デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

5章 学術及ビ其他ノ文化事業
1節 学術
2款 東京経済学協会
■綱文

第27巻 p.305-325(DK270099k) ページ画像

明治39年12月21日(1906年)

是日栄一、富士見軒ニ於ケル当会十二月例会ニ出席シ「目下ノ経済事情」ト題スル講演ヲナス。


■資料

東京経済雑誌 第五四巻第一三六九号・第一一八九―一一九〇頁 明治三九年一二月二九日 ○経済学協会十二月例会(DK270099k-0001)
第27巻 p.305-306 ページ画像

東京経済雑誌  第五四巻第一三六九号・第一一八九―一一九〇頁 明治三九年一二月二九日
    ○経済学協会十二月例会
去る廿一日午後五時より富士見軒に開きたる、東京経済学協会に於ては、会員男爵渋沢栄一君の出席を求めて、我が邦当今の経済事情に関する演説を請へり、塩島幹事は渋沢男爵が先年大患に罹られ、其の全快後は公私の関係も少なくせられたりしが、近時男爵は再び我が経済界の中心となりて、諸般の事業に鞅掌せらるゝに至れり、是れ男爵の求めらるゝにあらずして、我が経済界の必要に基けるものなり、故に余は我が経済界の為に、先づ男爵の労を謝せざるべからず、而して近時の経済事情に就ては各人夫々意見あるべしと雖、其の当否果して如何、余の見る所を以てすれば、我が邦近世の経済歴史に明通せるものにして、以て当今の経済事情を解釈するに足るべく、当今の経済事情を解釈せるものにして、始めて其の前途の成行を予言するを得べし、換言すれば男爵の如き過去四十年間我が邦経済界の活歴史たる仁にして、始めて適当なる解釈を得べし、是れ余が男爵に演説を請へる所以なりとて、男爵を会員に紹介すると同時に謝辞を述べ、会食後男爵は
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明治以後に於ける我が邦経済界の変遷を叙して、当今の経済事情を説明し、其の前途に関しては悲観説と楽観説とあることを述べ、而して其の断案は経済学協会及び我が経済雑誌に求められたり、又阪谷博士は男爵の悲観説の為に、誤解を世上に生ぜんことを慮り、政府財政の方針を説明せられたり、其の筆記は共に新年の初刊に掲載すべし、当夕の出席者は左の如し
  男爵 渋沢栄一君
  鈴木宗兵衛 阪谷芳郎    佐藤伊三郎 岡田壮四郎
  上山良吉  宮崎駿児    鈴木良輔  北崎進
  高木松次郎 滝本美夫    守屋此助  並川喜三郎
  草野門平  小浦鎨三郎   佐藤定次郎 竹内吉十郎
  石塚剛毅  丸山名政    三浦鉄太郎 三宅磐
  野城久吉  黒沼久太郎   森泰介   男爵前島密
  阪口新圃  簗田鉄次郎   成瀬隆蔵  田中穂積
  土田政次郎 木村亮吉    河合辰太郎 佐藤里治
  斎藤隆夫  石尾信太郎   伊藤貴志  門田猪三郎
  乗竹孝太郎 塩島仁吉    中村英吉  関一
  高橋喜惣治 高橋徳衛    福田徳三  小林慶次郎
  小林大治郎 男爵尾崎三良  坪谷善四郎 坂東幸平
  大橋新太郎 高木寅彦    小山東助  浦山助太郎
  佐藤三郎  子爵伊集院兼知 増田大吉  浅野彦兵衛
  滝本誠一  井倉和欽    有田秀造  桜内幸雄
  飯田平吉  増田義一    芦川忠雄


東京経済雑誌 第五五巻第一三七〇号・第九―一九頁 明治四〇年一月一二日 目下の経済事情(男爵 渋沢栄一君演説)(DK270099k-0002)
第27巻 p.306-318 ページ画像

東京経済雑誌  第五五巻第一三七〇号・第九―一九頁 明治四〇年一月一二日
    目下の経済事情 (男爵 渋沢栄一君 演説)
              経済学協会十二月例会に於て
食卓上で塩島君から御紹介を載いて居ります、今夕は私が此の目下の経済の情態に就て愚見を申上げるやうにといふことでございますが、御聞及もございまする通り――御聞及と云ふより、御列席の中にはまア其の間に多く這入つて居る御方があらツしやるであらうと思ひますけれども、此の経済界は所謂企業熱勃興の際、幾らか熱度が減じ掛ツたか知れませぬけれども、まだまだ仲々高い熱度を保つて居るといふ時代と思はれる、而して私自身は矢張り其の熱度の中に居る一人で、丁度其の渦巻の中の人と言はねばならぬのであつて、所謂「鹿を追ふ猟師山を見ず」と云ふ位である、之を外から観察する如く良い冷静の目を以て見得るや否やといふことは、自らも測り得られませぬ、況んや元来物を学んだことも少ないし、又不断に物を調べるといふやうな能力も乏しく、能力と共に時間も乏しい、旁々以て先づ目前を纔かに経営して居るといふ営々汲々の身柄ですから、此の見渡したところの観察を、唯だ腰だめで申上げるといふに過ぎませぬ、経済学協会の会員諸君などに対しては、殆ど少し御恥かしいと言はねばなるまいと思ひまする、併し左様に取得は乏しいが、唯だ一つ年を取つて居るといふだけは、前島男爵の如き御方が居るから、余り威張ツては申されぬ
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が、先づさう三人も五人も下に下らぬのです、是だけは確かに諸君に優れて居るとか勝つて居るとか云ひ得るだらうと思ひます、而已ならず唯だ空しく年を取りませぬで、明治四五年頃から経済社会に縦令良い眼識を持つて従事は致しませぬでも、兎に角苦労し来つたといふだけは事実でございます、其の間の経歴が若し多少効能を為したとすれば其れを取得として戴く外ないと思ひます
先づ現在の事情を申上げます前に、経済界に一張一弛のある有様を、私の僅かの記憶を繰返して維新以後の概略を申述べて見やうと思ひます、初め私は大蔵省の一役人であつた、其頃は私は大蔵少輔といふものであつたが、今の大蔵大臣より、仲々モウちつと威張つた、今の大蔵大臣は仲々謙遜で、殆ど総てが平民的にやられますので結構と私共は思ひます、私共はまだ二本差の癖が余程あつたものですから、其時分の大蔵少輔は平民の前へ出るといふと、叩頭を後へするといふやうな有様で……(哄笑)丁度明治六年から官を辞して殆ど三十四五年此の商売界に居りまするが、まアさう数々変化は記憶も致しませぬけれども、ちよつと自分の記憶に存して居るところで五・七回、其の間に進み撓み進み撓みといふ所謂経済の一張一弛があつたやうに思ひまする、一番初めは明治七年に小野組の破産といふのが、東京の経済に大なる打撃を与へて、其れで金融逼迫といることの声は仲々エラかつた此の事を知つてござるのは殆ど前島君・尾崎君位で、其の他の御方は後でお父さんから話に聞いた位であらうと思ひます、まだ何も彼も整頓せぬ時代でしたから、其の場合は余りどういふ風に経過したといふことは、吾々も後で観察が十分附かぬ位です、十年の西南の役、是は又一種の経済界に変動を与へた、丁度其の前銀行が多く出来まして、此の銀行は紙幣が不換紙幣、不換紙幣を以て紙幣を換へるといふ妙な制度が其の時に出来た、併し此の十年の戦争以後の経済界といふものは、十一年には大層諸物価が高くなツて参りましたからして、丁度今日のやうな有様に大に景気を進めて参りました、総て是は何れの土地何れの時代でも、一の変化から総ての物価に騰貴を現はす場合には、経済界の景気は好いといふことは、いつも同じ情態と云ふても宜からうと思ふです、或は諸職工の賃金、若は普通の商品に土地に家屋に、総ての方面に段々価を上ぼせて往きましたからして、大層商売に活気を惹起しました、其の原因は何んであるかと云ふと、詰り経済学者は其の時分は不換紙幣を余り沢山発行したのが主もなる原因であつたと結論されたやうです、又事実左様かと思はれたですが、結果十三四年頃から又大層景気が好いと喜んで居るに引換へて、今申す不換紙幣であるからして、其の銀紙の差が段々に……其の時分は金貨制度で無いから金紙の差とは言はない、銀紙の差であツたですが、是が甚だしくて、到頭此の銀貨に対して五十何銭といふ位まで紙幣が下がツて往ツたのは最も激しい場合で、紙幣が一円なら銀から云ふと五十銭になるといふ程まで下落いたしました、是から又大分人気を変動せしめて、是は大変だと言ツて、此の救護策といふことが仲々喧しうございました、其の頃に此経済学協会に最も縁故の多い故田口先生などは大層其の時に憂慮し、又筆に口に種々なる意見を述べて、或権貴には大に激
