デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

6章 政治・自治行政
2節 自治行政
1款 東京会議所
■綱文

第27巻 p.654-665(DK270152k) ページ画像

明治8年6月9日(1875年)

栄一、当会議所ノ組織ヲ改メ委員ヲ公選ト為シ真ノ民会ヲ起サントシ、之ヲ頭取・掛リ等ニ諮ル。議一致セルヲ以テ、是日当会議所此儀ヲ東京府知事大久保一翁ニ上申ス。許サレズ。


■資料

東京商工会沿革始末 同会残務整理委員編 第一二頁 明治二五年五月刊(DK270152k-0001)
第27巻 p.654 ページ画像

東京商工会沿革始末 同会残務整理委員編  第一二頁 明治二五年五月刊
    ○東京会議所
○上略 是ヨリシテ会議所委員等ハ、其組織ノ官民ノ間ニ中立シ名実相適ハザルヲ以テ更ニ純乎タル公選民会ニ改良アラン事ヲ冀ヒ、乃チ同年 ○明治八年六月九日ヲ以テ其改良組織方案ヲ具シ、之ヲ府知事ニ稟請シタリ、然レトモ府知事ハ、元来此会議所ノ組織ハ府知事ノ諮問ニ備ハルト、共有金ノ出納ヲ掌理スルノ目的ニ在ルヲ以テ、其稟請ヲ納レザリキ ○下略


渋沢栄一書翰 福地源一郎宛 明治八年六月三日(DK270152k-0002)
第27巻 p.654-655 ページ画像

渋沢栄一書翰  福地源一郎宛 明治八年六月三日     (渋沢子爵家所蔵)
    (後筆)
    依頼状
拙者義東京会議所取締之依頼を受、昨明治七年十一月以来同所之事務ニ関与し候得共、倩今日之形勢より愚案いたし候に、右会議所之義ハ所詮此儘承続可致ものニ無之と存候ニ付、此程別紙草案を以て同所頭
 - 第27巻 p.655 -ページ画像 
取並掛り一同ヘ廻議およひ候処一同都而同説ニ有之、速ニ此書面之趣意を以府庁ヘ上申いたし、且此議場相閉し度との事ニ付、早々其手配可及候処、兼而御承知も被下候通り、拙生主務第一国立銀行之用向ニて、明日より暫時下阪之積手筈もいたし居候義ニ付、右留守中之処会議所一同より拙者ヘ依頼およひ候要旨を更ニ貴殿ヘ御依頼いたし候間、何卒拙生ニ代り、一同之衆議御聞取之上、右議場相閉候義を府庁ヘ上申方及其書面御調査等一切御取扱被下度候、仍而依頼状如件
   明治八年六月三日
                      渋沢栄一
    福地源一郎殿

以書翰啓上いたし候然者昨日之御衆議ニ於て決定いたし候当会議所閉局之上申書府庁ヘ差出方其外ニ付、拙生大阪旅行留守中之事務を、別紙之通、福地源一郎ヘ依頼およひ、同人承諾被致候ニ付、向後右取扱ニ付而ハ福地氏を以拙生と御心得被成、毎事御衆議之決判を乞ひ、且其上申書類等充分調査相願候様可被成候、此段御達申上候也
   明治八年六月三日           渋沢栄一
    東京会議所
      頭取
          御中
      掛り
   ○右ハ何レモ福地源一郎用紙ニ記サレタル栄一直筆ノ書翰ナリ。文中ノ別紙草案ハ次掲ノ資料ト推定セラル。
   ○当時ノ頭取掛リハ次ノ如シ。本款明治七年十一月ノ条参照。
    頭取
      三野村利左衛門
      向井市郎兵衛
    掛
      片山喜八
      鹿島清左衛門
      鹿島利右衛門
      倉教我
      岡田平馬
      西村勝三
      林留右衛門
      蔵田清右衛門
      奥三郎兵衛
      高崎長右衛門
      杉村甚兵衛
      後藤庄吉郎
      大倉喜八郎
      吉川長兵衛


