デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

1章 家庭生活
1節 同族・親族
1款 同族
■綱文

第29巻 p.76-78(DK290018k) ページ画像

明治39年1月7日(1906年)

是日阪谷芳郎第一次西園寺内閣ノ大蔵大臣ニ就任ス。二月十一日、渋沢・穂積両家之ガ祝宴ヲ飛鳥山邸ニ催ス。四月四日、栄一門下ノ有力者上野精養軒ニ祝宴ヲ催シ、栄一之ニ出席シテ総代佐々木勇之助ノ祝辞ニ対シ、答辞ヲ述ブ。四月七日阪谷芳郎、永田町大蔵大臣官邸ニ近親ヲ招ク。


■資料

渋沢栄一 書翰 阪谷芳郎宛 (明治三九年一月五日)(DK290018k-0001)
第29巻 p.76-77 ページ画像

渋沢栄一 書翰  阪谷芳郎宛 (明治三九年一月五日) (阪谷男爵家所蔵)
一昨夜之御状昨日一覧仕候、政界之摸様追々相進ミ終ニ正式之御相談とまて相成候由、今朝之時事新報ニも一昨夜貴兄、西侯と共ニ桂総理邸会合云々記載有之候より推察いたし、種々御心配之事と存候、新組織之内閣か果して健全無疵と可申哉否、予知いたし兼候得共、苟も政治社会ニ相立候者之常として、危を見て身を遁れ候様之挙動ハ、義者之敢而すへき事ニ無之と存候、成敗を自然之成行ニ御任せ被成候方と存候、老生も八日ニハ一寸帰京之筈ニ候、もし面会を要せられ候ハヽ其際電話御打合可申上候、右不取敢御答迄如此御坐候 匆々不一
  一月五日                渋沢栄一
    阪谷芳郎様
         拝復
東京小石川区原町    国府津ニ於テ
            阪谷芳郎様        渋沢栄一
               親督
 - 第29巻 p.77 -ページ画像 
一月五日


(八十島親徳) 日録 明治三九年(DK290018k-0002)
第29巻 p.77 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三九年   (八十島親義氏所蔵)
一月六日 快晴 北風甚シク砂塵揚ガル
○上略
西園寺内閣愈成立セントス、阪谷芳郎氏大蔵大臣ト内定セル由伝承ス予カ同氏ノ知ヲ得シハ去明治廿四年、氏ノ二十九才ノトキニシテ、時ニ主計官予算決算課長タリ、爾来大蔵省ニ勤続シテ常ニ有用ノ人タリ日清戦後主計局長トナリ、卅四年桂内閣成ルニ及ンデ総務長官トナリ後次官ト改称セラレ今日ニ至ル、学識経験ノ豊富ナル蓋シ随一ナルベク、頭脳亦明晢ノ人、加之最精励家ナリ、壮年四十四才ニシテ大臣タル宜ナリトイフベシ


渋沢栄一 日記 明治三九年(DK290018k-0003)
第29巻 p.77 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三九年     (渋沢子爵家所蔵)
二月十一日 曇 風ナシ           起床七時 就蓐十一時
○上略 午後三時帰宅、夫ヨリ兼テ催フシタル阪谷氏ノ祝宴ヲ開ク、親族悉ク来会ス、種々ノ余興アリ、夜十時半散会ス
   ○中略。
四月四日 晴 軽暖             起床七時 就蓐十一時三十分
○上略 午後五時上野精養軒ニ抵リ、阪谷氏ノ栄転ヲ祝スル宴会ニ出席ス種々ノ余興アリ、且食卓上一場ノ演説ヲ為ス、夜九時過宴散シ王子ニ帰宿ス
   ○中略。
四月七日 晴 風ナシ            起床七時 就蓐十二時
○上略 午後五時過永田町大蔵大臣官邸ニ抵リ、阪谷氏ノ催フセル親族相会スル招宴ニ出席ス、会スル者五十人許リ、皆親族中ノ者ナリ、種々ノ余興アリ、各歓ヲ尽シ十二時王子ニ帰宿ス


