デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.14

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

6章 政治・自治行政
2節 自治行政
2款 東京市区改正及ビ東京湾築港 1. 東京市区取調局
■綱文

第28巻 p.5-17(DK280001k) ページ画像

明治13年11月(1880年)

是月、東京府庁内ニ市区取調委員局設ケラル。栄一、赤松則良等ト共ニ委員ヲ嘱託セラレ、委員会ニ於テ市区改正・港湾修築ノ事ヲ議ス。


■資料

東京市区改正事業誌 東京市区改正委員会編 第二―三頁 大正八年二月刊(DK280001k-0001)
第28巻 p.5-6 ページ画像

東京市区改正事業誌 東京市区改正委員会編  第二―三頁 大正八年二月刊
 ○第一章 第一節 東京市区改正起原
    第一項 東京府知事建言
○上略 楠本正隆府知事タルニ及ヒ、市区改正ノ調査ヲ始ムルト共ニ、水道改正ノ議ヲ出シ、従来ノ木樋ニ代フルニ鉄管ヲ以テシ、蓄水池・濾水器ヲ設ケ以テ上水ノ穢濁ヲ除キ、抽水機・消火栓ヲ置キ、以テ防水ノ用ニ備ヘムト欲シ、明治九年十二月委員ヲ設ケテ、之カ改正方案及費額ノ調査ニ当ラシム、十二年十二月松田道之代リテ府知事ト為ルヤ十有余日ニシテ、同月廿六日箔屋町発火ノ大災有リ、乃チ府官ヲ選ヒテ委員ニ任シ、防火線路ヲ設定シテ、沿線ノ市区ヲ改正シ、道路ヲ開キ、河渠ヲ鑿チ、橋梁ヲ増架シ、家屋ヲ改築スルノ議ヲ立テ、府債七拾五万円ヲ起シテ之ヲ断行セムトシ、臨時府会ヲ開キ之ヲ諮問シ、遂ニ政府ノ裁可ヲ得タリ、然ルニ通常府会地方税ヲ以テ府債ヲ支償スルノ議ヲ否決シタルヲ以テ、事竟ニ行ハレス、乃チ火災予防ト市区改正トヲ分別シ、前者ニ対シテハ、日本橋・京橋・神田三区内ニ防火線路ヲ定メ、家屋制限ノ法ヲ設ケ、防火井ヲ作リ、築地軽子橋南八丁堀間及浜町川神田川間ニ新渠ヲ鑿チ、又神田堀ヲ拓鑿シテ浜町川ニ通シ、後者ニ対シテハ前知事ノ志ヲ継キテ、十三年十一月府庁内ニ市区取調局ヲ設ケ府官数名ヲ委員ニ充テ、更ニ兵備・貿易・通運ノ事ニ通暁スル赤松則良・浅井道博・荒井郁之助・大鳥圭介・肥田浜五郎・福地源一郎・平野富二・渋沢栄一・野中万助・荘田平五郎等ニ委員ヲ嘱託シ是歳十二月ヲ以テ委員総会第一回ヲ開ク、是時東京ヲシテ経済都府タラシムルノ大方針ヲ定メ、貿易互市ノ目的ヲ以テ、市区ノ規模ヲ立テムト欲シ、市区経営ノ準拠トス可キ港湾修築ノ位置ヲ先決スル必要ヲ認メ、此ニ築港調査ノ議起ル、依テ東京府ハ、明治十四年一月ヨリ東京湾ノ測量其他諸般ノ調査ニ任シ、五月築港方案ヲ具シテ、之ヲ委員会ニ附ス、即チ河港策ナル者ニシテ、隅田ノ下流ニ津港ヲ建ツルノ議也、委員中海港策ヲ主張スル者有リテ相決セス、利害ノ弁ヲ内務省雇工師蘭人ムルドルニ諮問ス、ムルドル海港説ヲ執リ、内海ヲ塡築シテ大埠頭ヲ設クルノ策ヲ定ム、規模宏大ニシテ、経費亦大ナラサルヲ得
 - 第28巻 p.6 -ページ画像 
ス、十二月委員会ヲ開キテ之カ費額及築港方法ノ精査ニ着手ス、偶松田知事歿シ、十五年七月内務少輔芳川顕正兼テ東京府ニ知事タリ○下略


