デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
3節 其他ノ教育
16款 其他 8. 台湾協会学校(東洋協会専門学校)
■綱文

第27巻 p.192-197(DK270078k) ページ画像

明治36年1月26日(1903年)

是日栄一、当校ニ到リ、学生ニ対シ一場ノ演説ヲ
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ナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三六年(DK270078k-0001)
第27巻 p.193 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三六年     (渋沢子爵家所蔵)
一月廿六日 晴
○上略 午後三時台湾協会学校ニ抵リ、学生ニ対シテ一ノ演説ヲ為ス ○下略


竜門雑誌 第一七八号・第四六頁 明治三六年三月 台湾協会学校に於ける青淵先生の演説(DK270078k-0002)
第27巻 p.193 ページ画像

竜門雑誌  第一七八号・第四六頁 明治三六年三月
○台湾協会学校に於ける青淵先生の演説 同先生には去一月廿六日午後二時台湾協会学校に出席せられ、欧米漫遊所感・商業道徳等に関して演説せられたり


竜門雑誌 第一八〇号・第一―六頁 明治三六年五月 ○事業と学問との関係(DK270078k-0003)
第27巻 p.193-196 ページ画像

竜門雑誌  第一八〇号・第一―六頁 明治三六年五月
    ○事業と学問との関係
 (本年一月廿六日台湾協会学校に於ける青淵先生の演説)
遅刻を致して、大分御待たせ申して甚だ失礼を致しました、只今松崎君から御紹介を得ました渋沢は私でございます、此学校に付て一言愚説を学生諸子に申すやうにと云ふ、予て御委嘱を蒙つて居りましたから、今日参上致すことを御約束致した次第でございます
私の玆に御話して置きたいと思ひますことは、学問と事業の関係、此点に付て前段に一の所見を申述べ、而して第二に其学問に依つて成立つた所の事業は現今の日本に於て如何なる方面に働きかけて行くが必要であるかと云ふことを申述べて見たいと思ひます、即ち前段には学問と事業の関係、後段には其事業は現今の日本の位置として如何に働きかけたら宜からうかと云ふことの所見を述べる積りでございます
事業が学問と甚だ関係の強ひと云ふことは、維新前私が諸君の如き青年の時分には殆ど世の中も唱へませなんだ、又斯く申す私自身も一向理解せなんだ、学問と云ふものは事業とは殆ど縁の遠いものと、其頃には世の中に言はれましたものでございます、御見懸け下さる通りもう私は六十以上の老年で、諸君の如き青年の境涯はまだ維新以前であつた、其維新の以前学問と云ふものは如何なる者を指したかと云ふと小石川の師範学校の側に聖堂と云ふものがある、あれが昔の学問を修める場処であつて、支那教育に依つて此漢学を教ふると云ふのが、先づ日本の学問であつた、而して此学問は多くは国を治め天下を平にする、総て武士以上主治者の修むべきものであつて、商工業者、一般の人民にあつては、多少物好に学問を致すと云ふ点はありましたけれども、殆ど学問と云ふものは事業上には余り必要はない、試に商売上に付ての書物は何と云ふものがあるかと云ふと、諸君は御承知ではございますまいが、商売往来と云ふ書物がある、書物と云ふ程に大きな声をして唱へらるべきものでございませぬ、又算術は如何なる書物があるかと云ふと、是も諸君御覚へがあるか知らぬが、塵劫記と云ふ大数小数との差別が記載してあるのと、加減乗除の方法がある、殆ど商売に関する書物は此二種で沢山だと云はれたもの、国を治め天下を平にする、若くは仁義孝悌忠信と申すやうなものが、総て重もなる学問と定められましたが、併し其学問と云ふは、即ち国家を治める所謂士太
