デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

5章 学術及ビ其他ノ文化事業
1節 学術
1款 東京地学協会
■綱文

第27巻 p.258-266(DK270093k) ページ画像

明治18年5月7日(1885年)

是日当会第六年会開催セラレ、栄一引続キ資金取締役ニ選挙セラレシモ、当会保続資金事務結了シタルヲ以テ、今後同役廃止ト決定ス。以後当会会員タリ。


■資料

東京日日新聞 第四〇三〇号乙 明治一八年五月八日午前 ○東京地学協会(DK270093k-0001)
第27巻 p.258 ページ画像

東京日日新聞  第四〇三〇号乙 明治一八年五月八日午前
○東京地学協会 同会員ハ昨七日午後五時より上野精養軒に会して演説討論等を催し、同会頭北白川宮殿下にも御臨場遊バされたる由に聞く


明治十七年 東京地学協会報告 同会編 第六巻・第一三―三九頁 刊(DK270093k-0002)
第27巻 p.258-260 ページ画像

明治十七年
東京地学協会報告 同会編  第六巻・第一三―三九頁 刊
    東京地学協会第六年会記事
五月七日東京地学協会第六年会ヲ上野精養軒ニ開ク ○中略
 - 第27巻 p.259 -ページ画像 
次テ書記清川寛氏本年期間会計ニ関スル書記ノ報告ヲ演述ス
○中略
寄付金(即保続資金)受領及支出明細仕訳
一金千円          明治十四年四月中宮内省恩賜
一金九千四百円       明治十三年中寄附一時納高
○中略
一金壱万六拾円       明治十三年七月ヨリ同十八年二月マデ寄附割高
  内訳
○中略
  金五百円              渋沢栄一
○中略
右畢テ会長北白川能久親王殿下ハ次期議員ノ撰挙会ヲ開クヘキ旨ヲ伝ヘラレ、書記岳総治氏当撰者ノ姓名及ヒ其票数ヲ朗読ス、左ノ如シ
三十七北沢正誠 同大鳥圭介 三十六渡辺洪基 三十四赤松則良 同荒井郁之助 三十一伊達宗城 同長岡護美 三十曾我祐準 二十九鄭永寧 二十六柳楢悦 同小牧昌業 同鍋島直大 二十五川田剛 二十四小沢武雄 二十二谷干城 同佐野常民 同品川弥二郎 十九桂太郎同黒岡帯刀 十七田辺太一 十六松平信正 同芳川顕正 十五井上馨十二福地源一郎 十一中牟田倉之助 十柳原前光 九吉田清成 同松平慶永 同井田譲 八伊藤雋吉 七伴鉄太郎 同原田一道 同河田羆六伊藤博文 同杉浦詮 同山田顕義 同塩田三郎 五徳川家達 同鍋島直彬 同山県有朋 同西村貞陽 四松平忠礼 同大山巌 同大木喬任 同大給恒 同渡辺驥 同伊知地貞馨 同真木長義 同大隈重信同北畠治房 同福島敬典 同日下義雄 同大倉喜八郎 同岸田吟香 三松平乗承 同万里小路正秀 同南部利恭 同林清康 同関義臣 同高島嘉右衛門 二鍋島直光 同小笠原忠忱 同戸田氏共 同三好重臣同本山漸 同沖守固 同西徳次郎 同遠武秀行 同堀江芳介 同本野盛亨 同中村博愛 同小森沢長政 同岡本兵四郎 同児玉淳一郎 同諌早千吉郎 同青江秀 同渋沢栄一 同丹羽竜之助 同鈴木真年 一島津忠亮 同鍋島直柔 同阿部正功 同上野景範 同桜井忠興 同光明寺三郎 同相良長発 同栗塚省吾 同本宿宅命 同神戸応一 同藤山治一 同大原里賢 同大隈英磨 同小野梓 同益田孝 同川路寛堂
  票数共計八百五十一     当撰者共計九十五名
其多数ナル者左ノ如シ
   三十七              北沢正誠
   同                大鳥圭介
   三十六              渡辺洪基
   三十四              赤松則良
   同                荒井郁之助
   三十一              伊達宗城
   同                長岡護美
   三十               曾我祐準
   二十九              鄭永寧
   二十六              柳楢悦
 - 第27巻 p.260 -ページ画像 
   二十六              小牧昌業
   同                鍋島直大
   二十五              川田剛
   二十四              小沢武雄
   二十二              谷干城
   同                佐野常民
   同                品川弥次郎
   十九               桂太郎
依テ会長殿下ハ以上十八名ヲ以テ議員ト為ス旨ヲ伝ヘラレ
○中略
次ニ資金取締役ヲ撰挙ス
三十渋沢栄一 二十八赤松則良 同高島嘉右衛門 二十五渡辺洪基 二十一井上馨 同大隈重信 十九佐野常民 十五大倉喜八郎 十二益田孝 八安田善次郎 六芳川顕正 五原善三郎 四小森沢長政 同柳楢悦 三戸田氏共 同鍋島直大 同鄭永寧 二松平慶永 同松平信正同黒岡帯刀 同福地源一郎 一諫早千吉郎 同笠野吉五郎 同本野盛亨 同塩田三郎 同小牧昌業 同川田剛 同島津忠亮 同中牟田倉之助 同松平忠礼 同小笠原忠忱 同中村雄飛
  票数共計二百五十四     当撰者共計三十二名
其多数ナル者左ノ如シ
   三十               渋沢栄一
   二十八              赤松則良
   同                高島嘉右衛門
   二十五              渡辺洪基
   二十一              井上馨
   同                大隈重信
   十九               佐野常民
以上七名ヲ資金取締役ト為ス旨、会長殿下之ヲ伝ヘラレ撰挙会畢ル
次テ渡辺洪基氏ハ、資金取締役ノ儀ハ本会保続資金、本期ニテ悉皆結了シタルニ付、今後之ヲ廃シ其事務ヲ挙テ本会職員ノ責任ニ帰スル議ヲ発セシニ、全会ノ同意ヲ得テ之ニ決セリ
次テ宴会ヲ開キ姚文棟氏祝詞ヲ述ヘ、川田剛氏衆員ニ代リ答詞ヲ為ス午後十時宴会畢リ一同解散ス