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怒を受けたといふことまであツた程でございました、さういふ時代は又大変に此の経済界は沈鬱に赴いて参りました、而して政府は其の時分に如何なる手段を執ツたかと云ふと、どうして此の紙幣を大に減縮せしめて、さうして紙幣は今の不換で無い兌換の物にする外ないという方針を採られました、是等のことに就ては、御列席の阪谷氏などは其の頃から鞅掌されて居りまして、十分御記憶があるであらうと思ひます、殊に其の方針は松方伯が専ら力を入れたところであツて、到頭是は十四年に兌換し得るやうに相成りましたが、其の間五六七八、四年ばかりの有様といふものは総て物価低落・商況沈鬱で、此の租税、此の費用で国民は終に堪へるものであらうかといふ程の懸念心を吾々は持ツた位いでした、併し其の間にも多少又物の進みはあるものと見えて、今の懸念は左まで懸念するところ無くして、事実に於ては十九年に終に此の紙幣が価を復して参ツて此に始めて兌換制度を行ふ、尤も其の兌換制度を行ふに就ては、前以て其の兌換制度を行ふ方法として十五年に日本銀行を設立された、日本銀行を設立されると同時に明治五年から各国立銀行に紙幣発行の権利を与へて居ツた、其の権利を特に剥奪と云ふては言葉が悪るうございますが、相談上から其の権利を継続させぬといふことにして、年限を待たずして管理方法に拠ツて其の紙幣を銷却せらるといふ特殊の方法を以て国立銀行の維持策を立てられた、今私共の経営して居ります第一銀行なども即ち其の銀行の一で、是は二十九年に営業満期になつて普通の銀行になつた
そこで終に十九年に紙幣を兌換し得るやうに至りましたが、丁度二十一年頃からして又一の春といふ時代になつて来た、四五六七八、四・五年の間の沈鬱が自から又進みをすべき原因を為したものと見えまして、殊に其の兌換の出来ると同時に、是は能く欧羅巴人の言ふことで内に伏蔵して居ツた正貨が、自から流通時代に進むに随つて貨幣の数が余計になる、諸物価が景気を惹起すと云ふことは、何処の国でも不換紙幣が兌換制度になるときはあると、其の時分学者が言ひましたが学者ばかりでは無い、実際家でも言ふと同じ様な有様に、二十一年頃は又大分景気附いて参りました、其の時分景気附いた仕事は何に多く現はれて来たかと云ふと工業界、尤も二十一年の工業会社は、多く紡績会社に人気が注入したやうに記憶いたして居ります、其の他鉄道などにも段々力を入れた人があつたやうですが、或は製麻事業とか、若は其他の工業も、京都の織物会社なども其の時に起つたけれども、先づ多数の工業熱は、多く此の紡績事業に帰嚮いたしたと言ふても宜い位に見えまする、現に二十年から二十一年頃に、其の前経営して宜からうと思ふ営業ですら、紡績業者が大層利益があつたものですから、殆ど大阪若は伊勢、或は岡山・五畿内一円に、紡績業が我先きにと争て経営されるやうになりました
其の二十一二年に反対して、二十三四年となつて金融逼迫の有様を来して居ります、其の頃は丁度松方伯が大蔵大臣で御いでゝ、日本銀行総裁は故川田小一郎氏で有たやうに覚えて居りますが、大阪辺りでは殆ど紡績業者が業体を止め、棉を買ふ代を払ふことが出来ず、銀行は更に割引をすることが出来ぬといふ如き有様になつて、例の見返り品
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といふ制度は其の当時私共特に大阪へ参つて、種々相談の末、さういふ制度を一つ成立たせんならぬといふ位に、金融逼迫の有様を見たのです、此の二十三年・四年に掛けては余程大阪の方が劇しうございました、二十年・二十一年の行過ぎが大なる変動を惹起した、平らの裏は酷い破綻を起すと考へて居ります、其の時の大阪の各銀行は、今日から見るといふと其の取引高は余程細いもので、是非此に五百万まで金融の附く途を講じて欲しい、さうすれば大阪の維持が出来る、そんな大きなことを言つて、もし然らばせめて三百万と言ふたのを私は記憶して居る、其の位で大阪の各銀行が大抵金融逼迫を維持するといふ話しであつた、モウ今日で見ると私の銀行が一晩の出納でも三百万位あるといふことになりました、実に世の中は甚だ可笑しいやうですが総て是は事実談でございます、二十四年から五年は左様に懸念しましたけれども、何んでも見返り品制度で日本銀行が確か二百万払出して大恐慌でも来らうと思ふ有様が直ぐに鎮静して仕舞つた、其れで追々に別段のこと無しに経済界が経営して行かれたやうに覚えて居る
二十五年・六年といふものは大変具合が善かつた、近頃で二十六年位金利の安かつた年は無いと言ふても宜い位でせう、昨今ではございませぬが、昨年(三十八年)から当年(三十九年)の春に掛けて至つて金融緩慢です、始終利率は安うございますが、明治二十六年から三十年までの間に、二十六年位金利の安かつた年は無いと私は覚えて居ります、併し二十一年に懲りて、二十六年には左様に金利が安うても、事業勃興などゝいふことは殆ど無かつたのです、そこへ日清戦争が起つて来た、続いて其の戦争が大勝利をして、三億五千万の償金が取れる、殊に六年・七年・八年までは総て事業は休んだ、八年は講和談判から大に芽を吹きさうな有様になつたところへ、三国干渉からして、又頓挫して、旁々総て其の企業熱といふものは、殆ど四五年の間は極沈滞いたした代りに、廿九年・卅年には此又反対に大に勃興して参ツたです、丁度日清戦争後企業勃興は、其の頃は例の鉄道といふものがありましたからして、数字から数へると経済事情は、今日は其の頃より数層倍力が太く相成ツて居りますけれども、ちよツと此の程銀行集会所で取調べた極正しい数字であるかどうか分りませぬが、日清戦後二十九年から三十年に掛けての諸事業の計画はどれ程の数字を見ると言ツたところが十一億ばかりの数字を数へられるです、但し其れは皆本統に事業が成立ツたと云ふでは無いけれども、詰り斯ういふ希望を惹起した、殊に其中鉄道が一番其の数字には多く関係をしたと言ふて宜からうと思ひます、丁度二十六年から七年頃までの数年養ツた芽先が稍々発しやうと云ふたのが、戦争の為めに中止した、そこへ勝ツたから人気が大に勃興しやうと思ふたのに、三国干渉からして又頓挫した、其の念慮も先づ薄らぎ、金融は緩慢である、其れに随ツて二十九年から三十年の事業勃興の有様は主もに鉄道ですが、其の他総ての工業を概計しますと今申述べます通り、丁度是が又三十一年に反対を現はして参ツたのであります、三十一年伊藤さんが総理で井上さんが大蔵大臣であツた頃には、今前に御話をしました二十三年のは紡績糸を作る原料の買入に困ると云ふて、日本の銀行が彼の騒動をしたのであ
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ツたが、此の三十一年には紡績会社が、作ツた品物を支那へ持つて往つて売ることが出来ない、内地の取引はどうか斯うかやりましたが、今の場合はモウ紡績事業は迚も内地のみで経営しては居られぬ、多く海外へ出さなければならぬ、此の海外へ都合好く捌けなければ紡績工業は成立たぬ、而して此の売方に困ると云ふので、正金銀行が大蔵省の金貨を三百万預けて貰つて、其れを又安い利息で紡績業者に貸して遣つて、其れで一時融通を附けるといふ方法を以て、先づ輸出の重もなる品物の一種の救護法などを講じたことを覚えて居ります、其れと同時に迚も此の金融では困ると云ふて、大蔵省で一方には公債を発行したやうに考へるのであります、然るに其の公債を買上げなければ公債の維持が出来ぬと云ふて、数字は確かに覚えませぬが、何んでも二三千万公債を買上げるまでに至つて、一時を弥縫したやうに記憶して居ります、矢張り此の二十九年・三十年の企業熱勃興の丁度反動が、三十一年から二年に掛ツた、二年は先づ其れで宜いやうであつた、日本銀行の兌換券の発行力を増したのは、丁度明治三十二年でございませう……そこで夫等は先づ一の経済事情に多少の緩和を与へて、三十三年も矢張り此の金融界は始終平穏と申せなかツた、或時は進み或時は退いて、所謂変調時代に経過したやうに覚えて居ります、夫等も追追自然療法から回復し来ツて、四年