市区改正回議録(DK280001k-0002)
第28巻 p.6-10 ページ画像

市区改正回議録             (東京府文庫所蔵)
明治十三年六月十六日出
 知事   臨時取調委員   会計課
東京中央市区劃定ノ議、府会ヘ御諮問案別冊ノ通リニテ例数印刷ニ付シ可然哉、此段至急相伺候也
(別冊)
    東京中央市区劃定之問題
夫東京ノ地ハ中央政府ノ在ル所、内外士民ノ集ル所、即チ全国ノ首府ナリ、然ルニ幕府経営ノ後ヲ受ケ現時十五区ノ地、広袤二里、街衢一千三百五十二ニシテ頗ル市区広濶ニ過タリ、維新ノ後武家地一変セシヨリ街衢ノ錯雑名状スヘカラサルニ至リ、嘗テ十五区ノ街路一百九十里ノ延間ナリシニ、更ニ新開道路ヲ算入スレハ其延長数十里ヲ加フヤ疑ナシ、今日ノ状勢如是ニシテ、豪商鉅工ノ輩皆競フテ此ニ集リ遊子無頼ノ徒モ亦争フテ此ニ帰スルヲ以テ、石室板屋ト相対シ、鴟尾蝸殻ト相隣ル、其種々ノ裡燃質物ニテ屋ノ全部ヲ覆モノ十ノ八九ニ居レリ於是乎祝融ノ災常ニ多ク風威ノ之ヲ援ル時ハ、転瞬ノ間壱万余戸ヲ焼燼ス、不幸其線ニ当ルノ区ハ三年ニ一回此災ニ罹ルハ既往ニ徴シテ推知スヘシ、然ルニ三年ニ一回ノ惨状ヲ見ルニ忍ヒスシテ只其責ヲ板屋ニ帰スルハ抑モ末ナリ、又眼ヲ衛生上ニ転シ以テ市街ノ景況ヲ見ルニ概シテ市中ニハ裏店アリ、其間上水ヲ引或ハ地水ノ設ケアレハ、其井戸ト圊房トノ相距ル二間ニ過ル者必ス稀ナリ、故ニ汚物ノ井壁ヨリ滲透スル容易ニシテ其水質ヲ損シ、之ヲ飲用スレハ健康ヲ妨ケ、虎列罹窒扶斯等ノ悪症蔓延ノ媒介ヲナスヤ疑ナシ、是客歳虎列罹症流行ノ際海軍医学部ニ於テ井戸圊房ノ距離ヲ点検シ、其飲用水ヲ試験セル報告ヲ以テ証明スルニ足レリ、然ルニ悪症蔓延ノ状ヲ見ルニ忍ヒスシテ、只其責ヲ裏店ニ帰スルハ抑モ亦末ナリ、以上諸説ノ原因ヲ究査スレハ全ク府下十五区ノ制未タ其宜キニ適セスシテ、貧富雑居シ家屋定度ナキニ由ラサルハアラス、所謂東京ハ中央政府ノ在ル所、内外士民ノ集ル所、今ニシテ之ヲ改良スルノ目的ヲ立スンハ大ニ全国ノ体面ニ関スト謂フヘシ、是故ニ中央市区ヲ劃定スルノ目的ヲ立、今日ノ施政将来ノ規模ト合一ヲ期スレハ漸ヲ以テ改革スヘキモノ無慮千百ニシテ一々枚挙スヘカラスト雖、而モ其梗概ヲ掲レハ左ノ如シ、諸官衙位置ノ事府庁位置ノ事・郵便局位置ノ事・瓦斯ノ線路及飲水ノ管網位置ノ事・街路変更及新道開設ノ事・新川ヲ鑿開シテ舟楫ヲ利スル事・橋梁架設ノ事・火災予防ノ事・家作制限ノ事・火災保険区ノ事・練兵場位置ノ事・区役所位置ノ事・町会所位置ノ事・養育院位置ノ事・病院及癲狂院位置ノ事・中小学校位置ノ事・博覧会位置ノ事・海岸埋立埠頭築造ノ事・区裁判所及警察本分署位置ノ事、其他人民ノ職業ニ付テハ蒸気機械ヲ設置セル製造所・摺附木製造及貯蔵所・花火製造及貯蔵所・玻璃製造所・硝酸硫酸等揮発劇烈ノ薬剤製造所・亜爾格爾製造及貯蔵所瓦斯製造所・煉化石製造所・揮発油製造及貯蔵所・火薬製造及貯蔵所
 - 第28巻 p.7 -ページ画像 
陶器製造所・金属分析所・瓦製造所・鍛冶及鎔鉱所・油酒類製造及貯蔵所・藁灰置場・石炭置場・藁及秣草置場・鞴ヲ設置セル諸工場・材木竹石及薪炭置場・石灰置場・青物市場・魚鳥市場・借馬場・諸車置場・諸見世物・相撲場・演劇場・貸座敷等何レモ位置ノ制ヲ設クヘキ者ナリ、而シテ物品入市ノ税ヲ徴シ其経営ヲ助クル等ノ事モ亦尠シトセス、今ヤ此目的ヲ定メ以テ将来ノ事ヲ処スルトキハ百般ノ便益ヲ来シ竟ニ中央市区ハ豪商輻輳ノ所トナリテ商業隆盛、地価亦随テ騰貴シ尺寸ノ余地ナキ日即チ巍乎タル層楼林立ノ時ナリ、於是乎鉄管ヲ以テ水ヲ幾層ノ石室ニノホセ瓦斯ヲ以テ灯ヲ亜字ノ長欄ニ点スルハ自然ノ勢ニシテ、今日ノ板屋蝸廬ハ其影ヲ留メス、豈ニ圊房ノ汚臭飲水ニ混和スルノ事アランヤ、蓋シ如此ニシテ始メテ全国ノ首府タルニ愧サルヘシ、然ト雖トモ只管市区ノ縮小ニノミ注目シ、其地ノ繁盛ヲ企図セサルトキハ又久シカラスシテ衰弊ノ域ニ至ラン、是豈ニ思ハサルヘケンヤ、今ヤ市区改良ノ目的ヲ以テ後来ノ計ヲナスニ、早晩東京湾ヲ開クヨリ善ナルハアラス、於是新ニ東京湾ヲ開キ以テ巨市場ヲ此ニ設クルトキハ、所謂府下ノ市区ハ商賈貿易ノ源ヲ占メ、漸々昌盛ノ域ニ達スルハ更ニ疑ヲ容レサル所ナリ、然レトモ予メ百年ノ形勢ヲ卜シ永遠ヲ期スル者ニシテ固ヨリ一朝一夕ノ講究シ得ヘキ事業ニアラス、於是先ツ試ニ現今ノ地勢ニヨリ将来盛衰ノ赴ク処ヲ察シ、中央市区及新港ノ位置ニ関係スルモノナレハ、乙ノ位置先ツ一定セサレハ甲ノ位置ヲ定ルニ由ナシト雖トモ、今仮ニ築港ノ位置ヲシテ隅田河口ヨリ品川沖台場辺ニ在ルモノトセハ、商賈貿易ノ中心ヲ占メ所謂中央市区ノ名目ニ適当スヘキ位置果シテ何所ニ在ルカ、例ヘハ西ハ鍛冶橋筋ノ外濠ヲ界シ、北ハ神田川ヲ限リ、若クハ浅草ノ一部ヲ包ミ、東ハ大川筋ニ止リ、南ハ新橋乃至金杉川ヲ境トセンカ、或ハ新港ノ位置ニ依リ地勢モ亦将ニ東南ニ面シ、漸々北衰南盛ニ傾クヘキ疑アレハ、少ク西北ノ一分ヲ殺テ日本橋辺ヲ界トシ、東南ハ之ニ反シテ芝田町辺マテ拡張センカ、之ヲ要スルニ其位置広狭ノ如キ実ニ百年ノ規模ヲ此ニ定ルモノナレハ、極メテ容易ノ事ニアラス、故ニ此ニ問題ヲ起シテ大ニ輿論ヲ求ント欲シ、先ツ議員諸君ノ意見ヲ諮問ス

明治十三年十一月九日
 知事   書記官   市区取調委員四人
東京市区改正ノ輿論を興起センカ為メ、新聞紙を以テ左案之通リ広告致シ可然哉、至急相伺候也
    新聞紙広告案
今般府庁ニ於テ仮ニ東京中央市区略図を裁シ、併セテ其問題を頒布ス載テ諸新聞紙ニアリ 右ハ畢竟世論を喚起センカ為メ、其問題を付スルニ過スト雖モ、而モ真個計画ノ正鵠を達セントスルニハ、現今都下ノ地勢ニ拘ハラス、更ニ其目的を遠大ニ及サヽルヲ得ス、是以テ府庁ニ臨時取調局を設ケ、府下ノ識者若干ト当府吏員トヲ以テ委員トシ、専ハラ調査ニ従事ス、凡ソ此挙ニ関シ所見アル者ハ、自カラ此局ニ来リテ、其所見ヲ披陳シ、又ハ書を以テ送付アラン事ヲ望ム。此旨広告ス
                 東京府市区改正取調委員局
 - 第28巻 p.8 -ページ画像 

