デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
3節 其他ノ教育
16款 其他 11. 東京市教育会
■綱文

第27巻 p.211-227(DK270082k) ページ画像

明治38年6月14日(1905年)

是日栄一、東京市本郷中央会堂ニ開カレタル東京市教育会及ビ本郷区教育会聯合会席上ニ於テ、実業教育ニ就キ講演ス。


■資料

竜門雑誌 第二〇五号・第六二頁 明治三八年六月 ○本郷教育会に於て青淵先生の演説(DK270082k-0001)
第27巻 p.211 ページ画像

竜門雑誌  第二〇五号・第六二頁 明治三八年六月
○本郷教育会に於て青淵先生の演説 本月十四日本郷教育会に於て青淵先生の為されたる演説筆記は次号の本誌に之を掲載せん


竜門雑誌 第二〇六号・第一―五頁 明治三八年七月 ○青淵先生の実業教育談(上)(DK270082k-0002)
第27巻 p.211-214 ページ画像

竜門雑誌 第二〇六号・第一―五頁 明治三八年七月
    ○青淵先生の実業教育談 (上)
 本編は東京市教育会及本郷区教育会聯合会席上に於て青淵先生の演述せられたるものゝ速記なり。
当区の教育会の講談会に於きまして、私にも意見を申述べる様にといふ、従来風祭区長さんとは御懇親が厚うございましたので、其御依托を被りましたに付て此処に参席いたして、諸君に御目に懸かる次第でありまする、御聞及も下さいます通り、私は教育家で無し、学者で無し、斯かる御席に上つて諸君を裨益する御話をすることは甚だ困難でございます、併し既に御依托を受けて此処に罷出ました以上は、所見を申述べて御参考に供し併せて大方の御批評を請ひたい、そこで是は少しく教育家らしい「実業教育に対する希望」といふ演題を此処へ掲げた訳でございます、斯様な演題を出しますと、何か大層教育に始終熱心に屈託して居る如くに思召すか知りませぬが、ナカナカ私は古風な教育を受けた人間で、近時の教育には甚だ御疎遠千万でございますから、寧ろ教育に対する悪口でも言ふ様になるかも知れませぬで、其辺はどうぞ御容赦を願ひます
今日は実に教育も充分に進歩して参りまして、種々な方面が殆ど完美と言うても宜い様になつたと思ひます、併し其年月を数へて見るとまだ僅に三十年でございます、私共はもう大分な年寄でございますから今日の教育に預つた人間では無い、左らば如何なる教育に預かつたかと御問になると殆ど先づ無教育な人間と申さゞるを得ぬのです、但多少の漢籍丈けは小供の時分に幾らか読みました、去ながら商工業などに対する教育といふものは、当時は先づなかつたです、私は都会で生立つた人間で無い田舎漢ですから、其時分の都会の風を能く存じませぬが、我々の生長した田舎の商工業に対する教育は如何なるものがあつたかと言ふと、商売往来と塵劫記、アナタ方多分さう云ふ書物を知らぬでせう、此二つが商業教育上唯一の書物であつた、塵劫記といふものは算術の書物、商売往来は商売をするに付ての手続である、偶々稍々高等の教育といふものは聖堂で漢学を修めるといふのが、先づ都会に於ける教育で……田舎漢はそれそれの村学窮があつて漢籍を教へる、それは丁度前席にも誠心誠意の御話がありましたが、先づ大学・中庸・論語・孟子、或は孝経・史記・漢書・左伝といふやうな塩梅に読ませる教育法であつたのです、故に科学上の教育などゝいふものは殆んどなかつたのです、例へば理科であるとか文科であるとか、工科
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であるといふ如き、種々なる学科は維新後に於て国家の発達は教育を盛んにせねばならぬと先覚者が着目し、大にそこへ力を入れられた結果で出来た学風です、而して此教育を盛んにしたのが先づ日本の国運が今日の如く発揚した元素と申しても宜からうと思ひます、例へば兵事が此の如く進んで行つたのも、法律が此の如く完美したのも、又商工業の制度が進んで参りましたのも、皆な教育の力に依ると申して宜しい、去ながら其中にも実業に対する教育は、或は他の教育の種類に較べて見ますると、寧ろ後とから進んで参つたといふことは、事実争はれぬのでございませう
是も既往の御話ですが、一例を申しませうならば、私は其本務は銀行者でございますけれ共、種々な工業にも関係いたして居る、今現に東京に瓦斯会社といふものがあります、此瓦斯会社のその以前は東京府庁でやつて居つたもので、瓦斯局と称へ、而して其事業は一の化学的作用に依つて石炭を焼いて瓦斯を作つて、之を鉄管に依つて送つて家家の灯火にする、さう云ふ事業である、其事業にはそれぞれ技師が要る、始は外国人に依つて経営いたして居りましたが、何時も外国人のみに依つて経営しては甚だ面白く無いから是非日本人を技師に使ひたいと言うて、其頃の帝国大学の総長をして居つたのは、今も尚存在して御出での加藤弘之君であつたです、私は其瓦斯事業の局長といふことを東京府知事に依托されてやつて居るが、日本人を是非技師に雇いたいといふて種々心配して大学卒業生を相談いたした、其相談した時に於て大学卒業生が官員になるのなら宜いけれ共、どうも瓦斯事業などゝ申すのは所謂民業である、丁度民間に降るやうな理窟になるから他の人と比較して責めて給料でも余計にならなければ私は嫌やだと、斯う云ふ断りでありました、今聞くと少し可笑しい様で、此御席は多くは官途に御座る御方は殆ど無いでせう、故にさう云ふ話を聞いたら怪しからん奴だと御憤りがありませう、私も其時に大に憤つた、どうも此世の中に於て、左様に学者が考へて居られるといふことは大間違ひぢや無いか、殊に政治学でもした人ならばまだしも宜いが、理化の学問であつて応用化学を致した人が、民業に移ることは甚だ恥かしいと言うに至つては、成程其同輩が皆大抵教員たり官吏たりといふ有様であるものですから、其人がさう云ふ観念を起したけれ共、其観念は詰り其周囲が悪いのだ、其先輩の之を教育する人が悪いのだと斯う私は深く感じて、遂には其事に付て加藤弘之君に喧ましう御話をして、此の如き主義を持ち、此の如き意見を以て教育を盛んにして御座るといふと、出来る人も出来る人も皆御役人、御役人にあらざれば教師……教へられる人が無く治められる人が何処にもなく、皆治める人ばかり、皆教へる人ばかりであつたら、天下は富みもしなければ強くもならぬといふ理窟にはなりませぬか(拍手)、随分可笑しい議論で、今日は小学校を卒業した人も其位なことは訳は無い、今湯本さんが言はれた程度の低いといふ商人すら尚理解する理窟であるが、其時分は私は相当の年であつたが、赤い顔をして議論をする程の次第であつた、ですから日本といふものは未だ教育も幼稚だといふことは、諸君余程御考を下さらなくちやあならぬのです、さう云ふ時代があつたのです、
