年五月より翌年四月に至る一箇年を以て一学年と為す可し。斯の如くすれば一方に於ては大学部の学生を増し、他の一方に於ては普通部学級の数を減じて、経済上並に学事上得る所少なからざる可し。
 次に幼稚舎の事を云はんに、同舎は元と幼年者を教育する一種の小学校なれども、小学科の外に本科と称して本塾普通科五等より二等に至る学科と同様なるものありて、彼此相重複し、学制上に於ても経済上に於ても妙ならざるが故に、普通科五等以上の学力ある者は都て本塾に合併し、幼稚舎を以て純然たる義塾附属の小学校と為すと共に、寄宿舎を新築して生徒の起居眠食を便にし、其監督を厳にして健全なる気風を養ひ、教育は英語を主として、普通部より更らに大学に入るの地を作る筈なり。世間小学の数少なからずして、至る所、就学の便ありと雖も、市中の小学は玉石混淆して其生徒中には風儀の宜しからざる者も少なからず、而して華族学校は余りに貴族風にして平民の子弟を教育するに妙ならず、是れ心ある父母の苦心する所にして、幼稚舎の必要は此に存するなり。特に幼童を集め
 - 第27巻 p.180 -ページ画像 
て衣服飲食より盥嗽入浴の末事に至るまで、懇切に世話して恰も家に居ると同様の感を為さしむるは幼稚舎の特色にして、常に入学生の少なからざるも偶然に非ざるなり。
 其外尚ほ改良の点を云へば、普通部に於ては外国教師を増して益々英語を奨励し、大学部に於ては法学・文学・理財学の外に、更らに政治学科を置て有為の政治家を養成する筈なり。斯くて慶応義塾を卒業するに幾年を要するやと云ふに、幼稚舎は六年にして卒業し、普通科は五年を以て終り、大学に入て更らに五ケ年の修業を積み、始めて全科卒業の学士と為るものなり。即ち満六歳にして幼稚舎に入り、二十二歳にして、塾窓を出づる勘定にして、其卒業生は学問に於て敢て他の学生に譲らざるのみか、十六年の苦学中には一種の気風を感受す可し。即ち慶応義塾風にして、其塾風の人に有用なるや否やは兎も角も、之を解剖すれば則ち独立自由にして而も実際的精神より成るを発見す可し。是れ義塾の特色にして、他に異なる所は主として玆に存するものなり。
 又義塾は貧乏なりと云ふと雖も、尚ほ少なからざる財産あり。市内第一等の地所一万四千坪は其重なるものにして、此外に尚ほ五万余円の資本あり。今回前記の如く其学制を改正したるに付ては、将来維持の困難も大に減ず可しと雖も、只現状を維持するのみを以て満足す可らず、今後ますます其設備を完全にし、寄宿舎をも改築せざる可からず、講堂をも増築せざる可からず、又有力なる教師を増し図書を購ひ、学科の如きも必要に応じて、次第に増設せざる可からず。是れ基本金募集の挙ある所以にして、幸に有志者の賛成に依て相応の資金を得ば、其利子を以て着々改良を行ひ、以て日本国中最も面白き歴史ある此義塾を百年の後に伝へんと欲するものなり。
而して同日先生が、学事改良に就て述べられた演説は、左の如くである。
      学事の改革の趣旨
 諸君の暑中休暇帰省の留主に、本塾は学制並に事務の改革整理を思立ち、当学期より直に着手して、事情の許す限り直に実行する筈なり。細目の詳なるは唯今波多野承五郎君の陳べたる通りにして、学事の大体を申せば、慶応義塾の大学部を教育最高の点として、従前の普通部並びに高等科と大学部との聯絡を尚ほ一層密着せしめ、義塾最終の卒業は大学に在りとの事実を明にすることゝ、幼稚舎の教育を文字の如き真実の幼稚生のみに限り、其以上の生徒は悉皆本塾の普通部に引受くることゝ、此二箇条なり。斯くの如くすれば、是れまで高等科を終りて塾の卒業と思ひしものが、尚ほ大学に入らざれば真実の卒業に非ず、左りとは前途遥にして待長しなど云ふ者もあらんかなれども、文明の進歩は単に有形の事のみに非ず、無形なる人の精神・智力も亦共に上進するの約束にして、例へば近年器械の用法大に発達して、昔年曾て日本人の困却して殆んど絶望したる事業も、今日は尋常一様職工の手に任して容易に功を奏するの事実は人の知る所なり。而して其事の容易なるは何ぞや、器械家の熟練即其精神・智力の上進なりと認めざるを得ず。器械の事にして既に