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夫以上の学ぶべきもの、斯様な有様で、先づ維新以前の学問と云ふものは世の中に用ひられて居つた次第である、故に商売若くは工業或は農業、総て此実業に関する学問としては、殆ど科目と云つて規則立つて学ぶと云ふ程のことはございませなんだ、からして此際に成立つ所の商工業に従事する者は殆ど唯先例仕来り、所謂手加減に覚へて、それに依つて事を処して行くと云ふのが、押なべての有様でございました、是は固より東洋に於ての悪例で、其昔此科学を盛にしたる西洋に於ては左様ではなかつた、蓋しずつと昔は或はさうであつたか知らぬが、理学もあり、工学もあり、商業地理とか商業歴史とか云ふて、商売に工業に、若は農業に、必要なる種々なる科目を設て教ふると云ふことに、彼国には致し居りましたから、日本の商業は今日に於ても尚ほ欧米諸国に肩を比べ、共に馳せるといふことはまだまだ甚だ及び兼ねると申さなければならぬ、去ながら之を昔日の殆ど学問のない時代から比較して見ますると、既に本校の如きも其目的に依つて種々なる課程を備へて諸君が訓練致して居る、国を挙げて到る所に種々なる学校の備はらざるはなく、而して小学校より大学に至るまで、或は政治に法律に種々なるものがございますが、前に申す此の農工商に適用する学問も、実に一・二にして足らぬ各種のものが備はりましたのは、御互に誠に喜ばしいことでございますが、どうも前に申す如く、何に致せまだ年限の久しくないからして、物がじつくりとしませぬ、言を換へて申せば、学問と事業が真に密着したと云ふことが、また言ひ得られぬと私は恐れるのでございます、即ち年限の若い、訓練足らぬ所から他の素養ある所に引換へてそれが少いと云ふ嫌があるかして、学問と事業との親和力が、欧米諸国に比較しますると大に劣て居ると云ふことを私は憂ひますのでございます、故に未来に於ける、即ち此学生諸子の如きは、是非此学問と事業とを十分に密着することに心懸けることが甚だ必要であつて、是非其域に達せねば、学問が事業に向て真実効用は為し得ませぬし、又事業が学問に依つて真実に発達すると云ふことは期して得られませぬ、或は工芸などに於て、学理上斯様であるけれども、どうも事実が其やうに運ばぬ、蓋し学問が我を欺くか書物に書いてある通り先生の教へた通りにやつて見ても、尚ほいかぬなどゝ云ふことが間々ある、殊に化学若くは工学などに其点は多いのです、商業上に於ては其点は著しく見えぬけれども、是れとても同じ道理で、先輩が論じてある、知識の有る人が言ふてある、経済上の原理は斯様であると云ふてもが、其通りには物が運んで来ぬと云ふことが間々ある、それは即ちまだ学問の蘊奥に達せぬので、学問と事業とが真実に密着して参りますと、遂に学問の力が事業を助け進める、又事業が学問を十分に応用し得るやうになる、欧洲に於て其点に最も行届いて甚だ羨しく感じますのは、独逸の学問と事業との親和力の鋭いことは、承つても心嬉いやうに思ひます、殆ど学校から出る人が事業家と相俟つて、恰も紺屋が物を染めるやうに、白いものが色々の色に染まるやうに、其望みに応じて、配色適合する如くあると申得られます、百人百色、悉く左様とは申せぬかも知れぬが、真実なる学問の進んだ国、又事業と学問の極く密着して居る国に於ての有様は、今申述
 - 第27巻 p.195 -ページ画像 
べたやうなことに至るであらうと思ふのです、諸君はどうぞ此学問と事業とを飽までも真実に密合することを心掛けて、此学ぶ事は則ち行ふ事である、行ふ事は道理に由り学問に拠て進で行かねばならぬと云ふことをば、今日から十分に頭の中に畳み込で、学成なつた上に事業に就くと云ふことを希望致すのでございます
扨て左様に学問が成上つて、而して其働きかける方法は如何にして宜しいかと云ふことが、後段の一つの考でございます、玆に御集りの諸君が果して同じ方面に皆同一に働くと云ふことではなからう、各種の人が各方面に力を尽すと云ふが甚だ必要である、併し今日の世の中に於て私の希望を申述べますと、内にして働くも甚だ必要でございますけれども、どうしても外に働きかけると云ふことに大に心を用ひねばならぬと考へます、日本の今日の有様は、唯り自国の需用供給に足ると云ふ目的のみを以て、我邦を経営して行かうと云ふことは、立国の主義も左様な考ではないと申して宜しい、蓋し此主義とか国是とか云ふものは、誰が論じ、誰が申合ふて、さうして左様に定まると云ふことはない、故に私は玆に申定めることは出来ませぬけれども、併し殆ど三十年来政治の方向と申し、商工業の経営と申し、其他外交に関しても、総て我島国の日本だけを以て維持して行かう、籠城して行かうと云ふ意念でないことは、諸君皆了解して居る訳であらうと思ふ、殊に四囲環海の国であつて、内地の面積を論じますると、決して大きいとは申せぬのです、而して此極東の隣国は如何なる有様になつて居るか、同し亜細亜と云ふ中でもが、悲い哉此隣国は総ての政治も実業も皆他の掣御干渉を受けて居ると云ふ有様ではないか、前にも申す通り他の国々、即ち東洋に異なる所の西洋、若