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併し是も其一時の有様で、爾来殆ど廿四五年の歳月を経ました、今の御話は明治十三四年と記憶いたしますが、今日に至りますると、実業の教育に付ても種々なる方面に相当な設備が整つて、又縦し実業とのみ言はぬ、或は大学であれ其他の学校であれ、政治に法律に依つて学ばれた人も、尚実業に意を用ゐて実業家となるといふ程に世の中が進んで参りましたといふ事を私は喜ぶのであります、前の既往談は唯々教育といふものが、維新以前は如何なる有様であつたか、維新後と雖も斯かる場合もあつたといふ事を、一つの経過の道行として玆に一言を申述べるのでございます。さて現在の有様は誠に完美いたしたと申して宜しいが、私は此教育に対して二三の希望を述べて置きたいと思ふのでございます、但、己が教育の実務に従事した人で無し、又教育を充分受けた身体で無いから、素人が何を言ふかと、臨場の諸君の中には大分御黒人の御方も御列席の様でありますから、或は私の申上げることが正鵠を失ふて居るかも知れませぬけれ共、若し又是が仮令素人の言葉と雖も、所謂他山の石以て玉を磨くことが出来たらば、此上も無い仕合と思ふのでございます
先づ此教育といふことにも種々ございまするが、私が此処に申すのは我本務上から実業に関することを意味して申上げたいと思ひます、例へば其実業と言うても、どうも此日本の教育が余り数が多い為か、年限がどうも少し余計過ぎはしないか、尤も或程度に止めて、其向ふは実務に就くとして行くならば、それは二十の時からでも実務に就けるが、蓋し中学丈けを卒業して直様実務に就くと言つては、世間が之を完美なる教育を受けた人とは言うて呉れぬ、少くも高等商業学校位は卒はらねばいけぬといふ事にしますると、年が二十四五にはどうしてもなります、又若しこれを大学まで修め了るとするといふと二十七八に相成る、マア追々に衛生法も喧ましくなり、医術も進んで参るから日本人全体の年齢が大分延びるやうになるでせう、例へば平均三十五であつた者が四十にも四十五にもなるでありませうけれ共、併しどうも欧羅巴人と比較して見ると、生きる年限も少し少いやうな、又弱る年限も早いやうに私には思はれる、我々は前に申す通り殆ど無教育と言はれるかも知らぬが、僅か漢学教育の人間であるから、例へば碌な学問はしませぬが併し働く年限は長いのです、現に私は十七八の時からどうやら斯うやら働きました(一人前とは言へぬでせうが)さうしますると丁度殆と五十年働いて居る訳だ、当年六十六歳だ、仮に十六から働くといふと五十年働いて居る、所が今学校を終はる人が二十七八で終つて、それからどうしても二三年は見習実務を経ねばならぬ、さうすると三十以上になる、若し五十四五から弱くなるものとするも働く年限は二十年位にしかならぬ、比較して之を計算すると私の学問は極く金が要らぬ学問で、而して年限が短くて、成程働きは確なことは出来ぬ(笑)出来ぬが今大学の御方はどんな事を致しますか、或は色々な機械の学問がどうだとか、世界の地理歴史がとうだとかいふことを講釈させたら私よりえらいでせう、併しそれは日々要るかといふと、それ程要りはしない(拍手)又羅馬字の講釈でもそれ程の効能はありませぬ、併しその費す時日、費す心労は私と比軽すると大変に余
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計費す、それは誠に多とするに足り、実に労苦を御察しするが、其御察しする中に世の中に効能が現はれゝば宜いが、世の中に現はれる効能も甚だ少い、一向差引勘定が合はぬ(拍手)マア悪く申すといふと土地の悪い所で出来た蜜柑が皮ばかり厚くて、筋がタントあつて、中身は極少々で、喰べて見ると酸ぱい、斯う云ふ様な有様だ(大笑・拍手)兎も角も先づ其様に学問を粗末にせいといふ意味で無いから、二年も三年も詰めるといふ訳にいかないが、何しろ私は一年若くは一年半も此学業の成る時間を詰めて成業せしむるといふ趣向が、教育家が御考へなさつたなら、好は有りはすまいかと思ふ、甚だ是は希望に堪へぬのでございます、併し此教育の方法は長い間に斯かる形造をなしたのですから、俄かに変更しやうといふことは、ナカナカ今日私が此席で大きな声をして饒舌り皆さんが手を御拍ち下すつても速かに直るものでも無いけれど、併し事実さう思ふならば則ち先刻湯本さんが言はれた通り、誠心誠意といふことを、私は玆に表的して見たいと思ふ(拍手)、第二に御話して見たいと思ふのは何と申して宜しからうか、吹込主義と自修主義の教育です、何でも護謨か何かに息でも吹込む様にフツと吹込んで膨らがつたのは暫時膨れて居るけれ共、自身で膨つたので無いから其息を吹込む間は宜いが、息が無くなると直ぐと抜けて仕舞ふ(拍手)是は鼓吹的教育と自修的教育と、文字で言うたらそんなものになりませう、私は好い文字を知らぬけれ共、モウ少し吹込主義を減じて、さうして自修的教育といふことが大切かと思ふ(拍手)但極くまだ小学若くは高等小学・中学位までの者が、自修の学問を先として行つたならば我儘に陥る、小供の中には吹込むといふことが必ず無いとは申されませぬけれ共、家庭なり教師なり相当な牽束を加へ誘導する間に、監督を充分せねばならぬといふことは論を俟ちませぬのです、唯々単に放任的自修を私は望むといふのでは無いけれども、干渉して何処までも鉢植の盆栽見たやうに考へるといふ教育は、寧ろ宜く無いと斯う言ひたいのでございます、今日の有様は決して教育が唯々吹込主義鉢植教育をすると全体を批評する訳では無いが、若しさう云ふ有様であつたらいけない、先づ最前はさう云ふ姿が強かつたが余程改正し掛つたやうだ、尚今日其点に於て注意が欲しいと、斯う申上げるのでございます。(拍手)