東京会議所改革草案(DK270152k-0003)
第27巻 p.655-656 ページ画像

東京会議所改革草案            (渋沢子爵家所蔵)
当会議所之義ハ旧幕府之町会所ニ因襲し、維新之後も尚其旧名を存し百事御府之御指揮ニ遵ヒ、仮ニ市民総代之名を以市民中より夫々御撰任有之、従来之事務を取扱且其貯蓄之金穀ハ御府又ハ他之御省司之御指令を以其出納を為し、只其附属之地所と窮民救恤之事とを、夫迄之
 - 第27巻 p.656 -ページ画像 
慣法ニ拠りて官撰之委員共取扱罷在候処、明治五年五月中尚当所貯蓄金穀之残余有之候ニ付、漸官民之界限をも被為立候御趣意にて夫迄之消費員額ハ其計算とも明瞭御垂示ハ無之候得共、其節残余之額ハ其出納方法をも相定、前書委員共之幹理ニ帰し、専ら市中道路之修築を掌管せしむる為、改而其名を修繕会議所と称し、更ニ御府之御注擬を以て数員を御撰任相成、凡市中道路・溝渠・橋梁之如きハ其修築方法都而当所之議ニ附して之を施行可致筈、夫々御下命も有之候処、当時掛り御撰任相成候者より建白いたし、右修繕会議所之名義にてハ唯道路橋梁等之修築ニ而已ニ関し、一般之公益を衆議するの宏図も難相立ニ付、更ニ一歩を進め東京会議所と改称し、独り修繕事務のミに無之、進而府下全体之民会設立之端楷とも相成申度、就而ハ差向同所ヘ御委任之廉々及右衆議之節議場略則等迄其考案を草為し、併而相伺候処都而伺之通りニ採用相成、当議事之件名をも御示被下、爾来始而府下人民之代議にも相立候心得を以、一同其魯鈍をも不顧勉励従事仕候得共倩今日ニ就て愚案仕候に右様官民混淆之情状より成立いたし候場所ニ候得者、自ら其事務之界限も不相立、加之担当委員之職掌権限も無之より、其勤惰能否之如きハ素より識別するニ由なく、毎事行掛り之考案を以、委員之本人又ハ各代人共にて便宜其処分を為し、議事之真理ニ於てハ毫も相立兼、其上御府之御扱向ニ於ても或ハ之を議せしむヘくして其議を御下無之、又ハ前ニ之を審議せしめて後ニ之を脱略し、甚しきハ当所熟議之興論ニよりて申上候も御都合を以御採用無之等之事共有之、今日之景状を以て之を視れハ、決而人民之会議所ニハ無之御府之処務中剰余之雑件を取扱わしむる之一課同様ニ相成、明治五年五月中一同衆議上申之趣意と其之を御採用被下候高旨とハ全消滅候様奉存も、右様之姿にてハ唯其節之建議ニ背く而已ならす、方今追々政理上進いたし、既ニ本年元老院御設置被為在、且又地方官御会同等之盛挙も有之ニ付而ハ、各県より人民之名代を以傍聴人をも差出し且其各県下ニも頻々民会も相立候程之勢ニ候処、当御府下ニ於てハ都而従前之議場も陵夷ニ属し、其効験も不相立義ハ実ニ慨歎之至にして、私共一同仮令官撰を蒙り候とも、其各人民之代議たる上ハ別而府下之稠衆ニ対し慚愧之次第ニ奉存候、依而委員一同衆議之上、其今日ニ及候原因を尋訳仕候に、私共一同之未熟不能ハ申上候迄も無之候得共、唯其人物之乏きのミに無之、全以建設之方法其適当を失シ候より此混淆之弊害を生し候事と奉存候、就而ハ断然当会議所ハ御廃止相成、改而府下平民一戸開店之戸主よりして真成之委員若干人を公撰せしめ、其者共之考案ニよりて議事章程を草為し、且其議事上之権利ニ於てハ確く御府との約束を設立し、而して当議場ニ於て是迄取扱来候件々之如きも右之民会ニ附托すへきと及御府ヘ御引上可相成とを分界し、夫々其調理を為し其名其実ニ悖らすして真ニ府下人民之公益を興し、以而隆盛之御時態にも報酬候様仕度奉存候、就而ハ右委員公撰之方法及当所是迄取扱来候事務概要、其他金銀出納向ニ至迄悉皆調査上申仕候間何卒御採用被下真実之議場建設ニ立至リ候様御取扱被下度、此段奉建言候也
   ○右ハ第一国立銀行ノ用紙ニ記サレタル栄一直筆ノ草按ナリ。
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会議所伺 第三号 明治八年(DK270152k-0004)
第27巻 p.657-658 ページ画像

