デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

1章 家庭生活
4節 趣味
1款 茶事
■綱文

第29巻 p.185-188(DK290057k) ページ画像

明治38年7月22日(1905年)

是日栄一、王子飛鳥山別邸ニ、徳川慶喜・伊藤博文・井上馨・桂太郎・益田孝・下条正雄・三井八郎次郎ヲ招キ、茶室ニ於テ午餐ヲ供ス。

尚是年、飛鳥山邸内茶室ニ於テ、外国貴賓ニ抹茶ノ手前ヲ見セシムル等ノ催ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三八年(DK290057k-0001)
第29巻 p.185-186 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
七月二十二日 晴 暑
午前六時起床、庭内ヲ散歩シ掃除等ヲ指揮ス、朝飧後室内ノ装飾等ヲ指揮ス、午前十時ヨリ茶席ニ於テ手続ヲ為ス、十二時徳川公爵・伊藤侯・井上・桂二伯・益田孝・下条正雄・三井八郎次郎諸氏来会、正午茶席ニ於テ午飧ヲ饗ス、畢テ月見台ニ於テ納涼シ、三時頃書院ニ招シ金鳳・峻南二画伯ノ席画ヲ一覧ニ供ス、更ニ酒盃ヲ催シ、席上種々ノ懐旧談アリ、来賓各歓ヲ尽シ夕七時散会ス
   ○中略。
九月十二日 晴 清暑
 - 第29巻 p.186 -ページ画像 
○上略 午後二時王子別荘ニ帰ル、此日米国人ハリマン夫妻及其家族等七八名別荘ニ来訪ス、白石元次郎夫妻来会《(白石元治郎)》ス、庭園ヲ散歩シ、茶席ニ於テ抺茶ノ手前ヲ一覧セシメ、午後六時頃散会ス
○下略
   ○中略。
十一月十日 快晴 風ナシ
午前七時起床、庭園ヲ散歩ス、八時朝飧ヲ為ス、此日ハ外国人ノ来客アルニヨリ、室内及庭園ノ掃除等ヲ注意ス、午前十時過ヨリ来客アリ十一時過一同来会セシヲ以テ、別園ノ松樹千種園及広庭ノ菊花ヲ一覧シ、茶席ニテ抺茶ヲ饗シ、園内各所ヲ散歩シ、午後一時午飧ヲ為ス、畢テ書院ニ抵リ望月金鳳父子ノ席画ヲ一覧セシム、来客悉ク歓ヲ尽シ午後四時頃ヨリ退散ス、此夜ハ家在《(ニ脱)》リ諸書ヲ読ム


実業之日本 第三巻第一五号・第三九―四二頁 明治三三年九月 実業家の家庭 渋沢栄一男の篤敬並家庭和楽の事(六)(DK290057k-0002)
第29巻 p.186 ページ画像

実業之日本  第三巻第一五号・第三九―四二頁 明治三三年九月
    実業家の家庭
  渋沢栄一男の篤敬並家庭和楽の事(六)
君已に酒を飲まず。煙草を喫せず。娯楽に於ては謡曲は之を好まず。茶は初め之を習はず。昔時嘗て安田善次郎氏に苦められ、孫子の代までやる者ならずと戒めしことありしと云へど、近年に至りて之を始め現に王子別荘の改築につけても特に別に茶室を作り、先年益田孝氏《(克徳カ)》を主人に立て、安田善次郎・馬越恭平氏等を請して落成祝の茶会を催ふせし事ありしが、而も君が多忙なる又安閑として之に耽ける訳にもゆかず。碁は方円社副社長石井千治氏及林サノ女等時々其門に出入して君或は夜分早帰の時、自ら之と相対し、若くは書生等をして相対せしめ、傍らより観て之を評するなどを楽しみ。将棋は君の寧ろ得意とする所なりしが、今は多く之を弄せず。唯落語・講釈・義太夫の如き、頗る之を嗜み、兜町に在りては薬師寺境内の宮松・深川にては広川など、時々書生を連れ寄席にも遊ぶことありとの事にて、落語家の円朝円遊・遊三・円喬・講釈師の南竜・如燕・二代目如燕、及一山、義太夫の綾瀬・小清等、其邸に来るも珍らしからず、特に浄瑠璃は君自らも亦之を善くして、金比羅利生記・日吉丸・新吉原・合邦が辻の如きは、其最も得意とする所なりとか云へるが、演劇に就ても団十郎と菊五郎とは深く之を愛し、君亦自ら嘗て演劇改良会の一員として多くの力を尽したり。此の如くにして君は多種多様の娯楽を有せるも、苟も多忙の身は一々之を楽しむを得ず。一々楽しむを得ずと雖も、多忙の中猶幾多の娯楽を有し、而して君が万事に熱心なる、娯楽の為にも時には即ち深夜更を移して猶家に帰らざるあるを憾とするのみ。 ○下略


雨夜譚会談話筆記 下・第六九七―六九九頁 昭和二年一一月―昭和五年七月(DK290057k-0003)
第29巻 p.186-187 ページ画像

雨夜譚会談話筆記  下・第六九七―六九九頁 昭和二年一一月―昭和五年七月
                    (渋沢子爵家所蔵)
 第二十五回 昭和四年十月十五日午後四時 於丸之内事務所
    三、先生の御趣味に就て
○上略
渡辺「子爵は、お茶の趣味は如何でございます」
 - 第29巻 p.187 -ページ画像 
先生「自分では一寸も好きだとは思はなかつたが、今の飛鳥山の庭を造つた時、益田克徳や柏木貨一郎の二人が、庭をお造りになつたら是非茶室をお建てなさい、など薦めて茶室を造つた。そして此時は柏木が専ら心配して呉れた」
渡辺「何時でございましたか、馬越恭平さんが『益田君がいま十年も生きてゐたら、渋沢子爵の茶の道具や書画骨董が、随分殖えて大した財産になつて居たらう』と言つた事がございます」
先生「それはそうかも知れないが、それが値上りした処で、唯々そう思つてゐるばかりで、別にどうと云ふ事も出来まい」
敬 「金森(骨董屋)が申して居りましたが、飛鳥山の茶器は七・八万円には売れるそうです。それでもお祖父様は、一切骨董道楽はなさらないと云ふ定評がある以上、渋沢家が売立てをしたと言ふのでは、一寸お祖父様に相済まぬと云ふので、只今迷つてゐる処です」
先生「そうか、売らうぢやないか、売つた方がいゝ。それは兎に角あの茶席は、あれで仲々値打がある。徳川家を公爵にしたのも、謂はばあの茶室だからネ」
○下略
   ○此回ノ出席者ハ栄一・渋沢敬三・渡辺得男・白石喜太郎・佐治祐吉・高田利吉・岡田純夫・泉二郎。


大塚栄三手記(DK290057k-0004)
第29巻 p.187-188 ページ画像

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