デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

6章 政治・自治行政
2節 自治行政
4款 東京市参事会
■綱文

第28巻 p.392-395(DK280042k) ページ画像

明治29年3月3日(1896年)

是日栄一、東京市名誉職参事会員ヲ辞ス。同月十日、再ビ選挙セラル。


■資料

東京市会議事録 第二三巻・第一号 明治二九年刊(DK280042k-0001)
第28巻 p.392-393 ページ画像

東京市会議事録  第二三巻・第一号 明治二九年刊
  明治二十九年三月十日午後第四時五十分開会
    出席 一番末吉忠晴 ○外五十七名氏名略
    闕席 二員
○上略
一議長 ○須藤時一郎ハ東京府知事ノ報告書市参事会員渋沢栄一外十名退職ノ件ヲ朗読セシメ、辞職ノ当否ヲ問ヒシニ、更ニ異議者ナキヲ以テ、別ニ表決ヲ要セス、正当ノ理由アルモノト認ムルコトニ決ス
一名誉職市参事会員ノ補闕選挙ヲ行フモノトシ、総員十二名ヲ二部ニ分チ、明治三十二年六月任期満了トナルヘキ分ヲ甲トシ、同三十年六月任期満了トナルヘキ分ヲ乙ト定メ、先ツ甲ノ部ヨリ市制第四十四条ニ従ヒ一名ツヽ投票セシメタルニ左ノ六氏当選シ、休息ヲ告ク
 五十二点  渋沢栄一   五十二点  富田鉄之助
 三十三点  芳野世経   四十八点  松田秀雄
 四十四点  仁杉英    四十六点  白石剛
   于時午後第六時十五分
   ○名誉職市参事会員乙ノ部谷干城外五名選挙、及ビ東京府知事三浦安不信任決議案可決ノ件略ス。
    ○附録
                       東京市会
東京市参事会員渋沢栄一外十名ヨリ別紙写ノ通退職ノ儀申出候条及報告候、就テハ右後任者ヲ選挙相成度候也
  明治二十九年三月十日
                東京府知事 三浦安
(別紙)
    辞職御届
自分共儀本年一月以来不得已事情ニ由リ勤務致居兼候処、今般市会成立相成候ニ付、本職辞任仕候間、此段御届申上候也
 - 第28巻 p.393 -ページ画像 
  明治二十九年三月三日
                    東京市参事会員
                      渋沢栄一
                      谷干城
                      奥三郎兵衛
                      芳野世経
                      松田秀雄
                      須藤時一郎
                      仁杉英
                      長岡護美
                      辻新次
                      白石剛
                      富田鉄之助
    東京市参事会
     東京府知事 三浦安殿



〔参考〕東京市会史 東京市会事務局編 第一巻・第六六四―六六八頁 昭和七年八月刊(DK280042k-0002)
第28巻 p.393-394 ページ画像

東京市会史 東京市会事務局編  第一巻・第六六四―六六八頁 昭和七年八月刊
 ○明治年間 市制特例当時ノ東京市会 第七章 明治二十八年
    第拾参節 水道改良事業
○上略 次イデ芳野世経君外八名ヨリ、左ノ決議案提出アリ
      東京市参事会東京府知事不信任決議案
 不正鉄管鋳造事件ハ、本市ニ取リ空前絶後之失政トス。失政ノ責ハ監督長官ノ怠慢ニ帰ス。我々ハ府知事三浦安君ヲ以テ、市会ノ信任ヲ失フタル者ト断定セリ。依テ此ニ決議案ヲ提出ス。
  明治二十八年十二月九日
            提出者
             佐久間貞一  肥塚竜
             小島官吾   小川三千三
             鈴木信仁   白石剛
             石垣元七   長谷川泰
             芳野世経
    東京市会議長 楠本正隆殿
○中略
本決議案ニ対シテハ、他ニ質問モナク、意見モナク、市会ハ全会一致ニテ之ヲ可決セリ。 ○下略
    第十四節 市会解散
明治二十八年十二月十日付ヲ以テ、東京府知事ヨリ市会ニ対シ、左ノ通達アリタリ。
 内一甲第四二二号ノ二
 一 市会解散命令書
 右及送達候也
  明治二十八年十月十日《(二脱)》
                東京府知事 三浦安
    東京市会議長 楠本正隆殿
 - 第28巻 p.394 -ページ画像 
 秘乙第六九六号
                   東京府東京市会
 市制第百二十条ニ依リ解散ヲ命ス
  明治二十八年十二月十日
               内務大臣 子爵 野村靖