竜門雑誌 第二〇七号・第一―四頁 明治三八年八月 ○青淵先生の実業教育談(下)(DK270082k-0003)
第27巻 p.214-217 ページ画像

竜門雑誌  第二〇七号・第一―四頁 明治三八年八月
    ○青淵先生の実業教育談(下)
モウ一つ申上げたいのは、此生徒を教育する先生方は、成るべく丈け生徒の小供の中から努めて共同的観念を惹起させる様になりたいと思ふ、どうも元来日本には私に属することは余程進んで居るけれ共、公徳の修まらぬといふ弊害の強いといふことは、欧羅巴人に謗られることであります、其根原は何処に在るかといふと、始の教育からそれそれ充分なる注意を以て自然の習慣を作るといふことが、甚だ必要では無いかと思ふ、蓋し国家は箇々別々に限られる者では無い、共同の力で進んで行くといふことは、私が此処に論ずるまでも無いことで殆んど定論である、又日本の一体の有様が欧羅巴の有様と異るのも此公私
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の分界である、成るべく丈け此公徳を修める様に、多くの人間の集つて事の行届くといふ仕組は、我と彼とでも大に彼が進んで居る、我は之を学ぶと申さねばならぬのですから、別に我の優ることもありませんけれども、右等の善い事は成るべく丈け小供の中から追々修養せしむるやうにありたい、即ち公徳を修める様に、共同一致の観念に素養を作るやうに、偏に教育家の御注意が欲しいものであると斯う思ひます。(拍手)
又今一つ望みます事は、成るべく丈け此一に専らにして多岐に渉らぬ様にありたい、但さう言うても色々な事を知らなければ学問とは言へぬものですから、或は理学も教へやう、化学も教へやう、文学も一通り詩文も作らせろといふやうにすることは、必要かも知れませぬけれ共、成るべく丈け豪傑肌の万能主義にならぬ様に、一事に専らに掛かる様にと心掛けさせる様にありたいと、斯ふ云ふ趣意でございます、是も口では雑作なく言いますが、ナカナカさう云ふ観念を深く強く進めて行くといふことには、教育家たる御方も亦御骨が折れるであらうと思ふ、左様申す私なども随分万能主義と人に謗られる方であるが、人間は其方にどうも走り易い、斯んな人を作らぬといふには、どうしても成るべく丈け此世が進む程分科が強くなるから、其分科事業が充分著しく行けるやうにと考へる日には、成るべく万能主義の人間は作らぬ様にありたいと斯う言ふのであります。(拍手)
更に今一つ希望を申上げますると、今湯本君が誠心誠意の御講義が充分ございまして、斯かる事柄を此教育に御主張になることは私は甚だ感謝に堪へませぬ様に思ひまするが、どうか此人間に至誠といふ志が甚だ薄いといふことを、常に憂いて居りますのでございます、殊に此実業に従事する者が、真摯正直といふことが常になければ、決して実業は発達を為し得ずと迄、私は深く信じて居りますのでございます、少し御話が枝道になりますけれ共、維新の総ての文物が変化して行きまする其中の、最強く変化を受けましたのが私は軍人と商工業だと思ふのでございます、其他にも総て革命の力は及ぼしましたけれ共、殊に其革命の緊しいのは今申述べたる二つである、一例を言ふならば封建時代の軍事に係はる人は所謂武門武士、皆侍士といふ名を以て総て相当なる教育を受け世禄もあり、普通此社会で上位を占める人が多かつたのです、尤も兵卒には足軽といふやうな者もあつた、是等はそれ程に好い教育を受ける種類では無かつたと言うて宜いのです、是等の者が総て国家扞衛の任に当つて居つて、其中でも薩摩が強いとか長州が強いとかいふことがありますけれ共、維新の改革から兵制といふものが全く変つて来て、武門武士といふ者は悉く止んで全国皆兵といふ主義からして、百姓も出ますし町人も出ますし種々の種類の者が兵員に加はつたので、此兵員を比較して見ますると昔日の類よりは下級から這入つて来て、大に其種類が下落したと言うても宜しいと思ふのでございます、又之に反して商工業は如何あるかといふと、昔日の制度は重もなる商売品の取扱は寧ろ政府が管理して居つたのですから、事実商売人といふものは殆ど小売商人に過ぎなかつた、故に前にも申上げる通り教育の度合も甚だ低くして、殆ど無教育同様なる有様に極く
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軽蔑されて居つたことである、殊に其区域は日本の中に限られ、其日本の中でも重なる商品は政府の力に依つて運搬されて居つたですから運送も倉庫も総て政府がやつて居つた、其僅かな小売丈けを商売人が取扱ふ故に、商工業といふ位地は誠に狭く且低いものであつて、宜なり、今申したやうに教育も誠に簡単であつたのです、然るに是が海外と通商をする、欧羅巴の端でも印度の向ふでも、支那・朝鮮でも、何れの場所へも通商貿易が出来得るやうになつて、其範囲が広くなつたのと任務の重くなつたのとは、実に昔日とは雲泥と言はうか霄壌と言はうか、比較にならぬ進み方である、而して商売人といふ者も左様に事業が多くなつたからして、昔日の商人《あきうど》といふばかりでは足りぬで、斯く申す私なども其時分には一時役人を致した身体が、所謂役人上りで商売人になつたといふ人も決して少くございませぬ、色々な者が打交つて此商工業を進めるといふことになつて来たのです、故に丁度前に申す軍隊の有様から言ふと、寧ろ上流から御仲間入をしたと言うても宜いやうなことで、幾らか比較的教育もあり道理を知つた連中が雑つて来た、果して然らば此兵員武人の方は、実務に当つて大に退歩して、商売人の方は昔日よりは大に進歩して宜い筈である、然るに事実に於ては反対な有様を現した(拍手)、試みに明治二十七八年若くは三十七八年の軍人の実務に就いた働きを見ると、実に我々は唯々一方には感謝し一方には驚嘆し、斯く迄に日本が強いか、斯く迄に逞しい働きが出来るかと、聞く度毎に感謝を表する、成程軍人は規律に於て平日は充分に制裁するであらうが、須破といふ場合になつたならば今日の兵は昔日と訓練が違ふからして、或は生命を惜むといふやうな事でも生じやしないかなどゝ私共は真に思つた、所がそれは全くの誤解であつて、事実には着々吾々想像に能はぬ程の所謂勇敢義烈、雄武絶倫と称しても宜いやうな働きを見る、是は何に原因するかと云ふことを講究して見たいと思ふ、是に反して商工業に於ては多少の進歩はございますけれども、どうも商業道徳が進まぬ、或は斯ういふ不徳義な取扱がある、斯ふ云ふ不都合があると云ふことを時々耳にする、彼の盛んな有様、驚くべく感ずべき事柄に比較しますると、商工業者は実に赤面慚愧に堪へぬと申さねばならぬやうに考へますのでございます、蓋し一方は至誠以て国に報ひ君に奉ずると云ふ観念の強いのと、商工業に付いては自分から営利仕事又は技術に属する事なので、多少知識を持たねばならぬ、殊に其仕事が複雑だから軍事上の至誠以て貫く、一死以て国に報ずると云ふ如く単純にいかぬ、此点が一方は左様に発達し、一方は後に瞠若すると云ふことではないかと思ふのである、左様な事情であつたならば、前に申述べた種々なる教育上の注意の上にもう一つ此人格を大に進めると云ふことが教育家の最も注意せねばならぬ所ではなからうかと思ふ(拍手)、其人格を進めるには、何に依つて進めるか、即ち今の湯本君が懇切に御述べになつた、誠心誠意が真実に行はれて往つたらば、人格は是に依つて高くなると申上げて宜からうと思ふ(拍手)、教育上に付いては殆ど総てのものが備つて、立派な竜が出来たと云ふのである、此人格を善くすると云ふことが、仮に其竜に眼睛を点ずるものとするならば、未だ其点は充分に完ひとは申
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されぬ、若し左様であつたならば、此竜は充分に雄飛することが出来ぬと言はねばならぬから、私は未来の此学生をして、どうぞ其人格を進めるやうに、教育家は前に述べた数ケ条に加へて、最も強き力を以て人格を高尚にせしむると云ふことに御尽力を乞ひたいと思ひますのでございます、玆に聊か卑見を述べて諸君の御参考に供します。(拍手喝采)


竜門雑誌 第二〇七号・第一〇―一四頁 明治三八年八月 ○青淵先生の実業教育談を承りて(武田仁恕)(DK270082k-0004)
第27巻 p.217-220 ページ画像