 - 第27巻 p.181 -ページ画像 
斯くの如くなれば、教育の事も亦斯く如くならざるを得ず。百余年来洋学の先人が千辛万苦したるは今更ら云ふまでもなく、近くは老生等が少壮の時代に苦しみたる読書推理の法は、今日の洋学社会より見れば誠に易中の易にして、当時吾々が三日三夜眠食を忘れ身体の痩せる程に考えて、尚ほ要領を得ざりし難問題も、今の学生は教場五分間の労を以て之を解すること易し。他なし、洋学全般の進歩にして、学者の精神智力旧に倍して面目を改めたるものなり。故に今日諸君が本塾の大学に志し、其全科を学び終らんとするは、左までの苦労に非ざるのみか、今の文明世界に居て是式の学問は、むかしの漢学時代に少年子弟が四書五経を素読し、漸く成長して左国史漢を講じ、漸く記事論文など起草して、先づ以て漢学者の仲間に入る位のものにして、学者畢生の大事業にも非ざる可し。是即ち老生が大学部に重きを置く所以にして、願くは諸君が自尊自重、自分は日本国中にて如何なる身分の者か、他年一日社会の表面に頭角を現はして如何なる事に当る可きものか、如何にして一身一家の独立を成し従て間接に一国の独立名誉を助成す可きや云々と、是れを思ひ彼れを懐ふて、果して教育上に智識を研くの大切なるを悟り、身体の強弱、家庭家道の難易等を思案して、事情の許す限り、多少の辛苦を犯しても人生再びす可らざる青年の春を空うする勿らんこと、老生の冀望は唯この一事のみ。
 又英語英文を奨励するは本塾本来の本色にして、曾て其主義を変じたることなし。或は世論を聞くに、文明の教育に外国の語を要せず其学理を彼れに採りて、之を講ずるには、日本語を以てす可しと云ふ者あり。自から一説として見る可し。吾々は必ずしも之に対して得失を争はんと欲する者に非ざれども、是れは教育論者の所見に一任して、我慶応義塾は唯本来の方針に向つて進む可きのみ。西洋の学術を教授するに、翻訳書を以てし口授を以てすると、直に原書を以てし原語を以てすると、其間に相違なき筈なれども、本塾多年の経験に拠れば、原書を見ずして日本の文字言語のみに依頼するものは、何分にも真実の意味を伝ふるに難くして、隔靴の歎を免かれず俗言以て此事情を評すれば、日本文・日本語の文明教育は身にならぬと云ふも可なり。即ち義塾の教育は専ら英書英語にする所以にして、是れは今日の必要のみに非ず、尚ほ一歩を進めて世界大勢の赴く所を視察すれば、数百年来世界中の運輸・交通・貿易・商売の権柄は英語に帰したりと云はざるを得ず。或は英語の外なる仏人.独人等の諸方に往来する者少なからずと雖も、東洋・南洋・南亜米利加の諸国に至りても苟も其国人に交り其人と通信・貿易せんとするには、止むを得ず自国の言語文書を棄てゝ英語に依頼せざるを得ざるの事実は人の知る所なり。左れば我日本国は亜細亜の東辺に国し内は内地を開放して外人を入れ、外は航海を奨励して国民の外出を自由にし、所謂四海兄弟・五族比隣の活劇を演ずる此時に際して、我国人全般の覚悟は如何す可きや。人に交はらんとして最第一の必要は言語文書にして、其言語文書を日本にすると英にするとは、自から人の思案する所にして、全世界に普く日本語を用ひしむるは固
 - 第27巻 p.182 -ページ画像 