明治十三年十一月九日
 知事  書記官  市区取調委員三人  庶務課
東京中央市区改正之儀、既ニ府会議員ヘ御諮問相成ニ付而ハ、右ニ要スル諸々の取調ノ為メ、庁内ニ於テ委員局御取設ケ相成候様致度、尤も名称之儀ハ東京市区取調委員局トシ可然哉、右御判決之上ハ、左案之通リ、各課掛並郡区役所ヘ御達相成可然哉、此段併セテ至急相伺候也
    御達案
  丙八十一号《(太字ハ朱書)》(○明治十三年十一月十日付)     郡区役所
  無号                               各課係
今般府庁ニ於テ東京市区取調委員局開設候条、此旨相達候事
 追テ新聞紙広告案、心得ノ為メ付与ス
                        長官御名

東京市区取調委員局を置候ニ付、篤ト相考候処、右委員局之儀ハ、本府吏員ト他ノ有識ノ者トヲ以テ組織シ、四方ヨリスル諸説考究等固ヨリ容易ノ事ニアラズ、元来此挙ノ如キハ全都府ノ一大改革ニシテ其関スル所広且大ナリ、於是各課長ノ如キハ、概シテ此委員ニ被命候方妥当ノ儀ト被存候、且此局中ニ就テ予シメ事務ノ順序を一定シ、議事ト理事トノ両部ニ相分候様致度、右ハ猶能ク詮議を尽シ不日相伺度積リ有之候、先以テ各課長委員ニ被命度、此段申上候也
  明治十三年六月第九日         東京市区取調委員

    築港ニ関シ調査ヲ要スル件
第一、品川湾及隅田川測量之事
 但、測量ハ品川沖台場近傍ニ始リ、隅田川東橋ニ達スル事
 一、三角測量之事
 一、湾中及ヒ河口所々潮汐干満ノ度ヲ量ル事
 一、水底深浅ヲ量ル事
 一、品川沖台場間潮汐注射方向ヲ調査スル事
 一、隅田川流注射速力及ヒ其水量ヲ測ル事
 一、隅田川及ヒ其支流漕河ノ勾配ヲ量ル事
 一、御台場内より石川島迄ニボーリングを入る事
第二、品川湾船舶出入統計ノ事
 一、日本形船ノ東京ヘ出入スル数並其石数
 一、同上品川沖ヘ出入スルモノヽ数並其石数
 一、内国人所有ノ蒸気並風帆船ノ品川沖ヘ出入スル数並其噸数
 一、外国人所有ノ蒸気並風帆船ノ品川沖ヘ出入スル数並其噸数
 一、東京並品川沖ニテ難破セシ船数及ヒ其種類・噸数・石数
第三、品川湾貨物出入統計之事
 一、飲食物     元価     数量
 一、鉱物類     同      同
 一、器具類     同      同
 - 第28巻 p.9 -ページ画像 
 一、綿糸及織物類  同      同
 一、雑類      同      同
第四、横浜港船舶出入統計之事
 一、日本形船ノ出入スル数並其石数
 一、内国人所有ノ蒸気並風帆船ノ出入スル数並其噸数
 一、外国人所有ノ蒸気並風帆船同上
 一、横浜港ニテ難破セシ船数並其種類及噸数・石数
第五、横浜港貨物出入統計之事
 一、飲食物     元価     数量
 一、鉱物類     同      同
 一、器具類     同      同
 一、綿糸及織物類  同      同
 一、雑類      同      同
第六、品川沖ヨリ東京迄艀下運賃之事
第七、品川湾ニ於テ風波ノ為メ艀下運転ニ妨害アル日数ノ事
第八、内国船舶総数之事
第九、東京人口年々統計之事
第十、品川港風ノ方向ヲ統計スル事
第十一、隅田川洪水ヲ統計スル事
第十二、船渠築造之事
 一、前条実測図ニ依リ築港位置ヲ定ムル事
 一、新築ス可キ船渠ノ容量及ヒ其数ヲ定ムル事
 一、築立方法ノ事
 一、築造費用ノ事
 一、着手順序及落成期限ノ事
第十一《(三カ)》、船梁落成後修繕疏通ニ関スル費用ノ事
 一、船渠疏通ノ年月及費用ノ事
 一、隅田川下流疏通年月及費用ノ事
    東京湾測量入費予算
      測量師給料
 一、金百八拾円          ツランシツト掛二人
   但、三ケ月間雇入、壱人一ケ月金三拾円
 一、金六拾円           野牒掛一人
   但、三ケ月間雇入、壱人一ケ月金弐拾円
 一、金四百五拾円         助手六人
   但、三ケ月間雇入、壱人一ケ月金弐拾五円
 一、金百弐拾円          鏈掛二人
   但、三ケ月間雇入、壱人一ケ月金弐拾円
 一、金六拾弐円          人足四人
   但、二ケ月間雇入、壱人一日金弐拾五銭
 一、金百八円           検潮者三人
   但、二ケ月間雇入、壱人一ケ月金拾八円
 小計金九百八拾円
  外ニ測量師其外滞在日当等ノ為、総額三分ノ一ノ見込
 - 第28巻 p.10 -ページ画像 
 合計金千三百六円六拾六銭六厘
      測量用諸器具
 一、金九拾円           検潮器三個
   但、壱個ニ付金三拾円ノ積リ
 一、金八拾円           漁船借賃
   但、一日金壱円ノ積リ
 一、金三拾円           測量器三組
   但、壱組ニ付金拾円ノ積リ
 一、金五拾円           測標十本
   但、壱本ニ付金五円ノ積リ
 一、金四円            深浅測量縄
 一、金拾円            野牒二十冊
   但、壱冊ニ付金五拾銭ノ積リ
 小計金弐百六拾四円
  外ニ金百円諸雑費
 総計金千六百七拾四円六拾六銭六厘


東京日日新聞 第二七〇八号 明治一三年一二月一七日 【商法会議所にてハ市画…】(DK280001k-0003)
第28巻 p.10 ページ画像

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稟申録 市区取調委員局 明治一七年一一月起(DK280001k-0004)
第28巻 p.10-17 ページ画像