会議所伺  第三号 明治八年         (東京府文庫所蔵)
  (表紙)
 東京会議所ヲ改革スヘキ儀ニ付上申
                東京会議所
    東京会議所ヲ改革スヘキ儀ニ付上申
東京府庁ハ断然今日ヲ以テ当会議所ヲ改革シ、更メテ真正ノ民会ヲ創立セラルヘシ、是現ニ会議所ノ衆議ニ於テ私共一同ガ切ニ
東京府知事閣下ニ冀望スル所ニ候
当会議所ノ衆議ハ斯ノ如キ冀望ヲ成スニ付キ、即ハチ此書ヲ閣下ニ呈スルノ時ヲ期トシテ議局ヲ閉シ、向後ハ一切府庁ノ顧問ニ対フル事ヲ辞ス可シト決定シタリ、今コノ決定ヲ成スヲ緊要ナリトスル所ノ条理ヲ述フルニ当リ、先ツ当会議所ナル者ハ如何ナル性質ヨリ成リ立チタルカ謹テ玆ニ陳列スヘシ
当会議所ハ乃ハチ幕府時代ニ取建タル町会所ヲ因襲シタル者ナリ、維新ノ後ニ於テモ依然ソノ旧名ヲ存シ、東京府庁ノ選任ニテ仮リニ市中総代ノ名ヲ冒シタル諸人ニテ従来ノ事務ヲ取扱ヒ、其貯蓄ノ金穀ハ府庁又ハ他ノ省司ノ指令ヲ奉シテ出納ヲ為シ、且ツ附属地所ト窮民救恤トノ如キ慣法ニ拠リ官選ノ委員ニテ之ヲ担当シタリ」明治五年五月中東京府庁ハ夫レ迄右ノ町会所貯蓄ノ金穀中ニテ、其ノ幾許ノ高ヲ如何ナル実務ニ消費シタルカ、其ノ計算ヲ明瞭ニ垂示セラレスト雖トモ、其金穀ニ残余アルヲ以テ、漸ク官民ノ分界ヲ立ント欲シ、此ノ残余ノ剰額ヲ附下シテ彼ノ委員ニ幹理セシメ、其ノ出納ノ方法ヲ定メテ道路ノ修築ヲ管掌セシメ、名称ヲ更メテ営繕会議所ト成シ、府庁ノ官選ヲ以テ新ニ委員ノ数ヲ増シ、凡ソ東京市中道路・溝渠・橋梁ノ修築等ハ都テ之ヲ当所ノ議ニ附シテ施行セシム可キ旨ヲ下令セラレタリ」然ルニ当時コノ選任ニ応シタル委員等ヨリ府庁ニ建言シ、営繕会議所ノ名称ニテハ修築ノ一業ニ偏倚シ、一般ノ公益ヲ衆議スルノ宏図ヲ成スニ足ラザルヲ以テ、更ニ一歩ヲ進メ東京会議所ト改称シ、漸次ニ府下ノ民議ヲ設立スルノ端緒ト為サン事ヲ希ヒ、差向キ当所ニ委任セラル可キ件ニ及ヒ、会議規則等ノ考案ヲ草シテ之ヲ府庁ニ上申セシニ、府庁ハ之ヲ嘉納シ、尚御議事ノ条目ヲモ垂示セラレ、初メテ現今ノ東京会議所タルヲ得タリ
東京会議所ノ頭取委員等ハ、府下人民ノ名代人ノ如キ心得ニテ黽勉従事スルト雖トモ、其実際ヲ顧レハ奈何センヤ、原来官民混淆ノ性質ヨリ成リ立タルヲ以テ、民会ニ似テ非ナル者タル事ヲ、故ニ其ノ担当スル所ノ事務ニ於テモ自カラ官民ノ分界ヲ劃判スル事ヲ得ス、職掌ニ権限ナク、委員ノ能否ヲ識別スルニ由ナク、事務ニ遇フ毎ニ概ネ皆行キ掛リノ考案ヲ以テ便宜ノ処分ヲ成スノミ、彼ノ眼目タル議事ノ真理ニ於テハ、毫モ之ヲ実践スルヲ得サルノ勢ニ移シ遷リタリ
東京府庁ノ当会議所ヲ遇スルヲ見ルニ、或ハ之ヲ議セシム可クシテ其ノ議ヲ下サズ、或ハ前ニ之ヲ審議セシメテ後ニ之ヲ専断シ、甚シキハ衆議ニテ上申スル所アルモ御都合ヲ以テ之ヲ採用セラレス、今日ノ現状ヲ以テ考察スレハ会議ノ名アリテ会議ノ実ナク、恰モ東京府庁ノ一
 - 第27巻 p.658 -ページ画像 
分ニ属シ、剰余ノ雑務ヲ処理スルノ一課タルニ過キザル也、豈ニ前ニ嘉納セラレ垂示セラレタル会議所設立ノ趣旨ニ背馳スル者ニ非スヤ、仮令ヘ其ノ趣旨ニ背馳セスシテ会議ノ目的ヲ実践スル事ヲ得ルモ、尚先キニ所謂似而非ナル者タルヲ免レズ、已ニ非ナリ、何ゾ好ク真正ナル民会ニ異ナラザル所ノ効績ヲ致ス事ヲ得ンヤ、是レ数ノ最モ睹易キ者ナリ
倩々世上ノ情勢ヲ熟視スルニ、府庁ハ最早コノ似而非ナル者ヲ、今日ニ保存シ以テ政理ノ上進ヲ妨ケ、民権ノ拡充ヲ碍ク可カラス、現ニ地方官会議傍聴ノ如キ、既ニ民会ヲ起シタル諸県ニ於テハ真正ノ名代人ヲ県民ノ手ニテ選挙シ、以テ傍聴セシメント企テタリ、然ルニ東京府下ニ於テハ誰ヲ指シテ人民ノ名代人ト認メ、傍聴ノ情願ヲ為サシム可キカ、若シ私共一同ノ者ガ会議所ニ坐スルヲ見テ、東京人民ノ名代人ナリト云ハンカ、私共ハ府庁ノ官選ニ係ル輩ナリ、決シテ真正ノ名代人ニ非ス、今日ノ盛時ニ遭際シ、復何ノ面目アリテカ靦然愧ル所ナク漫リニ名代人ノ仮面ヲ粧フニ忍ヒンヤ、若シ又会議所ノ名称ヲ冒スヲ以テ、府庁ハ私共ヲ目シ人民ノ名代人ト成リテ傍聴ヲ情願スベキ権利アル者ト見做サンカ、是レ私共ヲシテ官民ノ間ヲ壅蔽シ、人民ノ貴重ナル権利ヲ壟断セシムル者ナリ、嗚呼僻地ノ県邑ト雖トモ漸ク民権ノ貴重ナルヲ悟リ、民会ノ設立ヲ企ルノ期ニ臨ミ、輦轂ノ下タル東京ニ於テハ旧貫《(慣)》ノ似而非ナル者ニ依リ其議場ヲモ陵夷ニ属セシムル而已ナラス、遂ニ市民一般ノ権利ヲ妨碍スルノ姿ニ至ルハ、実ニ慨嘆ニ堪ヘザル所ナリ
斯ノ如キ姿ニ至ル者ハ、畢竟私共ガ不才不能ヨリ生シ、人物乏キニ由ルニ似タレトモ、実ハ当会議所設立ノ真正ノ民会ニ似而非ナルニ根因シテ今日ノ弊害ヲ招キ、陵夷ヲ致シタル也、故ニ私共ハ府庁ガ断然今日ヨリ当会議所ヲ廃止セラレン事ヲ冀望シ、謹テ議局ヲ閉シ、漫リニ府庁ノ顧問ニ対ヘ、以テ市民一般ノ権利ヲ妨碍セサル事ニ決議仕候
夫レ市民一般ノ権利ハ実ニ閣下カ貴重スル所ナリ、私共ニテ已ニ之ヲ壟断ス可カラザル時ハ、閣下モ亦私共ヲシテ之ヲ壟断セシム可ラス、須ラク之ヲ府下一般ノ市民ニ帰シ与ヘ、真正ノ民会ナル会議所ヲ創立セラル可シ、此創立ハ府下ノ平民ヨリ公ニ選挙シタル委員ノ衆議ニテ考案ヲ起シ、明カニ章程ヲ以テ官民ノ間ニ権限ヲ定メ約束ヲ設ケ、以テ彼我ノ成規ト為スヘキ者ナリ」此委員ト府庁トノ間ニ於テ確定シタル約束ヲ以テ某件ノ処分ハ之ヲ人民ニ附托スヘシ、某件ノ挙措ハ之ヲ府庁ニ委任スヘシト判劃シ、真正ノ会議所タルヲ得ハ初メテ東京会議所ノ名実ヲ全フスルノ盛期タルヘク候
私共ハ切ニ此挙ヲ閣下ニ冀望スルヲ以テ、別紙ニ於テ真正ノ民会ナル東京会議所創立方法ノ概略、並ニ当会議所ニテ是迄取扱来リタル事務概略・金銀出納等ニ至ル迄悉皆調査別冊相添上申仕候也
  明治八年六月九日            会議所
    東京府知事 大久保一翁殿
   ○右資料ノ別冊タル、東京会議所創立方法ノ概略並ニ当会議所ニテ取扱来リシ事務概要及金銀出納等ニ関スル調査書ハ欠除セリ。但シ次掲ノ「東京会議所改革方法ノ概略」ハソノ一部ニ相当スルモノト推測セラル。
 - 第27巻 p.659 -ページ画像 