・五年・六年、此二三年の間は先づ平穏無事に経過したと申して宜しい、其の間に或は平素養生が悪るかつたとか、或は其の前から大層其の銀行とか若は会社の体格に異状を生じたといふので、頓挫したものが二三ありませうけれども、是等は経済事情が然らしめたのではなくして、其の物が平素特に良くなかツたといふに座する、例へば百三十銀行の如き、是等は全く別問題と申すべきもので、決して経済事情に連れての現象では無かつた、そこで三十七年の戦争といふものに相成りまして、二年の間殆ど総ての事業は中止して、経済界は唯だ一に此の戦争に応ずるを維れ事として経過いたしたのであります、丁度此の三十八年の有様も、二十八年と少し私共が見ると似た有様で、若しあのポーツマスの講和談判が吾々の極希望する如く結了を見ましたならば、三十八年の秋から冬に掛けて企業は追々に進度を加へて往つたに相違なからうと思ふのですけれども、此の談判が甚だ不如意にあつたといふことが、総ての方面に頓挫を与へて、殊に企業界に頓挫を与へたやうに考へます、而已ならず久しい間――丁度凡そ一年も其の有様で継続して漸く昨年(三十八年)の秋とは申す条、企業熱の勃興といふものは殆ど当年(三十九年)の春になつてからでございますからして、随分長い間、待つて居つたのが、是はちよつとどういふ理由だか、はつきり此の理由を探すに甚だ私共には判断が附き兼ねまする、元来金利は至つて安くつて、金融は至極緩慢である、償金こそ取れぬ、戦争は十分勝つたに相違ない、又戦時中大に利益を得たといふことは、其れは総ての者が得たのではございませぬけれども、或方面は大変利益を得たといふことは事実である、殊に大阪・伊勢辺りは石炭は高い、諸物貨が能く売れましたからどうしても実は三十八年の央ば頃とか、若は冬頃からドシドシと此の企業熱が起るべき筈のものが、起らぬといふことは、寧ろ却ツて私共
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は、起らぬ方に不思議を打ツた位に思ツたのです、惟ふに是は或は二十七年の後、即ち二十九年・三十年に掛けての事業勃興が、三十一年と二年に大困難を与へた、其の羮に懲りて居る観念も、一番原因ではないかと斯う想像します、或は其の他に、原因があつたかも知れませぬ、今の現況で以て見ますと若し此の以降金利はどうなる、戦後の財政は至つて困難であらう、一方には大変な仕合せがあるが、一方には仲々国債は増して来た、元利の支払で大に海外に出るといふことは、誰の心にも皆な記憶されまして、多少何か金利に変動でも来す虞はありはせぬかといふことが、企業熱をして鎮静せしめたと想像する外なからうと思ふのです、ところが段々春過ぎ夏来り、何時まで経つても其のやうに気遣はしくないといふので、終に此の最も激しく会社熱の進んで参る端緒を啓いたのは、私の記憶では六七月頃からであるやうに思はれます、それから今日まで殆ど半歳は、モウ従ツて唱へれば、従ツて出来る塩梅で、始終何十倍の申込といふやうに経過し来ツたのでございます、併し斯の如く進んで参りましたのが、唯だ単に冒険の突飛の人ばかりが左様にせしむるのかと考へると、大に是も理由があるのです、成程さうなるべき筈に又考へて見れば思はれる、何故かならば、丁度是と同時に鉄道国有となツた、此の鉄道に対しては姑らく別問題ですが、他の諸工業に対して、殊に最も著しいのは紡績です、戦時戦後引続いて此の紡績事業が又仕合せとも云ふか、概して利益がエライ多いのです、どうも左様に利益が多いから、勢ひ其株の価が生ぜざるを得ぬ、此等が先づ一番導火線になつて、六十円か七十円のものが一躍して九十円となり、百円になる、百円のものは百二十円・三十円になる、一例を申せば三重紡績会社の如き、今日は殆ど二百円近い株の価を持つて居る、鐘ケ淵紡績は其の実力から論ずれば、私は遠慮なく三重紡績の方であるであらうと思ふ、併し是が更に市場の弄物になつた為に、其の価格は二割・三割も三重紡績より高い景気を惹起したのである、此の景気はちよつと市場の一時の景気のやうに見えますが、其の数字の上から打算すると、其の人の計算上では意外の利益を引起さゞるを得ない、例へば六十円のものが百八十円になるとすれば、此の間に百二十円の差がある、百二十円の差が若し三人の間に転転したならば、一人で其の株式は四十円の利益をしたことになる、其れが損をしたことになると人気抜けになる、若し此に一億円払込の紡績株かあるとしたならば、丁度二百円になると八億円、其の間に六億円だけ自然の間に呼声が高くなつて居ります、六億円だけ呼声の高くなつて居りますのはどうです、自分の家の算盤といふものが、其れだけ身代が大きくなつたやうに気位ゐが大きくなつて、こんな株がある申込まうといふことがどうしても出来る訳です、此の株熱をして強く至らしめたといふことは、是れから起す事業に就て望み有りといふ一方の実際の観念と、モウ一には従来持つて居る株が今の如くに競上げられるからして、是に就て己れ一身に利益が増したといふ観念と同時に、猶ほ是と同じ様に往くならば、千株持つて居つて十五万円儲かる一万株で百五十万円儲かるといふ数字が生じますから、どうしても株を持たうといふ観念を此に持つて来る、尚ほ加ふるに所謂権利株を持
 - 第27巻 p.312 -ページ画像 
つて是を売れば、唯だ権利を売るだけで一の株に付て七円・八円の利益が出来る、悪るく申せば所謂弥次馬と申すべき手段です、其のことは少しも事業に対して裨益を与へるで無く、国家に対して公益が生ぜぬ方法でありますけれども、或は利に伴う弊害かも知れぬ、さういふことが彼に伝はり、此に伝つて、唯だ其の熱を助長せしむるので、是れ又勢ひ免かれぬことと申して宜からうと思ふのです、私共はどつちかと申しますと、総て物を悲観に考へる方である積りですが、其れならさういふ判断は過ちかも知れぬ、丁度二十九年・三十年頃の財政経済に対しても、どうも俄かに進み過ぎる、余り拡張に傾き過ぎるが、モウ少し遠慮しなければなるまいと、吾々己れ一身の銀行、若は紡績事業といふやうなことにのみ依らずに、尚ほ先づ分外の話でありますけれども、例へば財政に対して支那と戦争前には、歳出入の数字は一億円以内と計上されてあつたものが、俄かに一億九千とか二億幾らといふやうになるのは、財政の扱方が余り暴激ではないか、其と同時に商売人の費用を考へますと、三十万円・五十万円の会社を大きくして何百万円でなければ相当の会社ではない位に思ふて直ぐに大きな考をする、斯ういふことは、吾々には始終危ぶない危ぶないといふ観念を有ツた、成程三十年・三十一年頃に今申す紡績が売れないと云ふて、何か方々公債で金を拵へる、公債を買ツて来るといふ時分は、ソレ見たことかと申しましたけれども、其の二三年経つと露西亜との戦争などに対して、其の時拡張をしたばかりで出来たではないかといふやうに、反対説も大に道理があるといふやうになつて来たですから、今日の此の事態に於ても、或は唯だ斯うぢみの考へばかりするのは、国の進みに悖ツた訳ではあるまいか、猶ほ且つ石橋主義とか、悲観論者も一分疑を持つです、況んや之を進んで取るといふ方の流派では、如何にもソレやれといふことの傾きは、是亦尤も千万と云ふて宜からうと思ふのです、其れが今日玆に立到つた現況と申して宜いかと考へまする、今申上げました通り、明治六七年以降出たり縮んだり、其の経過は山道を為して六度・七度変化して今日に至つた、但し其度毎に斯う段々上に進んで往きますが、其の変化区域は、原因が違ふ為に生する変化に多少差がありますけれども、此の経済界といふものは、ずツと一直線に真ツ直に棒は引けぬものと考へるのでございます
そこで現在の此の有様が何れであらうかといふのが、尚ほ第二の観察をせねばならぬのですが、玆に至ツて私共には殆ど考を申上げ得るだけの、まだ調査は届かぬと遁辞を申すか、若は能力が無いと自白をするか、どちかと言はねばならぬ位に思ふのです、之を楽観に唱へて云ふて見たならば、業に既に最善の事業に対して左様に利益が多いのである、五十円払込んだ株券が二百円にも相成ツて居るではないか、二百円だけの価すべき利益がそこに生ずるならば、三割の配当をするのは尚ほ安いと言ふて宜い、若し之を五分近の金利に対して相当なりと言ふならば、六百円にしても宜いぢやあないかといふ論理も生ずる、左様に日本の事業が利益が多いならば、ドシドシ其の事業をやつたら宜い、一向差支は無い、現に亜米利加辺りでする仕事はどうである、隣りの朝鮮ばかり見て居るとそんなケチな考になるが、モウ一つ眼を
