デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

1章 家庭生活
1節 同族・親族
1款 同族
■綱文

第29巻 p.79-82(DK290021k) ページ画像

明治41年4月15日(1908年)

是日、阪谷芳郎欧米漫遊ノ途ニ就ク。栄一横浜ニ
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見送ル。同年十月二十四日帰朝、栄一新橋駅ニ出迎フ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四一年(DK290021k-0001)
第29巻 p.80 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年     (渋沢子爵家所蔵)
三月二十九日 晴 軽暖
○上略 午前十一時頃ヨリ阪谷夫妻・穂積夫妻、其他ノ招客来リ会ス、第一銀行重役一同来リ会シ、親戚ノ幼童多ク来ル、蓋シ阪谷男爵ノ欧洲行ヲ送別スル為メ、親戚間ノ宴会ヲ催シタルニヨル、此日ハ囲碁アリ支那人ノ手品、園喬《(円喬)》ノ落語等ニテ、午飧中種々ノ余興ヲ演シ、午後四時頃ヨリ一同散会ス ○下略
   ○中略。
四月五日 雨 寒
○上略 十一時半兼子、愛子ト共ニ歌舞伎座ニ抵リ演劇ヲ観ル、清水組ヨリ阪谷男爵洋行送別ノ為メ催ス処ナリ、午後一時ヨリ開演、仙台萩《(先代)》・醍醐花見及鈴ケ森等ノ演題ニテ、市川団蔵・中村芝翫・尾上梅幸・市川高麗蔵・市村羽左衛門等ノ技芸観ルヘキモノアリキ、此日ハ穂積・阪谷・篤二・佐々木・尾高等ノ諸氏来会シ、頗ル盛宴ナリ、夜十一時王子ニ帰宿ス
   ○中略。
四月十一日 曇 寒
○上略 午後五時小石川阪谷邸ニ抵リ留別会ニ出席ス、親戚・友人多ク来会ス、種々ノ余興アリテ夜十一時王子ニ帰宿ス、此日兼子モ同伴ス
   ○中略。
四月十三日 雨 軽暖
○上略 六時西園寺首相ヲ訪ヒ、阪谷男爵洋行送別会宴席ニ列ス、国務大臣其他要路ノ官吏来会ス、夜九時散宴、十時王子ニ帰宿ス
○下略
四月十四日 曇 軽寒
○上略 十一時兜町事務所ニ抵リ来人ニ接シ、且阪谷及杉田二氏ヘノ海外ノ知人ニ添書ノ事ヲ八十島ニ談話ス、又杉田富ニ面会シテ、海外行ニ関スル要旨ヲ訓示ス ○下略
四月十五日 曇夕雨 寒
○上略 午前八時過兼子・愛子同伴、新橋停車場ニ抵ル、阪谷男爵ノ洋行ヲ送別スル為メナリ、同シク汽車ニ搭シテ十時半横浜ニ抵リ、正金銀行ニ於テ休憩ス、十二時同行ニ於テ一行及多数ノ送別者ト共ニ午飧ヲ食シ、食後種々ノ談話ヲ為シ、午後一時過キ桟橋ヨリ本船ニ抵ル、船ハ日本郵船会社ノ加賀丸ニシテ、米国シヤトル航路ニ属スルモノナリ午後一時半阪谷及一行ノ人々ニ告別シ、帰途第一銀行ニ立寄リ、二時発ノ汽車ニテ帰京ス ○下略


(八十島親徳) 日録 明治四一年(DK290021k-0002)
第29巻 p.80-81 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四一年   (八十島親義氏所蔵)
三月廿九日 曇 日曜
此日昼王子邸ニテ阪谷男爵洋行ニツキ送別ノ宴ヲ被催、同男ノ家族始メ、同族・親戚・姻族等四五十人、御馳走ハ支那料理、余興ハ円喬ト
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及ヒ支那人李彩ノ手品也、篤二氏ガ吉田真太郎氏ノ自動車ニテ往復サルヽニ陪乗ス ○下略
   ○中略。
四月十五日 曇風アリ
阪谷男爵ノ一行本日米欧向出発ニ付見送ヲナス、午前九時半新橋発車一行ハ馬越恭平・柳生一義・山成喬公・杉田富・高橋技師・横山某・森俊六郎・梅沢属・台湾財務局長・堀越善重郎合計十一人ナレバ、見送人ハ停車場ニ充満シ、立錐ノ地ナシ、横浜ニテハ正金銀行ニテ休息立食ノ饗応アリ、一時頃桟橋加賀丸ニ乗込ム、玆モ見送人非常ニ多数甲板ニ充満セリ、二時出帆ノ見送ヲ為シ、帰途西村ニテ休息、四時半発帰京、中々強風ニテ白波立テリ、蓋動揺スル事ナラン、帰路風雨トナリシカ、東京ニテハ未雨ハサシタル事無シ