竜門雑誌  第二〇七号・第一〇―一四頁 明治三八年八月
    ○青淵先生の実業教育談を承りて (武田仁恕)
本年六月東京市本郷中央会堂に於て、東京市教育会並本郷区教育会を開かる、当日の演説者及其演題は、誠意につきて湯本武比古君・実業教育に対する希望渋沢男爵・文賢武強清富之説志賀重昂君なり、我等会員は此案内状に接するや互に相語りて曰く、湯本君の倫理的演説と志賀君の政治的談話とは常に之を耳にせり、独り渋沢男爵の演説は、我等事に小学教育に従ふ者は戦争中の今日に於ける又戦争終了後に於ける道徳教育・国民教育上至緊要のことなりとて、只管其日の至るを俟ち詑ひ居たり、従て開会の当日は宿雨泥濘の路次をも厭はず参会する者、階上階下に充ち満ちて近来稀なる盛会なりき
青淵先生の演説は実業教育談と題して、前号並本号の竜門雑誌に掲載せられたるが如く前後凡そ五節に分れ、冒頭には緒言とも曰ふべきか先生幼少時代に於ける実業教育の有様を述べて其発達の如何を示し、第一節には実業教育に対する希望の一として其修業年限を短縮すべきことを説き、第二節には鼓吹的教育を排して自修的教育を奨め、第三節には学生児童の共同的観念を誘導すべきことを諭し、第四節には万能主義を避くべきことを説き、第五節には時局に徴して軍人と商人との国家に対する活動の優劣如何を比較して商業道徳の振起を促がし、商人品性の陶冶を勧め以て其局を結ばれたり。正確剴切なる論旨は能く時弊の急所を衝き、韶護に諧へる音律は滔々たる流水の更に澱みなく、終始拍手と喝采とに歓囲せられしは、平素先生の薫陶を受けつゝある小生共の観を以て喜に堪へさる所なりし也。前述の如く其演説は本誌二号に亘りて詳記しあるを以て、更に之を再ひするの要なきは言を俟たさる所なるも、今演説に対し吾等一般小学教師が如何に感せしやを述べて本誌の余白を涜さんとす。顧ふに先生の実業界・官吏社会に於て有せらるゝ威望風格は人既に之を知るも、而も一度の面識なき小学校教員共迄が之を仰き之れに服することの此の如きは、未た知らざる人もあるべし、是れ生が略して小学教師が先生の演説を承りて互に評判したる要項を述ぶる所以なり
先生が演説の冒頭に昔時の実業教育の有様を述べらるゝに際し、昔は商工業の教育に関しては、商売往来と塵劫記とが唯一の教科書であつたと述べらるゝや、之を聞くものはそぞろに今昔の感懐旧の情に堪へさりしは、各々の幼時に顧みて当然のことなりしなり。誠に商工業の教材としては此以外に求むるものなし、現在小学校に於て採用せられつゝある国語中、書方又は読方に於て実用上の材料には右商売往来等の文字文句を採るもの尠からず、又現在の算術教科に於ては殆と筆算
 - 第27巻 p.218 -ページ画像 
のみを用ふるの傾に至りたれば塵劫記にある珠算組立とは異れるを以て、編纂の体裁・問題の配列等形式上に於ては異れりと雖も、其実質に於て塵劫記等に準拠するもの又尠からず、商業算術に於て特に其然るを見る、是等の聯想観念よりして、聞くもの一層の感を増したるなり。又先生は某大学卒業生が瓦斯事業を目して民業となし、之れが就職を辞せしを聞き、慨嘆の余り当時の大学総長に其不見識を訂たし、即ち出で来る人も皆御役人、御役人でなければ皆教師……治める人計りで治めらるゝ人が何れにあるか、教ふる人計りで教へらるゝ人が何れにあるかとの痛論を総長に加へられたることを聞くに至りては、誰れか先生の鋭論に服せさるもの之れ有るべき、誰か先生の其時代に於ける一般学生の実業に対する観念の如何を察し、併せて先生の実業の真価を如何に認められ居たりしか追想せさる者の之れ有るべき。察するに一般の実業家が単に是等のことを語るも、聞く者は決して左迄に感せざらん、何となれば自己の営利を唯一の主眼とするもの、自己の慾望を充すを以て畢竟の目的とする実業家の多ければなり。然るに先生は冠を懸けて始めて斯界に窺はれし以来、眼には国家の二字の外に物なく、口には国力増進の外に言葉なく、孳々兀々として已まず、特に其事実ありたる当時に於ては恰も瓦斯局長の位置にあり、親しく実業政務の衝に当り其打合其談判を自ら成されたることなれば、聞くものをして更に一層の感動を起さしめたるも、又決して理なきにあらず世間は広く実業家は衆し、而も一般の実業家が如何に千言万語を費して此等の事実を陳ぶるも、其感動は到底此十が一にも及ばさるものなりとは之を承りし一般教師共の評判なりき
其れより第一節に於ては、実業教育に対する希望の一として修業年限短縮の必要を論し、其央に於て私は十七歳の時からどうやら斯うやら働きまして、当年六十六歳に成りますが、仮りに十六歳の時から働いたと致しますと丁度五十年働て居る訳てある、今の人に二十七八に学校を了り二三年も見習すると三十以上にもなります、人間が五十四五にて弱くなるものとすれは働く時は僅か二十年位しかないと述べらるるに至りて、満場の拍手更に割るゝが如し
謂らく世の文明に赴くは人智の発達にあり、人智の発達は一に学問に依る、学問に依りて百般の事業若くは器械の発見、発明改良進歩も之を望まるべきものなれは、学問の浅深は国の文野に影響すること莫大なり、従て国家最高教育の修業年限を短縮することは、頗る困難のことなるべし、宜なる哉先生も疾に之を認め、此短縮容易に実行さるべきものにあらさることを明言せられたり。然れとも学問に種々あり、物の真理を研究する哲学の如き、或は巧妙精緻の器械を発明する器械学の如きは、十分の歳月を費し十分の研究を重ねて始めて其目的を達し得らるゝものなるも、一般の実業に従事せんとする者に於ては一の智識を得れば直に其事を実地に応用せんこと希ひ、一の抱負あれば直に之を現実に発表せんことを望むものなり。而して世の進歩特に実業界に於ける活動転変は駸々乎として瞬時も止息せさるものなるに、其間常に直接に必要遠き学術技芸の研究にあたら長年月を費しなば、一方より云へは実業社界の制先の機を失し、他方より云へは斯界に於け
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る活動の期間を短かくし、折角学ひ得たる学芸も之を応用することを得すして止むに至り、其目的と其方便とは全然顛倒するの現象を呈し結局自己のため社会のために何等得る所無くして終るのみ。故に今日の如き繁劇複雑の時代に於て、常に速成と云ふことの大に持囃さるゝに至るは、自然の趨勢なると同時に、寔に喜ばしきことゝ云はさるべからず、実業教育の如きは其速成を尊ぶ主たるものなること敢て言を俣たさるなり。而して単に速成と曰へは、一見教ふべきことも之を教へす、授くべきことも之を授けず、如何にも其教育浅薄なるが如き感なきにあらさるも、其事業に要する学科の軽重先後を量り、教授時間の編制方に因りて半年乃至一ケ年の短縮をなすは絶対に至難のことにはあらす、又之をなして却て其事業に適切なる智識と便益とを其人に与ふることありとす。先生の此希望を述べさせらるゝや、幾多聴衆の視線は悉く先生の身体に叢り、窃に嘆して曰く、男爵の社界に尽瘁せられしは実に五十年の久きに亘りたるか、六十六年の高齢を以て矍鑠たること猶且此の如し、今日を以て察すれば此後幾十年の間益々健康を保たれ、益々偉大の事業を成さるゝことは測り難し、其精力の旺盛なること此の如し、此男爵を以て見らるれは定めて現今の実業教育の遅緩贅冗の感に堪へさることなるべし、当局のもの宜しく鑑むべきことなりとは、寄ると障ると教員の間に唱道讚嘆の暇なかりしなり
第二節には自修的教育の必要なることを述べられたり、此点は教育上最も必要なることなりとす。凡そ学校教育の漸く進みて、児童に於て自ら思弁する能力を有するに至るときは必すや自制的運動をなす者なり、自然又は他の指導に因りて獲得せる品性は、学者は之を称して客観的品性と云ふ、此客観的品性の要素如何を講究すれは、第一には人間の天稟あり、第二には教授・訓練・慣習・交際等の影響あり、是等の影響は悉く児童の慾望と行為並に自制力とに因りて之を見ることを得、然るに児童の漸く長するに至り、此客観的品性は社会生活の実際と互に相衝突することあり、或は全く適合することありて、更に一層の変化発達をなし、其間更に自修作用行はれ、此自修作用よりして所謂主観的品性を生するもの也。詳言すれば客観的品性を更に児童の自修によりて自識的に発達するに至るものなり、故に自修の始めは教育の終局なり、と云ふことを得、多年の耕種を収獲する時の始なればなり。此時期が児童の上に現存するにも拘らず、客観的品性陶冶の下にのみ指導したらんには、其児童の智識と意思とは共に薄弱にして、実際の用をなすものにあらず、故に一定の範囲に属する事柄は、成るべく児童をして自裁的判断と行動とに一任し、無益の干渉を避くること必要なり。此小学児童の自修の発達に関する順序の要旨なるか、中等教育以上に於ては自修の必要更に一層の甚たしきを加ふるは、言はすして明かなり。進取の気象を発達せしめ、独立の美風を造らしむるは主として此自修即ち自力自能の効果にあるものとす。実業教育に関しては特に其必要なること実に先生の言の如し、先生が一たび身を実業に委ねられてより苦心惨憺、百方経営、官尊民卑の陋習を打破し実業家の品位を高め、藩閥政府の蔭庇を受けず超然として独立自営し、以て今日に至られたる経歴を回顧せられて、将来実業に従事せんとする
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者の受けつゝある教育の、如何にも干渉度に過き為めに天真の発達を阻害し、鋳型の程を失ふて為めに其自由を妨け、遂に紈袴公子の実業家の世に多からざらんことを欲して、特に此希望を陳べられしことは事に教育に従ふ者の予て警省銘肝すべきことなるべし。(未完)


