デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

1章 家庭生活
4節 趣味
2款 和歌
■綱文

第29巻 p.194-196(DK290061k) ページ画像

明治35年5月15日(1902年)

是日栄一、欧米巡遊ノ途ニ上リ、十月末帰朝ス。是間各地ニ於テ和歌ヲ詠ズ。


■資料

竜門雑誌 第一六八号・第二八頁 明治三五年五月 ○欧米旅行途上口占(DK290061k-0001)
第29巻 p.194 ページ画像

竜門雑誌  第一六八号・第二八頁 明治三五年五月
    欧米旅行途上口占
                     青淵先生
   ○漢詩略。
みとりこきわかはにゆくておくられて
      紅葉のにしきいへつとにせん
   ○五月十五日出帆。本資料第二十五巻所収「欧米行」参照。


渋沢栄一詠草 明治三五年(DK290061k-0002)
第29巻 p.194-195 ページ画像

渋沢栄一詠草  明治三五年        (渋沢子爵家所蔵)
    汽車ネバタ州を超ゆるとて戯によめる
まかね路のたひは曠野にせまきまとおきてねはたの月を見るかな
   ○日記ハ左ノ如シ。
 - 第29巻 p.195 -ページ画像 
   六月四日 晴
   昨夜来汽車カリホルニヤ州ヲ経過シテ今朝ハネバタ砂漠ニ出ルノ山脈ニ達ス。両辺ノ山ニハ雪ヲ見ル。気候寒冷ヲ覚フ。 ○下略
    ヱデンホロにてホールブリヂを見るとて馬車を僦ひたる案内の人の片足にしてよく歩行し、しかもうそまこととりませて言こまやかに土地の古事を説き示すさまのいとおかしかりけれハ
夷人原案内ハ四頭馬車にしてミちかき足になかきしたかな
   ○日記ハ左ノ如シ。
    八月三日 曇
    午前八時半旅舎ヲ出テ、クインストリート停車場ニ抵リエデンボロ行ノ汽車ニ搭ス、十一時エデンボロニ抵ル、停車場ノ近傍ニ於テ四頭馬ヲ駕スル乗合馬車ニテフオースブリヂニ抵ル、此途中ノ風景本邦京摂辺ニ似テ一行ヲシテ郷思ヲ催サシム ○下略
    独乙なるコロン市にて
ころむではどゑつもたゝはおきぬなりじつせんどるふゑつせんととる
   ○日記ハ左ノ如ン。
    八月廿四日 雨
    此日ハ当地(○ブラツセル)ヲ発シ、独乙ニ赴ク筈ナリシニヨリ朝来旅装ヲ理シ、午前九時五十分ノ発車ニ搭ス、 ○中略 午後四時頃独乙国コロン市ヲ経テライン河ヲ躋ル、六時過ヱツセン市ニ着シ ○下略
    井上ぬしの饗宴に伊太里製の索麺の味よきとて人々
    めてたゝへておほくたふへたりけれハ
御馳走ハすへていたれりつくせりでうまかろうにとハたれもいふらむ
   ○日記ハ左ノ如シ。
    八月廿九日 晴
    ○上略 夕七時帰宿、直ニ衣服ヲ改メテ井上公使ノ招宴ニ抵ル、同夜ハ日本料理ニテ一行悉ク饗宴セラル ○下略
    元治学業練習のためおのれの一行を離れて伯林に留学するを祝ひて
あたにさく花ハいろよく見ゆるなりことばのはやしこゝろせよきみ
まこゝろをたてつとむるをぬきとしてふるさとにきるにしきおりなせ
    梅浦ぬしの露国に行くを送りて
ふるさとハなミちはるけきたひのそらにふたゝひきみを送る今日かな
   ○日記ハ左ノ如シ。
    八月三十一日 曇 夜雨
    ○上略 元治ハ、シイメンス工場ニ留学スル為メ此地ニテ一行ニ離レテ滞在ス、梅浦精一氏モ露国旅行ノ為此地ニテ一行ニ分レテ出立ス ○下略
    倫敦の客舎にて一夜月の清く照りて窓にさしいりたりけれハ
かたもにハわか故郷もうつすらむかゝみにまかふまとの夕月
    巴里にて
目にふるゝものにむかしのしのばれて夢もわかやく巴里のうまやぢ
   ○巴里ニ着セシハ九月七日。
   ○右詠草ハ日記巻末ニ一括シアリ。


竜門雑誌 第一八〇号・第二四頁 明治三六年五月 ○王子曖依村荘飛鳥神社祭礼に於ける青淵先生・同令夫人、外諸氏和歌(DK290061k-0003)
第29巻 p.195-196 ページ画像

竜門雑誌  第一八〇号・第二四頁 明治三六年五月
    ○王子曖依村荘飛鳥神社祭礼に於ける青淵先生・同
 - 第29巻 p.196 -ページ画像 
     令夫人、外諸氏和歌
                         栄一
広前にさゝけし幣とみるまてにみつ垣白しちるさくらかな
                         兼子
佐保姫のにしき織なす若葉かなちりつゝ花の匂ふ神かき
   ○以下略。