中外商業新報 第七九二九号 明治四一年四月一六日 阪谷男一行の出発(DK290021k-0003)
第29巻 p.81 ページ画像

中外商業新報  第七九二九号 明治四一年四月一六日
    阪谷男一行の出発
前蔵相阪谷男及馬越恭平・柳生台湾銀行頭取・小林台湾財務局長・森大蔵省参事官・日本銀行員横山昌次郎・第一銀行員杉田富氏等一行は予定の如く十五日午前九時三十分新橋発列車にて欧米漫遊の途に就けり、同停車場迄見送れる重なる人々は、西園寺首相を始め原・松田・寺内・林・斎藤等の各大臣、水町・仲小路・吉原・石本・久米等の各省次官、徳川・松田両院議長、松方侯・山県前逓相、山本・清浦・末松各子、目賀田・後藤・石黒・田・松尾・高橋各男、大倉・安田・加藤・中野等の実業家を始め、大蔵省各高等官・日本銀行、其他銀行家実業家千余名にして、万歳声裏に出発したり、尚十時半横浜へ着し、正金銀行に於て市中銀行家其他重なる向と乾杯式を挙げ、三橋市長の送別の辞、男の謝辞あり、夫れより桟橋に繋留しある加賀丸に乗込みしが、東京よりは渋沢男を始め近親の人々、及松尾・高橋・水町等諸氏見送り、午後二時シヤトルへ向け出帆せり


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK290021k-0004)
第29巻 p.81 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年     (渋沢子爵家所蔵)
十月二十四日 曇 冷
○上略 午後二時新橋停留場に抵リ阪谷ノ帰朝ヲ迎へ ○下略
   ○中略。
十一月六日 曇 冷
○上略 午後六時桂総理邸ニ催サレタル阪谷氏歓迎ノ晩餐会ニ出席ス、食卓上主賓ノ挨拶アリ、来会者モ種々ノ談話アリテ夜十時散会帰宿ス
○下略
   ○中略。
十一月九日 曇 冷
○上略 午後五時ヨリ日本銀行集会所ニ抵リ阪谷氏ノ帰朝歓迎会ニ出席ス日本銀行・横浜正金銀行ノ二行協同シテ催フス所ナリ、食事中演説アリテ夜十時宴散シテ、王子ニ帰宿ス


中外商業新報 第八一〇〇号 明治四一年一〇月二五日 阪谷男帰京(DK290021k-0005)
第29巻 p.81-82 ページ画像

中外商業新報  第八一〇〇号 明治四一年一〇月二五日
 - 第29巻 p.82 -ページ画像 
    阪谷男帰京
欧米及満韓の視察を終へ帰朝の途にありし阪谷男は、東京より大磯迄出迎に赴きし夫人・令嬢・令息と共に、廿三日夜は同地招仙閣に一泊廿四日午前十一時五十九分同地発列車にて出発し、中途横浜駅に於て多数の出迎を受け、松尾・高橋両男等と共に午後二時新橋駅に到着したり、同駅には渋沢男・同夫人・同篤二氏・同夫人・穂積陳重氏・同夫人等一門の人々を始め、黒瀬陸軍中将・若槻大蔵次官・水野外務官橋本・塚田・勝田等の大蔵各局長、各高等官及花房子、三井男代有賀長文・目賀田男・益田孝・大倉喜八郎・園田孝吉・添田寿一・高田慎蔵・藤田四郎・朝吹英二・豊川良平・杉田定一・松方巌・早川千吉郎木村清四郎・山口宗義・首藤諒・岩原謙三・浅野総一郎・池田謙三・佐々木勇之助・児玉伯・穂積八束・花房直三郎・植村澄三郎・窪田静太郎、井上・土方等の日銀各局長、同行員、其他官吏・銀行家・実業家千余名の出迎へを受け、男爵は微笑みながら挨拶を為し、直ちに馬車にて小石川の自邸に入たり