竜門雑誌 第二〇八号・第一三―一八頁 明治三八年九月 ○青淵先生の実業教育談を承りて(承前)(武田仁恕)(DK270082k-0005)
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竜門雑誌  第二〇八号・第一三―一八頁 明治三八年九月
    ○青淵先生の実業教育談を承りて(承前)(武田仁恕)
次に先生は第三節に移り、公徳の涵養を奨め共同の観念を誘発せしむるの必要なる所以を論して、或は此二者の遠く欧米国民に及はさることを嘆き、或は国家の盛否は国民共同力の厚薄如何に干繋するものなることを陳べられ、諄々として更に余蘊なかりしなり、宜なる哉、我国古は礼儀を貴ひ廉恥を重んじ、風上に盛に俗下に成り、君子国の称決して空しからざりしが、時勢の変遷と共に今は大に之れと異なり、道徳廃頽・民心佻薄、上下挙て形而下の文明の輸入に汲々として、あたら国粋の銷磨を顧るの暇なきに至りたることは、世既に定論ある所なり、而して其廃頽せる徳教の中に就きて、其最甚たしきものは何なりやと問はゝ、個人が共同団体若くは社会国家に対する所謂公徳其ものを以て之に答へさる可からず、彼の公徳に対する私徳の如きは、公徳に比すれは其稍進歩を見るを得べきも、しかも公徳に至りては遥に欧米人の下に列せさる可らざるは、是又何人と雖も異議を其間に挟む者あらさる可し、如斯公徳の観念の我国民に乏しく、教育の力に依るも猶其奏効の遅緩なる理由は多々之有る可しと雖も、其一ツとして、先づ之を教の上より考ふれは、西洋にてはアリストートル、プラトー等の時代に於て既に公共に対する礼儀公徳なるもの、歴々として書掲の上に掲げられたり、之に反して支那・日本に於ては五倫五常の教あるのみにして、直接に社会公共に対する教とては殆と之無し、仮令偶偶之有りとするも、そは唯個人道徳を間接に、而かも微弱の勢力を以て之れに推し及したるのみに止まるの感あり、又印度教にては有名なる四恩の中に衆生の恩と云ふものあり、然れども其趣旨を翫索すれは父母の恩と粗々同一に帰するものにして、是又泰西の公徳と其趣を異にせり。加之不完全なからも日本は従来徳教の国にして法律の国にあらす、従来法律を軽んして道徳を重んする傾きありしことは、臣下が国法を犯して亡君の仇を報し、孝子が国禁を破りて父母に事へたるが如き、我国古来の美談として永く光彩を史乗に垂れたる忠臣孝子の事蹟に徴するも明かなり、約言すれは日本古来の民心は寧ろ国法を犯すも道義を傷ふこと勿れとの観念を承伝し来りたるものなりし結果、国の公禁を守ること甚た難し、既に有形に無形に厳格なる制裁を加ふる公禁すら猶之を守ること能はさるに於ては、更に公禁以上に位する公徳なるものゝ守り難きは、敢て深く怪むに足らさるを知る、又現今教育の基本と仰く 教育勅語の上より申上くるも、忠孝悌信等につきては古来実例の多きに反し、公益を広め世務を開きたるの実例、殊に国憲を重んし国法に遵ひたる実例は寥々として恰も暁天の星の如し、又以て我国民が如上の歴史を有しつゝ来りたるものなりとの断定を助くるに足らん。某学者が最近時代を除き右国憲国法に関する実例として
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は唯林子平が嘗て公儀の捕撿を受けし時一日傍に在りし人が子平に向ひ、君よ終日の蟄居は健康を害せん、宜しく庭園の散歩を試みらるべしと曰ひたるに、子平は之に答へて否とよ、予は今法度の上に於て拘禁と称する身にてあるなり、身を自由にすることは散歩と雖も猶許す可らずとて、謹慎苟もせでありし位のことにして、他に適例となるべきものなしと述べたりしは誠に当れりと云ふ可し、又以て我国民が公徳の観念に乏しき有様の一端を窺ふを得。翻て私徳と公徳と其実行に於ける難易如何を考ふるに公徳の実行は私徳の実行にして更に一層の困難を知る、何となれは公徳を犯したるがために生する害は私徳を犯したるがために生するものに比すれば直接には其害少し、其害少きが故に、其之を忽になしやすきは人情の常なればなり、加ふるに公徳を破りたるかために出で来る破害者は、多くの場合に於ては直ちに其何人たるやは明かならず、又仮令明かなるも、其害が多数人に分配されて、決して直接に一個人の利害に関係少きものなり、例へは公園の樹木を折るも、一個人の直接に受く利害は甚た少く、又共同便所を不潔にするも其不快を感するものは一人にあらずして多人数なるが如し、此害の少なるもの、又害の分配せらるゝ者は、必すや之を犯すに容易すく慎むに難きものなり、此易犯難慎の、而かも微細なる行為が漸く堆積累重して、遂に社会の風紀国運の消長に関するか如き結果を生ぜしむるに至るものなれば、世の教育者たるものは、上に述たる我国古来の教と云ふものゝ本質を歴史的系統的に研究し、其れと同時に公徳の本趣並に公徳と私徳との関係を窮察し、根柢よりして公徳の観念を児童学生の脳裡に鋳造せしめ以て其発達を計らざる可からず、而して公徳の発達を計らんには、先づ私徳の発達を計らざる可からず、私徳発達して社会道徳・国際道徳、又先生の論せられたる商業道徳の発達も始て之を期待するを得べきなり、若し日本の公徳にして現在の儘ならんか、将来決して心を安んじて共同の事業を営むものなく通商貿易を結ふものなく、遂に独立孤立の悲境に陥り、社会事業は漸く退歩し国家の運命は次第に窮蹙するに至る、故に断言すべし、公徳は共同生活の必要条件なりと、されば先づ私徳を奨めて公徳を盛にし、以て先生の所説たる共同一致の観念を惹起せしむること実に刻下の急務なりとす、殊に将来実業に従事せんとするものは、必すや共同事業を営むにあらされば其目的を達すること能はさると同時に、国家のために益する所も又少しとす、故に先生が別して実業教育の任に当るものを警めて、公徳心の養成と共同観念の惹起とを児童学生に促さしめられしは、実に至緊至要の訓言なりしなり