会議所伺 第三号 明治八年(DK270152k-0005)
第27巻 p.659-660 ページ画像

会議所伺  第三号 明治八年         (東京府文庫所蔵)
  (表紙)
 東京会議所改革方法ノ概要
    東京会議所改革方法ノ概略
東京府庁ハ速ニ現在ノ会議所ヲ改革スル事ヲ公布スヘシ、現在ノ会議所ニ出席スル輩ハ、公布ヨリハ会議ノ権ヲ有セズト雖トモ、解体ヲ成サスシテ改革ノ日ヲ待ツ可シ
是迄会議所ニ於テ著手シタル事業並ニ現ニ著手スル諸事ハ、公布ノ後ト雖トモ猶之ヲ担当シテ改革ノ日ヲ待ツベシ
東京府庁ハ東京市中一般ノ平民ノ公選ニテ挙ケラレタル委員ヲ徴集シテ、東京会議所ノ規則ヲ議セシム可シ
 玆ニ標目トスル所ハ東京府管轄地方ノ府会ヲ云フニ非ス、只々東京市会ヲ云フナリ、故ニ喩ヘハ東京朱引内トカ、或ハ第一・第二・第三・第四・第五・第六大区ノ合併区会ノ如キ者ト見做スヘシ
 一旦コノ会議ヲ起サハ、他ノ市外ノ諸区モ亦或ハ一区一区毎ニ区会ヲ設クルニ至ランカ、然後ニ於テ此諸区会及ヒ市会ヨリ徴集シタル委員ノ会議ヲ以テ、初メテ府会ヲ設立スル事ヲ得ヘシ、今玆ニ具陳スル所ハ実ニ東京市会ヲ旨トスル也
東京府庁ハ同時ニ委員公選ノ方法ヲ一般ノ平民ニ垂示スヘシ
 府庁ハ極メテ坦易ナル布達ヲ以テ、是迄ノ会議所ハ名実相協ハサリシ故ニ之ヲ改革シ、改メテ市中平民一同ノ衆議ニ掛ケテ、市政ノ相談ヲ致ス積ナリ、就テハ先ッ第一ニハ此会議所ヲ存スル方可然歟、第二ニハ存ス可シト極リタル上ニテ、如何ナル約束ヲ府庁ト会議所トノ間ニ取定ム可キ歟、是等ノ評議ヲ致ス為ニ、一同ノ入札ニテ適宜ノ者ヲ選ヒテ委員ト為シ、某月某日マテニ某地ヘ差出セヨ、尤モ此ノ委員ニハ府庁ヨリ給料ヲ与フル事ハ致サヌゾト、平民一般ニ通知セシム可シ
 偖如何ナル方法ニテ此ノ委員ヲ徴集スヘキカト云ヘハ、先ツ一町毎ニテ誰レ彼レノ別ヲ問ハス、戸主タル者ノ入札ニテ一人ヲ選フヘシ尤モ委員ニ選ハルヽ者モ亦戸主タル可シ
 右ノ如ク一町毎ニ一人宛ト選ハレタル輩ハ、尽ク小区ノ扱所ニ集会スベシ、勿論小区ニ寄リテハ此人数廿余名ニモ至ルアルヘシ
 此小区扱手狭ナラハ近所ノ寺院ニテモ差支ナシニテ初集会ヲ成シタル人々ハ、互ニ姓名ヲ通シ、其ノ人物ヲ親験シ、且ツ其ノ最寄ニ附テ世間ノ評判ヲ問合セ、凡ソ七日ノ後ニ第二集会ヲ成シテ、此人数ノ内ヨリ又一人ヲ入札シ、多数ノ入札ニ遇フタル人ヲ以テ、其小区ノ総選ニ預リタル人トシテ委員ニ任スヘシ、尤モ区戸長・年寄・町役等ハ此委員選挙ノ手続ニ付テハ尽力シテ世話ヲ致ス可シ
  但シ諸官員・華士族・区戸長・町役人・廿一歳未満ノ者・婦人ニテ戸主タル者・寄留スル者並ニ裏店住居ノ者トテモ戸主タル以上ハ、都テ委員ヲ入札スル事ヲ得ベシト雖トモ、自カラ委員ニ選ハルヽ事ヲ得サルヘシ
 - 第27巻 p.660 -ページ画像 
 右ノ如ク小区毎ニ一人宛ヲ選ヒタル委員ノ数ハ凡ソ六・七十人ノ数ニ至ル可シ朱引内或ハ第一ヨリ第六大区マテヲ限リ此人数ヲ以テ会議所改革ヲ議定スルノ委員トスルナリ
東京府庁ハ委員ヲシテ会議所改革ノ可否ヲ議セシメ、名代人ノ選挙法並ヒニ議事章程ヲ議決セシム可シ
 右ノ委員ハ尽ク某月日ヲ以テ会議所ニ集会スヘシ、此時東京府知事閣下ハ躬カラ此席ニ臨ミ、此委員ニ告ルニ、東京市中ノ民会ヲ起シ諸事衆議ヲ採ラントノ誠意ヲ悦フヲ以テシ、東京人民ハ此民会ヲ起サント欲スルノ望アルカヲ質ス可シ
 若シ委員ノ多数ニテ之ヲ望マズト決答セハ、即日コノ会ヲ散シ、会議所ヲ取潰シ、諸事尽ク府庁ノ専断ニテ処分スルモ更ニ差支ナシ、何トナレハ府庁専断ハ乃ハチ市民ノ望ム所ナレハナリ
 委員ノ多数ニテ会議所ヲ改革シ、民会ヲ起サン事ヲ望マハ、知事閣下ハ第一著ニ此委員ヲシテ議長ヲ選ハシム可シ
 知事ハ此議長ニ附スルニ、知事カ草案スル所ノ名代人選挙法並ニ議事章程ヲ以テシテ、之ヲ議サシム可シ
 議長ハ右ノ議案ヲ出シテ衆議ニ附シ、其決定スル所ヲ以テ改正ヲ成シ、之ヲ府庁ニ上申スヘシ
 若シ府庁ニテ其改正ニ於テ承諾シ難キ廉アラハ、知事閣下或ハ其ノ代理官員ハ議席ニ出頭シテ之ヲ弁明シ、委員ヲシテ再議セシム可シ
東京府庁ハ右ノ議決ヲ得タル上ニテ、会議所ヲ民会ナリト認メ、約束ニ於テ承諾シタル丈ケノ議事ヲ成サシム可シ
 右ノ議案ニ付キ府庁ト委員ノ間ニテ協同スルニ至ラバ、甲ハ知事閣下、乙ハ委員連名ニテ之ニ調印ス可シ、是即ハチ会議所ノ規則ニシテ、甲乙互ニ之ニ違背スベカラザル所ノ憲法ト心得フベキ者ナリ
 此委員ノ命ニ従カヒ、現在ノ会議所頭取並ニ諸掛ノ輩ハ、何時ニテモ議席ニ出テ弁明ヲ成シ、且ツ取扱フ所ノ事務モ右ノ規則ニ従ヒ某件ハ之ヲ新任ノ掛ニ引続キ、某ノ件ハ之ヲ府庁ニ帰上シ、畢リテ後ニ全ク解体ヲ為ス可シ
  明治八年六月九日              会議所
    東京府知事 大久保一翁殿
   ○右ノ写シ渋沢子爵家ニ所蔵サル。