〔参考〕東京市会史 東京市会事務局編 第一巻・第六七四―六七七頁 昭和七年八月刊(DK280042k-0003)
第28巻 p.394-395 ページ画像

東京市会史 東京市会事務局編  第一巻・第六七四―六七七頁 昭和七年八月刊
 ○明治年間 市制特例当時ノ東京市会 第八章 明治二十九年
    第四節 府知事不信任決議
名誉職市参事会員ノ選挙ヲ終了スルヤ、野村猪三君ヨリ緊急動議トシテ、左ノ決議案提出アリ
      決議案
 本会ハ曩ニ市長タル府知事三浦安氏ヲ以テ、市民ノ信任ヲ失ヘルモノト決議シ、為ニ解散ノ非運ニ遭遇セリ。爾来内ニシテハ名誉職市参事会員挙テ府知事ノ招集ニ応セス、遂ニ袂ヲ連ネテ総辞職ヲ為スノ不幸ヲ見ルアリ、之ヲ外ニシテハ市部会・区会、前後相継テ三浦府知事ニ対スル信任欠乏ノ意ヲ表明シ、為メニ陸続解散ノ厄ヲ被ムルアリ、今ヤ議政・行政二局ノ機関全ク其運行ヲ止メ、帝都ノ自治政ハ解弛紊乱、殆ト収拾スヘカラサルニ至リ、公利民福ノ阻害日ニ益々甚シキヲ加フルニモ拘ハラス、三浦氏尚ホ恬トシテ其職ヲ保チ専恣独断、更ニ民意ヲ顧ル所ナシ。嗚呼是レ何事ソヤ。
 凡ソ政治家ノ尊ムヘキ所ノモノハ、公共的徳義ナリトス。然ニ三浦府知事ハ、市民代表ノ機関皆ナ其不信任ヲ鳴ラシ、万般ノ政務悉ク阻格ヲ見ルニ至ルモ、平然之ヲ念トセス。其頑強ニシテ徳義ヲ重セス、職権ヲ濫用シテ市民ヲ侮蔑スルノ甚シキモ亦極マレリト云ハサルヘカラス。吾人何ヲ以テカ三浦氏ニ信任ヲ置キ、政務ヲ与ニスルコトヲ得ンヤ。依テ前議会ノ意思ヲ継承シ、玆ニ再ヒ三浦府知事ノ信任欠乏ヲ決議ス。
  明治二十九年三月十日
                  提出者 野村猪三
                  賛成者 小島官吾
                        外三十六名
    東京市会議長 須藤時一郎殿
野村君、提案ノ理由説明後 ○中略 指名点呼ヲ行ヒタル結果ハ左ノ如シ。
  賛成者 (五十四人)
   末吉忠晴 ○外五十三名氏名略
  反対者 (二人)
   稲田政吉  中沢彦吉
即チ、二人ニ対スル五十四人ノ絶対多数ニテ、三浦府知事不信任案ハ可決セリ。
    第五節 市会解散
明治二十九年三月十日総選挙後ノ初会議ニ於テ、三浦東京府知事ノ不信任案ヲ議決シタル東京市会ハ、同月十二日内務大臣ヨリ再ビ左ノ如ク解散ノ命ニ接セリ。
 - 第28巻 p.395 -ページ画像 
 東京市会解散之義ニ付、内務大臣ヨリ別紙之通、達セラレ候条、及伝達候也。
  明治二十九年三月十二日   東京府知事 三浦安
    東京市会議長代理者 芳野世経殿
 秘乙第一七七号
                   東京府東京市会
 市制第百二十条ニ依リ解散ヲ命ス
  明治二十九年三月十二日
                 内務大臣 芳川顕正