次に先生は第四節に移りて、成るべく丈け一事に専らにして、多岐に渉らぬ様にありたい、或は理学も教へやう或は化学も授けやう、文学も一通り詩文も作らせろと云ふやうにすることは必要かも知れぬけれども、成るべく大豪傑肌の万能主義にならぬ様にありたい云々、論せらるゝに至り何れも時弊を穿ちたるものと認め、満場寂として之を聞けり
先生の此誡は独り実業教育者のみに止らず、一般教育者の鑑みを以て其職に当らざるべからざることなりとす、而して玆に先生の述べられ
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たる万能主義とは、現今の普通教育即ち中学校以下に於ける学科の繁多なるを非認せられたるにあらずして、主として高等専門の程度に於ける学科を、秩序なく系統なく修むることを嘆きて、斯くは論せられたるものなりと云はさるべからず、決して表面の文字上の解釈を試みて先生が普通教育をいなまれたると云ふことを得す、凡そ其国民としての生活を営むにつき必須の知識芸術は、普通学てふ名称の下に其科目を制定し、或る階級の国民を教育し来りしことは、其方法の異同と其完否の差別とは之有るも、国の東西、代の古今を問はす殆と同一なりしなり、即西洋にては希臘・羅馬の時代にあつては、文学・文法・弁舌・音楽・体操を以て普通学となし、支那にあつては礼楽射御書数の文芸を以て普通学となし、我国王朝の盛時にあつては、儒教上の修身学の外に作文・読書・咏歌・音楽等を以て普通学とし、特に武人にあつては普通の作文読書は勿論、武芸と経学とを以て普通学とせり、又此普通学を修むる者につきては希臘・羅馬にあつて貴族と祐福の平民とに限り、支那の歴代に於ては独り士流に限り、我王朝の盛時にあつては有位の子弟なりしか、文武帝以後の学制によると、京師に大学を置き諸国に国学を置き、五位以上の有位の人の子弟をして大学に入らしめ、郡司の子弟をして国学に入らしめたり、降て徳川の代に至りては独り士分のみ学芸を修め、農工商は学芸を修めさるを定例とせり是の如く学科は不完全にして学ふ者は或階級の者に限られてありながら、普通学によりて普通の知識を得せしめたりしことは、採りて以て如何に普通学の必要を認めたりしやの当時の観念を察する材となすに足れり、然るに今日に至りては四民全く平等の権利を享け互に独立の地位を有し、又不便不利なる旧世界の事物は漸々蕩尽され、五大州は恰も隣保の状態に至りたれは、勢各国民の有する知識の一斑は之れを備へさるべからざるの必要を感して、或は従来の普通学科に種々の新なる科目を加へ、或は中学教育を盛にするの方法を案するに至れり、斯く普通教育に意を用ふるは独り我国のみにあらず、西洋諸国に於ては更に一層の甚たしきを知る、即仏国にては数多の公立中学校を置くの外、更に五百余個の官立中学校を置き、之れがために国庫より支出する金額は約八百八十五万弗、普国にては中学校費用資金其他の支出大約二千二百万麻を消費し、外に国庫支弁の年額約四百万麻なり、コハ何れも今より十年以前のことなりき、職業貧富の如何を問はず、普通学の必要を認むること各国率ね此の如し、況んや実業なるものは、其活動的区域に、其地理的区域に、頗る広漠たる面積を有するものなるを以て、其修むる所の学識も一応は普通に渉り居らざるべからざるものなるに於ておや、故に先生が理学・化学等の例を引きて多技多能を欲せられざりしは、前に述べたるが如く普通学を修むるを不必要となされたるにあらずして、全く高等専門の程度に於ける学問にして、しかも直接に必要を見さるものを秩序なく、系統なく、名聞的に衒功的に、妄に之を修めんとするの弊風を痛嘆せられたるに外ならさることは、第一節の修業年限短縮の題下に於ける論旨を翫味するに依りても明かなる所なれば、誰れか其卓論に感服せさるものあるべきや、此教育談は教育雑誌として有名なる教育時論等にも掲載されて、汎く世
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の教育者の見る所なるが、生は親しく此演説を承り、聊か論趣のある所を知るを以て、申し加ふること此の如し、つらつら現今の学生の有様を顧みれば、未だ普通学の智識の不十分なる者が、軽しく自己の嗜好に馳せ世の風潮に追はれ、朝に法律を修め夕に兵事に志し、昨は宗教を研究して今は政治の学を修むるもの、滔々俗を追ふ、其志の漫然として更に帰着する所なきこと、恰も孤舟の波に従て漂流するが如く落葉の風に吹かれて聚散するが如し、斯の如き者にして果して一事業を成したるものあるべきや、一目的を達したるものゝあるべきや、巌を徹する念力は必すや此の如く多方面に散逸するものにあらず、一たひ到りて成功すべき精神は、決して此の如く軟弱なるものにあらず、是れ他なし、世俗に所謂「気の多い」万能主義の結果深く怪むに足らさるなり、先生の本節に述へさせられたる論趣は、明に実業教育に従事する教師、実業に従事せしめんとする子弟の親、並其子弟の三者に対し、最も適切にして最も有益なる訓戒なりと、聞く者一同讚嘆せり
                           (未完)