稟申録 市区取調委員局  明治一七年一一月起
                    (東京府文庫所蔵)
    東京湾築港ニ関スル「ムルドル」氏意見書
東京ハ日本ノ首府全国ノ大市ナリ、其海並ニ内地ト交通ノ便ヲ占ムルノ緊要ナルハ各人之ヲ洞察スベシ。今ヤ此首府ト江戸湾ト交通ノ状況ヲ見レバ、甚不便ト云ハザルヲ得ズ。
河口ヲ入テ市中ニ近ヅクヲ得ルノ船ハ甚細小ノ者ノミ、吃水四尺乃至五尺ニ過グル艀舟、及諸船ニ至テハ、高水ヲ待タザレバ内ニ入ル能ハズ。諸日本大船ハ(大汽船ハ勿論)其載貨ヲ艀舟ニ移スベク、而シテ市ヲ距ル里余ノ外港ニ在テ、風浪ヲ冒シ、或ハ数日間爰ニ留ラザルベカラズ。然レバ此忍ビ難キ状況ヲ改良スルハ、人ノ切ニ希望スル処ト為リ、而シテ其改良ヲ施スニハ、如何ノ方法ヲ以テ最良トスベキヤヲ研究スルニ至レリ。
一説ニハ、東京ヲ貫ク処ノ隅田川ヲ改修シ、船ヲシテ全貨ヲ載セテ市中ニ達スルヲ得セシムベキ者トシ、又一説ニハ、充分ノ結果ヲ此川ノ改修ニ望マズ、全ク此川ヨリ別テ港ヲ造リ、以テ大海舶ノ出入ニ堪ヘシメント欲セリ。
此方法ニ就キ、意見ノ相合ハザルヨリ、予ニ質スニ左ノ問題ヲ以テセリ。
第一 地図ニ示スガ如ク、隅田川ハ石川島ニ於テ、其水ヲ二道ヨリ放ツ。今其西澪ヲ塞ギ、水路ヲ深フシ、港ヲ隄下ニ造ルノ説アリ。其意見行ハルベキヤ。又其結果如何。
 - 第28巻 p.11 -ページ画像 
第二 第二説ハ、東澪ヲ塞ギ、全川ヲ他ヨリ放チ、而シテ流水ノ浚力ヲ以テ所要ノ水深ヲ港内ニ保ツベシトス。此企図ヲ行フノ結果如何。
第三 此計策各河流ニ関係スル如何。又通船ニ所要ノ水深ヲ保ツニ於テ利害如何。
第四 上ノ問題ニ拘ラズ、東京港ノ為汝ノ考按ハ如何。
予ハ此質問ノ順序ニ拘ラズ、先ヅ川ノ改修ニ由テ東京貿易ノ為如何ノ結果ヲ期待スベキヤヲ論シ、次ニ河流ヲ用ヒズシテ又其要旨ヲ傷ハズ東京ヲ海港ノ地ト為スヲ得ベキヤヲ穿鑿セント欲ス。
初三ケ条ノ問ニ答フベキ処ノ方法及之ヨリ引ク処ノ決断ニ由テ、自ラ第四問ノ答ヲ生ズベシ。
      川策
墨田川ノ口ハ如何ノ方法ヲ以テ改良セン乎、此改良ハ如何ノ結果ヲ生ゼン乎。
墨田川ハ東京ノ東部ヲ通過シ、一双ノ溝渠ニ由テ中川及江戸川ヨリ注入ヲ、左岸ニ両国ノ下及大橋ノ下ニ承ケ、右岸ニハ遠ク市中ニ通ズル溝渠若干条ト接ス。該川ハ広狭甚不同ニシテ、其流曾テ制治ノ働ヲ為サズ。
川ハ永代橋ノ下石川島ニ至テ二派ニ分ル。其西派即主派ハ、築地・浜離宮・芝離宮ニ沿フテ其路ヲ取リ、而後漸ク岸ヨリ遠ザカリ、品川砲台第二・第五ノ間ヲ経テ江戸湾ニ入ル。東派ハ要旨少キ者ニシテ、石川島ノ外ニ出デ、大ニ散蔓シ、其水ヲ砲台ノ東ニ放ツ。
現今ノ状況ニ於テ貫通セル深サハ、両国橋ヨリ永代橋ノ下ニ至ルマデ低水ニ在テ約十二尺、之ヨリ東北ヲ経テ海ニ達スル者ハ低水下二尺乃至三尺、西孔ヲ経テ品川ニ至ル者ハ低水下四尺乃至五尺ニ過ギズ。
其他川ニ三所ノ深淵アリ、乃チ両国橋・大橋ナル大屈曲ノ者、及永代橋ノ者是ナリ。此最後ノ深所ハ東西両孔ヨリ進入スル潮流ノ力ニ帰セザル可カラズ。
其潮流ハ殊ニ夏間ノ南風ニ由テ種々ノ盤渦及底ノ侵蝕ヲ起ス者ナリ。川ノ水線ノ形ハ、殊ニ低水ニ在テ大抵斉整ナル事、其縦断積ニ明ナリ但永代橋ノ下ニ水面ノ亢隆ヲ生ズルヲ見ル。其因ハ該所ノ横断積ト石川島ノ東西両孔ノ者ト権衡ヲ得ザルニ帰セザル可カラズ。
第五断積(永代橋ノ下分点ノ上)ノ容量ハ、千八百八十一年九月十九日即量査ノ日ニ於テ六千二百六十方尺ニシテ、石川島ノ両側ナル第六第八断積ノ総計ハ僅ニ六千六百三十五方尺ニ登レリ。即百分ノ六ノ如キノミ。(第七・第八ノ総計ハ、尚小ニシテ六千三百三十方尺)此川ノ二派ニ分ルヽニ方リ、其二派ノ断積ノ総計ハ、未ダ分レザル断積ヨリモ著ク大ナルベク、又主河ト其派トノ広サニ於ルモ必某関係ノ存ス可カリシ者ナリ。今ヤ其然ルヲ見ズ。故ニ此不斉整ハ、則川ニ沮滞ヲ起シ、其勾配線ヲ不斉整ニ為サヾルヲ得ザルナリ。
高水ニ方テハ、同日ニ於テハ恰モ反対ノ象ヲ現セリ。則第六・第八断積ノ総計ハ(一万千五百十四方尺)第五断積(八千百)ニ比較スルニ至大乃チ百分ノ四十二ノ大ナルニ至ル。霊岸島ヨリ品川ニ至ル九月二十九日ノ勾配線ニ拠レバ、此日ノ低水ハ品川ノ霊岸島ヨリ高カリシヲ知ル。此現象ハ南風ノ水ヲ砲台ノ近傍ニ駆逐セルニ起ル処ニシテ、只
 - 第28巻 p.12 -ページ画像 
特別ニ生ズル者タル事明ナリ、是若シ然ラザレバ河水ハ湾ニ放下スル能ハザルベキガ故ナリ。加之某時間霊岸島及品川ニ於テ経験セル潮線ノ図ニ拠ルモ亦然ルヲ審ニス。其図ニ干潮ハ砲台ノ近辺ニ下ル事河口ヨリモ低ク、満潮ハ之ニ反シテ品川ニ高キヲ見ル。
此潮線ハ蓋シ完全ノ者ニアラズ。(例ヘバ第二砲台ニテハ只日潮ノ経験ニ止リ、或ハ真正ノ最高低水位ヲ欠ケリ。)然レドモ之ニ由テ左ノ数ヲ得。