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放ツて亜米利加を見るが宜いぢやあないか、斯ういふ楽観説を言ふときには、今日電気・電力会社を千五百万円で起さう、小樽木材会社を二百万円で起して、一年の間に、六百万円にする、又少しも怪しまないのである、其れだけ利益があるぢやアないか、いつまでも貧乏人の日本と思ふて居るからケチな根性が出る、日本はいつでも貧乏人でありはしない、富有になるだけの力がある、富むだけの働きを平生するが宜いではないか、斯う考へて見ると、決して悲観にばかり考へぬでも宜い理窟が生ずる、現に二十七八年頃は其れはいけさうもないと思ふたので、果していけさうもないから、其の三四五年は何も彼も衰退した、悲観論者の説が誠に尤もと言へないが、実はさうで、二十七年三十一・二年は悲観論者の説であつた、三十六年・七年は少し失敗して吾々は敗将勇を語らずといふ位置に居る、故に此の楽観論から言へば、今日ドシドシやるべしと云ふ方が宜いやうですといふ言葉を申して宜いやうにあるです、但し今如何に左様申すからと云ふて、権利株を成るたけ盛にするが宜いといふて、満洲鉄道の申込の如き有様を歓迎する主意ではありませぬ、例へば三重紡績、或は小樽木材会社といふやうなものゝ類を進めて往くといふことは、何程やつても宜いぢやアないかといふことは、どうも一概に其れをしも尚ほ廃すが宜いと云ふことは、結局国の進みを止めるが宜いといふ議論になりはしないかと恐れるので、此の点に就ては、或は渋沢も楽観論者と称せらるゝ其の一人に居るかも知れませぬ
併し又翻ツて考へて見ると、余程気遣はしいといふことに、どうしても申さゞるを得ぬのです、此の現在は昨年(三十八年)来の金融が斯の如く緩慢で、市中の金利が安かツたといふことは、果して経済の力が大に進んで、其の資力だけで斯く金融緩慢であるかといふことも一の疑問である、総て国の金融の有様といふものは、経済其の物だけの働きではございませぬで、必ず此の奥政治に属する支途か経済に注入されて居ツて、或場合には其の為めに緊縮され、或場合には其の為に膨脹し、或場合には其為に緩慢を来すといふことが始終ございます、追々政府でも其れに注意して、金融をして一時は小捻りをさせないやうに、例へば租税徴収期を成るたけ区切りを多くして、数を余計にして、さうして一時に緊縮を来さぬやうにといふ注意は、吾々共も頻りに希望して居りますが、政府にもそこに注意は厚うて、其の辺には今日は稍々行届いて居ると申して宜いやうであります、一つさういふ場合も生ずるが、此の金融界は其れだけ経済上の金融ばかりで無い、今申す其の財政上の金融が、大に金融の緩慢緊縮に与ツて力ありといふことは、一番立派な証拠と申して宜からうと思ひます、されば此の一年半乃至二年近い金融の緩慢は、私共の懸念には財政の余力が始終此の金融界に及ぼして、斯の如く日に緩慢なる有様を示して居るのである、一方には紡績とか、其の他の事業に就て事実利益が多いから価を増す所もありますけれども、勢を附けて段々膨脹せしむるといふのは金融界の大に又助けを与へるやうで、前の如く三割の利益を配当する株式であツても、金融緊縮、例へば百八十円の価の物を、百五十円の割合を以て見返り品に取るといふことをして呉れといふ位であツたな
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らば、そんなに上ぼせることは出来ない、是は商売の常であります、然るに一方では成るたけ金利を引下げ、且又割合を善くして取るといふは、即ち其の価をして、益々高からしめるといふものになりますから、相待ツて今のやうに勢を養成するやうになツて往く、其の往く一部は、前申す財政界が、大に此の我金融界に各種の膨脹を助長するといふ有様が現実にありはしないかと思ひますのです、殊に財政から考へて見ますると云ふと、現在の税法が決して吾々は満足の税法であるとは見ぬ、一体其の前の税法すら尚ほ随分学者から論じたならば、余程改正を加へたいに違ひないのでありませう、就中此の戦時税、大蔵大臣が御居での所で斯ることを申すは失礼でありますが、あれを何時までもあーして置くのは、国に取ツて余程不利益ではないかと申したいやうであります、是を果して改正するとしたならば、其の改正の結果、税が増すか、或は減ずるかと云ふたら、増すことは出来ぬとしか言へないだらうと思ふ、而して此の国が負担して居る内外の公債が幾らあるかと考へて見ましたならば、其の昔日の数層倍の数を加へて、現に二十三四億円になつて居るだらうと思はれますから、玆に此の鉄道国有公債でも出て往く訳になりましたならば、二十七八億までに立上ぼるに違ひない、又現在予算は如何に協定されたか知らぬが、定めし大蔵大臣は骨を折られたでありませう、併し其の予算が出ない内は吾々の知る所ではありませぬが、蓋し吾々国民の負担に堪へない今の倍大いなる数字を加へんならぬといふやうなことまでゝも無からうと思ふ、而して其の数字の結果は、必ず矢張り一部分は尚ほ借金をせねば、其の数字を満足せしむることは出来ぬといふやうな現象も尚ほ籠つて居はせぬかと恐れる、即ち二十七八億の公債が是から先きに減ずるといふは、其れは減債基金の法もありますけれども、今は仕方がありませぬ、減債基金は減利息基金で、元は返すことは出来ないとまで言はねばならぬかとも思ひます(哄笑)、若し玆に一朝工業会社の利益も其れ程に無い、株式の価も自ら頓挫をする、金融は同時に逼迫するといふことになつたならば、必らず此の間に丁度明治二十九年・三十年の有様が、三十一年・三十二年の悲観の有様に変るといふことは、さう遠い未来ぢやア無い、直きに明日にも来はせぬかとまでの懸念も出来るのでございます、若し之をモウ一層強く論ずる向の人は、四十二年には金貨は一切日本に無くなる、兌換券は全く不換に変じて仕舞ふとまで論ずる御人が有るやうに聞きます、縦し其れまでにならぬにしても、仲々前の喜びと差引いて何んだか急に肌に粟を生ずるやうな観念が起りはせぬかと、自身等は思ふのでございます
そこで此の二つの意味はどこらを界限して、どの程度の判断が宜からうといふことに就ては、寧ろ私は今夕此の経済学協会に御質をして、そうして経済学協会は、斯ういふ数字であるから、斯様であらうといふことの判断が一番其の中を得る、其の宜しきに適ふ方法ではないかと思ふ、迚も吾々の思想で之を判断すべきものでは無からう、詰り玆に幾度論じて見ても、悲観説と楽観説との間は、果してどつちが宜いと取極めたる言葉を申し切ることは、どのやうな経済学者でも、どのやうな政治家でも、私は若し取り宜い利益ある仕事があつて、権利で
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も十分進めるは至極宜いが、どうしても之をしても仕ちやアならぬと云ふ如き大事取りの御説があつたら、殆ど人間はやめろといふ議論になりはしないか、左れば至極宜しいがと云ふて、誠に此の権利株ぢやア困るといふやうになつては、是から先き何処へ船を押上ぼせるやうになるか、其の点は大に注意せねばならぬ、シテ見ると、私の申上げることは悲観にもなり、楽観にもなり、孰れであるか分らぬやうになつて、自身も尚ほ分らぬ間に居りますが、之を分らせるといふことはどうも今日では唯だ御上でも無ければ、年を取ツた人でも無い、詰り真正な数字の学問が分らして下さる、其れが一番宜からうと思ひまする、是れは愈々此の点だけは斯うである、斯る場合はどうしても斯ういふ理窟になるといふ御研究は、どうぞ此の経済学協会に御依頼したいと思ひます、経済学協会に御依頼すると同時に、特に乗竹君・塩島君などは別して統計には始終御注意にもなり、色々御取調なすつて居りますから、何時の時代は斯うである、比較上斯ういふ有様になる、故に其の結果は経済上斯く斯くになる、どうしても此の場合は向ふへさう進んではいかぬといふ理由は斯うである、其れで総て進んで往くと斯ういふ訳になるから、此の程度が宜からうといふ事柄は、唯だ年を取つた人に御依頼なさるより、数字に御依頼なさるが宜からうと思ふ、自分の今日に於ける大体の意見は先づ此の辺でございますから、此の向ふは此の経済雑誌に御質しなさるやうに願いたい(拍手)

