デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.14

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

5章 交遊
節 [--]
款 [--] 1. 徳川慶喜
■綱文

第29巻 p.329-338(DK290102k) ページ画像

 --


■資料

渋沢栄一 日記 明治一七年(DK290102k-0001)
第29巻 p.329 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治一七年     (渋沢子爵家所蔵)
六月一日 朝雨
○上略 午後三時静岡ニ達ス ○中略
此夜紺屋町邸ニ於テ
正二位公ニ謁ス
○下略


渋沢栄一 日記 明治一九年(DK290102k-0002)
第29巻 p.329 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治一九年     (渋沢子爵家所蔵)
五月二十八日
○上略 午前十一時静岡ニ達ス ○中略 前公ニ謁ス、款話数刻辞テ ○下略
   ○中略。
十二月十日 晴
○上略 十二時静岡ニ抵リ ○中略 紺屋町ニ於テ正二位公ニ謁ス、款話数時辞シ去テ ○下略


渋沢栄一 日記 明治三二年(DK290102k-0003)
第29巻 p.329-330 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三二年     (渋沢子爵家所蔵)
一月九日 晴
○上略 午前十時山県侯爵ヲ訪ヒ ○中略 興山公身上ニ関スル事等ヲ請願ス
○下略
   ○中略。
二月十日 晴
○上略 午後四時帝国ホテルニ於テ伊藤侯爵ヲ訪フ、十四日集会ノ事、外ニ徳川一位公御身上ノ事ヲ話ス ○下略
二月十一日 晴
午後三時巣鴨ナル一位公邸ニ伺候シ、御身上ニ関スル要件ヲ陳上ス、新村猛雄ト会話ス ○下略
   ○中略。
六月廿七日 曇
午前九時半巣鴨ニ抵リ、従一位公ノ邸ニ伺候ス、拝謁シテ暫時世事ヲ話シ、十時王子製紙会社ニ抵ル、蓋シ一位公同工場一覧ノ為、御先導トシテ先着セシナリ、十時過一位公ハ新村猛雄ト共ニ工場ニ着セラル藤山雷太氏案内ニテ、製紙工場御一覧、午前十一時半飛鳥山別荘ニ抵リ、茶席ニ於テ一位公及井上伯ノ来会ヲ待ツ、井上伯ハ既ニ来ラレタルヲ以テ、急ニ使ヲ工場ニ馳セテ一位公ノ臨席ヲ乞フ、十二時茶席ニ於テ午餐ヲ呈シ、更ニ宗匠ニ命シテ茶ヲ点セシム、畢テ別室ニテ薄茶ヲ呈シ、再ヒ眺望台ニ於テ小宴ヲ開ク、午後五時各歓ヲ尽シテ散会ス
○下略
   ○中略。
十一月十六日
 - 第29巻 p.330 -ページ画像 
○上略 五時前巣鴨ナル一位公ノ邸ヲ訪フ、尾高惇忠・江間政発同伴ス、一位公ニ拝謁シテ御伝記ノ事ヲ話ス、夜公ノ邸ニ於テ、一橋公夫妻ト共ニ夜餐ノ饗ヲ受ケ ○下略
   ○中略。
十二月三十日 曇
午前二・三ノ来人ニ接ス、十時巣鴨一位公ノ邸ヲ訪フテ年末ノ賀詞ヲ述フ、新村猛雄ト談話シテ去ル ○下略


渋沢栄一 日記 明治三三年(DK290102k-0004)
第29巻 p.330 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年     (渋沢子爵家所蔵)
五月十日 晴
○上略 此夜徳川一位・同公爵 ○家達・同昭武ノ諸公ニ面話ス、夜九時帰宿ス
   ○中略。
七月五日 曇
○上略 午後一時巣鴨一位公ノ邸ニ抵リ、拝謁シテ祝賀ヲ述ヘ、且来ル十五日茶事御来駕ノ事ヲ乞フ ○下略
   ○中略。
七月十五日 朝雨
○上略 四時巣鴨一位公・徳川公爵 ○家達・溝口勝如・新村猛雄・益田孝来リ会シテ茶事ヲ開ク、夜十時散会ス、此日曇リタレトモ雨ニ至ラス、只炎暑頗ル酷ニシテ、茶事ノ周旋疲労多キヲ覚ユ、夜十一時兜町ニ帰宿ス
   ○中略。
八月三日 晴
○上略 二時深川ニ抵リ巣鴨一位公及徳川昭武・徳川達孝・一橋徳川厚ノ諸公、洲先養魚場《(洲崎養魚場)》ニ来会セラルヽニ付、行テ之ヲ迎フ、午後六時頃ヨリ洲先養魚会社一覧、夫ヨリ深川宅ニ於テ夜餐ヲ饗ス、夜十時頃散会ス、此日ハ養魚場ニ於テ垂釣ノ事アリテ終日歓ヲ尽ス ○下略
   ○中略。
十二月三十日 晴
午前数多ノ来人ニ接ス、午後巣鴨町前公邸ヲ訪ヒ ○下略