図表を画像で表示--

 霊岸島ノ潮差 品川ノ潮差 小汐平均二尺乃至二尺半、則平均低水下一尺。 大汐平均四尺、即平均低水上三尺。 干潮ハ霊岸島ノ低水下平均二尺。 満潮ハ霊岸島ノ低水上平均四尺。 大汐平均六尺、小汐検査ヲ経ズ。 



  両国橋ニ於テハ、潮汐ノ差大汐四尺、小汐一尺トス。
然リト雖トモ此最後ノ潮差ハ甚不斉整ニシテ風候ニ関スル者ナリ。則月日ト連結セル図 ○略スニ明ナル処ノ如シ。
東京ト海ト水路ノ交通ヲ改良スルガ為墨田川ヲ用ユルノ良法ハ、第一図 ○略ス ニ紅色ノ線ヲ以テ示ス処ノ者タル事、彼是ノ事実及局所ノ穿鑿ニ由テ明ナリ。此図ニ由テ見レバ、第一最高潮水ノ上ニ抽ル処ノ隄ヲ以テ東孔ヲ塞クベク、第二両国橋或ハ尚上ノ方第一断積ヨリ霊岸島ニ至ルマデ川ヲ制治スベク、第三石川島ニ当テ断積ヲ増大シ、及之ヨリ海中十二尺ノ水線ニ至ルマデ河床ヲ低隄ノ間ニ束ヌベキ者トス。低隄ハ緩ナル彎曲ニ沿ヒ流下スル河水及出入スル潮水ヲ導ク者ナリ。
第一、東孔ヲ塞グニ隄ヲ以テス。其隄ハ最高潮水ノ上ニ達ス。則是
 イ、南風ニ向テ河口ヲ防護スル為。
 ロ、二潮ノ合流ニ由リ永代橋ノ下ニ河床ニ生ズル不斉ヲ防グ為。
 ハ、河水及潮水ヲ悉ク一流ニ束ネ以テ侵削力ノ最高度ヲ獲ルガ為ナリ。
第二、川ノ制治、是レ低水ノ高サニ達スルノ工ヲ置キ、河水及潮水ヲシテ斉整ノ澪ニ就テ海ニ下ラシムル者ヲ云フ。毎潮進入スル水ノ多寡ハ就中河床ノ斉不斉ニ従フベシ。
河中ニ突出セル工ハ、都テ潮汐ノ働ヲ妨グ。高水ノ断積ニ於ケルモ亦其理相同ジ。然レドモ低水下ノ不斉整ナルハ、(俄ニ断積ノ縮小シ或ハ増大スル者モ、亦此内ニ算ヘザル可ラズ。)其害尚大ナル者トス。是レ素ト最大速力即最大流送ハ深サノ最大ナル処、即低水床ノ処ニ在ルヲ以テ也。故ニ低水床中ニハ苟クモ流下ヲ妨グル者ヲ存在セシムベカラザルナリ。
図 ○略ス上厩橋ヨリ霊岸島ニ至ル両赤線ハ(口ノ方ニ向テ漸ク開ク者)力メテ現在ノ状ヲ変ズル少ナク、之ニ拠テ平行工ヲ置クベキ方向ヲ示ス者ナリ。此工ハ、(其精神ハ既ニ利根川ニ施ス者ニ斉シ。)素ヨリ市中ノ溝渠ヲシテ川ト接続ヲ失ハシメズ、今其容ルヽ所ノ潮水ノ量ヲ減セザル様築造セザル可ラズ。
第三、石川島ニ傍フノ断積ハ之ヲ拡メザル可ラズ。其理ハ上ニ現今ノ断積ニ就テ言フ処ト、此計画ニ拠リ従来二孔ヲ経テ通過セシ河水及潮水ノ悉ク只西孔ヨリスベキトヲ以テ明ナリ。
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川ヲ導テ霊岸島ヨリ品川ニ至リ、更ニ進テ深サ十二尺ノ線ニ達スルノ件ハ、左ニ之ヲ弁ズベシ。若シ川ヲシテ西孔ヲ経テ後、其元来ノ道ヲ逐ハシムル者トセン乎、其流大ニ散開シ、点々深所ヲ獲ルト斉シク、其間ニ浅所ヲ生ズベシ。若シ斉整ナル深澪ヲ浚ツテ自然ヲ助ケン乎、此澪ハ流ニ由テ乍チ復タ埋マリ、爰ニ生ズル屈曲ニハ尚侵削ヲ起シ、直部ニハ浅キ所ヲ生ジ、以テ幾クナラズシテ、再ビ同一ノ困難ニ陥ルベシ。
浅キ曲江中ニ不易ノ深澪ヲ獲ンニハ、之ヲ経テ流ルヽ川ヲ束ヌルニ隄ヲ以テシ、其河身ニ於テ期待スベキ最大ノ深サニ符合スル深水線ニ達スルノ外他ニ術ナシ。是レ他ノ河流ノ実験ニ由テ知ル処ナリ。
此隄ノ高サハ凡ソ満潮ノ半ニ達スルヲ要スルノミ。故ニ目下ノ場合ニテハ霊岸島ニテ低水上二尺乃至三尺ニ及ビ、其製式ハ甚簡単ニシテ、長サノ過半ハ沈層上ニ石隄ヲ投ズルヲ以テ成ルヲ得ベシ。但シ某深所殊ニ砲台外ノ深サ斉等ニ増加シ、多ク波浪ノ衝激ニ触ルヽ処ハ、其隄(麤朶ノ深料数層ヲ用ヒ、石ヲ以テ之ヲ列杭ノ間ニ鎮ス。)大ナル強固ヲ有セザル可ラズ。然レドモ頂ノ高サハ同一ニ居テ可ナリ。
此隄ヲ築クニ方リ、鉄道隄ノ後ナル溝渠ハ恐ラク河澪ト結バザルヲ得ザラン。則古川ノ如キ是ナリ。然レドモ其口ニハ良好ノ方向ヲ与ヘ、即海ノ方ニ向ハシムベシ。又兼テ此細流ノ不潔ヲ致スベキ原因ヲ穿鑿シ、其因ヲ除クヲ良トス。
此計画ニ拠レバ、新河口ノ心線ハ南々東ニ向フ。而シテ西隄ハ東隄ヨリ長キ事其端末凡ソ南北線ニ居ルニ至ル。此ニ於テ口ヲ南風ニ護シ、航入容易ナルヲ得。
砲台ノ外及其近傍ニ於テ検スル処ニ拠ルニ、潮流ノ方向ハ(図 ○略ス 上ニ示ス)所撰ノ隄ノ位置ニ於テハ凡ソ河口ノ方向ト合スルヲ知ル。
第二第五砲台間ノ孔ハ狭小ナルガ故ニ、此計画ノ行ハルヽニ方テハ、第五砲台ノ一部ヲ殺ガザル可ラズ。是レ尚爰ニ一言スベキノ件ナリ。川策ノ本案既ニ了ル、次ニ先ヅ此施行ニ由テ如何ナル結果ヲ待ツベキヤノ問題ニ及ブベシ。
