デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

6章 政治・自治行政
1節 政治
2款 衆議院議員立候補
■綱文

第27巻 p.559-561(DK270145k) ページ画像

明治23年7月1日(1890年)

是日第一回衆議院議員選挙執行セラル。深川区民等栄一ヲ第五区ノ議員候補者ニ推シ、次点者トナル。


■資料

国会議員三百家列伝 緒言・第五二頁 明治二三年八月(DK270145k-0001)
第27巻 p.559 ページ画像

国会議員三百家列伝  緒言・第五二頁 明治二三年八月
    緒言
一本書ハ我カ全国ニ於テ去ル七月一日ヲ以テ稍々撰挙セラレタル衆議院議員三百家ノ伝記ヲ、或ハ其人ニ需メ、或ハ其知人ニ訪ヒ、或ハ新聞雑誌ニ散見セルモノトヲ参照シ、毫末モ誤謬ナキヲ期シ之レヲ輯録シタルモノナレバ、恐ラク大過ナキヲ確言ス
○中略
  附録 ○議員当撰者及競争者一覧表
     ○東京府 (定員十二人)
○中略
第五区 本所区・深川区
 一五六 太田実 士族 中立 九四 渋沢栄一 自治
○下略
   ○栄一ハ次点者ナリ。


東京経済雑誌 第二二巻第五二九号・第五一―五二頁 明治二三年七月一二日 ○渋沢栄一氏は初より議員たるの望なし(DK270145k-0002)
第27巻 p.559-560 ページ画像

東京経済雑誌  第二二巻第五二九号・第五一―五二頁 明治二三年七月一二日
    ○渋沢栄一氏は初より議員たるの望なし
渋沢栄一氏は今度の衆議院議員選挙に際し、甲乙と競争したり、競争して失敗したりなど、京童の常として面白さうに言ひ噺せ共、コハ全くの根なし草、葉に葉か附きていとも同氏の為めに口惜しくぞ思はるる、成程当年の春頃より深川区民の資格をもて屡々渋沢氏を訪ひしものあり、其の用事は知るを得ざれど、常に面会を得ずして帰りしと云ふ」去月廿五日丁度区会の開かれたる序、串田孫三郎氏は候補者たらんことを渋沢氏に請ひ、区内の人心皆な君に傾きて今は如何とも致し難しとの旨を申出てしに、渋沢氏の曰く御無体も亦た甚しとや云はん自分は不肖ながら商工の業を進むるを以て畢生の務となして、念を政治の事に絶てり、是れ一朝の決意にあらず、明治四年大蔵省《(マヽ)》の微官を辞したるも全く此の志望を遂けんか為めのみとて、長々と氏か決意の履歴沿革を述べて固く候補者たることを辞されたり」斯くて七月一日と云ふ当日まで吾々は誰れを候補者と定むることもなかりしか、二日開票となりて不思議にも深川区の一団結は揃ひも揃ふて九十四名の投票、皆な悉とく渋沢氏に集まりたり」之より先き吾々は心既に決して何と云ふとも動かぬ存念なれは、一層渋沢氏に面会せぬこそ便宜なれと思ふて二ケ月余りは訪ふことを止め、同氏も此件に付きて全く聾なりしことは吾々撰挙人の保証する所なり、
 - 第27巻 p.560 -ページ画像 
去る六日、当区の用を以て区内の有志百名程伊勢平に集まりたり、時節柄撰挙の結果に付きて一・二の談話も出てたるか、別に残念と思ふものもなく、如何に深川全区に衆望ありて吾々か選はんとするも、肝腎の投票の数より云へは、深川区は本所区に劣ることなれは、我々の望か達せざりしも尤もなりと皆々申し合へる内、丁度渋沢氏も来会せられしかば、吾々か同氏の心情を知りなから、強て候補者と推せしことの罪を謝せしかば、同氏は之れに挨拶をせられぬ、其の主意は、先きに串田氏に対するの答辞と大同小異、ツマリ自分は諸君の推薦を受けて投票の栄を蒙むりしと雖とも、元来志、商工業にありて、政事にあらす、若し政事に意あるならば明治四年に辞職をせず、政治家とか云ふものにて今も世に立ちしならん、当時畏友の忠告にも従はず、断然意を官途に絶ちしものは、商工業を改良し、商工業者の位置を進むるの志望を達せんか為めなり、当初の志未た全く成らずと雖とも、漸く世運は自分共の方針を助けて幸に今日あるを致せり、是の故に自分を政治上に引出さんとするは洞慾と申すものなり、栄一は今後商工業の件に付き或は「我は日本の商人」なりと名乗り出て、諸君の御助成を請ふことはあらん、去れども政治の事に至りては、平らに諸君の御宥免を蒙り度し、是れ栄一の願なり」と、是に於て一同打ち解けて他の用事を商議し、晩餐の間談笑時を移し、契はいとゞ深川の清き流れに、風そへて熱さを忘る夕まぐれ、歓を尽して会を散じぬ、深川区民伴直之助記