渋沢栄一 日記 明治三四年(DK290102k-0005)
第29巻 p.330 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三四年     (渋沢子爵家所蔵)
六月廿二日 雨
此日ハ巣鴨一位公・千駄ケ谷三位 ○家達及御一族十数名ヲ招宴ノ筈ナルモ、朝来雨強クシテ設備大ニ違却セリ、庭園及室内ノ装飾ヲ整理シ、午後二時来賓続々会同ス ○中略 畢テ賓客ニ接伴ス、雨中茶席及庭園ヲ誘引シ、四時頃ヨリ余興トシテ梅若ノ鉢ノ木能楽ヲ演セシメ、食事中モ種々ノ余興アリ、夜十時散会ス、此日福地源一郎・渋沢喜作・江間政発ノ三氏来会、親戚一同相共ニ接伴ニ勉ム、頗ル盛宴ニシテ来賓皆歓ヲ尽ス


(八十島親徳) 日録 明治三四年(DK290102k-0006)
第29巻 p.330-331 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三四年   (八十島親義氏所蔵)
六月廿二日 雨
 - 第29巻 p.331 -ページ画像 
○上略 王子ニテ同族会アルニ付、雨中車ニテ正午同邸ニ至ル一時済
今日二時ヨリ徳川慶喜公・徳川家達公・同夫人・徳川厚男(慶喜公令息)・徳川昭武伯(旧清水民部大輔)・同夫人・徳川達道伯(旧一ツ橋)・同夫人・徳川達孝伯(旧田安)・同夫人等ヲ招待セラル、即云ハヽ新築落成後第一回ノ招宴也、陪客トシテハ、徳川家々扶溝口勝如・新村猛雄、慶喜公側女のぶ及渋沢喜作・福地源一郎・江間政発、並ニ穂積・阪谷・深川御夫婦等也、折柄ノ雨中ニシテ雨間トテモナキ位ナリシカ、雨中ノ眺モ亦格別ニシテ、賓客ハ休憩ノ後茶室ヘ被為成、玆ニ茶事アリ、次ニ表坐敷ヨリ舞台ニテ演セシ梅若連中ノ能(鉢ノ木)狂言(棒縛)等ヲ被観、次ニ西洋館少憩、終テ表坐敷ニテ日本料理饗応(常盤屋仕出シ、富士屋君・幸、老妓二、雛妓十数人侍ス)中・小三の落語、終テ梅若のはやし(舟弁慶)等アリ
○下略


渋沢栄一 日記 明治三五年(DK290102k-0007)
第29巻 p.331 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三五年     (渋沢子爵家所蔵)
四月十一日 晴
○上略 八時過小石川大六天《(第六天)》ナル従一位公ノ邸ヲ訪ヒ拝眉ス、款談数刻去リテ ○下略
   ○中略。
五月九日 晴
○上略 九時小日向ニ抵リ、前公ニ謁シ告別ヲ為ス ○下略
   ○中略。
十一月八日 曇 気候寒冷ナリ
○上略 新村猛雄氏来リテ、一位公新公爵拝受ノ手続ヲ話セラレ、且将来御家産ノ保管方法ヲ協議ス、午後小日向ニ於テ新公爵ヲ訪ヒ、種々ノ談話ヲ為シ ○下略
   ○明治三十五年六月三日徳川慶喜、新ニ公爵ヲ授ケラル。当時栄一、欧米旅行中ニテ米国ニ在リ、十月三十日帰朝ス。
   ○中略。
十二月七日 晴
○上略 午後一時前兜町事務所ニ抵リテ午飧シ、更ニ九段偕行社ニ抵リ徳川公爵祝賀会ニ出席ス、公爵一家族悉ク来会セラレ、種々ノ饗応アリ午後五時頃散会シ、王子別荘ニ帰宿ス
   ○中略。
十二月九日 雨
○上略 午後五時華族会館ニ抵リ、徳川氏ノ一族ヨリ招宴セラルヽ饗宴ニ出席シ、夜飧後欧米視察談ヲ為ス ○下略
   ○中略。
十二月三十日 晴
○上略 小石川大六天ニ抵リ一位公ヲ訪ヒ ○下略