(西村勝三) 書翰 渋沢栄一宛 明治八年六月二二日(DK270152k-0006)
第27巻 p.660-661 ページ画像

(西村勝三) 書翰  渋沢栄一宛 明治八年六月二二日 (渋沢子爵家所蔵)
本月十八日御書廿二日拝見仕候、御道中ニ而御不快之由御療養専一奉祈候、扠本月十三日福地君並ニ頭取掛之内同道出頭可致由ニ付、福君並ニ私出庁仕候処知事並ニ庶務課長相原安次郎殿列席、知事云上申之内三・四ケ章添刪之指図有之、早々着手可然趣ニ御坐候、福先生も至極程能熟話被致候、依而別冊ヲ編成一同之調印ヲ為致、今日府庁江上申致候、四・五日前福君地方官会議書記拝命ニ付、一同大ニ失望、御同人江相迫リ候処、どこ迄も尽力被致候由ニ而安心ハ致候得共、何分多端ニ付何卒一日も早く御帰京相成候様奉懇願候
漁産会社之義永田・松本江被仰遣候趣難有仕合奉存候
高島丸新も昨今取引ニ相成候容子ニ御坐候、一昨廿日地方官会議発会
 - 第27巻 p.661 -ページ画像 
式被為行、主上臨御、海軍楽隊抔も正服排列、大分賑々敷由ニ御坐候地所売払今ニグヅグヅ着手不致候、自然大倉子ニ御面会被遊候ハヽ、担任人之義ニ付早々帰京ノ程御申聞被下候 早々頓首
  六月廿二日
                      西村勝三
    渋沢様
         御史
   ○漁産会社ニ就テハ本資料第十五巻所収「房総漁産会社」明治八年ノ条参照。


