デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

5章 学術及ビ其他ノ文化事業
4節 新聞・雑誌・出版
1款 中外物価新報・中外商業新報
■綱文

第27巻 p.501-503(DK270136k) ページ画像

明治22年1月27日(1889年)

是ヨリ先、同月二十日、中外物価新報ハ中外商業新報ト改題ス。栄一、「商況社ノ喬遷ヲ祝シ併セテ将来同社ニ望ム処アルヲ告グ」ト題スル論説ヲ是日発行ノ同紙ニ寄稿ス。


■資料

中外商業新報 第二〇四九号 明治二二年一月二七日 商況社の喬遷を祝し併せて将来同社に望む処あるを告ぐ(渋沢栄一)(DK270136k-0001)
第27巻 p.501-502 ページ画像

中外商業新報  第二〇四九号 明治二二年一月二七日
    商況社の喬遷を祝し併せて将来同社に望む処あるを告ぐ
                      (渋沢栄一)
 中外物価新報の我商業世界に現れしは今を距る十三年以前にして、明治九年に初めて発行せしものなり、而して其要旨は題号の如く、主として中外の物価を詳載し旁ら商業上の時事を記し、社説の如きは勉めて着実を貴び、商業社会緊要措くべからざるの時にあらざれば、叨りに言を発せず、弄筆舞文・濫誉軽毀の挙に於ては最以て慎戒を加ふるを以て、世の軽佻者流の偏愛激賞を享けざりしも、事に実際に従ふの人士は、皆其確実信切を貴重せざるものなく、発兌為めに増進し、社業日を逐ふて昌盛の運に向へり。
 然りと雖も、当時我儕実業者の間には猶此新報に不足を感ずるの想あり、是れ其記事の周密にして、社説の正確なるにも拘らず、執る処の主義は唯物価を詳記するに止るを以て、敢て商業の活機を説き、経済の妙理を談ずる能はざる所あるを以てなり、然るに今玆に其組織と題号とを更め、併て其居を新築し、其紙面を改良し、準備既に成るを以て今日を卜して改題第一紙を発行するに至る、我儕実業者に在ては殊に之を喜び、之を祝し贈るに一言を以てせざるを得ざるなり。
 然り而して、余は之を祝するに当りて、琳瑯の言葉を綴り、瓊玉の文字を並べ、苟も実価ある紙片に向て虚栄の賛辞を塗するを好まざるが故に、寧ろ破格に失するも慎て虚文を斥け、貴社の為に我儕実業者が将来に希望する処を申告せんと欲す、貴社幸に其直情径行なるを恕せよ。
 貴社の今日ある所以は既に前章に述べたる如くにして、我儕は貴社を信認し、其新報を貴重するといへども、我儕の事業は年に進歩して止まらざるなり、之を貴社が創立の日に比すれば其知識・経験・実力共に決して同等の地位にあらざるべし、語を換て之れを云へば、即ち明治二十二年の実業者は、復た明治九年の実業者にあらず、商業なり工業なり、蚕桑の業なり、皆多少進歩改良して其面目を一変せしを以て、願くば貴社も亦従前の地位に安んぜず、共に揚鑣駢馳して世人を
 - 第27巻 p.502 -ページ画像 
して貴社の報ずる処は必ず実際の現象に基かざるはなく、貴社の説く処は必ず実業者の頷領する処にあらざるはなく、故に貴社の言論は実業者の精神を代表する者にして、貴社の報道は実業者の挙措を規度するの具なることを信認せしめ、彼の英のエコノミスト、米のブラツドスツリート等の如く、片言隻語も九鼎大呂より重きに居るの地位に達せざるべからず、是れ余が貴社に望む処の一なり。
 物価は商業より生じ、商業は物価を左右するが故に、物価新報といひ、商業新報といふ、其義一なりとせば則已みなん、然れども果して其義一なりとせば、殊更に物価の字を改めて商業とするを要せず、夫れ物価といへば相場なり、商業といへば売買取引の事なり、其区域固より差別あることは事理を解するものゝ皆知る処なり、故に余は今日貴社が記載すべき事物は、旧中外物価新報の記載したる処のものより其区域較々広く、且其実際に接して叙述申論する処も、一層深入すべきを信ず、果して然らば、貴社は自今殊に筆法を正して公明正大を主とし確実信切にして、其耳目は務て平虚ならしめ、能く事実に通覈して其信偽を弁し、正邪を察し、善悪を判し、苟も権勢に媚びす、貨利に諂はず、挺然直立して万一にも世人をして、彼の雑報は是れ陰に庇保する処のものあり、此論説は是れ殊に他の歓心を邀ふるるものなり或は此に銅臭あり、或は彼に諂色あり、等の刺評あらしむるなきを要す、是れ余が貴社に望む所の二なり。
 我商工業の為めに、海外商工業の事情を報道するは、今日に在て既に緊要の事に属し、将来益其必要を感ずるものなり、而して貴社は其新報に題するに中外の字を以てすれば、常に其責任を負担するものといふべし、故に毎紙必ず海外商工業の事情を記載して、其報道を怠るべからず、然るに海外商工業の事業といふも、其区域甚だ濶く、能く之を網羅せんには、毎日数丁の紙に印するも、恐くは之を尽すに足ざるべし、然れども余が玆に海外商工業の事情といふは、我が商工業に重なる関係ある事物にして、例へば生糸・織物・棉花・綿糸・銅・鉄陶漆器、若しくは石炭・麻・茶等の類に就て、能く欧米市場の情態を詳にして、間断なく之を記載し、読者をして前月は某国某貨の市況を詳記せしが、今月は之を欠き、某貨の昂低は前に密にして後に疎なり某事は僅に其初を掲載した後には其報道なしと云はるゝ如きことをなさず、一度其端を開きたる重要の事物は、実際の消長に随て、常に新報上に跡を存し、読者をして之に信依せしむべきを要するなり、語を換へて之を云へば、則此新報には邂逅世人を驚かすの事項を載するよりは、寧ろ常に商工業者の参考に便すべき記事を勉むるにあり、是れ余が貴社に望む処の三なり。
 嗚呼我儕実業者は貴社に望むに此三要を以てせり、之を快諾し、之を擯斥するは貴社の採択にありといへども、貴社もし此三望に副はず我儕と異軌分行するに於ては、独り貴社の名誉に関するのみならず、我儕の不便不幸も亦甚だ少なからず、而して我儕の不便不幸なるは是れ豈天下商工業者の不便不幸ならずや、貴社の責任重且大なりといふべし、貴社其れ勉めよや。