此問ニ答フルニハ、先ヅ川ノ航溝ヲ維持スルガ為存在セル原素ノ何タルヲ穿鑿セザル可ラズ。則
 一、隅田川独自ノ水
 二、側溝ニ由テ中川及江戸川ヨリ会スルノ水
 三、高水ニ方リ新河口ニ由テ内ニ入リ、干潮ニ方テ退去スルノ潮水
 四、半潮ニ方リ低導隄(石川島ヨリ台場ニ至ル)ヲ越テ流入ヲ始ムルノ潮水、是ナリ。
然リト雖トモ不幸ニシテ此源皆不潔ナリ。墨田川ノ水ハ実ニ中川・江戸川ノ水ヨリ清浄ナリト雖トモ、諸川ノ水ノ如ク砂或ハ泥分ヲ含ム。是レ水ト共ニ海ニ放下スベキ者ナリ。
口ヲ経テ内ニ入ルノ潮水ハ最清浄ナリ。(故ニ此口ニ頗ル大ナル広サヲ与ヘ、力メテ此潮水ヲ容ルヽヲ図レリ。)然レドモ尚南風ノ際東京ニ向テ進行スル多摩川ノ汚物ヲ以テ穢サルベシ。利根川ノ砂洲ノ海中ニ突出スル幾何ノ遠キニ至ルヤハ、只第二図(海軍図) ○略ス ニ就テ考フルヲ要ス。而シテ二間且三間ノ深線ハ、此川ノ近傍ニ於テ海ノ方ニ向ヘル
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湾円ノ撓曲ヲ現ハス。是レ此川ノ影響少ナカラザルヲ知ラシムル者ナリ。
此潮水ハ尚低隄ヲ越テ内ニ入ルベキ者ヨリモ清浄ナルヲ、必進潮ノ際広キ砂洲ヲ渉テ進動スル薄層ノ水ハ其泥砂ヲ動シ以テ不潔ト為ル。
満潮ノ際此洲ヲ越ヘテ航スルトキハ容易ニ之ヲ証スルヲ得。今ヤ最不潔ナル下層ノ水ハ、低水上二尺乃至三尺ノ隄ニ由テ遮却セラルベシト雖トモ、上層モ亦多々ノ汚物ヲ含ムベシ。尚其流送スル諸汚物ニ加フルニ、許多ノ市溝ニ由テ泥ヲ川ニ致ス者ヲ以テセザル可ラズ。進入スル処ノ潮水ハ川ノ汚物ヲ放下スベク又川ノ航溝ヲ維持スベキ者ナリ。而シテ其自ラ不潔ト為ル既ニ如此。殊ニ石川島ト品川ノ間ノ勾配少キニ注目スレバ、甚此潮水ノ侵削力ヲ恃ム能ハザルナリ。
以上ノ諸事ニ由リ又石川島ヨリ下現今航溝ノ状況ヲ以テ観察スルトキハ、予ハ此島ヨリ以下ハ低水下六尺乃至七尺ノ澪ヲ存スルヲ得ベシト言フノ外ニ出ヅル能ハザルヲ信ズルナリ。
然リト雖モ水ノ侵力ニ由テ此澪ヲ生ゼシメズ、而シテ浚疏ニ由テ浅洲ヲ除キ、以テ侵削セル物質ヲ再ビ口前ニ沈堆セシメズ、故ニ新難事ノ因ヲ為サシメザルヲ図ルハ、是レ切ニ望ム処ナリ。
或ハ浚濬ニ由テ低水下六尺乃至七尺ヨリモ深キ不易ノ澪ヲ獲ル能ハン乎、是レ容易ニ預言ス可ラズ。此件ニ就テハ幾多ノ議論ノ起ルベキヤ量リ難ク、故ニ又其諸事ノ助力ニ由リ如何ナル結果ヲ生ズルヤモ預メ言フ能ハザルナリ。
石川島ヨリ上両国ニ至ルノ川ニ於テハ、水ノ流下ヲ便易ニシ、又流ノ分離及ビ南風ノ害力ヲ除クヲ以テ状況ヲ斉整ニスベシ。深淵殊ニ永代橋ニ在ル者ノ如キハ、漸ク深サヲ減ズベク、貫通セル澪ハ恐ラク低水下十尺乃至十二尺ニ存スベシ。此部ノ澪ノ下ノ方ヨリモ深キヲ存スベキ者ハ、第一勾配即流下ノ速力下ヨリモ大ナルガ故、第二川ニ上ルノ海水ハ只上層ノ汚物少キ者ノミナルガ故ナリ。
此川策ノ考案ヲ終ルノ前、尚爰ニ一言センヲ欲スル者アリ。則此計画ヲ施行スルニ方リ、第五・第一・第四砲台ヲ相結ビ、更ニ之ヲ岸ニ接スルニ半潮高ニ達スル隄ヲ以テスル是ナリ。然ルトキハ芝品川砲台右河隄ノ間ニ凡ソ三百町大ノ沼ヲ生ズ。此沼ハ充分静止セル水量ヲ含ミ泥分ヲ沈底スベシ。而シテ毎潮泥ヲ含孕セル新水ヲ承ケ、其泥ハ常ニ此内ニ留リ、其結果ハ底ノ堆積ニ外ナラザルベシ。故ニ数年ヲ経ルノ後囲隄ノ地ト為リ、豊熟ノ耕地ヲ呈シ、以テ工費ノ一部ヲ還償スルヲ得ベシ。
      深港策
川ヲ用ユル者ハ恐ラク大ナル日本船ヲ東京ニ近ヅカシムルヲ得ベカラズ。況ヤ吃水深キ汽船ヲヤ。是上ニ言フ処ニ由テ明ナリ。今ヤ東京ヲシテ海港ヲ備フルヲ得テ其望ニ満足セシムルニハ、如何ノ方法ヲ用ユベキヤ、之ヲ穿鑿セントス。
此計画ヲ約論スレバ則左ノ如シ。其方法全ク川ト別チテ大ナル池ヲ造ルベシ。其池ハ漸ク狭窄セル漏斗状ヲ以テ口ヲ海ニ開ク者ナリ。此港ノ深サヲ保ツノ考ハ、(最初浚疏ノ後)毎二十四時二回ノ潮水ヲ以テ池ヲ満タシ干潮ニ方テ之ヲ漏斗ヨリ放下シ、爰ニ流ヲ生ゼシメテ口ノ変
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化ヲ防グニ在リ。
此計画ハ第二・第三・第四図 ○スベテ略ス ニ之ヲ示セリ。其図ニ見ルガ如ク池ノ大サ一千町余。之ヲ造ル者ハ、第一、石川島ニ於テ川ノ西孔ヲ塞グ処ノ隄、第二、此島ノ東角ヨリ第三砲台ニ至ルノ隄、第三、第一・第四ノ砲台ヲ相結ビ又岸ニ接スルノ隄。此隄ハ皆最高潮ノ上ニ抽テ塞断充分ニシテ毫モ河水及汚濁ノ海水ヲ池ニ入ラシメザルヲ必スベシ。但水ノ衝激ヲ受クル少ク浅水ニ亘ルヲ以テ其築造易簡ナルヲ期ス。