より望ましきことなれども、是れぞ願ふ可くして行はれざるの所望たる可きのみ。詰る所は我れより進で彼に近づき彼を学び英語を利用して実際の実用を弁ずるの外なし。啻に日常の用弁に備ふるのみならず、博識博言、固有専門の学科を修むる者の外は、一切の教育を英語にして、初歩入門より最高等に至るまで英語を以て終始するこそ、東洋国たる我日本国人の利益なれと信じて、吾々の躊躇せざる所なり。試に往昔漢学の日本国に侵入したる由来を尋ねるに、当時の日本と唐土と相対すれば、国の大小・文物の前後、固より同年に語る可らず、是に於てか我有志者は唐土に入り、又彼の文人・僧侶等を迎へて専ら漢学の輸入を奨励したりしに、其効空しからずして千年以来今日に至るまで、漢学は殆ど我文壇を専らにして独り全盛を極め、凡そ学者と云へば単に漢学者のみに限り、無学文盲とは漢文字を知らざる者の異名同義にして、日本国中学問なし、唯漢学あるのみとまでに至りしこそ自然の勢なれ。畢竟するに日唐相隣りして、彼の文物、彼の勢力に圧倒せられ、却て我れより進んで他に同化したるものに外ならず。今日に於ても日本は支那と同文の国なりと云ふ。事実に於て争ふ可らざる所のものなり。然るに四十年来日本国は交を世界の文明国に開き、相互に交通の利器を利用して、往来の便利頻繁なるは、昔年の日唐相隣りしたるの事情に比して固より比較の限りに非ず。吉備大臣の入唐に何年を費し、安倍仲麿は遂に帰来の便を得ざりしなど云ふが如き古き物語に反して、今の書生は一年に両三度も欧米に往復する者あり。往復の頻繁自在なること既に斯くの如くなれば、其国就中英国人、即ちアングロサクソン一流の言語文書も亦共に大に流行して、其文明学は我文壇を圧倒し日本国中学問なし、唯英学あるのみと云ふが如き全盛の境遇に達す可きは、吾々の断じて保証して疑はざる所のものなり。故に今日諸君が英語国人に対するは、むかしむかし吉備大臣・安倍仲麿輩が唐土に出入したるが如き辛苦あるに非ず、加ふるに支那の古学流が我開国と共に終を告げて永久無用の長物に属したるは、大勢の命ずる所にして今更ら疑もなき次第なれば、唯勉む可きは英語英文の実学にして我れより進んで彼れに同化するの外なし。全国到る処諸君の如き英学者にして始めて学者の名を博す可きのみ。
 世界の大勢に於て英語英文学の大切なるは凡そ右の如しとして、又学生一身の私に就ても自から利益の大なるものあり。学生の初めて就学するやおのおの志す所の目的あらざるはなし。初年は云々して次年は何を学び、五年・七年卒業の後は、果して何事に当りて平生の技倆を示さんなど、胸中の想像画き得て大なるは、敢て他人に向つて明言せざるも、丸出しに云へば千百の学生殆んど符節を合するが如し。然るに人事無常の世の中に居て朝に夕を計る可らず、況んや五年・十年の長きをや。或は父母の病あり、或は家道の浮沈あり千種万様無限の事情に妨げられて、残念ながら中途に廃学するものこそ多数なれ。扨この時に至りて仮令ひ学校の全科を卒らざるも、其中途まで学び得たる所のものを以て立身の資に供するは、学生の為め不幸中の幸にして、所謂身を助くるの芸にこそあれば、就学の
 - 第27巻 p.183 -ページ画像 
当初より其芸の種類如何を窃に胸算の中に加へて万一に備ふるは、自から至当の覚悟なる可し、然るに今我国の形勢は、政事に、軍事に、商工業に、英語の必要を感ずること日にますます急にして、仮令ひ多少の新教育を経て新思想ある者にても、英語を語り英文を解する者に非ざれば、物の用に適せずとて之を顧みる者なし。例へば商工諸会社等にて壮年書生を採用せんとするにも、其人物技倆如何を吟味する第一問は英語にして、苟も英語を語り英文を綴ると云へば他を聞かずして先づ之を試みるの風なり。左れば前記の如く、学生の不幸修業中途にして廃学することあるも、其間に英語・英文を勉強して多少の所得あれば、立身の道甚だ易くして、芸が身を助くる其芸の中にて英語は屈強最第一の方便なりと云ふも可なり。是即ち老生が多年一日の如く本塾に英語を奨励する所以にして、諸君も老生の言を信じて、決して欺かるゝことなかる可し。