明治十七年 東京地学協会報告 第六巻・第二一―三三頁刊(DK270093k-0003)
第27巻 p.260-262 ページ画像

明治十七年
東京地学協会報告  第六巻・第二一―三三頁刊
    東京地学協会第六年会記事
○上略
    会計ノ大要
本会当期ニ在テ領収スル所ノ入会金年醵金等ノ金額ハ合計金弐千百八十八円七十六銭二厘ニ上リ、前期ニ比較スレハ金四百五十八円卅八銭九厘ヲ減ス、経常ノ費用ハ合計金二千百廿八円五十六銭一厘ニシテ是亦前期ヨリ金五百六十二円廿七銭一厘ヲ減セリ、其目ヲ挙クレハ印刷費ニ於テ殆ント金五百円ヲ減シタルヲ以テ其最トシ、月俸・備品・郵便・贈与・饗応費等ノ如キモ各多少ヲ減セリ、是其印刷費ノ如キ前期
 - 第27巻 p.261 -ページ画像 
頗ル多額ニ上リシヲ以テ、殊ニ節減ヲ加ヒ、其他ノ各項ニ就テモ可成減省ニ注意セシト雖モ、亦其実際不得止モノヽ費用ノ如キニ至リテハ前期ヨリ増加セルモノアリ、即諸税・運搬・営繕・小使給等数項是ナリ、然レトモ彼此対照スレハ増額ハ減額ノ稍十分一ノ低位ニ属スルヲ以テ、会計上敢テ欠乏艱難ヲ告グルニ至ラザル所以也
本会資金(即寄付金)出納ノ事項ハ、去明治十三年以降八回ノ星霜ヲ経テ当期ニ及ヒ、始テ完結整理シ其精算ヲ報告スル事ヲ得タリ、即宮内省恩賜及有志諸君ノ寄付ニ係ル受納高金弐万〇四百弐拾円、該金ヨリ生スル利子其他雑収高金五千八百四拾七円五十六銭五厘・銀貨参拾壱円五拾銭、合計金弐万六千弐百六拾七円五拾六銭五厘・銀貨参拾壱円五拾銭ニ上リ、此内支出ニ係ルモノ公債証書購入代金壱万六千百四拾四円五拾九銭・本会々館建物敷地購入営繕其他ノ経費等金九千八百四拾円〇〇〇七厘・銀貨三拾壱円拾七銭七厘、合計金弐万五千九百八拾四円五拾九銭七厘・銀貨三拾壱円拾七銭七厘、右差引金弐百八拾三円弐拾九銭壱厘ノ剰余アリ、其収支明細仕訳書ハ左ノ如シ、尚通常出納会計ノ細目ハ会計掛書記之ヲ詳報スベシ
  明治十八年五月七日         東京地学協会幹事
                      渡辺洪基
                      北沢正誠
                      赤松則良
                      長岡護美
○中略
寄付金(即保続資金)受領及支出明細仕訳
一金千円          明治十四年四月中宮内省恩賜
一金九千四百円       明治十三年中寄付一時納高
  内訳
  金百円               北白川宮殿下
  金千円               徳川家達君
  金千百円              井上馨君
  金千円               鍋島直大君
  金千円               蜂須賀茂韶君
  金千円               大谷光尊君
  金千円               大谷光勝君
  金七百円              松平慶永君
  金七百円              伊達宗徳君
  金五百円              南部利恭君
  金四百円              小笠原忠忱君
  金三百円              安田善次郎君
  金二百円              諫早千吉郎君
  金二百円              大倉喜八郎君
  金百円               松平信正君
  金百円               松平忠礼君
一金壱万六拾円       明治十三年七月ヨリ同十八年二月マテ寄付割納高
  内訳
 - 第27巻 p.262 -ページ画像 
  金五百円              井上馨君
  金五百円              榎本武揚君
  金五百円              戸田氏共君
  金五百円              長岡護美君
  金五百円              渋沢栄一君
  金五百円              笠野吉次郎君
  金五百円              益田孝君
  金五百円              原善三郎君
○中略
一金五千八百四十七円五十六銭五厘 寄付金即保続資金ヨリ生スル利子等其他雑収高
 銀貨三十一円五十銭