    右演説に就て (法学博士 阪谷芳郎君 演説)
有益の御演説がございまして、殊に渋沢男爵の意見として是から新聞紙に表はれるのならば、多少の影響を世界に於て持つことだらうと思ふ、私の聴きました所に於きましては、男爵の御意見は要するに楽観的に見れば斯う、悲観的に見れば斯うといふ御話であツたであらうと考へますが、其の悲観的に見れば斯うといふ御説の中に、或は誤解がありはせぬかといふことを恐れます、殊に経済学協会の説、又男爵の説として其の誤解の無いことを、国家の為に希望致します、其れ故に財政上のことに就まして、多少今日はまだ申すのは時機が早いが、申して置いたならば、其の誤解を避くるに余程便宜であらうと考へる、私の見ます所は戦時中から今日に掛けて、経済上の情態に於て、日清戦役後と日露戦役後の今日とが、一番違ふ原因の大なるものは、詰り日本の智識の発達と、外資の利用、此の二つが日清戦役後の結果と、日露戦役後の結果に就て大なる原因である、日清戦役後に於きましては、総てを通じて、此の教育其の他即ち智識を持ツた人の数も少なし程度も今日から見ると非常に低かツた、又外資に就ては極めて利用する途が狭かツた、此の二つの差といふものは、将来国家の発展の上に最も注意しなければならぬといふ考で戦時中にも居り、又戦争後の今日にも居る次第である、而して民間の事業の上に於て、過度の熱に走せるといふことは、是はどうしても慎まねばならぬ、即ち事業熱が変じて株熱となる、既に株熱となツた以上は、其の弊害が現はれる、之を矯正するには相当の手段を執らねばならぬ、即ち金融機関といふものが先づ以て其の注意の任に当らなければならぬ、斯う考へるのです
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故に将来事業家と金融機関との間に、相当の注意をして経営せられたならば、智識の進歩と、外資利用の便と、両つながら具へた今日でありますから、将来は日清戦役後に遭遇した如き非常な困難には出遇はぬであらうと考へます
併ながら玆に一番怖いことは即ち財政にある、此の点に於きまして男爵の御意見と全く見解を一に致します、即ち此の日露戦役後経済界の順調といふものを、将来に於て永続せしむるも、之を頓挫せしむるも其の関係する所は、今後の財政にあると思ひます、併ながら此の財政も唯だ単純なる経済論から云へば、経費を減せば宜いといふ一言に帰着いたしますが、世の中の事は、さういふ単純の有様の上には置かれない、即ち此の世界の強国たる露西亜と二ケ年の間鎬を削ツて、二十億に近い軍費を費したといふことは、既にどうしても之を取消すことは出来ざる国家の負担となツて居る、又戦争の為に生じたる陸海軍其の他の復旧費――兵器の損じ、軍艦の損じは、どうしても過去の消費と同様に、之を相当に補塡しなければならぬ、又満韓に対する勢力範囲を防禦するに就ては、相当の手段も執らねばならぬ、且つ夫等の国民を安堵せしむる為に、相当の行政費を費さねばならぬ、是亦過去の出来事として打消すべからざる所のものである、単に経費を節約し、租税を軽減するといふことは、単純なる経済論として誠に容易なことであるが、実際今日国家の存立を論ずる上に於ては、どうして打消すことは出来ぬ事実で、矢張り相当に之を経営して往かなけばならぬ、所謂財政の料理、経済の料理といふことの妙味といふものは、そこに無くなツて仕舞ふのであります、即ち戦争といふ出来事の為に、当然負担して往かなければならぬといふ玆に困難が生じて居る、さういふものを控えての今後の財政でありますから、余程財政の局に当る者は困難の地位に立ツて居るといふことは論を俟たぬ、而して前申しました通り、此の財政の過度なる膨脹を来したならば、経済の順序を破るといふことは、是は論を俟たぬことであるから、三十九年・四十年・四十一年、此の数年間の財政の按排といふものは、慎重なる注意を要すると考へる、其れに就ましては、内閣に於きましても種々なる議論のあツたことで、其の結果四十年度に対する財政の経画といふものは略々決定いたしましたので、即ち適度を失はぬ、程を失はぬといふことに就て重きを措いて、其の予算といふものは編成したに相違ない、而して其の編成の主義といふものは、兎に角此の税法調査が未だ決了せざるに於て、此の上税を増すといふことは決して得策で無い、相当に税法の調理を終へて、国民が其の税法といふものゝ上に就ての可否得失を明かにして、而して後多少税を増すとか、税を減ずるとか、色色の議論が生ずることで、増すにしても、減ずるにしても、此の戦時税といふものは、甚だ簡単なる課し方になツて居りますからして、其の上出来得る限り公平を得るだけ調理といふことを致さなければならぬ、況んや過去三年間既に戦争の為に困難した国民であるから、多少の休養を与へるの必要は無論のことである、又公債と申した所が、戦争の為に生じた短期の公債といふものは、今後続々償還して往かなければならぬ、然らば一方に於て巨額の償還をして往かなければならぬ
 - 第27巻 p.317 -ページ画像 
財政でありながら、更に大なる公債を、募るといふことは決して得策で無い、何人と雖も、一方に巨額の償還をして往かなければならぬ財政の下に於て、新たに巨額の公債を募るといふことは、是は到底策の得たもので無い、此の点に於ては税法の調理を終へ、短期公債の整理を終へての後にあらざれば、増税とか公債とかいふことの問題には先づ立入るべからずといふことの、玆に原則を置くといふことは、今日に於て最も必要なることであらうと私は考へる、而して一方に国債を減ずる以上は、減債基金といふものは最も之を大切にしなければならぬ、短期公債の期限は今後数年の後は続々参るので、是は若し借替ることが出来なかつたならば元金を償還する力を今日から貯へて置かなければならぬ、斯くするときには其れが自然又非常準備金ともなる、一朝事有つたときには、一方に於て公債を償還する力を持てば、何時でも非常に応ずることが出来る、単に借替のみ当てにして財政の経画を立てるばかりで無く、縦し借替ることが出来なければ、元金を御返し申すといふ覚悟は、どうしても財政家として持たなければならぬ、斯う考へると一面に経済界に於ては事業を経画され、政府に於ては一方に償還して往く釣合を取りまして、即ち金融界の順序といふものを内外相応して其れだけ平均を得ることが出来るであらう
而して今日計画されつゝある所の民間の事業は、今男爵の御説に、悪るいものもあるが、仲々良いものもあるといふ御説である、其の中で良いものは大に歓迎せざるを得ぬ、是等の事業が即ち十分成立いたしましたならば、又政府に於きましても、港湾改良とか、或は鉄道、河川の改良、此の商工業の為に最も必要なるものには、多少金を吝まぬ積りでありまするが、来四十年度からは最も緊要と認むる所の港湾とか、鉄道とか、河川とかいふものゝ改良に着手する考である、是等が所謂良き所の事業と結着したならば、今の正貨の出入を保つといふことは安全に出来ると考へる
外債を俄かに十億以上も持ツた国といふものは、先づさう沢山は無いでございませう、数年の後に持ツた国はありますが、急に持ツた国はさう沢山はありますまい、是に就ては商工業を進めて、外債の元利を安全に支払ふ覚悟を持たなければならぬ、幸ひに三十八年には一億六千万円の輸入超過がありましたが、今年は即ち銀価の変動とか、商品の関係がありませうけれども、兎に角先づ輸出入を平均するだけの力を有ツて居る所の国民でありますから、之に加ふるのに今の政府の経済的経営と、民間の経済的経営と相待ツて進んで往ツたならば、此の海外に於ける公債元利の支払を確実に維持するといふことは出来べきことゝ考へる
其れで悲観論と言ツて決して之を嘲ける訳に行かぬ、悲観論あるが為に此の事業の上に注意といふものが始めて取れる、又楽観論といふものは是亦安心ばかり置く訳に行かぬ、楽観論の中には即ち油断といふものを生ずるといふ虞がある、楽観と悲観との善悪の御説といふものは、其の妙味を味つたならば甚だ面白いことゝ考へる、其の御説の中で財政の内容を知らぬといふことに対しては、大体に於て私が今一言した如き主意を以て、政府は財政を執つて行く積りである、併ながら