渋沢栄一 日記 明治三六年(DK290102k-0008)
第29巻 p.331 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三六年     (渋沢子爵家所蔵)
六月一日 晴
○上略 十時大六天公爵邸ニ伺候シ、久濶ノ情ヲ通ス ○下略

 - 第29巻 p.332 -ページ画像 

渋沢栄一 日記 明治三八年(DK290102k-0009)
第29巻 p.332 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
五月八日 曇 風ナシ
○上略 庭園中ヲ散歩シ掃除向ノ指揮ヲ為シ ○中略 午前十時ヨリ兼テ招請セシ徳川両公爵・松戸二位殿 ○昭武・田安・一橋及徳川厚男、公爵其他ノ令夫人並随従ノ人々トモ合計十五名、外ニ同族一同八名、通計二十三名ニテ、先ツ牡丹園ヲ一覧セラレ、向庭ノ巨松ヲ見、更ニ園中ヲ散歩シ、崖下ニ抵リ再ヒ上リテ月見台ニ抵リ、抹茶亭ニテ休憩セラレ、十二時過書院ニ於テ午飧ヲ饗ス、余興ニハ落語及元禄踊アリ、食後庭中ニテ写真ヲ為シ、夕四時過散会ス
此日曇リタレトモ終日雨降ラス、故ニ庭中ノ散歩殊ニ塵埃ナク、新緑陰ヲ成シテ尤モ眺望ニ佳ナリ、賓主各歓ヲ尽シタリ
    徳川公爵を迎ひまつりて庭園の牡丹を見たるとき雨降りけれは
 降りかゝる雨はなみたか深見草花もむかしをしのふなる良舞
   ○右和歌ハ「竜門雑誌」第二〇四号(明治三八年五月)第二〇頁ニモ掲載シアリ。


(八十島親徳) 日録 明治三八年(DK290102k-0010)
第29巻 p.332 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三八年   (八十島親義氏所蔵)
五月八日 曇
今日ハ王子別邸ニテ徳川慶喜公ノ御一族招待ニ付、予モ九時半先方到着加勢ヲナス、家達公及夫人・昭武公・徳川達道伯・同夫人・達孝伯厚男及夫人、其他ハ家令扶ナリ、余興ハ新橋ノ元禄踊ト円喬ノ落語、一位公中々ノ御満足ニテ、庭園ニテ元禄連中ヲ撮影セラレナドセリ、四時スム ○下略


渋沢栄一書翰 伊藤博文宛 (明治三八年)七月一八日(DK290102k-0011)
第29巻 p.332 ページ画像

渋沢栄一書翰  伊藤博文宛 (明治三八年)七月一八日   (伊藤公爵家所蔵)
奉啓、炎暑之候閣下益御清適御坐可被成奉賀候、然者先頃拝謁之際御願申上候徳川公爵御会見之為王子弊荘ヘ光臨之義者、月初ハ小村大使御出発等ニて御多忙と察上、其後小生北越地方旅行等ニて彼是延引いたし、終ニ酷暑之時期と相成候得共、市街ニ隔絶致候場処ニ付、幾分之涼味も可有之と奉存候間、来ル廿二日・廿三日両日之中、御都合之時日ニ御繰合被下候ハヽ忝奉存候、徳川公爵へも相伺候処、両日中いつれニても罷越候旨被申聞候、外ニ井上伯と桂総理とを御案内申上、午飧差上候後、画伯を招し席画ニても相催し候積ニ御坐候、依而可相成ハ午前十一時半尊来被下候様被成下度候、もし又前書両日とも御差支ニ候ハヽ、其後之時日御指示被下度候、右之段拝趨御願可申上候処一昨夕新潟より帰京、種々取紛候ニ付、乍略儀書中御伺申上候、何分之御回示被下候様奉願候 匆々敬具
  七月十八日
                      渋沢栄一
    伊藤侯爵閣下
           侍史


