公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
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明治40年10月24日(1907年)
是ヨリ先、栄一、陸奥宗光ノ銅像建設ニ賛助シ、是日、外務省ニ於テ挙行セラレタル、ソノ除幕式ニ臨席ス。
竜門雑誌 第二二五号・第四六頁 明治四〇年二月 故陸奥伯銅像建立の計画(DK280094k-0001)
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竜門雑誌 第二二五号・第四六頁 明治四〇年二月
○故陸奥伯銅像建立の計画 男爵茨木惟昭・子爵林董・原敬・男爵川口武定・中村宗則・中田敬義・内田康哉・児玉仲児諸氏発起し、侯爵伊藤博文・同山県有朋・同西園寺公望・伯爵松方正義・同井上馨・同板垣退助及先生等の賛成を得、事務所を麹町区八重洲町一丁目一番地古河鉱業会社内に設け、故伯爵陸奥宗光氏の銅像を建立する事となり左の如き主意書を四方に配布したり
故伯爵陸奥宗光君明治三十年八月二十四日を以て薨じ、本年を以て十週忌辰に相当す、今や乃ち幽明相隔て音容猶髣髴たるものあり、其歳月を重ぬるに従つて益々追慕の情に堪へず、同伯少壮維新更革の時に際会し、当年の志士を以て身を起し国事に奔走し、後ち累りに顕要の官職に膺り、遂に外務大臣となるに及で、維新以来朝野の多年冀望して已まざりし条約改正の業を大成す、特に明治二十七・八年事件に当りて、外交其宜きを得、以て彼の光輝ある平和を贏ち得たるは何人も善く知る所なり、此間又立憲政治の美果を収むるが為めに、朝に野に其力を致す所多かりしは之を伝ふるもの稀なりと雖も、之を知るもの皆其功績を称へざるはなし、因て余等茲に相謀り、同君の銅像を鋳、適当の地を卜して之を建立し、以て不朽に伝へんとす
乞ふ余等と志を同くせらるゝ諸君、資を投じて以て此挙を助けられんことを
渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK280094k-0002)
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渋沢栄一 日記 明治四〇年 (渋沢子爵家所蔵)
十月二十四日 曇 冷 起床七時 就蓐十二時
○上略 午前十一時外務省ニ抵リ、故陸奥伯銅像除幕式ニ出席ス ○下略