くは亜米利加は既に長い年月を以て事業に付て進み来つて居りますから、自国に於て発達すべき事は、殆ど尽して居ると申しても宜しいやうでございます、からして勢ひ内に余あれば外に溢れる、欧羅巴若くは亜米利加の東洋に事業を働きかけて来ることは、種々なる事柄に於ゐて、新聞に若くは実際に諸君も始終耳にし目にすることであらうと思ひます、斯る有様に他の列強が東洋に向つて力を進めて来ると云ふ時に当りて、若し日本が自国だけに安ずると云ふ有様であつたならば、遂には到底我邦が亦立つことが出来ないと云ふ如くに、成行かぬとは期し難いのです、韓国に対し、支那に対し、欧米諸国の手を着け力を入れて居りますことは、勿論一朝一夕のことではない、又容易なる有様ではない、斯る場合に日本だけは外に対して働くことが今日の有様だけに止つて居りますならば、遂に事業は皆四方から局促されて来る、国内の人口は益々多くなる、終に自国の未来は実に思ひ遣られると申さねばならぬ、殊に此学校は台湾協会から成立して居りまする、台湾協会から成立されて居りますれば、必ず此学校として自ら台湾に対して力を尽されたいと云ふことが、此学校の本旨であらうと思ひますが、私は独り台湾にのみ望みを置くではございませぬ、台湾以外、即ち殊に望むのは支那でございます、是非共に我日本の将来を考へて見ますると、支那・朝鮮若くは南洋に対して欧米諸国と、軍事に伍伴を為し得る程商工業にも伍伴を為す、即ち相当なる力を以て仲間入を為し得ることが出来得なん
 - 第27巻 p.196 -ページ画像 
だならば、或は遂に日本の事業と云ふものが段々狭められて、言ふべからざる不幸に陥ると云ふことがないとは申されますまいと思ふのでございます
私は昨年海外を旅行致して見ましても、亜米利加などの事物の近頃の進歩と云ふものは甚だ鋭いです、而して彼国は面積は広し、地味は良し、内に十分伸びる力を持ちつゝ、尚ほ外に対して十分なる力を入れて居ります、現に朝鮮に支那に若くは南洋に、種々なる方面から手を着けて居りますることは諸君の御承知の通りである、又英吉利は従来此東洋に対して、殆んど各方面に有るとあらゆる手段を以て力を注いで居りますことは、例へば印度海を航行して香港・上海までを経て日本へ帰つて見ますると、英国が印度・支那に対して、必要の場所に手の着いて居る有様と云ふものは、真に見ても羨しう感じます、又恐ろしい程力が逞ましい、又独逸は既に膠州湾なり、北清の航路なり、種種なる方面に力を入れて、皆東洋経営に注目を致して居りまする、此の如く彼等自らが力を入れて居るのは彼自らの分を尽すのであらうが其本分を尽すのは即ち他人を侵すの方法ではないが、想ふに実業の競争は所謂平和の戦争で、己れの分が能く行届いて行く程、他の方面がそれに侵されて来る、即ち輸出入の不平均も日本がそれだけに貧乏をする訳になる、又他方に於て事業を侵略されて行くのは、取も直さずそれだけの土地を侵されたと同し訳になる、前にも申す通り我日本は此事業観念の甚だ乏しかつた国柄、又学問に因つて養成されると云ふ事の少なかつた国柄であつた故に、旁々以て此事業に関する事柄か、海外諸国に比較して見ますると甚た弱い、独り弱いのみならず、今日は事体が甚だ急流を以つて奔つて居ると云ふ有様であるのです、故に斯る時機に我々が安心して今日を送つて居りましたならば、焉そ知らん、我々の働くべき方面は終に何れに在るか、見出せぬと云ふことまでなりはせぬかと憂へるのでございます
望むらくは玆に集つた所の諸君は、学成つた後は前に申上げまする通り、内の事業を経営するのみに安んぜぬで、他に働きかけて、玆に学だ所の効能を其処に奏すると云ふことに御心懸を願ひたい、即ち左様になつて参りましたら、始めて学問と事業の真正なる密着と共に、其学問の方向が宜しきを得ると申上げらるゝと思はれる、而して此学校の本旨は、必ず唯り内地にのみ事業を経営することを希望せぬが本旨てあらうと思ひますれば、私は最も其趣旨を賛成し、且つ其趣旨は台湾と云ふ方面のみならず、どうぞ此東洋全般に普く行渡ることに致したいと希望して已まぬのでございます、私は玆に平日望で居りまする所を申述べて、諸君の将来嚮ふ所の方向に就て聊か其材料に供して置きたいと思ひまするのであります



〔参考〕全国学校沿革史 東都通信社編 第二編・第一六七―一六八頁 大正五年六月刊(DK270078k-0004)
第27巻 p.196-197 ページ画像

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