渋沢栄一 日記 明治三八年(DK290102k-0012)
第29巻 p.332-333 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
 - 第29巻 p.333 -ページ画像 
七月二十二日 晴 暑
午前六時起床、庭内ヲ散歩シ、掃除等ヲ指揮ス、朝飧後室内ノ装飾等ヲ指揮ス、午前十時ヨリ茶席ニ於テ手続ヲ為ス、十二時徳川公爵・伊藤侯、井上・桂二伯、益田孝・下条正雄・三井八郎次郎諸氏来会、正午茶席ニ於テ午飧ヲ饗ス、畢テ月見台ニ於テ納涼シ、三時頃書院ニ招シ、金鳳・峻南二画伯ノ席画ヲ一覧ニ供ス、更ニ酒盃ヲ催シ、席上種種ノ懐旧談アリ、来賓各歓ヲ尽シ、夕七時散会ス


趣味の茶道 第二七四―二七五頁 刊 明治三十八年七月廿二日正午 主 渋沢栄一(DK290102k-0013)
第29巻 p.333 ページ画像

趣味の茶道  第二七四―二七五頁 刊
明治三十八年七月廿二日正午       主 渋沢栄一
                               伊藤博文
   寄                           徳川慶喜
   附                           桂太郎
 *                           客
   待                           井上馨
   合                           下条正雄
                               益田孝
   席  王子別荘に於て
   床  中峰禅師筆 大横物               風炉 播磨作
**
   炭斗 唐物藤組                    釜  古蘆屋 松の地紋あり
   香合 存星作 花鳥                  灰器 楽焼
   羽帯 鶴   釻 火筋                茶入 中棗 覚々斎筥書付
   花入 古銅四方象耳 矢筈板敷て             袋
    花 白槿                      茶杓 利休居士作 筒宗徧添
   水指 祥瑞                      建水 サハリ 蓋置 銅ほや
***茶碗 とゝや
     懐石膳
                              汁
   向  鯉あらい 水禅寺海苔 大根白髪 山葵 かけん酢  飯 温酒
   椀  すヾき かもうり 岩茸 口柚          焼物 鮎塩やき
                               八寸
   吸物 しヾみ                     取肴 さき海老 ふじ豆煮染
   香物 胡瓜漬                     茶銘 好の白 横井詰
   朱銘々盆真塗曲溜盆に載せて
   菓子 みぞれ羮                    惣菓子 七宝形 紅白押もの
*  欄外記事
補助
          三井八郎次郎
        点茶
          川部宗無
** 欄外記事
風呂先屏風
        桐木地捻梅ノ彫
        長板真塗
***欄外記事
替茶碗
         信楽
         遠州切形
 - 第29巻 p.334 -ページ画像 


渋沢栄一 日記 明治三九年(DK290102k-0014)
第29巻 p.334 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三九年     (渋沢子爵家所蔵)
三月十九日 曇 軽暖            起床六時三十分 就蓐十一時三十分
○上略 九時半小石川ニ徳川公爵ヲ訪ヒ、来ル二十一日益田氏ノ開催スル大師会ニ参会ノ事ヲ約ス ○下略
   ○中略。
三月二十一日 半晴 軽暖          起床七時三十分 就蓐十二時三十分
○上略 十時小石川ニ徳川公爵ヲ訪ヒ、相伴フテ品川御殿山ノ益田氏邸ニ開催スル大師会ニ抵ル○下略


渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK290102k-0015)
第29巻 p.334 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年     (渋沢子爵家所蔵)
二月二十三日 晴 軽暖           起床七時 就蓐十二時
○上略 六時半華族会館ニ抵リ徳川公爵ノ晩飧会ニ出席ス、穂積・篤二等来会ス、種々ノ談話アリ、各歓ヲ尽シ夜十一時帰邸ス
○下略
   ○中略。
五月八日 晴 暖              起床七時
○上略 午後王子ニ帰宿ス、此日ハ徳川公爵其他御一族ヲ王子ニ招宴ノ約アルニ付、午後ヨリ其来会ヲ待ツ、三時頃御一同来会セラレ、夫ヨリ庭園ヲ散歩シ、牡丹ヲ賞シ、新緑ヲ見、五時頃ヨリ席上種々ノ余興アリ、特ニ篤二・尾高二氏ノ洋楽合奏ノ浄瑠璃ハ、頗ル興味ヲ添ヘタリ夜十一時過散会ス
   ○中略。
七月二十三日 晴 暑            起床七時 就蓐十一時三十分
○上略
午後三時ヨリ徳川公爵来臨アリ、伝記編纂ノ事ニ関シ種々ノ談話アリ三上・萩野二博士、小林学士・穂積・阪谷・篤二等モ来会シ、公爵ヨリ往事談アリテ頗ル興味ヲ添フ、夜十一時散会 ○下略
   ○中略。
十一月三日 曇 冷             起床七時三十分 就蓐十二時
○上略 三時小石川徳川公爵ヲ訪問ス ○下略