 次ぎに塾務の整理法を語らんに、内外塾・下宿書生の視察監督・塾舎の建築修繕掃除・賄方の取締・食物の注意・空気飲料水の流通・清潔法等、経済に衛生に心を用ふること肝要にして、都て是等の事務は塾監局役員の任ずる所にして、朝夕油断せざるは勿論、元来無人なる私塾にては、教員とて単に教場の教授のみ担当して足る可きに非ず、教頭を始め衆教員共に塾中全般の秩序に注意して、塾監局役員の及ばざる所を助け、塾の内外苟も不行届の跡あれば、些細の事にても決して見遁す可らず。老生も漸く老却して迚もむかしの気力なしとは申しながら、今日に至るまで無病なるこそ幸なれ、時としては塾中を見廻はり、直に学生に接して勧む可きを勧め、止む可きを止むることもある可し。之を要するに塾の長者たる役員・教員等の根気のあらん限り勉む可しと雖も、更らに一歩を進め、塾風全体の振ふと振はざるとに関しては、更らに大切なる要件こそあれば之を忘る可らず。右の如く役員・教員等が何様に苦心勉強しても、塾中の学生に自から身を重んじて、自から治むるの独立心なくしては、他人の苦心勉強も遂に無益に帰す可きのみ。卑屈なる少年輩が漫に他人に依頼して自から其身を知らず、人に咎められて挙動を改め、塾の知らぬ処に窃に卑劣を犯すが如きは、所謂奉公人根性にして共に語るに足らず。我義塾中に斯る卑劣男児は一人もなき筈なれども、新来生などの中には従来の勝手を知らずして方向を誤る者もあらんなれば、同窓先進の輩は勉めて之を導き、学生の自治以て塾風の美を成して世間に愧づる勿らんこと冀望に堪へず。啻に在塾中のみならず、独立自治の気品は人間居家処生の要として終身忘る可らざる所のものなり。
 以上陳べたる如く、学制を改革し塾務を整理して、本塾の進歩拡張を謀らんとするに必要なるは其資金なり。従前既に遠近の有志者より寄附せられたる金額合して十何万円ありしかども、迚も其利子を以て足る可きに非ず、年々元金を消費して今は残額僅に三万余円に過ぎず、況して今回塾務・学務を拡張せんとして既に着手したることなれば、三万の金は一年を出でずして跡なきに至る可しとして、過般以来旧学生中の先輩諸氏が協議して、更らに大に学資金募集の
 - 第27巻 p.184 -ページ画像 
事を謀り、今正に其用意最中なれば、或は諸氏の尽力空しからずして効を奏することもある可し。元来学塾の資金募集とは、神社・仏閣の寄附同様にして、尋常普通の経済法を以て律す可らず、経済一偏の主義より云へば、教育も亦売買の事にして、教育者が家を建築し書籍・器械等を用意して教ふれば、其人は教育相当の代価を払ふて差引勘定相済む筈なれども、今の世界中に於て少しく高尚なる学校教育は、生徒より納むる授業金を以て校費を償ふに足らず。是に於てか世間の富んで志ある人々が多少の金を寄附して其不足を補ひ以て事の永続を謀るの風なり。此点より観れば、生徒は教育の代価として銘々より納む可き金を他人に代納せしめて、恰も割合に安き品物を買取るに異ならず。普通の経済上に不思議なる事相なれども時に熱界に熱を解脱して銭の数を離れ、少しく気品を高くして思案すれば、自から其由来を知るに難からず。凡そ世の中に事業多しと雖も人生天賦の智徳をして其達す可き処に達せしむるの道を講ずるより高尚なるはなし、春の野の草木を見ても、無難に花の開かんことを祈る、況んや人間の子に於てをや。子女の漸く成長して其智力の漸く発生せんとする者が、至当の教育を受けて社会一人前の男女となるは、草木の花を開き実を結ぶに等し、誰れか之を観て悦ばざる者あらんや、誰れか之を助けて其無難を祈らざる者あらんや。