図表を画像で表示--

 内訳 金弐千三百四円五拾八銭八厘  是ハ明治十五年十一月マテ七分利付金録公債証書利子並銀行定期預ケ金利子 金五百八拾五円七拾弐銭五厘  是ハ明治十六年五月同上公債証書高壱万六千七百三十五円ノ利子 金五百八拾五円七拾弐銭五厘  是ハ同年十一月前同断 金九拾円           是ハ同年十二月前同断額面九十円当籤収入ノ分 金弐円六拾弐銭八厘      是ハ同年同月右当籤高ニ当ル利子 金五百八拾弐円五拾七銭五厘  是ハ同十七年五月前同断高一万六千六百四十五円ノ利子 金百四拾六円八拾銭      是ハ同年同月金札引換公債証書高四千四百五十円利子銀貨百三十三円五十銭紙幣ニ交換ノ分但銀貨一円ニ付紙幣一円十銭換ニテ如此 金五百八拾弐円五拾七銭五厘  是ハ同年十一月前同断公債証書高ヨリ生スル利子 金百四拾壱円弐拾壱銭四厘   是ハ同年同月金札引換公債証書高利子銀貨百三十三円五十銭紙幣ニ交換ノ分且ツ銀貨一円ニ付紙幣一円五銭八厘換ニテ如此 金六百七拾四円七拾九銭六厘  是ハ明治十六年十一月マテ五回ニ入ル金札引換公債証書利子銀貨ノ内六百三拾六円ヲ横浜正金銀行ヘ定期預ケノ分同十七年十一月紙幣ニ交換但銀貨壱円ニ付紙幣壱円六銭壱厘換ニテ如此 金三拾円三拾弐銭九厘     是ハ前項横浜正金銀行定期預ケノ銀貨利子弐拾八円六拾弐銭ノ分前同断 金四拾円六拾一銭       是ハ古畳建具其他ノ雑品売払代収入ノ分 金八拾円           是ハ大形欅書棚四個同上 銀貨三拾一円五拾銭      是ハ金札引換公債証書利子ノ内 



   金弐万六千三百七円五拾六銭五厘
 共計
   銀貨三拾壱円五拾銭

図表を画像で表示--

    此支出 金壱万千六百九十四円五拾九銭  七分利付金禄公債証書高壱万六千七百三拾五円購入代 金四千四百五拾円        金札引換公債証書高四千四百五拾円同上 金六千八百八円八拾四銭四厘   京橋区酉紺屋町十九番地地所建物購入営繕諸費並該費ニ係ル借用金利子払出分共 


