デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

8章 其他ノ公共事業
3節 関係団体諸資料
1款 日本倶楽部
■綱文

第28巻 p.825-830(DK280145k) ページ画像

明治31年6月6日(1898年)

是ヨリ先、栄一、近衛篤麿・岡部長職等ト共ニ社交機関タル日本倶楽部ヲ創立セント謀リ、螻「々協議ヲナス。是日貴族院議長官舎ニ於テ発起人会開カレ、栄一副会長ニ選バル。以後引続キ当会ノタメ力ヲ尽ス。


■資料

日本倶楽部書類 (一) 自大正十二年至昭和四年(DK280145k-0001)
第28巻 p.825-827 ページ画像

日本倶楽部書類 (一)  自大正十二年至昭和四年    (渋沢子爵家所蔵)
    日本倶楽部沿革概要
日本倶楽部の設立は初め明治三拾年拾壱月弐十八日公爵近衛篤麿・子爵岡部長職・鳩山和夫の三君会主となり、星か岡茶寮に於て小村寿太郎・中村元雄・奥田義人・金子堅太郎・岡田治衛武・松岡寿君等と会し、設立の相談を為したるに起因し、其席上左の事柄を決定したり
一、官民を問はず、政党政派を論せず、職業を分たず、諸種の有志を結合し、其交際を親密にし且外国人と交通の便を計ること
二、名称を日本倶楽部と為し、倶楽部の体裁は和風に洋風を加味すること
三、大体に於て目的を同ふする倶楽部・協会を合併せしむること
次ひて翌月十日、更に相談会を星か岡茶寮に開く、近衛公爵並に岡部子爵・鳩山和夫・小村寿太郎・奥田義人・早川千吉郎・岡田治衛武・渋沢栄一氏等参会し、本年内に本会の主旨に賛成したるものを以て発起人と為し、創立費は凡て発起人に於て負担すること、及ひ追て発起人総会に於て決定する迄は左の諸君を創立委員とすることとし、委員長に子爵岡部長職、委員に公爵近衛篤麿・鳩山和夫・渋沢栄一・早川千吉郎・奥田義人・渡辺洪基・大倉喜八郎の諸君を互選したり、而して発起人総会に於て確定する迄の設立趣意書として、左記設立大旨を発表したり
    日本倶楽部設立大旨
夫れ人生の業務は各其途を異にし千差万別なりと雖も、其国利民福を増進せんと欲するは則一也、故に吾人は務めて社交上の親和を図り、其目的を達せざる可からず、顧ふに我国と世界列国とは今や修交日に加はり、外人の来遊するもの少からず、殊に条約改正は殆んと其完成を奏し、内地雑居の期も目前に迫れり、是時に当り内は我邦人の親和を図り、外は外人の交際を密にし、彼我情交の通融を議する機関を設くるは蓋し刻下の急務に属す、是日本倶楽部を設立せんと欲する所以なり、之を要するに国の内外を論せず、人種の如何を問はず、一堂に会して和気靄然の間に智識を交換し、利益を共通するが如きは、是れ人生の最大快事と謂ふべし、冀くは大方の諸彦普く此挙に賛し、奮て本倶楽部の成立に尽力あらんことを
 - 第28巻 p.826 -ページ画像 
右会議を終り、超へて明治三十一年六月六日貴族院議長官舎に於て発起人総会を開く、近衛公爵・岡部子爵・岡田治衛武・小川一真・雨宮敬次郎・平田東助・中田敬義・長岡子爵・執行弘道・早川千吉郎・中橋徳五郎・内田康哉・穂積陳重・木内重四郎・小村寿太郎・船越男爵安田善次郎・尾崎三郎・田健次郎・原善三郎・三橋信方・木村清四郎高木豊三の諸君出席し、創立事務及会計諸報告を是認し、日本倶楽部規則亦成る、而して総会は規則に基き委員として鳩山和夫・安田善次郎・早川千吉郎(名誉書記)・三橋信方・子爵長岡護美(副会長)・曾根荒助・高田慎蔵・藤井三郎・渋沢栄一(副会長)・穂積陳重・原善三郎・中橋徳五郎・池田謙三・武井守正・大倉喜八郎・執行弘道・尾崎三郎・公爵近衛篤麿・子爵岡部長職(会長)・小村寿太郎の諸君を選挙し、邇・ノ初めて日本倶楽部の設立を見るに至れり、先是明治三十一年一月十日創立事務所を赤坂区溜池町六番地(演技座附近)に設け、同年五月二十五日鮗エ町区有楽町三丁目旧東京ホテル跡を借受け倶楽部仮会館とし、同年六月十五日同所に移転す、料理場・球戯室・酒場等の設備略整ひ、七月一日を以て開館せり
