公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第28巻 p.424-425(DK280053k) ページ画像
明治23年8月23日(1890年)
郷里血洗島村ニテ自治制施行ニ際シ、村名決定ニ関シ紛騒起ル。栄一之ヲ仲裁シ、是日自治制施行セラル。
渋沢治太郎談話筆記(DK280053k-0001)
第28巻 p.424 ページ画像
渋沢治太郎談話筆記 (財団法人竜門社所蔵)
昭和十二年十二月三日 於埼玉県血洗島諏訪神社 本資料編纂員松平孝聴取
青淵先生の血洗島に於ける公共事業
○上略
一、村名決定
明治二十三年町村制施行の頃には未だ自治の観念が少く、為に部落が単位となつて勢力争を行つて居たので、其の頃一番強かつた下手計が横暴にも下手計村として届を出してしまつた。之に対し三ケ字は是に反対し、自治の成立が中々出来なかつた。此の時私共が先生の所へ上り色々御意見を伺つたり、内務省の方へ御願をして頂いたりしてる中に、段々仲裁に心配し、穂積男の意見を聴いて八基村と命名するやうに取計らつて頂きました。自治の成立したのが八月二十三日でした。
○下略
〔参考〕(末松謙澄) 書翰 渋沢栄一宛(DK280053k-0002)
第28巻 p.424 ページ画像
(末松謙澄) 書翰 渋沢栄一宛 (渋沢子爵家所蔵)
御書面拝誦仕候、然る処、村名更正申立ノ書ハ漸ク一両日前当省ヘ出候ノミニ有之、紙ニ火ノ付ク如ク迅速之運ニハ至リ難候間可然御了知可被下候、併し可成急ニ調査致候様主任等ニも申付置候、右拝答まて 匆々
謙澄
渋沢盟台
侍史
○原資料ニ年月日記載ナシ、但シ別筆ニテ「明治二十年カラ二十三年ノ間」トアリ。
〔参考〕八基村郷土誌 鈴木徳三郎編 第八一頁 大正二年七月刊(DK280053k-0003)
第28巻 p.424-425 ページ画像
八基村郷土誌 鈴木徳三郎編 第八一頁 大正二年七月刊
○第三編 第五章 一、八基村の沿革
ロ、維新以後
○上略 明治二十二年四月町村制の施行せらるゝや、一時手計村と名付けられしも、血洗島・横瀬等の村民中喜ばざる者多く、村名の変更を当路に陳情せるより、二十三年二月二十八日更に血洗島・横瀬・町田・南北阿賀野・上下手計・大塚の八村を合して八基村と名つけ、従来の
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各村は大字と称せられ、大字に区長ありて村治の執行に便する元の如く、以て今日に及べり。
○下略