(八十島親徳) 日録 明治四〇年(DK290102k-0016)
第29巻 p.334 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四〇年   (八十島親義氏所蔵)
五月八日 晴 寒シ
朝出勤、昼飯后王子ニ至ル、本日ハ牡丹開花ノ候ヲ見計ヒ、佳例ニ依リ徳川慶喜公御一門ヲ招待セラレ、家達公・令夫人・達孝伯・達道伯厚男・大倉喜八郎・同夫人・徳川両家ノ家扶、穂積・阪谷両氏等也、幸好天気ニシテ庭園散歩ノ后、坐敷ニテ義太夫(若主人)ト洋楽(北村社中)トノ合奏、娘剣舞、小三ノ落語等アリ、常磐家出前ノ料理ニシテ、一同頗歓ヲ尽サレ、謡曲ナド公伯等自ラ謡ヒ出テラレ、中々ノ盛会ニシテ十時散会 ○下略


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK290102k-0017)
第29巻 p.334-335 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年     (渋沢子爵家所蔵)
一月三日 快晴 軽寒
 - 第29巻 p.335 -ページ画像 
午前七時半起床 ○中略 夫ヨリ書状ヲ裁ス ○中略
香川氏 ○皇后宮大夫ヘ送リタル書状ハ、曾テ同氏ト協議シテ、徳川前公叙勲ノ事ヲ其筋ヘ請願スル為メ其願書草案ヲ添ヘタルナリ ○下略
   ○中略。
一月八日 晴 軽寒
○上略 八十島親徳ヘ一書ヲ送リテ、徳川公爵叙勲内願ノ件ニ関シ書面ヲ添ヘ、香川其他ノ人々ニ伝達セシム ○下略
   ○中略。
三月二日 曇 軽寒
○上略 午後一時過ヨリ徳川公爵及三上・萩野・小林、其他御伝記編纂関係ノ人々来会セラル、依テ爾後編輯ノ手続ヲ調査シ、将来ノ順序ヲ協議ス、畢テ公爵ニハ囲碁会ヲ開キ、碁伯ヲ招キテ余興トス、午後七時一同晩飧ヲ為シ、食後尚数回ノ囲碁アリ、夜十時散会 ○下略
   ○中略。
五月十五日 晴 軽暖
午前七時起床、入浴シ畢テ朝飧ヲ食ス、此日ハ徳川公爵及御一門ヲ招宴スルニ付、室内・庭園等来客ノ準備ニ勉ム、午前二・三ノ来客ニ接ス、午飧後来賓続々参集セラル、相誘フテ庭園ヲ散歩シ、或ハ分園ニ於テ巨松ヲ一覧シ、或ハ茶亭ニテ抹茶ヲ点シ、午後五時半ヨリ書院ニ招シ余興ヲ演セシム、数番アリ、六時ヨリ饗宴ヲ開キ、夜十時過宴ヲ撤ス正賓散会後家人等ノ談話アリ、十一時全ク散会ス


(八十島親徳) 日録 明治四一年(DK290102k-0018)
第29巻 p.335 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四一年   (八十島親義氏所蔵)
五月十五日 晴 寒シ
○上略 今午後王子ニ於テ徳川慶喜公御一族ヲ招カルヽニ付、手伝ノ為同邸ニ至ル、夜半帰宅ス


渋沢栄一 日記 明治四二年(DK290102k-0019)
第29巻 p.335 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年     (渋沢子爵家所蔵)
五月六日 曇午後大雨 暖
○上略 午後一時半王子ニ帰宿ス、此日ハ徳川公爵及其一族ヲ招シテ庭園ノ牡丹ヲ観ル筈ナリシカ、雨降リテ庭中ノ散歩困難ナリキ、午後二時頃ヨリ茶席ニ於テ御伝記ニ関スル談話会ヲ開キ、公爵以下関係者悉ク来会ス、畢テ四時過キヨリ宴会ニ移リ、種々ノ余興アリ、夜十時過散宴ス