漏斗ヲ為リ及第一・第三両砲台ニ接スルノ隄ハ、多ク風浪ノ衝激ヲ受ケザル可ラズ。故ニ其築造之ニ準ジ強クシテ高カラザル可ラズ。地鑽試査ノ表ニ拠レバ、(殊ニ第二砲台ノ者)下地ハ甚シキ沈陥ナクシテ、港隄ノ重サヲ荷フニ堪ユベキヲ明ニス。而シテ年来存在セル品川砲台ノ現存ニ由ルモ、亦之ヲ証スルニ足レリ。然レドモ若シ此計画ヲ施行スルニ方リテハ、港隄ヲ築クベキ方向ニ於テ、尚数多ノ地鑽ヲ施スヲ良トスベシ。
隄ヲ以テ造レル漏斗ノ心線ハ、南々東ニ向フ。而シテ隄ノ頭ハ上ニ河隄ニ示スト同理ノ為、復タ南北ノ方向ニ居ラシム。
此心線ハ、第二砲台ニ交叉ス。故ニ此ノ砲台ハ港口ニ対シテ正中ニ位ス。是ヲ以テ戦争ノ時ニハ第一・第三砲台ト相須テ、頗ル港ヲ護スルノ利アリ。第五・第六両小砲台ハ、恐ラク之ヲ除ク難カラザルベシ。是レ通船及潮水流動ノ為希望スベキ処ナリ。
此ノ如ク造レル池内ニ欲スル処ノ深サヲ獲ルニハ、浚渫ヲ以テセザル可ラズ。其深サハ低水下二十三尺トス。是レ大汽船ヲシテ港ニ入ルノ便ヲ得セシムルガ為ナリ。此目的ニ由リ、突隄モ亦西ノ方少クモ低水下四間ノ深線ニ達スル者トス。其他面積ノ大サハ貿易ノ為要用ナル所ニ堪ユベク、桟橋及泊所ハ、沿岸至ル処随意ニ之ヲ造ルヲ得ベシ。港隄ノ相対スル傾斜ハ、若シ東突隄ヲ西突隄ト同一ニ延伸スル者ト想像スルトキ、其両頭ノ間隔九百尺ニ及ブガ如ク撰定セリ。此所撰ノ距離ハ、恐ラク進潮ニ際シテ充分ノ水量ヲ流入セシメ、其退潮ニ際シテ急流ヲ口ニ起サズシテ望ム処ノ深サヲ維持スルヲ得ルニ足ラム。隄ノ長サ今預定スル不同ノ者ニ拠リ間隔過大ニシテ充分ノ流ヲ起スニ足ラザルヤ否ハ、実行ノ時既ニ分明ナルヲ得ベシ。其濶キニ失スルトキハ、東隄ヲ伸テ須要ノ長サニ致スベシ。
前々載スル処ノ第一問ニ拠レバ、只川ノ西派ヲ塞断シ、其下ノ澪ヲ浚ヒ、而シテ所浚ノ深サヲ保護シ、其澪ヲ深水ト湾中ニ結ブベキ隄ヲ須ヒズシテ、港ヲ造ルヲ得ルト考定セシ者ノ如シ。(此問ヲ約言スレバ、「今西澪ヲ塞ギ水路ヲ深フシ、港ヲ隄下ニ築クノ説アリ」ト云フニ外ナラズ。)然レドモ上ニ言フガ如ク、墨田川・中川・江戸川ノ近傍ニ於テ、潮水ノ不潔ナルト、又流ノ在ラザル処ハ、至ル処浅所ニ遇フ(海軍図ヲ看ルベシ)ノ事実アルト、又此ノ如クシテ浚疏セル澪ニ於テハ聊流力ノ効ヲ恃ム可ラザルノ確然ナルトニ由レバ、容易ニ此港澪ノ永存ス可ラズシテ、泥淤ノ為ニ、速ニ復タ用ヲ為サヾルニ至ルヲ知ルベシ。
是故ニ池ノ淤堆ヲ防グノ隄ヲ設クルナリ。此池ノミニ於テハ又決シテ言フニ足ルノ流ヲ見ザルベシ。(但漏斗ニ於テハ然ラズ。)然レドモ是
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レ全ク不潔ヲ拒絶スルガ為流ヲ要用トセザル也。(此事ニ関シテハ、港策ハ勢川策ヨリモ利アリ。蓋港隄ノ遠ク海中ニ出ヅルヲ以テナリ。)此池ニ放泄スルノ水ハ、第一霊岸島及京橋ノ市溝、第二古川、第三鉄道隄後ノ溝渠ナリ。然レドモ此溝渠ハ時々浚渫ヲ加ヘテ清浄ニ保チ、又古川ノ汚物ヲ送ルヲ止ムルノ制度ヲ建ツルトキハ、此水ハ港池ヲ害スルコト微ナルベシ。
然リト雖トモ爰ニ他ノ危害ノ戒心セザル可ラザル者アリ。乃チ先ヅ港池ハ全ク川ヨリ分タザル可ラザル者トセリ。若シ墨田川ヲシテ自由ニ池中ニ流入セシメシトキハ、河水ハ広キ池内ニ至テ充分ニ静息スベク而シテ川ノ送ル処ノ土砂ハ大抵此ニ沈底シ、其物質ノ沈澱ハ、川ノ其流勢及其勾配線ト応合セル緩斜ノ底及狭小ノ広サヲ造ルニ至ラザレバ止マザルベキハ自然ノ結果ナリ。此淤浅ヲ防ガンニハ、始終浚渫ヲ行ハザルヲ得ザルヘシ。是避ケザル可ラザルノ事ナリ。今ヤ所企ノ塞隄ヲ造ルト雖トモ、川ト港トノ交通ハ霊岸島ノ溝渠ニ由テ之ヲ存セシムルヲ以テ、川ノ一部此溝渠ニ投シテ港池ニ注泄スルノ恐アリ。川ヨリ此溝ヲ経テ池ノ深水ニ達スルノ道ハ、必ズ東孔ヲ経テ海ニ入ル者ヨリモ近カルベク、池ノ深水ニ於テハ又恐ラク干潮ノ下ル事稍霊岸島ヨリ低カルベシ。故ニ或ハ流ヲ此溝ニ起シ、其狭窄ナル断積中底及岸ヲ害シ、且川ノ汚物ノ一部ヲ港ニ致スアラン。是レ必避ケザルベカラズ。此難事ヲ救フニハ、霊岸橋ノ近傍ニ於テ、退潮ノ際河水ヲ遮ルノ閘門ヲ築カザル可ラズ。