竜門雑誌 第二〇九号・第八―一四頁 明治三八年一〇月 ○青淵先生の実業教育談を承りて(承前)(武田仁恕)(DK270082k-0006)
第27巻 p.223-227 ページ画像

竜門雑誌  第二〇九号・第八―一四頁 明治三八年一〇月
    ○青淵先生の実業教育談を承りて(承前)(武田仁恕)
次に先生は第五節に移りて、始めには実業に従事する者は特に真摯正直ならざる可からざることを説き、次に時局に関し、軍人と商人との国家に対する活動の優劣如何を比較して、商業道徳の振起を促がし、終りに商人の人格を高むるの必要なる所以を論じて本談の局を結ばれたり、即ち始めには、実業に従事するものに真摯正直と云ふことがなければ、決して実業の発達は期し得られぬとまで私は信じて居ります云々と、演ぜられたるなり
宜なる哉、人の修行すべき徳目は其数種々ありと雖ども、試に諸徳の基礎となり根本となるものは何なりやと問はゞ、先以て正直、即ち信実を以て之に答へざるべからず。蓋し忠義と云ひ孝行と云ひ、勤倹と云ひ貞節と云ひ、其他諸般の道徳に於ても、此正直と云ふことありて始めて成立し、始めて実践せりと曰ひ得らるゝものにして、若し此正直なる根本的の要素にして欠くる所あらんか、其忠義、其孝行、其勤倹、其貞節は真個の孝行・忠義・勤倹・貞節にあらずして、全く名聞的衒飾的のものとなるなり、道徳の履践を名聞利禄の手段となすは仮りに猶許すべしとするも、其履践が全く虚偽の行動・譎詐の所為に出てたるものとせば、最早毫末も之を仮借すべきものにあらず、故に信すべし正直は諸徳の根本なりと。殊に将来相互の信用を担保とし条件として始めて事を為すべき実業に従事せんとするものは、其信用の基礎たる、正直と云ふことは一日之を等閑に俯すべきものにあらず、而して児童をして此正直の観念を発せしめ、其助長を計るには、可成的幼少のときより此点に注意せざる可からず、何となれば苟も普通の天性を有するものならんには、父母・教師の訓育・陶冶如何に因りて児童の心性を左右しやすきは幼少の時なればなり、更に換言すれば児童の感受性の盛なるときなればなり。ワシントンの父が、其朝夕愛翫せる桜を伐りたることを自白したるワシントンの正直を非常に賞讚して
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更に其刀を用ひて伐り楽ましめたるが如き、孟軻が一日隣人の猪肉を割くを見て、其何のためになすやを問ひたるに、孟母は何心なく之に答へて汝に食はしめんがためなりと云ひたりしが、後に母は其虚言の訓育上害あることを悔ひ、直に隣屋に馳せ其肉を求め帰り以て其子に食はしめたるが如き、又信長が佩刀の千葉菊の数を群児に問ひ、蘭丸の正直を愛して其刀を与へたるが如き、孰れも児童の正直の心を誘発涵養するに於て周到なることゝ云はざるべからず、従て仮令過失ありたりとて、徒に其児童を叱責して恐怖の念を懐かしむるのみにては、到底正直の徳の涵養は得て望むべからざるのみならず、却て不正直の者となるの結果を来すものなれば、世の父母及教師たるものは、深く此点に留意せざるべからず。元来児童は人に詰責せらるゝときは非常に恐怖を感するものなると同時に、人に賞讃せらるゝときは又非常に愉快を感ずるものなり、従て若し其教師・父母たるものが児童に対して賞讃を妄にせば、児童は其嬉さに乗じ、動もすれば其人の顔色を窺ひ、其人の旨を希つて実際になさゞりし善事もなしたりと云ひ、なしたる悪事もなさずと云ふことさへ間々之れ有るを見る、故に一の性癖一の悪戯を矯正せんとして訓戒を加ふるに当りては、先づ以て不正直の一大悪事たることの観念を十分に与へ、隠蔽する所の不徳の罪は、犯したる悪戯の罪より更に一層の重大なるものたることを説き、犯したる悪戯は自白を条件として之を許すも、不正直の罪科は許すべからずと示すが如き方法を以て、只管児童をして自己の良心の判断によりて事をなさしむる様指導すること肝要なり、又教師・父兄たるものは仮令戯言浮語の間と雖ども、決して不正直に似たるが如き言行は之をなすべからず、是等のことは素より些末平凡のことに属し、敢て玆に陳ぶる程のことにあらざれども、先生が実業教育に付き諄々として学生児童に対する正直の徳の涵養の必要を論ぜられたる趣旨より考へ、全然不用のことにもあらざるべしと思惟し、此くは陳べたるなり
商業道徳の欠点につきては人の普く認むる所ならん、愚生又之れを洋行者の一人に聞けり、而して其事実は、両三年以前のことにてありし由、其人一日伯林なる一茶商の店頭に至り日本製の緑茶を求む、店主曰く日本の緑茶を販売せんには先以て所轄警察署へ届け出てさるべからず、当店は其手数の煩雑を厭ひ日本の緑茶は取扱はざることゝなせりと、依て其人は不審に思ひ宿所に帰りて其故を問ふ、人之に語りて曰く、日本・支那より輸入されたる緑茶は、緑青を以て着色したるものなるを以て、為めに一時は日本緑茶の輸入は法規を以て禁止せられたりしが、其禁漸く寛大となり、今日に於ては届出の手続のみを要するに至れるなりと、而して其人帰朝の途次神戸に於て此顛末を語られたるに、傍に在りし人之を聞き、そは以前のことにあらず、今日にてもセキコウと云ふ毒にも薬にもならぬ細粉をまぶして色と目方とを付け、着々之を輸送し、現に此業を専門となす者さへありと曰ひたりとぞ、又其人の滞在中伯林の一老父語りて曰ふ様、今より二三十年以前に日本より多額の椎茸を欧洲へ輸出されたることありしが、其際日本の奸商共は所々方々より種々の毒菌を狩り集め、巧みに其れに色を着けしため、中毒の厄を被りしもの数知れず、因て遂に日本椎茸の輸入
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を禁せられ、爾来今日に至りても猶椎茸の輸入は独り支那のみに限られあり云々と、実に憤慨と云ふも愚かなる極みならずや、是一に正直と云ふ観念が日本の商人に乏しき結果によらずんばあらず、故に正直の徳性の涵養は、殊に実業に従事する者にとりて刻下の急務なりとす貿易事業は漸く退歩し、国力の発展は次第に窮蹙するに至ればなり