同年七月十九日委員会は会員の増加を計る為め入会員予選人名表を作成して之れが詮衡を成し、各委員分担して勧誘に当ることゝし、爾后螻「々此方法に採り会員の増加に苦心したり
同年九月十三日委員会は更に開館時刻及食事時刻を制定す、同年十月十一日小村寿太郎君特命全権公使として米国に赴任せらるゝに際し送別晩餐会を開く、爾后会員送迎会を開くの例此に始まる
同年十月二十八日委員会に於て倶楽部使用に関する内規の中、左の二項を規定す
一、会員は本倶楽部会館を政治・商業其他営業上の集会に使用することを得す、其他の集会と雖も、予め委員会の許諾を経べきものとす
一、会員は本倶楽部会館に婦人を誘引することを得す
明治三十二年一月十七日正午長岡子爵其他会食の際、中食堂煖炉より火を失し四階一室を焼尽す、直に修理に着手し同年九月に至る、時恰も倶楽部創立匆々の際とて少からざる打撃を蒙りたり、災後間もなく会館は市区改正の為め取払はるゝことゝなりたるを以て、同年九月二拾五日委員会は其前後策を講する為め調査委員を設け、之を渋沢栄一安田善次郎・早川千吉郎・三橋信方・池田謙三・武井守正・高田慎蔵の七氏に嘱託す、斯くて仮会館立退の期日迫まり、同三十三年五月三十一日鮗エ町区有楽町一丁目五番地清棲伯爵別邸を借入れ同処に移転したるも、家屋狭小固より多数の集会に便ならざるを以て、爾後晩餐会はメトロホールホテル又は華族会館に於て之を催せり
明治三十四年一月十三日華族会館に於て会館建築に関し有志者相談会を開く、席上議漸く進み有志二十五名の連帯債務を以て金二万五千円を借入れ新築するに決す、仍て更に同月十八日華族会館に於て会員一般に之れを報告し同意を求むる為め相談会を開き、協議の結果愈々新築の事に確定せり、於是斎藤実氏を建築委員長に、岡部子爵・早川千吉郎・執行弘道の諸君を委員に嘱託したり
同年二月二十三日岡部子爵は明治倶楽部総会の決議に依り、同倶楽部
 - 第28巻 p.827 -ページ画像 
を代表し交渉委員として日本倶楽部と合併に関する具体案を提出せられたるを以て、之を決する為め二月二十六日日本倶楽部委員会を開く時に議論区々、種々審議を重ねたるも議遂に決せす、斯くて明治倶楽部は其後総会の決議として断然解散することゝなり、併合のこと遂に成らず
同年六月十五日鮗エ町区有楽町一丁目五番地清棲家所有地三百余坪を会館新築敷地として借入れ、九月七日建築委員会を開き、工事監督を海軍技師北沢虎造氏に嘱託し、同年十一月二十七日起工、翌三十五年十月一日落成したり、此間建築資金に関し又は工事請負業者に故障ありて工事の進捗を妨けたる等、建築委員諸君苦心の状記録に明かなり
明治三十六年五月七日の委員会に於て、渋沢男爵の発議に基く会館建築資金整理案は、倶楽部債券発行の目的を以て案を作り、同年五月二十八日の委員会に於て之を協議し、発行総高を金参万円とすること等略決定したるを以て、更に同年七月二日臨時総会を開きて之を可決し建築資金全部を整理して倶楽部債券と為したり
明治三十七年一月二日倶楽部創立の中心人物たりし公爵近衛篤磨君薨去せらる
明治三十九年三月十五日委員会は委員中より新たに読書新聞室・球戯室・食堂・酒場其他の各室、並に一般風紀取締及整理の為め特別委員を置くことを協議し、早川千吉郎・奥田義人・伯爵柳沢保恵・川上直之助・執行弘道・高田慎蔵・津軽英磨・今村繁三の諸君に同委員を嘱託せり
明治三十九年四月八日副会長子爵長岡護美君薨去せらる
同年五月八日委員会は長岡子爵の補欠として、男爵菊池大麓君を副会長に推挙したり
明治四十年二月四日委員会は会館新築に関し倶楽部経済の調査及新築設計並に予算案に就き相談し、同時に現会館増築改修費の調査事項を審議せり
明治四十一年六月六日倶楽部創立十年紀念祝賀会を開く
○下略
   ○右「日本倶楽部沿革概要」ハ渋沢家ニ保存セラレタル綴込中ニアル墨書一冊ナリ。