川ヨリ江戸橋及白魚橋ヲ経テ湊ノ方ニ導クノ溝渠モ、亦少シク河水ヲ致スヲ得ベシ。然レドモ此路ハ其遠キヲ以テ、恐ラクハ爰ニ自由ノ交通ヲ存セシメテ可ナラン。
此故ニ港ト川トノ交通霊岸橋ヲ経ル者ハ、只高水(満潮)ノ際聊妨ナキヲ得ルノミ。若シ此交通ヲ低水(干潮)ニ備ヘンヲ要セバ、右ニ言フ処ノ閘ヲ行舟閘ト為サヾル可ラズ。其製ハ川ノ方ニ開ク処ノ扉ヲ具スル者ナリ。港隄ノ頭ノ近傍深線ノ事ニ至テ尚注目セザル可ラザル者ナリ。乃チ港口ノ近傍ニ現在セル河流殊ニ多摩川ノ如キハ、毎年多量ノ汚物ヲ海湾ニ致スベク、西港隄ト第一・第四砲台ト陸岸トノ間ナル潟ハ漸淤堆スベク、又二間・三間及四間ノ深線ハ、漸ク海ノ方ニ移遷スベキヲ期ス。故ニ三間ノ深線(海軍図参照)ハ漸ク港隄ノ頭ニ近ヅキ、竟ニ之ヲ過グベシ。此ニ於テ港隄間退潮ノ侵力既ニ所要ノ深サヲ維持スルニ足ラザルトキハ、後来隄ヲ延伸セザル可ラズ。其方向ハ最初ノ者ニ傚フ歟、或ハ航入ヲ狭窄セザル為之ヲ平行スル歟、時宜ニ従フベシ、此事情ニ由リ幾多ノ星霜ヲ経バ、其延伸ヲ要スルハ預メ之ヲ知ルベシ。但預メ之ヲ定ムル能ハザルノミ。
予曾テ湾中潮流ノ方向ヲ調査セシムルヲ請ヒ、而シテ其所得ノ方向ヲ第三・第四図ニ載セタリ。其方向ハ凡ソ所撰ノ港口ノ心線ニ従フノミ深線ノ方向ニ於テ此心線ニ垂直ナル潮流ハ一モ之アラズ。其流ノ現在スルアリシトキハ港口堆淤ノ恐少カルベシト雖トモ、勢此ノ如キヲ以テ後来延伸ノ免ル可ラザルヲ知ルナリ。
結局尚一言スベキ者アリ。此港策ニ拠レバ、川ハ東孔ヲ経テ海ニ注ガザル可ラズ。
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西孔ヲ経テ放下スルニ方テ、川ヲ制治スルノ計画ハ上ニ之ヲ論ゼリ。東孔ヨリ放下スルニ於ルモ、亦其主眼考案右ト相同ジ。河口ノ改修ハ港策ノ行ハルルニ遇フテ、其主要ヲ失ハンモ、内地舟漕ノ便ニ至テハ決シテ川ノ天運ニ放任スル能ハザル也。
川策ニ用ユルガ如キ方法ヲ用ヒ、両国橋ヨリ低水下六尺乃至七尺ノ深線ニ至ルマデ川ヲ制治スルハ、切ニ之ヲ希望ス。而シテ永代橋ヨリ東孔ノ外端ニ至ルマデ局部ノ制治ヲ加ヘ(第三図ニ紅線ヲ以テ記ス者ハ此局部ノ制治、鉛筆ノ線ヲ以テ画スル者ハ、緩ナル彎曲ニ沿ヒ、尚遠ク右方ノ制線ヲ延伸スベキ方向ヲ示スナリ。)尚第八断積及新澪ヲ浚疏シ、(深サ四尺乃至五尺)之ニ拠テ川ヲ海ニ放下セシムベキハ、已ムヲ得ザルノ事業ナリ。
此予ガ已ムヲ得ズトスル工事ノ行ハレザルトキハ、川ハ砂洲ノ為ニ其流ヲ妨ゲラルベシ。其砂洲ハ則堰埭ノ如キ働キヲ為シ、川ノ水面ヲ亢隆シテ勾配ヲ減ジ、従テ速力ヲ失フベシ。其果ハ河水ノ含有スル固形物ヲ沈底シ、為ニ河床ノ堆淤即舟漕ノ妨害ヲ生ズル也。
第一ニハ、川ヲシテ東京貿易ノ用ヲ為スニ至ラシムルノ方法、第二ニハ、墨田川ノ助ヲ借ラズシテ、東京ヲ大船ノ出入スル港場ト為スニ緊要ナルノ工業、次ニ此計画ヲ実施スルニ由テ各期待スベキ結果ヲ併セ論ズル、既ニ如此。今ヤ既知ノ状勢ニ於テ、孰レノ計画ヲ用ユルノ最良トスルヤノ問題ニ至レリ。此問ニ答フルハ蓋難キニアラザル也。
日本ノ首府ナル東京ニ在テ、大商舶並ニ軍艦ノ出入ニ堪ユル良港ヲ備フルノ重要ナルニ注意シ、又海ト交通ノ不便ヲ問ハズ、今已ニ東京ニ拡張セル商運ヲ観察シ、又人口百万ヲ有シ、広大ナル沃野ノ端末ニ位セル市城ヲ以テ、此貿易ニ与フル非常ノ繁盛ニ着眼スルトキハ、則第一ニ港策ニ密結セル財用困難ハ、此策ノ施行ニ由テ東京ニ呈スル大利益ヲ以テ之ヲ償フニ余リアリト決断スベシ。是敢テ此計画ノ川策ニ勝レリトスル所以ナリ。
結局尚一言スベキ者アリ。若夫財用或他ノ事故ノ為、港策ヲ採ラズ川策ヲ用ユルニ決スルトキハ、後年ニ至リ爰ニ弁ズル精神ヲ以テ港ヲ造ルモ亦能ハザルニ非ルベシ。但毎時極メテ困難ニシテ尚多額ヲ費スニアラザレバ施ス能ハザルニ至ランノミ。
  東京千八百八十一年十一月二十四日
     工師
      アー・テー・ヱル・ローウエンホルスト・ムルドル
    土木局長 石井省一郎殿
  右明治十四年十二月       東京府御用掛熱海貞爾訳
   ○右「ムルドル氏意見書」ハ「東京市史稿」港湾篇第四、第二四頁以下ニ附図共収録サル。



〔参考〕東京日日新聞 第二六七七号 明治一三年一一月一〇日 【本日の東京府録事に掲…】(DK280001k-0005)
第28巻 p.17 ページ画像

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