デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

1章 家庭生活
2節 健康
■綱文

第29巻 p.108-109(DK290036k) ページ画像

明治27年11月18日(1894年)

是ヨリ先、栄一顔面上皮癌ヲ患フ。是日医師橋本綱常・スクリッパ立会ノ下ニ、高木兼寛刀ヲ執リテ切開手術ヲ施ス。


■資料

竜門雑誌 第七八号・第三六頁 明治二七年一一月 【青淵先生 は先頃より口中…】(DK290036k-0001)
第29巻 p.108 ページ画像

竜門雑誌  第七八号・第三六頁 明治二七年一一月
○青淵先生 は先頃より口中の痛にて時々引籠り居られたりしが、今度該患部の切断を要するよしにて、来る十八日スクリッパ氏及橋本・高木の両医学博士立会にて施術せらるゝよし、一日も速に全治せらるる事吾人の希望に堪へさるなり


竜門雑誌 第七九号・第一九―二〇頁 明治二七年一二月 文園(DK290036k-0002)
第29巻 p.108 ページ画像

竜門雑誌  第七九号・第一九―二〇頁 明治二七年一二月
    文園
 青淵先生の近作を得たれば左に掲く
  明治甲午冬病口癌医師来将施切断因賦一絶以自遣
少年豪侠気如雲。一剣欲支百万軍。豈料雄思銷尽後。衰顔因病見刀痕。
今日よりは口とよしみをたちきりてこゝろのたけを筆にいはせん


竜門雑誌 第七九号・第二五頁 明治二七年一二月 【青淵先生 の口癌は先に報…】(DK290036k-0003)
第29巻 p.108 ページ画像

竜門雑誌  第七九号・第二五頁 明治二七年一二月
○青淵先生 の口癌は先に報道したる如く、去月十八日高木国手刀を把り、スクッリパ・橋本の二国手立会ひ、充分に患部を切断したるに其後の経過殊に宜しく、逐日順快今日に於ては患部も殆んと癒え、不日にして常の如く事を見るを得へしといふ、実に悦はしき事にこそ


竜門雑誌 第八〇号・第二六―二七頁 明治二八年一月 ○青淵先生(DK290036k-0004)
第29巻 p.108 ページ画像

竜門雑誌  第八〇号・第二六―二七頁 明治二八年一月
○青淵先生 先生は病後保養の為、旧臘廿九日より大磯に転地し、去る十二日まて滞在、同日夕新橋着にて帰京せられたり、而して先生の殆んと平常に復したる吾人の尤も喜ふ所なり


竜門雑誌 第八一号・第三九頁 明治二八年二月 【青淵先生 は去月二十九日…】(DK290036k-0005)
第29巻 p.108 ページ画像

竜門雑誌  明第八一号・第三九頁 明治二八年二月
○青淵先生 は去月二十九日十一時四十分の汽車にて、転地療養の為興津海水楼に赴かれたり、本月二十日頃には帰京せらるへしといふ、先生は愈々御順快のよし


竜門雑誌 第八二号・第四四頁 明治二八年三月 【青淵先生 は先に駿河の興…】(DK290036k-0006)
第29巻 p.108 ページ画像

竜門雑誌  第八二号・第四四頁 明治二八年三月
○青淵先生 は先に駿河の興津に転地中の処、養痾の効著しく、全く快復せられたるを以て、本月二日午後七時新橋着の汽車にて、目出度帰京せられ、常の如く事を見るに至れり、余輩は太白を挙て大に之を祝す


渋沢祖父上様御話の筆記 市河晴子記(DK290036k-0007)
第29巻 p.108-109 ページ画像

渋沢祖父上様御話の筆記 市河晴子記  (市河晴子氏所蔵)
    病に関す
○上略
 明治二十七年「高木・スクリッパ・橋本、皆癌だと云ひましたがね
 - 第29巻 p.109 -ページ画像 
どんなものだつたかね、本物ならきつと再発するつてがね」「じや贋造の癌だつたのじやございまんか」「さあそんなことだつたかも知れないが、本物でさつぱり直つたのでなくては都合がわるいよ、癌研究所の長なのだからね」


雨夜譚会談話筆記 下・第七六〇頁 昭和二年一一月―昭和五年七月(DK290036k-0008)
第29巻 p.109 ページ画像

雨夜譚会談話筆記  下・第七六〇頁 昭和二年一一月―昭和五年七月
                     (渋沢子爵家所蔵)
  第二十七回 昭和四年十二月二十四日 於丸之内渋沢事務所
    (四)、御病歴に就て
○上略
先生「 ○中略
 それから日清戦争の時、明治二十七年十一月に頰に癌を患つて、高木兼寛氏に手術を受けた。それがすつかり癒つたので、あとで橋本綱常氏が癌ではなかつたろうと云つた ○下略
   ○此回ノ出席者ハ栄一・渋沢篤二・渋沢敬三・渋沢元治・渡辺得男・小畑久五郎・佐治祐吉・高田仙治・岡田純夫・泉二郎。


竜門雑誌 第五五〇号・第七二頁 昭和九年七月 癌と俳句(渋沢敬三)(DK290036k-0009)
第29巻 p.109 ページ画像

竜門雑誌  第五五〇号・第七二頁 昭和九年七月
    癌と俳句 (渋沢敬三)
      五、癌と詩
 最後に私は癌に関した詩を一つ御紹介して禿筆を擱きませう。それは青淵先生の詩で、明治二十七年に賦されたものです。青淵先生は明治二十七年に、顔面上皮癌にかゝられ、当時の名医高木兼寛・橋本綱常両博士診断立会の上、スクリッパ先生執刀で手術されました。「クロロフオルムをかゞされて一つ二つ三つと数へて居る内に、気が遠くなつた」とよく申して居りました。その切開の跡が所謂青淵先生の靨の正体です。先生が癌研究会副総裁を最後まで仰せつかつて居りましたのも、実は癌が手術で完全に治癒された一つの好実例としての意味もあつたのでせう。次に掲ぐるのは其の時の作詩です。
  甲午冬。病口癌。医師来将施切断。因賦一絶以自遣。
   少年豪侠気如雲。    一剣欲支百万軍。
   豈料雄思銷尽後。    衰顔因病見刀痕。