 - 第27巻 p.318 -ページ画像 
数字はどうしても殖えませう、前以て御断りをして置きましたが、今日は単純な経済論では出来ぬのです、又今度の戦の為に二十億の負担が残つて居る、勢力範囲も殖えて居る、是はどうしても相当に防禦し又相当なる行政もしなければならぬ、朝鮮及び満洲を開くには又相当の施設もしなければならぬ、朝鮮の人民も一揆に一任して置くといふことは到底出来ない、又、京義鉄道・満洲鉄道も改良しなければならぬ、然らは戦争前の財政で維持しろといふ御注文は、断じて応ずることは出来ない、何人が局に当つても出来ることでは無い、併し此に一言加へて置きたいのは、今年の歳入の景況といふものは非常に良い、予算より余程の増加である、是は即ち此の経済界一般の景況に連れて斯の如き好景況を持つのであらうと考へる、之を二三年平均して皆な固よりこんなことである、将来も斯うとは言はぬけれども、斯る増税をした後の歳入の景況と致しては、実に非常な好景況、非常なといふ言葉を使つて決して差支ないと考へる、此の以上はまだ今丁度予算を印刷中に掛つて居る所であるから、是はどうしても予算書を出さなくつては、出来ぬ御話でありますから、議論の主意としては、私は政府の財政が決して経済の妨げをするとは毫も思はぬ、経済が好く財政の方面から困難が来るといふ御疑念は無くつて宜しい、其の代り私は今の株熱だけは御免を蒙りたい、是は今渋沢男爵の御言葉にもありました、民間経済の為に国の経済が困難をするといふことになる、即ち三十一年に井上伯が救済の為に公債を三千万円買上げた、公債を三千万円買上げて、又勧業基金として三千万円貸付けて、経済の困難を済ふたのである、又渋沢男爵の御演説の中に、或は日本銀行・正金銀行に数次救済を求めたことがある、是はどうも民間の経済の方が悪るいやうに思はれる、それで政府も慎まなければならぬが、民間の方も慎んで此の戦後の大事な財政経済を円満に経過したいといふことを、私は切に希望いたすのであります(拍手)


東京経済雑誌 第五四巻第一三六九号・第一一五一―一一五四頁 明治三九年一二月二九日 渋沢男爵の演説に就て(乗竹孝太郎)(DK270099k-0003)
第27巻 p.318-321 ページ画像

東京経済雑誌  第五四巻第一三六九号・第一一五一―一一五四頁 明治三九年一二月二九日
    渋沢男爵の演説に就て (乗竹孝太郎)
去る二十一日の経済学協会に於ては、二箇の有益なる演説ありたり、一は実業界の泰斗たる渋沢男爵が、会員の請求に応じ、我が目下の経済事情に関して演説せられたるもの、一は大蔵大臣たる阪谷博士が、渋沢男爵の演説に関聯し、財政の現況に就て演説せられたるもの是なり、而して此の二演説は、今日の時機に於て、大に世の注意を喚起したるを疑はざるなり
渋沢男爵は其演説の冒頭に於て「余は明治四五年より経済社会に従事し、仮令ひ好き眼識を以て従事せざりしも、兎に角に苦労し来りたる丈は事実なり」と述べられたるが、是れ即ち男爵をして常に民間経済の中心たらしめ、又将来も其の中心たらざるを得ざらしむる所以にして、此の一語は先づ満堂の聴者に深き感動を与へたるが如し、其れよりして男爵は、明治七年小野組の破産に基ける市場の混乱を第一回とし、維新以後我が経済社会に六七度の大波瀾起伏し、一張あれば必ず一弛之に続き、非常の活躍あれば必ず非常の沈滞之に続きたる沿革を
 - 第27巻 p.319 -ページ画像 
流暢なる言語と、趣味ある抑揚と、嘆称すべき強記とを以て、滔々叙し去り叙し来り、更に百尺竿頭一歩を進めて、我が現時の企業勃興に論及し、日露戦役後事業の進運漸く萌さんとしたるも、「ポーツマス」の講和談判、国民の意に満たざりし為め、各方面に頓挫を与へ、其の後も金融は至極緩漫にして、且戦勝の余栄あり、又戦争中意外の利益を得たるもの多かりしが故に、事業は振起すべき筈なるに、其の荏苒振起せさりしは、寧ろ不思議と感じたる所にして、是れ日清戦役後に陥りたる大困難を追憶し、其の羮に懲りて躊躇したりと云ふが一番の原因なるべく、又財政経済の前途を憂慮したることも企業熱を抑ゆるに於て与て力ありしならんと述べ、然るに段々春過ぎ夏来りても、気遣ひたる経済社会は案外平穏なりし為め、一朝企業の端緒開くるや、人気競ふて之に集中し、凡百の事業俄然として勃興し、株式の応募非常の盛況を呈し、工業殊に紡績事業の如きは著しく好況にして、資本家の利益するもの多く、又株式所有者の身代は膨脹したるが故に、有利の事業を求めて之を起さんと欲するは是れ亦自然の勢なり、然るに此の際保守一方に偏するは、国家を利益する所以にあらずして、或は国家の進歩を止むるの結果に帰せざるか、現に日清戦役後に於ても財政経済の膨脹過大にあらざるかと深く憂慮し、一時は果して商況の衰退を来したれども、大体の成績を見れば実業は発達したり、左れば権利株の売買に熱狂するが如きは勿論大害あれども、確実なる事業の振起するは必ずしも憂ふるに足らずして、此の点に就ては或は渋沢も楽観論者と称せらるゝ其一人に居るかも知れずと説き、玆に論鋒を一転して、併し翻て他の一方より考ふれば、竟に心配なきを得ずと喝破し金融の緩慢は一に経済社界実力発達の致す所にあらずして、財政の余力に依るもの少からざる事、現今の税法は不利益なるもの多く、而かも之を改正して歳入の増加を期し難き事、内外の公債は二十三四億に達し、之に鉄道公債を加ふれは二十七八億に達すべき事等を列挙し、前途若し工業会社の利益意の如くならず、株式相場も頓挫し、金融も逼迫するありとせは、日清戦役後に経験したる悲むべき現象は、或は明日にも来らざるかとの懸念なきにあらず、斯く思へば実に慄然たらざるを得ずと説き、終に楽観説・悲観説何れが当れるやの判決を下さず、之を判決するは数字に依りて事実を研究する学者の任なりと力言し、余音嫋々たる間に其の演説を結ばれたり
余輩の聴取せし所にして大なる誤謬なしとせば、渋沢男爵演説の要旨は実に上記の如くなりき、而して其演説の論勢に依りて之を察するに企業熱の昂上には大なる危険の伴ふなきにあらずして、是れ最も警戒を要すと雖も、大体に於ては事業の振興は、国家を利益すと云ふに帰するが如し、果して然らば、余輩の見る所も、亦此の外に出づる能はざるなり、而して此の説たるや平々凡々たるが如しと雖も、真理は多く平々凡々の間に存するものなり、徒に新奇を求むるは、是れ寧ろ無理なりと云ふべし
然れども如何にして危険薄弱なる事業を警戒すべき乎、是れ実際に於て甚だ困難なる問題ならざるべからず、蓋し進歩して止まざるは社会の常勢なれば、我が実業界が何時までも戦争中の状態を維持する能は
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ずして、早晩振興すべきは必至の数なり、目下の経済事情は、則ち此の必至の数を実現したるものに外ならさるべし、唯経済上の進行は常に反動を免れざるか故に、沈滞の反動として必ず活躍来り、其の隆盛の極、事業熱は漸く変して株熱となり、振興は漸く変じて暴進突飛となり、成功の基礎なき泡沫会社競ひ起りて、他日の崩壊を招くべき危険要素は益々増長蔓延し、或は一挙して、鉅万の富を攫得するものあり、或は一敗して祖先伝来の財産を蕩尽するものあり、其の損益禍福の変化極めて激烈にして、之が為め終に一般の経済社会も非常の擾乱を受くることなきを保せず、而して怒濤一たび到るときは、危険薄弱なるもの、健全鞏固なるもの各々其の分に応して淘汰を受くるに止まらず、危険薄弱なるもの破産相踵ぐに当りては、玉石倶に焼かれ、健全鞏固なるものも亦大に其の影響を蒙らざるを得ざるべし、是れ実に恐るべきなり、仮令ひ不幸にして、斯の如き擾乱に遭遇することあるも、社会は尚ほ能く其の発達を維持し、擾乱一過せは、健全鞏固なる事業は再び其の繁栄を加ふるに至るべし、故に箇人又は会社の浮沈起扑より観れば非常の惨禍あるへしと雖も、国家国民の全局より云へは依然進境にあるを失はざるべし、即ち事業の振興は之に伴ふべき危険を想像するも、尚ほ大体に於ては利益ありと云はざるを得ざるなり、然れども目的とする所は成るべく擾乱を防ぎ、一般の事業をして無難なる進行を遂けしむるにあり、故に経済社会の各方面は其の振興の際に於て最も玆に警戒し、擾乱を未発に制遏して意外の厄運を免れざるべからず、殊に財政及び金融の当局者は最も慎重なる注意を加へ、急激なる変動を避けて、常に事業と金融との調和を謀らさるべからず、若し事業の振興に際して其の奨励を濫にし、之が頓挫来るに及びて過厳の処置に出づるか如きは、是れ事業を陥阱に誘ふものにして、最も怖るべき結果なきを得ざるなり