即ち人間自然の誠心、自発の至情にして、世間亦自から有情の人あるも偶然に非ざるなり、西洋の文明諸国に於て、社会の上流に衣食既に足りて資産尚ほ豊なる人々が、余財を散じて少年教育の事を助成するは殆んど常例なるが如し。世界到る処に鬼なしとは是等の徳心を評したることなる可し。而して其助成の方法は大小緩急固より一様ならず、大富豪家は一時に幾百万円を投じて、独力以て大学校を創立し維持する者あり、或は金を愛しむに非ざれども身躬から学事を視るの暇もなく経験もなき人は、既成学校の意に適するものを択び恰も之に資金を託して窃に満足する者あり、其他無数の小資本家にても、おのおの分に応じて多少の財物を寄附するは一般の慣行にして其趣は我国仏法繁昌の時代に寺を建立し寺を維持するの法に異ならず。是即ち彼の国々に私立学校の盛なる所以にして吾々の夙に欣慕に堪へざる所なり。今回我義塾にて学資を募集するも、其事に当る委員諸氏は必ず欧米諸国の先例に照らして事の必要を説くことならん。又今日我日本の国情を視察し民智進歩の程度を推量しても諸氏の労空しからずして、必ず効を奏することならんと信ずれども爰に特に満堂の学生諸君に向て一言するの必要こそあれ。前に云ふ如く学校維持の為めとて天下の有志者が財物を寄附するは、其人々の誠意至情に出でゝ一点の挟むものなし、之を私にしては一身の私徳、これを公にしては社会の利益にして、其人の名誉たると同時に其功徳に浴する学生輩も亦、身に受る所のものは人生に貴き文明の教育にして、直接に一銭金を恵まるゝに非ず、徳を施す者も施さるる者も共に名誉の事を与にして、高尚至極なる境遇に在りと雖も、物の数理を細に解剖して其帰する処を明にするは、学者の常に忘る可らざる所のものなり、有志者の義捐金を以て維持せらるゝ学校に
 - 第27巻 p.185 -ページ画像 
就学する学生は、仮令ひ間接にもせよ、他をして其授業費の幾分を代納せしめたるものなれば、其代納者を目して恩人と云はざるを得ず、既に恩人となれば先方の所思如何に拘はらず之に報ずるは人生の本分なり、誠に簡単至極の道理にして喋々の要なし、故に諸君は今後本塾の学事次第に上進して次第に面目を新にし、教育上に益すること次第に大なるを悟ることあらば、其然る所以は恩人の賜なりとして、之を謝するのみならず、成業して塾を去るの後も在塾当時の事情を回想して記憶に存し、陰にも陽にも機会さへあれば旧恩に報ずるの一事を忘る可らず。官立・公立の学校にては其校費都て国費なるが故に生徒の此に学ぶ者も間接には校費の一部分を出したる姿なれば、特に恩人として認む可き者なきに反して、私立塾の会計は全く之に異なり、之を要するに官公立の学校は国法を以て立ち、私立塾は有志者の私徳に依頼して維持せらるゝものなり。私徳に報ずるに私徳を以てす、其辺は諸君の一考して容易に了解する所ならんと、老生の敢て信ずる所なり。
尚ほ此頃先生が日原昌造に寄せられた書翰中に左の一節がある。
 (前略)慶応義塾も金が次第になくなり候。如何可致哉御考被下度金がなければ止めにしても不苦候得共、世の中を見れば随分患ふべきもの少なからず。近くは国人が漫に外戦に熱して始末に困ることあるべし。遠くはコンムニズムとレパブリツクの漫論を生ずることなり。是れは恐るべきことにして、唯今より何とか人心の方向を転ずる工風なかるべからず。政府などには迚もこんな事を喜憂する者あるべからず、夫是を思へば本塾を存して置度、ツイ金がほしく相成候、亦是老余の煩悩なるべし(下略)
先生が塾を維持せんとせらるゝのは、塾そのものを維持するばかりでなく、日本社会の成行に於て思想の変化憂ふべきものあるを予想せられ、人心の方向を転ぜしめんがためにも、塾を存しておきたいとの精神を見るべきである。
