デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

7章 軍事関係事業
2節 北清事変
1款 山口中将以下凱旋将校歓迎会
■綱文

第28巻 p.459-462(DK280063k) ページ画像

明治34年7月26日(1901年)

是日、北清事変ノタメ清国派遣ノ陸軍中将山口素臣以下凱旋将校歓迎会帝国ホテルニ於テ開催セラル。栄一、大浦警視総監・千家東京府知事・松田東京市長等ト共ニ来賓ヲ迎ヘ、歓迎ノ辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三四年(DK280063k-0001)
第28巻 p.459 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三四年        (渋沢子爵家所蔵)
七月廿五日 晴
○上略 十一時東京市役所ニ抵リ、山口中将以下歓迎ノ事ニ関シ府知事・警視総監及市長諸氏ト其開宴ノ手続ヲ協議ス ○下略
七月廿六日 晴
○上略 午後二時帝国ホテルニ於テ山口中将清国派遣将校凱遊《(マヽ)》ノ歓迎会ヲ開ク、来会者約五百人、余ハ発起人総代トシテ歓迎ノ詞ヲ述フ、山口中将ノ答詞アリ、畢テ立食ヲ饗シ、六時頃一同散会 ○下略


中外商業新報 第五八五一号 明治三四年七月二七日 凱旋将校歓迎会(DK280063k-0002)
第28巻 p.459 ページ画像

中外商業新報  第五八五一号 明治三四年七月二七日
    凱旋将校歓迎会
 渋沢・千家両男、並松田市長等諸氏の開催に係る山口中将以下凱旋将校の歓迎会は、昨二十六日午後三時より帝国ホテルに開催したるが来賓は山口中将、真鍋・福島・出羽・遠藤の四少将外十余氏、出席者は桂総理大臣、清浦・曾禰・芳川・平田・菊地の各大臣、西郷・大山両侯、松方・河村両伯、榎本・岡部の各子爵、在野の人々にては益田孝・山本達雄・大倉喜八郎・今村清之助等の諸氏五百余名なりしが、発起者総代渋沢男爵の挨拶に引続き、山口中将の答辞あり、続て立食の饗応あり、五時過散会したるが、余興には奏楽並丸一の太神楽等ありて近頃の盛会なりし


竜門雑誌 第一五九号・第四六―四七頁 明治三四年八月 ○山口中将以下凱旋将校歓迎会(DK280063k-0003)
第28巻 p.459-460 ページ画像

竜門雑誌  第一五九号・第四六―四七頁 明治三四年八月
    ○山口中将以下凱旋将校歓迎会
青淵先生を始め千家府知事等の催しに係る、山口中将、真鍋・塚本・福島・出羽・遠藤五少将以下佐尉官数拾名の歓迎会は、去月廿六日午後三時帝国ホテルに於て開会せられ、来会者は桂総理、曾禰・清浦・内海・芳川・平田の各大臣、各省高等官・在京貴衆両院議員・商業会議所員・府市会議員、其他紳士紳商五百余名に達し、大浦総監・千家知事・青淵先生・松田市長等懇ろに来賓を迎へ、一同参集せる頃裏庭に於て大神楽の余興あり、午後三時三十分奏楽と共に先生には起て開会の旨を告げ、凱旋将校昨年来の功労を謝し且つ来賓諸氏に向つて将来益々国家の為めに尽力あらんことを希望し、次で山口中将は来賓総
 - 第28巻 p.460 -ページ画像 
代として簡単に挨拶を述べ、夫より食堂を開き立食の宴に移り、午後五時散会せりと云ふ


東京経済雑誌 第四四巻第一〇九二号・第二五〇―二五一頁 明治三四年八月三日 ○凱旋将校の歓迎(DK280063k-0004)
第28巻 p.460 ページ画像

東京経済雑誌  第四四巻第一〇九二号・第二五〇―二五一頁 明治三四年八月三日
    ○凱旋将校の歓迎
大浦警視総監・千家府知事・松田市長及ひ渋沢会頭の発起に係る凱旋将校歓迎会は、去月廿六日帝国「ホテル」に於て開きたり、凱旋将校には陸軍の山口中将、真鍋・塚本・福島の三少将、永田大佐、柴・原田二中佐、由比少佐、平田大尉、貝塚中尉、中川一等軍医、海軍の東郷中将(欠席)出羽・遠藤二少将、島村大佐、山下中佐、白石大尉等会員には桂首相以下朝野の貴顕紳士無慮六百名出席したり、渋沢男歓迎の辞を述べて曰く
 凱旋将校各位閣下、本日我等玆に各位の凱旋歓迎の祝宴を開くや、時正に孟夏炎熱蒸々たるにも拘はらず、中将以下各位の臨場を得たるは、発企人及会員一同の光栄とする所なり、只我等に力薄く諸般の準備足らざるを憾らむ
 回想すれば将校各位閣下は、昨年七月以来満一ケ年北清の遠征に従事し、櫛風沐雨幾多の艱難を嘗め其任務を尽し、帝国の光輝を発揚せられたるは、我国民の感謝に堪へざる所なり、然かも其軍規の厳正なる秋毫も犯す所なく、世界に日本軍隊の声誉を高められしは、永く我等国民の記憶に存じ忘るべからざるものなり
 本日の歓迎会は実に二様の意味を以て開かれたり、即ち一は各位が日本国民の声価を世界に発揚したるを謝し、一は又各位の絶大の殊功に依り、日清両国の関係を円熟せしめ彼我の貿易を発達せしむるの動機を与ヘられたるを信ず、惟ふに我帝国陸海両軍の威武既に各位の力に依つて世界に紹介せられたるも、平和の戦争たる商工業の実力にして之に伴はざれば、其名誉を全ふする能はず、我等実業に従事するものは須からく此意を体して、将来清国内地の啓発に力を致さむことを期す、幸ひに各位閣下も我等の志望を援助せられむ事切望に堪へざるなり
山口将軍は之に対し答辞を述て曰く
 発企人諸君及会員諸君、予は玆に本日招待を蒙りたる凱旋陸海軍将校一同を代表し答辞を述べむ、予等凱旋将校の為め本日歓迎の盛宴を張られ、各大臣以下官民諸君の来会を辱ふしたるは、予等一同の光栄として感謝に堪へざる所なり
 昨年七月以来北清事変に際し、我第五師団が軍旅に従事し、玆に凱旋したるは軍人普通の任務を全ふしたるものにして、其帝国の光輝を発揚したるは、一に 天皇陛下の御威徳と忠良なる我国民の援助に依つて成功したるものなり、然るに諸君は特に我等の微功を偉なりとして、此光栄ある歓迎を蒙りたるは、望外の栄誉と云はざるべからず、只今発起人を代表して渋沢男の御希望は、又我等軍人の心に銘じて力を尽さむ事を期すべし、玆に謹んで感謝の意を表し、同時に来会諸君の健康を祈る
奏楽其の他の余興あり、主客立食を共にし、歓を尽して散会せり
 - 第28巻 p.461 -ページ画像 



〔参考〕日本軍事発達史 伊豆公夫松下芳男著 第三一四―三一六頁 昭和一三年五月刊(DK280063k-0005)
第28巻 p.461-462 ページ画像

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