デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

1章 家庭生活
1節 同族・親族
1款 同族
■綱文

第29巻 p.58-60(DK290006k) ページ画像

明治17年11月3日(1884年)

是日、栄一二男敬三郎生マル。翌十八年四月二十三日夭逝ス。


■資料

青淵先生子孫一覧(DK290006k-0001)
第29巻 p.58 ページ画像

青淵先生子孫一覧           (渋沢子爵家所蔵)
 渋沢栄一――敬三郎
   母ハ後配伊藤氏、明治十七年十一月三日生、同十八年四月二十三日逝、実ハ四男ナリ
   ○敬三郎ヲ二男トセルハ篤二ヲ長男トシ、命名ニ及バズシテ死セル前掲資料ニアル無相真幻大童子ヲ除キ起算セルナリ。以下出生男子ノ順序ハ死産児ヲ加ヘズ。


(芝崎確次郎) 日記簿 明治一七年(DK290006k-0002)
第29巻 p.58 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記簿  明治一七年   (芝崎猪根吉氏所蔵)
(十一月)三日 晴
天長節ニ付休日
本朝御屋しき御新造様御安産、御男子様御誕生御座候、午前八時ナリ誠ニ案外之安産ニ御座候
○下略


(芝崎確次郎) 日記簿 明治一八年(DK290006k-0003)
第29巻 p.58-59 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記簿  明治一八年   (芝崎猪根吉氏所蔵)
明治十八年一月元旦 晴天
○上略
今暁より御邸御小児敬三郎様御風邪、熱気強被為入、猿渡常安先生呼寄ニテ、同氏診察附居リ治療相成候事
   ○中略。
三日 晴風
今朝御小児様御容体相伺夫ヨリ尾高氏之咄も有之候ニ付蠣殻町ヘ出張君公ヘ御目ニ懸リ御小児様之事上申 ○下略
   ○中略。
廿日 ○二月 晴風
○上略
  御邸
  敬三郎様御食初之御祝義御招待ヲ受、忰同道御馳走頂戴、而して帰臥ス
   ○中略。
七日 ○四月 曇天小雨降
○上略
 - 第29巻 p.59 -ページ画像 
御邸之敬三郎君御病気、高木先生・猿渡常安両人診察致し候、夜ニ入ミヤク度も減少致し、快気ヲ覚ひ申候様体ノ事
十日 晴
例刻出頭、午前十一時敬三郎君御大病ニ付、帰邸候様迎ひ有之候ニ付直ニ頼合帰宅致し候テ、御邸江詰切ニ致し侯
猿渡師弟両人詰切リ、高木先生も三回来診之事
十一日 雲
○上略
夜ニ入九時頃、敬三郎様御危篤ニ付、君公御出先ヘ御案内申上候
今夜御邸江詰番致し候事
   ○中略。
廿二日 小雨降
例刻出頭、増田氏早引、小生居残、殊ニ今晩ハ泊番ニテ居成リ之積リ然ルニ御邸御小児御病体悪敷、今夜中六ケ敷御容体故、頼合帰邸候様沙汰有之、俄ニ代泊相頼、帰邸伺候処、余程重体ニ御座候、医師之申ニモ今夜六ケ敷よし申聞候
○下略
廿三日 晴
今暁敬三郎様、御養生不相叶御死去、無是非次第、御悔上申、旁夜明ケテ諸方ヘ案内差出、而しテ当用件廉書ニ致し伺方等、尾高氏ヘ打合同君より君公ヘ相伺ひ、其心得ニテ取計可申旨御口達ニ寄、直ニ寺方引合、且葬具出来方等引合致し帰邸、猶夫々手配致し、夜ニ入葬具出来之様子見分ニ罷出候処、何分埒明キ不申、因テ夜明ケ迄こしやに見届ケ居漸出来六時ノ事、夫より帰邸
廿四日 晴
本日午前九時出棺、上野寛永寺ヘ埋葬、こしハ上等、其外共上等ニ御座候、小生ハ早朝より寺方ヘ出張、諸事取扱申候、午後二時退散、帰邸三時半
廿九日 雲
例刻出頭、午後一時ヨリ上野寛永寺ヘ出張、今日ハ亡敬三郎君初七日御回向御座候ニ付、墓参等致し帰社、夫より早引ニテ帰邸、御屋しきニテ御親類方知己等御招待相成候、来客方ハ九時退散致し候 ○下略
   ○中略。
廿七日 ○五月 小雨降
例刻出頭候事
今日ハ御邸之亡御小児三十五日相当ニ付、蒸物御配達相成候
午後一時半より頼合、寛永寺ヘ出張候処、読経回向相始リ候得共、奥向より御越し無之、丁度若様学校より御帰懸ケ御立寄ニ付、御拝聴御焼香相成、夫ニテ相済、御帰リ可相成処ヘ、御一同御越し相成、御焼香済、而しテ御墓参御帰リ相成候事
○下略


(芝崎確次郎) 日記簿 明治一九年(DK290006k-0004)
第29巻 p.59-60 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記簿  明治一九年   (芝崎猪根吉氏所蔵)
廿三日 ○四月 晴
 - 第29巻 p.60 -ページ画像 
○上略
本日ハ御邸亡敬三郎様御一周忌御相当ニ付、上野寛永寺ニおゐて御法会御執行被遊、御親類一同御招待相成候