終りに先生は、実業社会の一般の人格を進むべきことを論じ云々、教育上に付ては殆ど総てのものが備り立派な竜が出来たと云のである、此人格を善くすると云ふことが仮に其竜に眼睛を点ずるものとするならば、未だ其点は十分に完しとは申されぬ、若し左様であつたならば此竜は十分に雄飛することが出来ぬと云はねばならぬから、どうぞ其人格を進める様に教育家の御尽力を乞ひたいと思ひますと、愚生謂らく人格の鋳造・修飾は教育就中徳育の司る所、主として教師の感化に由るべきものなれば、人格の劣等なる所以は、一方より云へば訓育上感化の力薄弱なるに由れるものなりとするも、甚だしき誤謬にはあらざるべし。顧るに、古は教師一人にして数人の子弟を教へ、今は教師数人にして一人の子弟を教ふ、古は一人の徳行智識を以て数人を感化し、今は数人連合の徳行智識を以て、一人を教授陶冶せんとす。抑も一個人の性格は其面の如く千差万別なり、一人の感化は統一的に子弟の上に及ぶと雖も、千差万別なる数人の教師の性格は、子弟の眼中に果して如何なる写象を呈すべきか、此際弟子の耳目を襲ふて深く印象する所あらしむるものは、其教師の言語と動作とならん、甲教師の挙動は斯々にして、乙教師の挙動は云々なりと、各教師の性質品格を批評する声の生徒の間に喧しきは、学科分担の教授に於て吾人の常に目撃する所なり、既に生徒は教師の性質品格を認めたる以上は、勿論其間の反対即ち矛盾の点をも又之を識認せずと云ふことなし、苟も其主義言行の矛盾撞着の点が生徒の脳裏に印識せらるゝ以上は、其感化は果して有効に行はるゝを得べきや否や、かるが故に今日の教育に於ては、此理由に鑑み、初等教育に於ては学科分担の制を採らず、学級分担の制を採るを原則となすと雖ども、中等教育以上に於ては学科分担の制を採らざるべからざるの止むなきを以て、勢感化力薄弱となり、古の教育に比して遥に其劣れるを見るに至れり。然らば現今の如き教育にありては、果して如何なる方法を以てせば可なるやと云はゞ、愚生は今日に於ける教訓に関しては被動的同化を後にして、専ら自動的同化の作用を必要とするものなりと答へんとす、曰く自動的同化・被動的同化とは何ぞや、譬へば師父先進の徳行智識を我が内心に収容して、之を自我即ち我なるものに同化せしむるは、之れ自動的同化にして、自我其ものをして新に他より収容しあるものに同化せしむるは、之れ被動的同化なり。然り而して師父先進の徳行智識を我に収容して之を自我に同化したる時は、始めよりして自我其ものは確立し、種々の善良なる材料を以て既に確立せる自我に結合したるものなるを以て其心性の状態は勿論自主あり、独立あり、兼て先進の徳行智識も亦之を完備せり、所謂出藍の誉れある子弟の如きは、蓋し此自動的同化の作用を受けたるに基因せるものなりと云はざるべからず。之に反して被動的同化に於ては、自我なるものゝ多分は既に他の徳行智識其物に
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同化せられたり、極言すれば其已にあるものは、率ね師父先進の徳行智識のみなり、故にもし之に減法を加へなば、寥々として遂に零位に立つの結果を見るべし、師父先進に屈服して一代学問の進歩を計らず唯訓詁註釈をのみ事として一生を終りたる学者の如きは、蓋し此種の同化を被りたるものと云ふべし。荻生徂徠は師なくして学びたれども而も一己の見識を立てゝ只管古文学の研究を唱へ、宋儒の学を排斥して自ら一種の解釈を試みたり、其学稍々雑駁にして且つ今日より之を見れば聊か狭隘に失したりとの批難は免れざらんも、而も自主と独立とは、両つながら瞭然として之を存せり。之に反して伊藤東涯は父仁斎に従て学びたるが、其学博きに渉れりと雖ども而かも到底仁斎を出ること能はず、時に或は一・二の父に異れる思想を出しゝことなきにあらざりしも、敢て一家独造の学を樹つることを欲せざりき。想ふに徂徠は自動的同化を孔孟の学に受け、東涯は被動的同化を仁斎に受けたるによりてならん。但し徂徠の学も識者の炯眼より之を見れば誤謬の見解少からざるべしと雖も、而も其自ら発見せし所の者亦決して尠少にあらざるべし、之を東涯の自主なく独立なきに比すれば、其優劣果して如何ぞや。此一例を以てしても、現今教育に於て自動的同化の訓育上苟もす可らざる所以を知るに足らん。而して此自動的同化を完全ならしめんには、果して亦如何なる方法を以てすれば可なるやと云ふに、先づ子弟学生の自然の性質能力を開発確実にし、之に先進の徳行智識を加へ、以て独立の性格を形成せしむるにあり、換言すれば夫の自我を樹てしむるに善良なる材料を加へて恰も酸素と水素との化合が水となれるが如く、自我と材料との一新結合体を造るにあるなり、寔に此くの如くして得たる化合体は、初めは教師の誘掖を借りたりと雖も、其教師と共に同化し去りて、之と同一物若くは類似品となりたるにあらず、又は始めは教師の教授の勢力を受けたりと雖も、既に之を自我に同化したるを以て、自己の特質たる所は決して之を喪失せず従て其師に屈服することなく、進んで自己の見識を樹て、更に奮て新発明をなし、新事業を起し、新計画を企てゝ、以て其成功を期するに至り、進んで先進を凌駕すべく、出藍の誉あるべき子弟たらずと云ふことなし、即ち上天に雄飛する健竜たらずと云ふことなし、蓋し我が青淵先生の如きは明に其一人たることは、何人と雖も之を疑はざる所なるべし、是に於てか学問は停滞することなく駸々として其歩を進め実業者は旧套に安んせずして種々の斬新なる事業を起し、徳は進み智は開け、風紀は斉整し、人情は敦厚となる、斯の如くして始めて今日教育の振起を期することを得べく、又人格をも高尚にすることを得べき也。抑も之をなす所以の要は、各教師の性格を円満にすると智識を完全にするとの二者あるのみ、今日教師の感化力の薄弱なるは、職として今の教師に於て此二者の欠乏せるに由るものなりとの譏は遂に免れざる所なり。されば今の教育の任に当るものは孳々として此二者を完成し、主として自動同化の理法を以て生徒の誘掖陶冶を努めされば衰頽せる学生の風紀を振粛し、日進活社会の新人物を養成することは到底なし能はざることゝなるべし、即ち上天に雄飛するが如き竜は、到底作り出されざるものなり
 - 第27巻 p.227 -ページ画像 
以上先生は第一節より第五節に至る長談を、例の快弁を以て洒々落々の中に演じ終り、割るゝが如き喝采の内に降壇せられたるが、満場の聴衆互に相嘆して曰く、男爵の一たび官を辞して実業界に窺はれし以来、非凡の英材を以て富国の道、理財の法を講し、計画の周到なる、用意の縝密なる、先見の明確なる、用意の細緻なる、能く泰西の制度を輸して其実例を示し、国力の状態を鑑みて其施設を宜くし、堅忍不抜の覚悟を以て終始其節を改めず、独立自営の主義を執りて他の保翼を仮らず、自ら型範となりて千挫屈せず、自ら儀表となりて万折撓まず、遂に一般の実業家をして矜式する所を知らしめらるゝに至り、嘉声洋々として都鄙に普き、徳望応さに碧雲を凌く、蓋し偶然にあらざるなり、要するに一致共力のこと、公徳のこと、商業道徳のこと、人格のこと等につき、誰れ憚る所なく滔々として演ぜられしが、演せらるゝ人も聴者も、男爵の身に比して更に一点の疼ましき所を知らず、真に男爵は此演説の趣旨に於ける師表者たり率先者たるに相違なしとて、益々其敬慕の念を深からしむ、愚生傍にあつて是等の評論を聞き感激の余り以上三回に分て其有様を叙したり。偶々先生の論趣に背馳するものありたらんには、そは一に愚生の罪なりしなり、累を先生に及すべからず                     (完)