図表を画像で表示--

     内訳 金六千四百壱円二拾壱銭六厘   是ハ明治十六年七月十日調製別冊経費明細仕訳書ノ高 金四百七円六拾弐銭八厘     是ハ明治十六年七月後ニ係ル利子並雑費別冊明細仕訳書ノ高 金弐千七百三拾壱円拾六銭三厘  書籍代印刷費補助トシテ常費ヘ操込ノ分 金三百円            伊能忠敬翁記念建費ノ内ヘ操入別区積立ノ分 銀貨三拾壱円拾七銭七厘     明治十六年十一月中仏国ギヲン地学協会ヘ植物代取換ノ分 



   金弐万五千九百八拾四円五十九銭七厘
 小以
   銀貨三拾壱円拾七銭七厘
差引金三百弐拾参円弐拾九銭壱厘  残余
    以上
  明治十八年四月 日
 - 第27巻 p.263 -ページ画像 


明治十八年 東京地学協会報告 同会編 第七巻・第一一―二九頁 刊(DK270093k-0004)
第27巻 p.263-264 ページ画像

明治十八年
東京地学協会報告 同会編  第七巻・第一一―二九頁 刊
    東京地学協会第七年会紀事
五月十二日東京地学協会第七年会ヲ本会々館ニ開ク
○中略
右了ツテ伊達宗城副会長ハ次期議員ノ撰挙会ヲ開クベキ旨ヲ告ク、書記岳総治氏当撰者ノ姓名及び其票数ヲ朗読ス、左ノ如シ
三十二大鳥圭介 二十九渡辺洪基 同荒井郁之助 二十六赤松則良 二十五曾我祐準 二十四小牧昌業 二十三鍋島直大 同榎本武揚 二十二川田剛 同長岡護美 二十一伊達宗城 同小沢武雄 同北沢正誠二十桂太郎 同黒岡帯刀 十九柳楢悦 同佐野常民 十六鄭永寧 十五田辺太一 十三松平信正 十福地源一郎 八山内堤雲 七芳川顕正同井上馨 同西村貞陽 同青木周三 六鍋島直彬 同渋沢栄一 同戸田氏共 五真木長義 同松平慶永 同伊東雋吉 同松平忠礼 同大給恒 同伊藤博文 同品川弥二郎 四大隈重信 同本野盛亨 同大倉喜八郎 同曾根俊虎 同吉田清成 三梶山鼎介 同伊知地貞馨 同井田譲 同小野田元煕 同松平乗承 同松浦詮 同河田羆 同安藤謙介 同福島敬典 同中牟田倉之助 同神戸応一 同山県有朋 同大山巌 同星亨 同徳川家達 同栗塚省吾 二渡辺驥 同本山漸 同北畠治房同西徳次郎 同桜井忠興 同柳原前光 同高島嘉右衛門 同鈴木信仁同山田顕義 同原田一道 同小森沢長政 同本宿宅命 同内藤政挙 同諫早千吉郎 一沖守固 同二見鏡三郎 同原善三郎 同福島安正 同遠武秀行 同鈴木真年 同益田孝 同丹羽雄九郎 同大隈英磨 同河井庫太郎 同磯野健 同小笠原忠忱 同吉川宣誉 同前田献吉 同鍋島直虎 同大木喬任 同林清康
  票数共計六百四十七     当撰者共計八十八名
其多数ナル者左ノ如シ
   三十二              大鳥圭介
   二十九              渡辺洪基
   同                荒井郁之助
   二十六              赤松則良
   二十五              曾我祐準
   二十四              小牧昌業
   二十三              鍋島直大
   二十二              川田剛
   同                長岡護美
   二十一              伊達宗城
   同                小沢武雄
   同                北沢正誠
   二十               桂太郎
   同                黒岡帯刀
   十九               柳楢悦
   同                佐野常民
   十六               鄭永寧
 - 第27巻 p.264 -ページ画像 
依テ副会長ハ以上十八名ヲ以テ議員ト為ス旨ヲ報シ、次ニ幹事ヲ撰挙ス ○下略