会議所伺 第三号 明治八年(DK270152k-0007)
第27巻 p.661-662 ページ画像

会議所伺  第三号 明治八年         (東京府文庫所蔵)
     東京府御達案
                      東京市中区戸長
東京府会議所ノ儀ハ、是迄府庁ヨリ右取締頭取並ニ掛リノ者共ヲ申付ケ議事致サセ、且ツ市中ノ事務ヲモ取扱ハセ候処、官選ニテハ名義実行ニ於テ両ナカラ不都合ニ候間、今般更メテ東京市中民会ヲ起シ、衆議ニ従テ会議所ノ規則ヲ改革可致ニ付、別紙ノ手続ヲ以テ各区ノ市民ヨリ委員ヲ公選シ 月 日会議所エ可差出、此旨市中一同ノ者ヘ不洩様可相達候也
   月 日             東京府知事 姓名
(別紙)
    東京市中ヨリ会議所ヘ可差出委員公選ノ手続
一東京市中ニ於テ、一町内或ハ二町合併ニテ、其地主並ニ戸主ハ各々見込ノ者一人ツヽヲ入札シテ名代人ト成スヘシ、尤モ入札ニ遇フ者モ地主・戸主ノ内ニ限ル可シ
  但諸官員・華士族・区戸長・町役人・廿一歳未満ノ者、婦人ニテ戸主タル者・寄留籍ニテ戸主タル者並ニ裏店住居ノ者トテモ戸主タル以上ハ都テ名代人ヲ入札スル事ヲ得ヘシト雖モ、自カラ名代人ニ選ハルヽ事ヲ得ザルヘシ
  懲役実決百日以上ノ罰ヲ蒙リタル者ハ、入札スル事モ入札セラルル事ヲ得サルベシ
  此入札ヲ行フニ付テハ、区戸長・年寄等ノ町役人等ハ尽力シテ世話ヲ致スベシ
一右ノ公選入札ハ小切ノ白紙ニ認メ何ノ誰ヲ入札ス何ノ誰ト記シ、之ヲ封シテ箱ニ納レ、五人以上ノ立合ニテ開封シ、入札高ノ多数ニ当リタル人ヲ以テ、一町内ノ或ハ二町合併ノ公選ニ遇フタル名代人ト成スヘシ、尤モ当人ヨリ断リタル時ハ第二ノ入札高ノ人ヲ公選トス可シ
  但シ此入札開ハ、町内ノ都合ニヨリ、之ヲ扱所ニテ行フトモ又ハ手広ノ私宅ニテ行フトモ、戸長ノ見計ニ任ス可シ
一右ノ公選ニ遇フタル名代人ノ姓名・宿所・年齢・業体ハ、之ヲ一紙ニ認メ、当日小区ノ扱所ニ送ル可シ
一各町ニテ公選ニ遇フタル名代人等ハ、各々其小区ノ扱所又ハ最寄ノ寺院カ手広ノ私宅ニ於テ初集会ヲ成シテ、姓名ヲ通シ、人物ヲ知リ其後第二回ノ集会ニテ、再ヒ右ノ人数ノ内ヨリ互ヒノ入札ヲ成シ、多数ノ人ヲ以テ其一小区或ハ二小区合併ノ総選ニ預リタル人ト定メ、当人ノ
 - 第27巻 p.662 -ページ画像 
得心ヲ以テ小区ノ委員ト成スヘシ、尤モ入札ノ手続ハ前同様タリト雖トモ、此度ハ己レノ姓名ヲ記スルニ及ハザル可シ
  但シ毎町ノ入札並ニ毎小区ノ入札日限ハ、其区戸長ノ見計ニ任スヘシ、尤モ月日限リタルヘク、且ツ第二集会ハ初集会ノ後凡ソ十日ヲ経タル所ヲ見当トスヘシ
一右ノ如ク一小区或ハ二小区合併毎ニ委員一人宛ヲ公選シ得ハ、直チニ其委員ノ姓名・宿所・年齢・業体ヲ認メ、区ノ扱所ヨリ之ヲ会議所ヘ通達スヘシ
一右東京市中各小区ヨリ公選セラレタル委員等ハ 月 日午前 時迄ニ東京会議所ニ出頭イタスヘシ
   但シ各町ノ名代人各小区ノ委員、並ニ委員ノ衆議ニテ向後市民ヨリ公選セラルヘキ代議人等ヘハ、一切府庁ヨリ俸給手与ヲ与ヘザル可シ
  ○右ハ府庁ガ前掲ノ「東京会議所改革方法ノ概略」ニ基キテ作成シタルモノニシテ実施サレザリシモノト思ハル。


会議所伺 第三号 明治八年(DK270152k-0008)
第27巻 p.662 ページ画像

会議所伺  第三号 明治八年         (東京府文庫所蔵)
    東京会議所改革ニ付伺
当府下会議所之義今般改革之見込ヲ以、別紙従同掛之者指出、調査仕候処、不都合モ相見不申、依而於御省御指支モ無之候者差免可然哉、此段伺候也
  八年六月廿四日
             東京府知事大久保一翁代理
                 東京府参事 川勝広一
    内務卿 大久保利通殿


会議所伺 第三号 明治八年(DK270152k-0009)
第27巻 p.662 ページ画像

会議所伺  第三号 明治八年         (東京府文庫所蔵)
六月二十四日付当府会議所改革方法議案ヲ以相伺置候処、其後御談之趣モ有之ニ付猶取調申度義出来候間、一度御下戻有之度候也
  八年七月二日
             東京府知事 大久保一翁
    内務卿 大久保利通殿
書面之趣聞届府下会議所改革方法書類下戻候事《(朱書)》

  明治八年八月二日     内務卿 大久保利通


会議所伺 第三号 明治八年(DK270152k-0010)
第27巻 p.662-663 ページ画像

会議所伺  第三号 明治八年         (東京府文庫所蔵)
知事                (印)
                     庶務本課 (印)(印)
奉任出仕             (印)
会議所改革ノ伺、先般内務省ヘ御伺之末、猶御申立之趣も有之候処、此度別紙之通り指令相成候ニ付、左之通リ会議所ヘ口達取計可然哉相伺候也
  八年八月九日
    会議所江口達案
 - 第27巻 p.663 -ページ画像 
会議所改革方先般議案ヲ以申出之趣モ有之、内務卿ヘ伺置候処、右者地方官会議江御下問相成候民会議案御下知済之上ナラテハ差図難及趣ニ付、書面引戻シ候間、一ト先ツ下ケ戻候事