明治文化全集 吉野作造編 第三巻(正史篇下巻)・第一九九―二〇〇頁 昭和四年三月刊(DK270145k-0003)
第27巻 p.560-561 ページ画像

明治文化全集  吉野作造編
             第三巻(正史篇下巻)・第一九九―二〇〇頁 昭和四年三月刊
 ○明治政史下篇 指原安三輯
    明治政史第二十三編(明治二十三年)
○上略
衆議院議員候補失敗者 又其候補者中に在つて僅に敗を取りしもの左の如し。
 矢島作郎   大三輪長兵衛  稲田政吉    田口謙吉
 渋沢栄一   堀田正忠    須藤時一郎   根本正
 辰巳小次郎  高橋基一    角田真平    菅沼政経
 鈴木信任   千田軍之助   鳩山和夫    小室信夫
 宇川盛三郎  熊野敏三    宮本頼三    牛場卓造
 秋山小太郎  岡本武雄    平林九兵衛   久松義典
 村野山人   土居光華    砂川雄峻    上田農夫
 山川善太郎  丸尾文六    肥塚竜     平沼専蔵
 加集寅次郎  吉田正春    前島豊太郎   大塚成吉
 丸山名政   草刈親明    宇陀太郎    首藤陸三
 玉手弘通   松田常吉    土倉庄三郎   花香恭次郎
 山川浩    池田栄亮    日下部三之助  桜井静
 苅宿仲衛   中島又五郎   薬袋義一    嘉悦氏房
 飯山正秀   多田作兵衛   井本毛三    樋口元周
 柏田正文   波多野伝三郎  山田一郎    加藤政之助
 - 第27巻 p.561 -ページ画像 
 小鷹狩元凱  小田切謙明   井上角五郎   城山静一
 堀口昇    波多野承五郎  高橋達郎    館野芳之助
 野出鋿三郎  五代竜作    市島謙吉    吉田熹六
 内藤魯一   坂田高寿    曾田愛三郎   小島忠里
 重野謙次郎  沢田俊三    佐伯剛平    渡辺修
 岡野寛
○下略



〔参考〕新聞集成明治編年史 同史編纂会編 第七巻・第四五四頁 昭和一〇年一一月刊(DK270145k-0004)
第27巻 p.561 ページ画像

新聞集成明治編年史 同史編纂会編  第七巻・第四五四頁 昭和一〇年一一月刊
  栄冠三百誰が頭上に落ち来る
    我が立憲政治起原史に特書すべき
   第一回総選挙けふ開票
〔七・一 ○明治二三年国民〕 七月一日 ○今日は是れ一擲乾坤を賭するの日なり、所謂天下分け目の大決戦の日なり、在朝・在野の勝敗今日に決す、保守・進歩の勝敗今日に決す、吏権・民権の勝敗今日に決す、今日は是れ如何なる日ぞや、我邦の立憲政治起原史に於て、特筆大書せらる可き日にあらずや。
○下略



〔参考〕郵便報知新聞 第二八一二号 明治一五年六月二七日 【渋沢栄一氏が此程仙台…】(DK270145k-0005)
第27巻 p.561 ページ画像

郵便報知新聞  第二八一二号 明治一五年六月二七日
○渋沢栄一氏が此程仙台ニ宿泊せられし時、県会議長増田繁平氏が其旅宿を訪し、談時事ニ亘りて京地政党の模様を尋られしすゑ、増田氏ハ更ニ膝ヲ進めて君若シ廿三年ニ至らハ国会議員とならるゝの思召にやと問れたるに、渋沢氏ハ徐に之ニ答テ、僕ハ過般府会議員ニ当撰せし時早速辞謝シタルニ、人々ハ尚措ず強テ議場ニ登るべしと勧めて已ざりしも、固ヨリ区々一地方の経済に拘るヲ慷とせざれハ、固辞しテ更ニ応せざりし、又此頃或筋より頻ニ官ニ就ケとノ内意ありたれど、万々一太政大臣になるへしとの命あるも決しテ応せさるべしとの心得ナリ、況哉其他の微官ヲヤと答ヘタリき、又廿三年に至り愈々国会の開くるニ当るも、僕ハ議員ニ撰挙もせらるまじ、又撰挙せられたしとの心もなし、唯管国の経済ヲ以テ自ら任し物産増殖ヲ以テ終始の念とし、最初よりの主義ハ決シテ更さる心底なりと語られしにぞ、増田氏ハ復其他ヲ問ハれざりしと言ふ