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新聞集成明治編年史 同史編纂会編 第七巻・第一九〇頁 昭和一〇年一一月刊(DK270136k-0002)
第27巻 p.503 ページ画像

新聞集成明治編年史 同史編纂会編  第七巻・第一九〇頁 昭和一〇年一一月刊
    三井の機関紙「中外物価新報」
      「中外商業新報」と改題
〔一・五 ○明治二二年中外物価新報〕 中外物価新報改題、並に字数増加の社告。
 弊社より発兌致候中外物価新報は、我が商業社会の発達進歩すると共に益々世人の愛読を蒙り、発兌の紙数も日を逐ふて増加するの盛運に至り候に付、昨年夏より日本橋区三代町一番地へ家屋の新築に着手致候処、今や本社及び器械室とも粗ぼ落成を告げ、且つ兼て米国へ註文致したる印刷器械も已に到着して目下其据付中なれば、本月中旬を以て本社を同所へ移し、且つ来る二十日よりは中外商業新報と改題致したる上、其紙幅を改め字数を増し、毎日本紙半面大二つ折四ページの付録を付し、京浜の商況・物価等は残らず之れに記載し、本紙へは傍訓《ふりがな》を付して、商工業及経済に関する論説・雑報は勿論、政治・社交技芸の事迄も、大切の事は、洩れなく記載すべし。
 斯く中外商業新報と改題候に付きては、従来の主義・性質にも変更あらん歟と御懸念の方々もあらん歟なれど、其主義・性質に至りては更に従前と異る所なく、矢張り商工其他実業に関する記事・論説を掲ぐるを主とし、併せて政治・社交の事項と雖も、其重要なる事柄は一切之を洩らさず、従前より一層迅速確実に、報道せんことを期し候へば、中外商業新報の読者は迅速且確実に全国の商工業其他政治・社交の事件を知るに便すると同時に、京浜・大坂・神戸等各商業地の商況物価は勿論、倫敦・巴里・里昂・未蘭・ハンボルグ・伯林・紐育・桑港・シカゴ・上海・香港・天津・芝罘・フヰリツピン・新嘉坡・仁川釜山・元山・浦塩斯徳・濠洲等、苟も我国と貿易の関係ある市場の商況相場を知るを得るの方法を設けたれば、読者の便益尠からぬ事と存候間、尚一層汎く御愛読あらんことを乞ふ。
  明治廿二年一月               商況社