明治二十三年 東京地学協会報告 同会編 第一二巻・第九―三一頁 刊(DK270093k-0005)
第27巻 p.264-265 ページ画像

明治二十三年
東京地学協会報告 同会編  第一二巻・第九―三一頁 刊
    東京地学協会第十二年会記事
明治二十四年五月九日、東京地学協会第十二年会ヲ小石川砲兵工廠内後楽園ニ開ク
○中略
是ヨリ花房幹事ハ次期職員撰挙ノ結果ヲ報告スヘキ旨ヲ告ケ、先ツ議員得点者ノ姓名並ニ其票数ヲ査スルニ左ノ如シ
  三十九点 小沢武雄   三十七点 榎本武揚
  三十五点 鍋島直大   三十五点 荒井郁之助
  三十四点 花房義質   三十四点 曾我祐準
  三十四点 伊達宗城   三十三点 長岡護美
  三十点  松平信正    三十点 北沢正誠
  二十九点 桂太郎    二十九点 佐野常民
  二十六点 蜂須賀茂韶  二十三点 川田剛
  二十三点 松浦詮    二十三点 松浦忠礼
  二十一点 九鬼隆一   二十一点 伊藤雋吉
  十二点  関義臣    九点   福島敬典
  九点   吉田清成   九点   高島嘉右衛門
  八点   林清康    八点   徳川家達
  八点   松平乗承   八点   岸田吟香
  七点   真木長義   七点   福島九成
  七点   青木周蔵   七点   有地品之允
  六点   大原里賢   六点   芳川顕正
  六点   宇川盛三郎  五点   相良頼紹
  五点   磯野健    五点   戸田氏共
  四点   丹羽竜之助  四点   大給恒
  四点   日下義雄   四点   柳原前光
  四点   谷田部梅吉  四点   益田孝
  四点   光明寺三郎  四点   渋沢栄一
  四点   志賀重昂   四点   鈴木券太郎
  三点   諫早千吉郎  三点   伊藤博文
  三点   大倉喜八郎  三点   渡辺驥
  三点   斎藤修一郎  三点   牧野毅
  三点   北畠治房   二点   内藤政共
  二点   伊東信夫   二点   星亨
  二点   遠武秀行   二点   小笠原忠忱
  二点   河田羆    二点   横山孫一郎
  二点   都筑馨六   二点   鍋島直虎
  二点   鍋島直柔   二点   中井弘
  二点   栗塚省吾   二点   山県有朋
  二点   福地源一郎  一点   品川弥次郎
 - 第27巻 p.265 -ページ画像 
  一点   伴鉄太郎   一点   大隈重信
  一点   大山巌    一点   沖守固
  一点   神戸応一   一点   伊達宗徳
  一点   田辺輝実   一点   田代安定
  一点   中村博愛   一点   井上馨
  一点   山田顕義   一点   安田善二郎
  一点   古川宣誉   一点   阿部正功
  一点   桜井忠興   一点   北村竹四郎
  一点   宮崎駿児   一点   本野盛亨
  一点   黒岡帯刀   一点   鈴木信仁
  票数共計七百七十八点   得点者共計八十八名
其多数ヲ得タル者左ノ如シ
  三十九点 小沢武雄   三十七点 榎本武揚
  三十五点 鍋島直大   三十五点 荒井郁之助
  三十四点 花房義質   三十四点 曾我祐準
  三十四点 伊達宗城   三十三点 長岡護美
  三十点  松平信正   三十点  北沢正誠
  二十九点 桂太郎    二十九点 佐野常民
  二十六点 蜂須賀茂韶  二十三点 川田剛
  二十三点 松浦詮    二十三点 松平忠礼
  二十一点 九鬼隆一   二十一点 伊藤雋吉
仍テ花房幹事ハ以上十八氏ヲ以テ議員ニ挙ル旨ヲ報告シ ○下略