(八十島親徳) 日録 明治三九年(DK290018k-0004)
第29巻 p.77-78 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三九年   (八十島親義氏所蔵)
二月十一日 晴 紀元節 日曜
○上略 今日ハ午後三時ヨリ、渋沢・穂積両家ノ催ニテ飛鳥山邸ニ於テ阪谷氏陞任ノ祝宴アリ、予モ尾高氏ト共ニ陪席ヲ被命、常磐家ノ料理、余興ハ小三ノ落語ト常磐津、外ハ大通(大須賀八郎)・老鶴(尾高次郎)蓄髯大椽(若主人)ノ義太夫中々面白カリシ、十二時半帰宅
   ○中略。
四月四日 晴
○上略
今日午後五時ヨリ上野精養軒ニ於テ青淵先生門下有力者六十名ノ催ニテ、阪谷氏ノ大蔵大臣就任祝宴ヲ開ク、発起人十人佐々木勇之助氏其総代タリ、予ハ発起人ニシテ且一切ノ実行者トナリ、スベテノ準備ヲナス、素ヨリ大事ハ佐々木氏・植村氏等ニ相談シテノ上ノ事也、阪谷
 - 第29巻 p.78 -ページ画像 
大臣御夫婦ヲ始メ、青淵先生・若主人・穂積博士各御夫婦ヲ賓トシ、主人側モ妻君携帯者十一名、主客総計七十八名計也、楼上ノ食堂ハ敷花等ニテ装飾、食卓ニテ総代佐々木氏ノ祝辞、阪谷大臣・青淵先生・穂積博士等ノ答辞アリ、来賓モ余程満足セラレタルガ如シ、殊ニ青淵先生ハ紀念品ノ絵葉書ニ依リテ、阪谷氏ノ生家興譲館ノ旧時ヲ回顧シ世事如夢ナドノ懐旧談アリ、食事中蔭ニテ奏楽セシ楽友会連中、食後休憩室ニテ西洋音楽ノ奏楽アリ、北村季晴氏ノ勧進帳独唱等中々興味アリ、カクテ一同散会セシハ午後十時頃、要スルニ天気ハヨシ、桜花ハ所謂咲キモ残ラズ、散リモ初メヌ見頃ナリ、誠ニ万事成功シ、尽力者ノ満足亦一入ナリ、徳子ト共ニ帰宅セシハ十一時半
   ○中略。
四月七日 晴
○上略 永田町大蔵大臣官邸ニ至ル、阪谷氏ヨリ招待ヲ受ケシナリ、今日ハ同族各家一同、其他近キ縁故ノ人々四十余名ヲ招キ、大臣陞任ノ際祝品寄贈ニ対スル謝意ヲ表セラレタルナリ、食事ハ立派ナル洋食ニシテ食前食後、円喬ノ落語・杵屋連中ノ長唄数段アリ、中々ノ立派ナル御客ナリキ、且当日殊ニ余興トナリテ人ノ注意ヲ払ヒシハ、第三ノ令嬢十一才ノ八重子嬢ノ長唄鶴亀ニシテ、其節回シノ巧妙ナルニハ人々感嘆セリ、終ニハ来会者一堂ニ集リテ、椅子取リ・銭回シ・連合拳等ノ遊戯ヲ為シ、十一時散会



〔参考〕新聞集成明治編年史 同史編纂会編 第一三巻・第二一頁 昭和一一年五月刊(DK290018k-0005)
第29巻 p.78 ページ画像

新聞集成明治編年史 同史編纂会編  第一三巻・第二一頁 昭和一一年五月刊
    西園寺内閣成立=桂内閣瓦解
      内相は原敬◇外相は加藤高明
〔一・八 ○明治三九年東朝〕 新内閣親任式 ○昨日午後三時十分宮中に於て左の如く親任式を行はせられ、終て各大臣一同御座所に於て、皇后陛下に拝謁仰付けられたり。
           正二位勲一等侯爵 西園寺公望
任内閣総理大臣兼文部大臣
○中略
     大蔵次官従四位勲二等法学博士 阪谷芳郎
任大蔵大臣
○下略
   ○四月四日ノ記事ハ「竜門雑誌」第二一五号(明治三九年四月)ニアリ。本資料第二十六巻所収「竜門社」明治三十九年四月四日ノ条参照。