今や我が国の外債は非常の巨額に達し、其の他市又は会社に於て外資を輸入せるものあり、又南満鉄道の如きも約八千万円の外資を募集するにあらされば、其の事業を経営する能はさるべし、故に我が国が毎年海外に仕払ふべき利子は、莫大の金額に達すべきこと勿論なり、而して輸入は戦争中に比すれば或は減少すべしと雖も、陸海軍の復旧又は拡張、国有鉄道の改良及び敷設、新事業の勃興に伴ふ機械原料の購買等は、何れも輸入を増加するものにあらざるはなし、之に対して我が輸出並に其の他海外より収入すべき金額は、能く均衡を維持すべきや否や、我が外債募集金の残額海外に積立てられつゝある間は必要に臨みて之を流用するの便利あるべしと雖、該資金の一部は歳計の不足補塡に充用せらるゝの予定なるが如し、要するに該資金は売債若くは募債に依りて補充せらるゝに非すんば、漸々減少するの一方なり、又日本銀行は其の公表せる正貨準備の外に、大額の資金を貯へ、之を外海に於て積立て居るが如し、最れ実に我が兌換制度及び経済社会の最後に依るべき支柱なりと雖も、該資金も亦固より限りありて無尽なるものに非さるなり、故に我が生産を旺盛にし、輸出を増進して、対外貸借の均衡を維持するは目下の最大急務なれば、健全なる事業の振興は最も之を歓迎せざるべからず、然れども其の十分なる結果を得るに
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先ち、或は外資に依頼し或は輸入を増加するの必要なきに非ざるべし故に其の経過の際に於て財政上経済上の原因相集り、対外貸借上に非常の不権衡を来すことなき乎、之が為め終に正貨の流出を起すことなき乎、金融逼迫し株式下落して実業界の頓挫を来たし、無謀なる薄弱会社続々として瓦壊するに至るなき乎、是れ最も警戒且研究を要する所なり、然るに渋沢男爵が此の点に関し其の胸中の抱懐を十分に開示せられざりしは、余輩甚だ之を惜まざるを得ずと雖も、惟ふに是れ或は止むを得ざるものあるべし、抑々男爵は楽観説・悲観説を併挙して其の是非に関する判決を与へず、蓋し之が判決を与ふるときは、其の判決の楽悲何れにあるを問はず、必ず実業界に大影響あらん、是れ男爵の地位として大に慮るの要あるべし、且此の問題たるや、或る局面は楽観すべく、或る局面は悲観すべく、楽悲相紛糾混合せるものなれば、到底楽観説可なり、若くは悲観説是なりと、一刀両断の判決を下すこと能はざるべし、故に男爵が楽観・悲観両説共に大に理ありと為し、其の一を偏重し其の一を偏軽せざりしは、是れ亦一種の判決にして、一方には暴進突飛の無謀事業を警戒しつゝ、一方には堅実なる事業の発達を企図するは、蓋し男爵の志なるべし、唯男爵は如何にして前途の難関を通過すべきかを語られざりしが故に、他日の機会を俟つにあらざれば、此の点に関する男爵の意見を聞く能はずと雖も、実際男爵は民間経済の中心として、躬行以て此の問題を解決せざるべからざる重大責任を、其の双肩に荷はるゝものなり、故に男爵は其の実際の経営を以て、其の演説に略せられたる所を説明せらるべきなり、余輩は男爵が能く実業界を善導し、其の非凡の眼識を以て、国家の為めに此の問題を解決し、我が経済社会に安泰を与へられんことを切に祈らざるを得ざるなり
然り而して渋沢男爵が其の演説中、財政繰縦の為めに民間経済に動揺を及ぼすことを論ぜられたるに対し、阪谷博士は財政の為めに決して経済を妨ぐることなきを説き、以て一矢を男爵に酬ゐられたり、而して阪谷博士の演説に関しては余輩他日を以て更に一言する所あるべし


東京経済雑誌 第五五巻第一三七〇号・第二―六頁 明治四〇年一月一二日 大蔵大臣の演説に就て(DK270099k-0004)
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東京経済雑誌  第五五巻第一三七〇号・第二―六頁 明治四〇年一月一二日
    大蔵大臣の演説に就て
旧臘二十一日の経済学協会に於て、阪谷大蔵大臣か、渋沢男爵の演説に関聯し、財政の現況に就て演説せられたることは余輩が既に一言したるが如し、蓋し民間経済の代表者たる渋沢男爵が財政の為めに民間経済に影響を及ぼすことを説かれたるに対し、財政の代表者たる大蔵大臣が答弁を与へられたるものにして、此の両演説の筆記は共に本誌に掲載せるを以て、読者が之を通覧せられんことを望むものなり
大蔵大臣は数字を掲げたる具体的の説明を与へずして、単に抽象的に大要を述べられたるに過ぎずと雖も、尚ほ其の説に徴して財政当局者抱懐の一端を窺ふに足るべし、大臣は、日露戦役後と日清戦役後と相異なる原因は、智識の発達と外資の利用とにありと為し、今日の事業熱が変じて株熱となりし以上は相当の矯正を要すと為し、最も怖るべきは財政にして、経済界の順調を維持すると頓挫せしむるとは、今後
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の財政にありと為し、経費を節約すべしとの単純なる経済論は大戦後の財政には応用困難にして、陸海軍復旧費・満韓勢力範囲防禦費・同地方行政費等経費の増加を要すと為し、財政当局者は甚だ困難にして此処数年間の財政は余程注意を要すと為し、更に四十年度予算編成の主義を説明して、税法調査決了せざる間は増税は得策ならず、戦争に疲れたる国民には多少の休養を与ふるを要す、又短期公債は続々償還せざるを得ざるが故に、一方に於て大なる公債を募るは得策にあらず故に税法の調理を決了したる上にあらざれば増税・募債の問題に立入るべからずとの原則を置かざるべからずと為し、更に減債基金に論及し、該基金は最も大切なり、短期公債の期限は今後数年にして続々到来するが故に、若し借替出来ざる場合には、元金を償還するの力を今日より貯へ置くを要す、又該基金は非常準備金ともなるものなり、又該基金あれば一面経済界に於て事業を計画し、一面政府が公債を償還する釣合を取り、金融界を調理するを得べしと為し、港湾・鉄道・河川の改良等には多少の経費を吝まざる積りなりと為し、外債を俄然十億以上も負担したる国は多くはあるまじと為し、輸出貿易の好況なるを説きて、政府の経営と民間の経営と相待て進行せば、外債の仕払を確実にするを得べしと為し、歳入好況にして予算よりも余程増加せるを説き、終に政府の財政は決して民間の経済を妨ぐるものにあらずと為し、株熱を非とし、民間経済に困難を来し、政府に救済を求むるが如きことなきを希望して其演説は結ばれたり
政府の当局者が兎角秘密に藉口して、緘黙是れ守るの風あるに反し、大蔵大臣が簡短ながらも財政方針の大要を説明せられたるは、余輩其の親切を称して満足を表せざるを得ざるなり、而して最も怖るべきは財政にして、最も慎重なる考慮を之に加へざるべからずと明告したるは、固より当然の事なれども、又以て財政の現況を推知するに足るものあり、蓋し今日我が財政は頗る困難にして、而かも尚ほ其の収支の金額は頗る膨脹せり、民間の経済は本にして政府の財政は末なるが故に、民間の経済旺盛なるに非ざれば、政府の財政独り旺盛なる能はざること勿論なりと雖も、大戦役の為めに政府は莫大なる租税を国民より絞り、又莫大なる公債を内外に募集したるか故に、財政の膨脹と民間経済の発達とは大に均衡を失ひ、頭重くして腰弱きの不安状態を招きたり、是を以て財政収支の一挙一動は、金融界・経済界に影響を与ふること自ら強大ならさるを得すして民間の経済は之か為め常に懸念を感ずるを免れざるべし、是れ民間の経済に取りて大なる障碍ならさるを得す、財政当局者は深く玆に留意し、民間経済の発達が遥かに財政の膨脹に凌駕し、鞏固状態を恢復するに至るまては、殊に財政の収支を慎み、激変を避けて、民間経済の調和を擾乱せさることに努めさるへからす、惟ふに大蔵大臣が経済界の順調を推持すると頓挫せしむるとは、今後の財政にありと云はれたるは、多分此の辺を意味することならん、又大蔵大臣は経費増加の止むを得さるを説くと同時に、国民に休養を与ふるの必要を認めたり、夫れ大戦後の財政をして、忽ち大戦前の財政に復せしむることは恐くは不可能ならん、又国民も敢て之を強求するものにあらさるへし、故に多少の経費膨脹は到底免れざ