 一方に於てかくの如く学事の改良を行ふと同時に、一方に於て更に基本金の募集に着手した。左記は其趣意書である。
      慶応義塾基本金募集の趣旨
 慶応義塾は創立以来殆ど四十年を経過し、学生の入社するもの前後合せて壱万余人、卒業生を出すこと弐千名、固定・流通の資本を合せて参拾五万余円あり。本邦私立学校中指を第一に屈すべきものと云ふも誣言にあらざるべし。然るに去る明治二十二年以来大学部建設の事を企て、世上に訴へて寄附金を求め、後進者の為め学問研究の地歩を高めんと欲したるに、宮内省の賜金を始め同意賛成の諸君より続々寄附せられたる金額、今日迄実収せる所拾万五千余円に上れり。仍て英米の二国より教師を聘し、明治二十三年大学部を開始し、文学・法律・理財の三科を置けり。今日に於て本塾の科程は世間の高等小学第二年を卒業せしものを本塾普通科五等の第一期に入学せしめ、七年にして高等科を卒業し、尚ほ三年にして大学部を卒業するの制なれば、卒業期に於て帝国大学に比し僅に一ケ年を早うするものにして、本邦内最も高尚の教育を授くる学校と云ふを得べ
 - 第27巻 p.186 -ページ画像 
し。殊に昨年中文部大臣の認定を得て満二十八歳迄徴兵を猶予せられ、普通科・高等科・大学部の三科中孰れにても卒業したるものは無試験にて一年志願兵たるの特典を得たれば、学生の便利云ふべからず。大学部の生徒にして既に卒業せるもの百余名に至り、此学力優等にして多くは有用の業務に従事せるを以て、稍々本塾当初の目的を達せるに似たりと雖も、然れども我国官立の大学は僅に帝国大学の一あるのみにして、其入学を希望するもの年々非常の多数に上り、一々其望に応じ難く、入学する能はずして失望するもの毎期数百人なりと云ふ。今回京都に一の官立大学を興すの挙ありと雖も、帝国の広き学生の多き僅に二三大学の能く其需めに応じ得べきにあらず。顧みて本塾の有様を視れば、其学科制度は稍々遺憾なきが如くなれども、此の如く学科の程度を高むるに就ては、随つて多額の経費を要し、本塾の流通資本は数年にして消耗し尽さんとす。況んや校舎は狭隘にして多数の生徒を寄宿せしむる能はず。外宿生多ければ随つて風紀を乱すの恐あり。外国教師の俸給高価にして多数を傭聘する能はず、書籍館も不充分なり。体操場も不完全なり。工業科・高等商業科の設立は目下の急務なりと雖も之れを興すを得ず。百事尚ほ不満足にして、其完全を期すれば頗る望洋の歎なき能はず仍て今回大に有志諸君の賛助を得て更に基本金を募集せんとす。世の有志諸君幸に同情を表せられ、多少の金員物品を寄附せられ、益益本塾の基礎を鞏固にし、本塾四十年来教育上に尽せる微力に一層の光彩を添へ、以て日本人民は直に国庫金に依らずして大事業を成功し得るの人民なることを証明せんことを切望す。
  明治三十年八月               慶応義塾
      寄附金の方法
 一、寄附金は多少を論ぜず。期する所は其金を集めて基本金と為し基本金より生ずる利子を以て年費に供せんとするものなり。
 一、寄附金は即納を好まざるに非ざれども、寄附者の都合に依り或は五箇年を限り割納するも可なり。
 一、寄附者の都合に依り地所・建物其他有価物件の寄贈も、亦喜で之を受納すべし
塾は二十二年大学の制度に改め、資金を募集して十三万余円の寄附金を得たけれども、年々改良拡張の必要に迫られてこれを費消し、今は三万余円を余すのみとなつた。今度の学事改良に就ては、相当の基本金を備へ、其利子を以て永久に維持するやうにしたいとの計画を以て更に其募集に着手し、先生の逝去せられた三十四年までの寄附額は三十七万円に達したのである。
○下略