デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

7章 軍事関係事業
1節 日清戦争
4款 深川区出身日清役戦死者忠魂碑
■綱文

第28巻 p.456-457(DK280061k) ページ画像

明治29年11月21日(1896年)

是日、深川区有志ヲ以テ建立セル同区出身日清役戦死者忠魂碑祭典、深川公園ニ於テ行ハレ、栄一出席シテ追悼文ヲ朗読ス。


■資料

竜門雑誌 第一〇四号・第三二―三四頁 明治三〇年一月一五日 【左に掲たるは、深川区出身…】(DK280061k-0001)
第28巻 p.456-457 ページ画像

竜門雑誌  第一〇四号・第三二―三四頁 明治三〇年一月一五日
 左に掲たるは、深川区出身征清戦死者の追悼建碑祭典の際青淵先生の朗読せられたるものなり編者識
維時明治廿九年十一月廿一日、深川区有志者総代渋沢栄一謹て一篇の蕪詞を草し、本区出身廿七八年征清の役に戦死せられたる兵員諸士の霊に奠つる
抑忠勇義烈なる諸士は、我四千万同胞の為めに遠く遼東の野に血戦して、砲煙弾雨の間に斃れ、骨を異域に埋め、以て凱旋の栄に与からさりしは惜みても猶余りあり、嗚呼悲哉
想ふに当年諸士か出陣に際してや、剣を按し銃を提け、澟然意鋭く気昂り、進んては氷雪を踏み風雨を衝き、其身を顧みすして敵軍に抗したるは、予め衽席に死するを屑とせすして、馬革屍を裏むを期したるや必せり、其斃るゝに臨みてや、必す東天を拝して自から以為らく、唯一死以て上は
君恩に報ひ、下は深川区民に恥ちさらんと、一念他に及はさりしことは区民の深く信する所なり、嗚呼壮なる哉
恭しく惟るに、我神州古来勇武を以て称せられ、未た嘗て外より屈辱を受けたることなし、維新隆興の盛運に際し国民皆兵たるの旧典に復せしより、軍人奉公の義務は其栄辱と相待つて甚た重きを致せり、然れとも国家有事の時に遭はされは其忠勇も顕はれす、出て営に入り、期満ちて家に帰るに過きす、然るに諸士は実に千歳に一遇して征清の軍に従ひ、畏くも
大纛の下に立つて国民の本分を尽したりしは、独り其名声を博せしのみならす、我四千万の同胞を感憤興起せしめ、仮令其身は死すと雖も其名死せす、永く軍人の儀表と為りて、其栄誉は凱旋者と殊なるなし宜なる哉、朝廷は夙に諸士の霊を迎へて靖国神社に合祀せられ
鸞駕親しく之に臨御し賜ひ、盛に祭典を挙けさせられたり、是を以て諸士の骨は遼東の風雨に枯朽するも、忠魂は桑梓に還りて永く国家の弔祭を享け万世に廟食す、嗚呼盛なる哉
我深川区民たるもの此に至て復た憾みなし、然りと雖区民か諸士を思ふ至情は、猶ほ諸士か死に臨みて至誠国家を忘れさると斉しく、遂に相議して諸士出身の区内に在て永く紀念の物を存し、後進子弟をして諸士の忠勇に傚ひ、異日有事の秋に当り諸士の忠魂に愧ちさらしめんことを期し、乃ち前に本区恤兵会の有志等卒先して醵金建碑の事を図りたるに、幸に同志の賛襄を得て、玆に其竣工を告く、刻するに追悼
 - 第28巻 p.457 -ページ画像 
征清戦死者之碑の九字を以てす、因て旅順口陥落に了れる今日を選ひ虔て建碑の祭典を行ひ、供するに清酌庶羞の薄敬を以てす、冀くは諸士の精霊之を饗けよ
                   渋沢栄一 謹白

忠魂碑碑文(DK280061k-0002)
第28巻 p.457 ページ画像

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渋沢栄一書翰 斎藤峰三郎宛 (明治二七年)一〇月六日(DK280061k-0003)
第28巻 p.457 ページ画像

渋沢栄一書翰  斎藤峰三郎宛 (明治二七年)一〇月六日  (斎藤峰三郎氏所蔵)
○上略
溝口氏より内話之恤兵会出金之義ハ、更ニ金百円寄附可仕旨、至急ニ御申遣可被下候、敢而人と競争と申ニハ無之候得共、先頃之出金ハ何程ニてもと申置候処、五拾円ニて宜敷と申候故、其高ニいたし候迄ニ御坐候
○中略
  十月六日
                    渋沢栄一
    斎藤峰三郎様
斎藤峰三郎様    渋沢栄一
            至急