〔参考〕東京日日新聞 第一〇三九号 明治八年六月一三日 【東京民会設立ノ挙ニ付…】(DK270152k-0011)
第27巻 p.663 ページ画像

東京日日新聞  第一〇三九号 明治八年六月一三日
東京民会設立ノ挙ニ付キ、現ニ会議所ヨリ書面ヲ以テ東京府知事ニ上申セシ事ヲ昨日ノ雑報ニ載セタルガ、今マタ其ノ書面ノ写ヲ得タルニ付キ、吾曹ハ直ニ之ヲ我カ紙上ニ登録シテ世上ニ公示スル事ヲ緊要ナリト信ズ
斯ノ如キ公正ノ真理ヲ主張シタル書面ヲ会議所ヨリ具上スルノ勢ニ至ル者ハ、蓋シ其人々ガ実験上ニ於テ現者ノ似而非ナル事ヲ発見シタルニ由ルト雖トモ、実ハ昨年以来民権ヲ貴重スル所ノ議論ハ勇進シテ撓マズ、遂ニ全国ノ人意ヲ活溌ニシ、局面ヲ一変セシメタルノ効績ニ依ル者ナリ、去レバ論者ガ諸新聞ニ於テ会議所ノ名実相適ハザルヲ責メ民選ノ実ナキヲ譲メタルハ、即ハチ今日ノ決議ヲ鼓動セシメタルノ成跡ナリト云ハザル可ケンヤ
吾曹ハ又コレヲ聞ク、去ル十日東京府知事ハ府庁ニ於テ会議所取締代理ヲ引接シ、躬カラ此書面ヲ請取リ、其ノ弁明スル所ヲ聴キ、到底知事ハ此ノ民会ヲ設立スルニ付更ニ異存ナキ旨ヲ述ベタリト云ヘリ、吾曹ハ切ニ会議所ノ諸子ガ能ク目今ノ正議ヲ確守シテ、其ノ功績ヲ致スノ期ヲ近キニ見ン事ヲ希望スルナリ、若シ其ノ期ニ達セバ此諸子ハ即ハチ東京人民ノ為ニ、其ノ権利ヲ拡充スル所ノ名誉ヲ得ベシ、豈ニ人生ノ光栄ニ非ズヤ
吾曹ハ今ヨリ我ガ紙上ヲ以テ此諸子ノ用ニ供スベシ、諸子モシ其目的ヲ達スルニ付キ公言スル事ヲ要スル所アラバ、吾曹ハ喜デ其ノ地ヲ仮ス而已ナラズ、力ヲ尽シテ之ヲ賛成セント欲ス
  現在ノ会議所ヲ廃止シ、真正ノ民会ナル東京会議所ヲ創立スル義ニ付キ上申
   ○前掲(第六五七頁)ニ付略ス。