新聞集成明治編年史 同史編纂会編 第一〇巻・第一八一―一八二頁 昭和一一年二月刊(DK280145k-0002)
第28巻 p.827 ページ画像

新聞集成明治編年史 同史編纂会編  第一〇巻・第一八一―一八二頁 昭和一一年二月刊
    日本倶楽部創立計画
〔二・三 ○明治三一年時事〕 鳩山和夫・岡部長職・大倉喜八郎・奥田義人・渡辺洪基・中村元雄・近衛篤麿・小村寿太郎・渋沢栄一の諸氏が首唱し、三百余名の発起人を募りて、日本倶楽部と称する社交の一大倶楽部を創立せんと、先頃より頻りに企画中なるが、其設立の主旨は左の如し
    日本倶楽部設立主旨 ○前掲ニ付略ス


渋沢栄一 日記 明治三二年(DK280145k-0003)
第28巻 p.827-828 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三二年     (渋沢子爵家所蔵)
二月十日 晴
 - 第28巻 p.828 -ページ画像 
○上略 午後七時日本倶楽部ニ抵リ委員会ニ列ス ○下略
   ○中略。
四月廿日 曇
○上略 六時日本倶楽部晩餐会ニ参席シ、夜九時深川ニ帰宿ス
   ○中略。
四月廿六日 晴
○上略 三時日本倶楽部ニ抵ル ○下略
   ○中略。
五月四日 晴
○上略 午後四時日本倶楽部総会ニ出席ス ○下略
   ○中略。
六月八日 曇
○上略 午後六時日本倶楽部晩餐会ニ出席ス ○下略


渋沢栄一 日記 明治三四年(DK280145k-0004)
第28巻 p.828 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三四年     (渋沢子爵家所蔵)
三月五日 晴
○上略 六時日本倶楽部晩餐会ニ参席ス、伊藤・大隈・岡部三氏ノ演説アリ、頗ル盛会ナリキ ○下略
   ○中略。
九月廿七日 晴
○上略 午後六時華族会館ニ抵リ日本倶楽部晩餐会ニ出席ス、食卓上一場ノ演説ヲ為ス ○下略
   ○演説筆記ヲ欠ク。


渋沢栄一 日記 明治三五年(DK280145k-0005)
第28巻 p.828 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三五年     (渋沢子爵家所蔵)
十一月六日 晴
○上略 七時日本倶楽部晩餐会ニ出席シ会長其他ノ委員一同ニ面話シ ○下略


中外商業新報 第六二四二号 明治三五年一一月八日 ○日本倶楽部の落成と晩餐会(DK280145k-0006)
第28巻 p.828 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

渋沢栄一 日記 明治三六年(DK280145k-0007)
第28巻 p.828-829 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三六年     (渋沢子爵家所蔵)
五月七日 晴
○上略 午後六時日本倶楽部ニ抵リ委員会ヲ開ク ○下略
   ○中略。
五月廿八日 曇
○上略 午後七時日本倶楽部ニ抵リ委員会ニ出席ス ○下略
   ○中略。
六月四日 晴
 - 第28巻 p.829 -ページ画像 
○上略 七時半日本倶楽部晩餐会ニ出席ス、増島・小松等ノ諸氏来会ス、一場ノ演説ヲ為ス ○下略
   ○演説筆記ヲ欠ク。
   ○中略。
六月十一日 雨
○上略 五時日本倶楽部ニ抵リ委員会ニ出席ス ○下略
   ○中略。
六月十八日 晴
○上略 日本倶楽部総会ニ出席シ ○下略


渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK280145k-0008)
第28巻 p.829 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年     (渋沢子爵家所蔵)
五月二十九日 曇大風 暑          起床七時 就蓐十一時三十分
○上略
此日日本倶楽部ノ晩餐会ニハ電話ニテ断リ遣ス
   ○中略。
十一月四日 雨 冷             起床七時 就蓐十一時三十分
○上略 午後六時日本倶楽部ニ抵リ晩鬟ァ会ニ出席ス、花房子爵・菊地男爵招宴ニ係ル、食卓上一場ノ演説ヲ為シ、夜十一時王子ニ帰宿ス
   ○演説筆記ヲ欠ク。


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK280145k-0009)
第28巻 p.829 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年     (渋沢子爵家所蔵)
六月六日 晴 暖
○上略 午後五時日本倶楽部ニ抵リ、十年紀念祭ニ出席ス、余興数番アリ ○下略
   ○中略。
九月十七日 晴 涼
○上略 午後五時日本倶楽部ニ抵リ、岡部会長祝賀会ニ出席ス、司法大臣トナレルヲ祝スル為メナリ、食卓上一場ノ祝詞ヲ述ヘ、賓主歓ヲ尽シ夜十時過王子ニ帰宿ス



〔参考〕麹町之状勢 全 高島末吉著 第二七四頁 大正一五年一二月刊(DK280145k-0010)
第28巻 p.829-830 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。