新日本史 同史編纂局編 第三巻・第九六三―九六四頁 大正一五年七月刊(DK270093k-0006)
第27巻 p.265-266 ページ画像

新日本史 同史編纂局編  第三巻・第九六三―九六四頁 大正一五年七月刊
 ○地理学篇(理学博士 小川琢治)
    第三章 東京地学協会の創立
 明治二十年頃までの間の重要事件は、明治十二年東京地学協会の創立であつた。協会は朝野の地理学に興味を有する人士の組織した有力なる団体で、当初から倫敦・巴里・伯林等の欧洲諸学会と対等の地歩を占め、故北白川宮能久親王殿下親しく会長として会務を視られ、創立の際宮内省の御下賜金に、有志の醵金を加へて会館を建て、研究及び調査の成績を、講演及び報告により内外に発表する機関を設け、他の諸学会に率先して立派なる団体を成した。
 北白川宮殿下が、創立より明治二十八年十月征台の陣中に御薨去あらせらるゝまで十六年間、常に会長として斯学の奨励・振興を計られたるは、他の学会に比類を見ざる所にして、之を輔翼せる創立者中には伊藤博文・井上馨、鍋島直大・蜂須賀茂韶・長岡護美・榎本武揚・渡辺洪基・花房義質等の諸氏があり、渋沢栄一の如きも創立の際、井上馨と共に醵金を集め、本会の基礎を確立するに尽力せられた。
 協会創立の翌年、明治十二年九月二日に瑞典国探検船ベガ号が横浜に来着した。此の探検隊長は、北極地方の旅行家として有名なアドルフ・ノルデンシヨルトAdolf Nordenskioldで、欧亜北岸に沿ひて北氷洋を突破し、十六世紀以来の問題たりし所謂北東通路を無事に廻航し、出発後二年二ケ月にして本邦に達し、始めて新興学会の歓迎を受
 - 第27巻 p.266 -ページ画像 
け、探検の経過を発表した。此時協会より同氏に贈つた紀念牌は、同氏の著書に掲げられ、協会の存在も又、東西学術界に認められた。
○下略



〔参考〕公爵桂太郎伝 徳富猪一郎編 坤巻・第八九九―九〇〇頁 大正六年二月刊(DK270093k-0007)
第27巻 p.266 ページ画像

公爵桂太郎伝 徳富猪一郎編  坤巻・第八九九―九〇〇頁 大正六年二月刊
 ○第十一篇 第一章 公と社会事業
    二 公と地学協会
地学協会は、明治十二年の創立に係るものにして、渡辺洪基・榎本武揚・花房義質等、専ら其の創業に与りて功ありしと雖も、公か当時軍人たりしに拘らす、首として其の創立に賛成し、其の事業の発展を図るに努力したる功績、亦尠なしとせさりし也。
初め渡辺洪基の欧洲に留学し、墺都維納に在るや、彼は彼地の勅立地学協会員たりしか、帰朝の後、彼は地学協会創立の必要を認め、明治十二年の春、之れを榎本武揚・花房義質に謀りしに、二人首として之れに賛成せり、適々鍋島直大・長岡護美、欧洲より帰朝するに会し、談此に及ふや、二人亦英国に在りし日、勅立倫敦地学協会員たりしかは、輙ち大に之を賛成し、同志相謀りて、地学協会を創立するに決せり。当時公は陸軍中佐にして、参謀本部管西局長たりしか、独逸留学の日、伯林の地学協会々員に列し、夙に地学協会の必要を認めつゝありしを以て、其の計画を聞くや、直に之に賛成し、榎本・花房・渡辺等と共に、創立委員となり、同年二月廿二日、同志五十余名、上野公園内精養軒に会し、公は選はれて規則起草委員と為り、之か創立の事に努力する所あり。越て三月廿一日、学習院に於て、地学協会創立大会を開き、四月十八日更に総会を開き、北白川宮能久親王を推して会長と為し、公は渡辺洪基・長岡護美、北沢正誠と共に、選はれて其幹事となれり。爾来其任に当り、諸外国地学協会との連絡を図り、地学上の調査・講演及雑誌の刊行等文化の啓発に資すること、亦少小ならさりき。然るに十八年以来、公は職務繁劇余暇なきを以て、幹事を辞し、唯評議員のみとなりしか、薨去の際に至る迄其任に在りき。
顧ふに地学協会は、創立以来玆に三十余年。今や基本財産金十万円余を有し、最近に至り、支那の地質調査を完了し、其製図報告書等成り其の基礎牢立し、社会の文運に裨補する、尠なしとせさるもの、会員の努力と、時勢の進運と由ると雖、創業の任に当れる公等の斡旋、亦与りて力なしとせさりし也。