〔参考〕東京日日新聞 第一一三三号 明治八年九月二六日 【我ガ東京民会ハ何レノ…】(DK270152k-0012)
第27巻 p.663-665 ページ画像

東京日日新聞  第一一三三号 明治八年九月二六日
我ガ東京民会ハ何レノ日ニ興ランカ、吾曹之ヲ不問ニ附スルニ忍ビザルナリ、思フニ東京会議所ニ出席セシ官選ノ委員輩ハ其ノ適当ナラザルヲ憂ヒ、本年六月九日附ノ書面ヲ以テ東京府知事ニ上申シ、官選会議所ヲ廃止シ、更ニ真正ノ議員ヲ公選シテ其任ニ当ラシメン事ヲ乞ヒシニ、知事ハ甚ダ之ヲ嘉納セラレタリト聞ケリ(六月十三日ノ日々新聞)而シテ其期ハ恰モ地方官会議ノ前ニ望ムヲ以テ、府庁モ亦蓋シ其ノ議決ヲ待テ着手スベキ考案ヲ建シナル可シ
地方官会議ノ法案ハ、民会ノ一題ニ至リテ公選民会ト区戸長会トノ両説ニ分レ、遂ニ多数ノ決ニ従ヒ区戸長会ト定マリシハ、吾曹ガ今日ニ至ル迄モ猶コレヲ嘆惜スル所ナリ、然ルニ当時已ニ民会ヲ開設シタル地方ノ長官ヨリ差出タル伺書ニ対シ、政府ハ町村会準則制定ノ上ニテ何分ノ御指令アルベキ旨ヲ達セラレタリ(地方官会議日誌巻廿或ハ七月十九日ノ日々新聞)
 - 第27巻 p.664 -ページ画像 
右ノ公選町村会ノ準則ハ、已ニ政府ニ於テ之ヲ草案シ、元老院ノ議ニ附セラレタリト聞ク、而シテ地方官ノ議決スル所タリトモ、恭シク
勅旨ヲ拝読スレハ、以テ元老院ノ議ヲ経タル上ニテ御親決ヲ下シ給フベキヲ徴ス可シ、去レバ日本全州ノ府県会・区会ハ、果シテ地方官会議ニ於テ決セシ如ク、区戸長会ト成ルベキ乎、将タ公選民会ト成ルベキ乎ハ、予シメ今日ニ於テ之ヲ測知シ能ハザル所ナリ、況ンヤ輿論ノ翕然トシテ公選ニ傾クニ於テヲヤ、又況ヤ町村会ノ根理ハ公選議員ヲ用フルニ出ルニ於テヲヤ、故ニ吾曹ハ未ダ遽カニ素望ヲ今日ニ失ハザルナリ
然レトモ若シ不幸ニシテ元老院ノ議モ亦区戸長会ヲ可トシ、政府ニテ愈々両院ノ説ニ従ヒ、之ヲ全州ニ開設スベキノ期ニ遇ハン乎、吾曹ハ仮令ソノ期ニ遇フトモ、東京人民ノ為ニ実際ニ益アルト適度ニ応ズルトハ、公選民会ニ非ザレバ不可ナルヲ以テ、其必ズ町村会ノ準則ニ拠リテ公選民会ヲ起スベキヲ期望スベシ、夫レ政府ノ下問ニ於テ区戸長会ヲ起スベキカトアルハ、畢竟実際ニ益アリテ適度ニ応スルヲ慮カルニ生スルナリ、公選民会ヲ忌嫌スルニ非ザルナリ、若シ東京人民ヲシテ区戸長会ノ間接ニ依ラズ直進シテ能ク公選民会ヲ興起スルヲ得セシメバ、吾曹ハ其挙能ク朝廷ノ吾曹ニ望ム所ニ適フニ足ルベキヲ信ズルノミ
世上ノ区戸長会ヲ主唱スル論者ハ或ハ吾曹ニ向ヒ、何ノ確拠アリテカ吾曹ガ公選民会ノ東京人民ノ為ニ実際ニ益アリトシ、適度ニ応ズルトスル乎ヲ質ス可シ、吾曹ハ之ニ答テ曰ハン、会議所ノ委員ガ忠実ナル上申ヲ以テ公選民会ヲ起スベキヲ望ミタル一ナリ、東京府知事ガ之ヲ嘉納シタル二ナリ、地方官会議ノ席ニ於テ東京府知事ハ公選民会ヲ可トスベキ旨ヲ述ベラレタル三ナリ、東京市中ニテ公利公益ニ注目スル者ハ区戸長ニ少ナクシテ、平常ノ人民ニ多キ四ナリ、此ノ四条ノ確拠トスベキアリ、吾曹孰ゾ其ノ実際ニ益アリ適度ニ応ズルヲ怪マンヤ
此ノ如キ確拠アルガ故ニ、吾曹ハ仮令一般ノ地方ハ区戸長会ニ決スルトモ、我ガ知事ハ東京人民ガ公選民会ヲ興起スル事ヲ妨礙セザルベク東京人民モ亦必ラズ之ヲ興起スルノ素願ヲ中止セザルベキヲ信ズルナリ、此際ニ当リ標準トスベキ者ハ、実ニ町村会ノ制定スルニ在ルヲ以テ、吾曹ハ其ノ一日モ早ク政府ガ之ヲ公布セラレン事ヲ佇望ス、而シテソノ公布ノ遅早ハ元老院ノ議決ニ関スルニ付キ、人民ハ中心如熾、窃カニ此院ノ異議ナク之ヲ承諾セン事ヲ冀フ也
吾曹ハ幾度トナク、東京ノ区戸長ハ以テ吾曹人民ノ代議人タルニ耐ユベカラザル事ヲ論ジテ、余蘊ナキニ至レリト信ズ、吾曹固ヨリ区戸長ヲ仇視スベキ理ナキニ付キ、毫モ敢テ之ヲ非議スルノ意ヲ有セザレトモ、奈何センヤ其ノ人物タル、決シテ吾曹人民ガ貴重ナル議事ノ権利ヲ委托スルニ足ルベキ器ニ非ザル事ヲ、現ニ本月十九日本郷二丁目ニ住スル関口静君ヨリ吾曹ニ報知セラレタル寄書ニ拠レバ「東京近在ニモ、地租改正ノ事ニ付キ地方ノ農民等ハ往々不平ヲ鳴シ、戸長村吏ノ処分ソノ宜ヲ得ザルヲ論ゼントスルノ勢アリ、其ノ給与スル所ヲ問バ副戸長ハ年給廿四円ニシテ一月僅ニ二円ニ当ル、其ノ書記ハ自費ヲ以テ之ヲ雇ヒ、副戸長ノ下ニ属スル一村ノ総代ナル者ハ無給タリ、其ノ
 - 第27巻 p.665 -ページ画像 
採ル所ノ事務ハ、曰ク地租ノ改正、曰ク地券ノ書替、曰ク学校ノ世話曰ク質地ノ奥印、曰ク何、曰ク何、ソノ繁忙虚日ナキニ至ル、夫レ一月二円ハ以テ一人ヲ養フニ足ラズ、矧ヤ家属アルニ於テヲヤ、其ノ口唱スル所ヲ聞ケバ、薄給・無給ニテ勤ムルハ真ノ御冥加ノ為ニ御奉公イタス也ト云ヘトモ果シテ此ノ廉潔ヲ売ルニ能ク廉潔ノ実アルベキ乎若シ薄給ニシテ一身ノ計ヲ全ウセザルヨリ農民等ノ不平ヲ招ク事アランカ、是レ故意ニ此ノ弊習ヲ行ハシムルト云モ可ナリ、願クハ至当ノ俸ヲ給シテ廉潔ヲ実行スル事ヲ得セシメヨ」ト云ヘリ、嗚呼コノ書ヤ未ダ尽ク吾曹ヲシテ信ヲ固ウセシムルニ至ラズト雖トモ又以テ今日東京近在戸長ノ形況ヲ見ルニ足レリ、此輩ガ戸長ノ任ニ適スルヤ否モ猶コレヲ保スベカラズ、孰ゾ貴長ナル代議人タルベキヲ保スベケンヤ
遅早ハ兎モアレ、公選町村会ノ準則ハ必ズ制定アルベシ、東京ノ公選民会ハ府庁ノ以テ吾曹人民ノ適度ニ応セリトスル所ナリ、他日制定ノ期ニ遇テ東京人民ハ公選ヲ以テ町村会ヲ興起シ、以テ区会ニ及ビ、以テ府会ニ及バシムルニ何ノ害カ是アランヤ、吾曹東京人民ノ気力如何ニ存スル而已