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るべしと雖も、一面経費増加するに際し、一面之を節約するの余地なきにあらさるか故に、成るへく事を省きて経費を節約するの要義は、一刻たりとも之を忘るへからす、而して三十九年度の歳入好況なりと云ふは、甚た喜ふへき現象にして、社会の進運之を然らしめたるものに外ならず、且今日頻々計画せられつゝある新事業が、幸に健全なる発達を遂くるに於ては、租税の収入は必す著大なる増加を来すことなるべし、故に政府は忍び得る限り経費の増加を忍び、社会発達の結果租税の収入自然に増加するの程度に於て、漸次に必要の計画を実行するを以て、其の大体の方針と為さゞるべからず、就中不生産的なる経費の激増は、此の際最も之を戒めざるべからず、然らずんば財政と経済との均衡を恢復するの日は、何時までも来る能はずして、益々賦税を辛苛にし、益々借金の深淵に淪落するの一方のみとならん、是れ豈国運を隆興せしむるの道ならんや、又大蔵大臣の希望の如く、戦争に疲れたる国民に休養を与へんと欲せば、余輩が屡々論じたるが如く、租税の根本的改革を断行し、良税は憚る所なく之を新設増課し、貧民に偏重なる悪税は惜しむ所なく之を廃止軽減して、寛苛軽重の不公平を洗除するの外に名策あるべからず、余輩は大蔵大臣が必ず之を勇改断行せられんことを冀はざるを得ず
大蔵大臣が減債基金の必要を説かれたるに至ては、余輩不幸にして之に服する能はざるなり、蓋し四十年度の予算は未だ其の内容を知ること能はずと雖も、世間伝ふる所に依れば、歳出総計約六億二千万円、経常歳入約四億円にして、二億二千円の不足あるが故に、之を補塡するが為め、政府は臨時軍事費の剰余金見込高約一億八百万円を繰入れ更に三十八年度剰余金及び不用品売却代金を加へ、尚ほ不足する所は鉄道・電話・製鉄所等の拡張費として約三千五百万円の公債を募集するの計画なりと云ふ、果して然らば、大蔵大臣は税法調査の決了までは増税・募債の問題に立入るべからざるの原則を置かれたるにも拘らず矢張り数千万円の募債を要するものなり、加之既往募債の結果たる巨額の剰余金を繰入るゝものなるときは、四十年度の歳計は実際に於て非常の借金歳計なりと謂はざるべからず、又臨時軍事費は本年三月末を以て決算するものなるに、其の決算を待たず、単に見込を以て剰余金を予算に繰入るゝものとせば、財政の窮状困態も亦想ふべきにあらずや、而して四十年度は斯の如き手段を以て、辛くも一時を糊塗すべしとするも、四十一年度以後に於ては如何にして能く歳出入の均衡を維持し得べき乎、四十年度の不足高約二億二千万円は臨時歳出と称する由なれども、実際は数箇年の継続支出を要するものなりと云ふ、然るに四十一年度以後に於て、四十年度の如き巨額の剰余金を見るは到底期すべからざる所なるときは、此の不足は果して如何なる財源を以て補塡するを得べき乎、税法改革の結果一時に二億円前後の歳入を増加すべしと為す乎、是れ殆ど夢を語るの類にして、最も覚束なきなり、大蔵大臣は一方国民に休養を与へんと欲し、一方経費の膨脹は止むを得ずと為せり、休養せざるべからざる国民を控へて、膨脹せざるべからざる経費に応ぜんと欲す、果して如何なる成算かある、是れ余輩の最も聞かんと欲する所なり、而して百計尽くるに於ては又々募債
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に依るの外なからんのみ、既に募債を要すとせば、減債基金を積立つるは実に無意味なり、積立つべき基金あれば、之を歳計上に活用して募債を止むるに如かず、募債の必要なく尚ほ積立つべき基金ありとせば、該基金を以て直に公債を銷却するに如かず、是れ公債利子を省くの利あり、公債価格を騰貴せしむるの利あり、大蔵大臣は短期公債の期限数年後に到来するか故に予め元金償還の力を貯ふるを要すと為せり、然れども是れ大に非なり、仮令ひ基金を積立つるも一面新に募債しつゝあれば、公債の供給其の需要に超過し、其の相場下落せざるを得ざるが故に、短期公債の期限に至り、借替を為さんと欲するも人々現金の償還を求めて、借替に応ずるものなかるべし、之に反し新なる募債を止め、且年々予算緩急の許す範囲に於て着々公債を銷却すれば公債は益々騰貴するが故に、借替を為すは実に易々たるべし、故に余輩は減債基金を以て誤謬なる財政策と認めざるを得ざるなり
殊に意外とすべきは、大蔵大臣が減債基金を以て、暗に非常準備金に充てんと欲すること是なり、抑々国債整理基金は国債の償還発行に関する費途に使用するものたるは、法律の明文之を規定して炳乎たるものありと雖も、凡そ政府の手許に資金蓄積せらるとゝきは、苟も事ある毎に之を流用せんと欲するの誘念禁じ難きが故に、減債基金の如きも亦此の運命を免れずして、公債整理の目的は終に雲煙に帰し去るの危険頗る大なり、是れ実験の証明する所にして、余輩が曩に減債基金の設置に反対するや、又之を以て其の其理由となせり、然れども若し流用の危険あるに会しては、大蔵大臣は必ず極力該基金を擁護して、公債整理の目的を貫徹するに焦慮すべしと期したりしに、図らざりき大蔵大臣も亦初めより該基金を以て非常準備金に充つるの精神を抱かるゝあらんとは、是れ実に意外なり、而して既に此の精神あるときは減債基金なるもの、公債を整理するに於て何等の効力もなきに至るべし、一石両鳥を打たず、一基金豈に能く両目的を併せ達することを得んや、公債整理の目的は漸次に公債元金を銷却するに非ずんば、之を達すること能はず、非常準備金の目的は資金を蓄積するに非ずんば、之を達すること能はず、公債を銷却し資金消滅して尚ほ且非常準備金たらしむるを得べき乎、資金を蓄積して尚ほ且公債銷却を行ふを得べき乎、大蔵大臣に魔術あるに非ずんば、焉ぞ此の両目的を併せ達することを得んや、議者或は云はん、減債基金を以て公債を買入るゝときは市場に於ける公債の供給を減じて其の相場を騰貴せしむるを得ん、是れ公債の整理なり、而して一朝事あるときは、此の公債を以て非常準備金に充つれば可なり、減債基金の妙用実に玆に存すと、然れども政府が市場を操縦して公債相場を引上けんとするが如きは、古今各国の事績総て其の失敗を証明せざるはなし、何を苦みてか危道に走りて其の覆轍に陥るを要せんや、且つ一朝事あるに当り、俄に多額の公債を売却するときは、市場に激変を起し、公債相場下落して、政府大に損せざるを得ざるのみならず、畢竟必要に臨みて公債を売却するは、必要に臨みて公債を募集すると何の択む所なし、故に平生に於て着々公債を銷却せば、其の相場益々騰貴し、政府の信用益々鞏固を加ふるが故に、公債の募集は敢て困難とするに足らざるなり、何ぞ必要の場
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合に売却せんが為めに、平生に於て公債を買貯へ置くの要あらんや、又大蔵大臣は市場の形勢を察し、巧みに減債基金を運用して、金融界を調理せんと期せらるゝに似たれども、斯の如き干渉の為めに、市場は反て不安を感じ、紊乱を蒙ること頗る多し、是れ亦最も慎まさるべからさるなり
最後に大蔵大臣は、政府財政の為に決して民間の経済を妨くることなしと断言せられたり、大蔵大臣の覚悟としては勿論斯くなかるべからす、然れとも財政の膨脹せる今日、其の操縦の為めに民間経済に影響を及ほすを免れざるは前述の如し、例せば臨時軍事費の剰余金を歳計に繰入るゝの結果、在海外の資金を回収するを要すとせば、政府は専ら為替を売出して之を回収するならん、然るときは為替相場漸く上進して、輸入商の利となり、輸出商の不利となることあるが如き是なり故に政府は最も注意して財政の収支を円滑ならしむるを要すると同時に、実業家も亦深く玆に注意せざるべからず、又大蔵大臣が民間の経済に困難を起し、政府に救済を求むるが如きことなきを希望せられたるは、甚た適切の注意にして、実業家は以て其の頂門の一針と為さゞるべからす、実業家たるもの濫に暴進突飛し、困難来るに及べは忽ち政府に泣付くが如き陋態あるべからす、飽くまても自重し、政府と独立して、能く其の経営を全くするの決心なかるべからざるなり