(八十島親徳) 日録 明治四二年(DK290102k-0020)
第29巻 p.335 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四二年   (八十島親義氏所蔵)
五月六日 雨
○上略
今午後王子邸ヘ徳川公御一族ヲ招待セラルヽニ付、予モ監督ノ為同邸ニ赴ク、雨甚シク頗難渋ノ御客ナリシ
○下略


渋沢栄一 日記 明治四二年(DK290102k-0021)
第29巻 p.335-336 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年     (渋沢子爵家所蔵)
五月九日 晴 暖
 - 第29巻 p.336 -ページ画像 
○上略 午後二時半兜町ニ抵リ、兼子ト同伴シテ華族会館ニ抵リテ、徳川公爵嗣子慶久氏ノ新婚披露会ニ出席ス、午後五時立食畢テ、六時王子ニ帰宿ス ○下略
   ○中略。
六月二日 曇 暑
○上略 大六天《(第六天)》ニ抵リ徳川公爵ヲ訪ヒ、御伝記ノ事ニ関シ種々ノ談話ヲ為ス ○下略


雨夜譚会談話筆記 下・第五一三―五一七頁 昭和二年一一月―昭和五年七月(DK290102k-0022)
第29巻 p.336-337 ページ画像

雨夜譚会談話筆記  下・第五一三―五一七頁 昭和二年一一月―昭和五年七月
                     (渋沢子爵家所蔵)
  第十八回 昭和二年十二月廿日 於丸之内事務所
    一、伊藤公に関する御感想に就て
○上略
増田「徳川慶喜公が公爵にお成りになつたのは、先生の御尽力で御座いませう」
先生「私が大磯で慶喜公の事を調べてゐる時、偶然山県さんが来合せて、私の調べてゐるのを見て、君は妙な事をすると云つたから、之れは恰度よい時機だと思つて、慶喜公が世の中へ出られるやうにと山県さんに私の苦衷を訴へると、山県さんは「あゝなつたんだから盛返しに君が心配しても賛成は出来ぬ」との事だつた。当時山県さんは、勢力ある人だつた。それから此事を井上さんに内々話したら「伊藤に話す方がよい。山県では駄目だ」との事で伊藤さんに話した。すると明治三十年慶喜公御上京後に伊藤さんが私に「慶喜公を今の儘にして置くのは気の毒だ、只今の処完きを望めないが麝香間祗候位は許されるだらうと思ふ」と云つた。私はそれでも良いから頼んだ。後になつて伊藤さんが「此間はあんな事を云つたが、慶喜公が却つて迷惑に思はれては気の毒だから、君一寸慶喜公の内意を伺つて呉れぬか」と云つたので、此事を慶喜公に伺つて見ると「私は維新の時に首を差上げる事を覚悟した。今でも同じ所存で居る」との御返事であつた。伊藤さんに此旨伝へると成る程旨い事を云ふと云つた。其から大分後になつてから、突然慶喜公を伊藤さんが頻りに敬服したと云つて斯んな話をした。有栖川家で外国王族を招待なされた時、慶喜公と伊藤さん二人が相客として呼ばれた。恰度二人の席が向ひ合つたので、伊藤さんが失礼ではあるがと思ひ乍ら、書生流の質問をして「謹慎、恭順と云ふ事は、時々誠心誠意と一致せぬもので御座いますが、それを如何して貴方は一致なされたか」と質したとき、公は「私は親の命令に従つた迄の事です。私の意見と云ふより寧ろ家の教と云つてよい。私が二十歳の頃親が私を呼んで、お前も成人したから之れ丈けの事はよく諒解して置かなければいかぬ。今後の世の中は或ひは大事を生するかしれない。其場合心得を違えぬ様、国に対し天子に対して斯うしなければならぬと云ひ聞かされた。私は親の言葉を肝に銘じて其の通り行つた迄で私の考ではない」と返答なされたとて、伊藤さんが深く敬服して居つた。併し慶喜公を公爵にしたのは桂さんであつた」
 - 第29巻 p.337 -ページ画像 
敬 「いきなり公爵に御成りで御座いましたか」
先生「そうだ、唯々五万円は宮内大臣の田中光顕さんが反対して附けなかつた。其時私は五万円はいらぬ、早い方がよいと頼んだ。香川さんは田中さんに反対して、五万円附けねばいけないと云つて居つた」
○下略
   ○此回ノ出席者ハ栄一・渋沢篤二・渋沢敬三・増田明六・渡辺得男・小畑久五郎・高田利吉・岡田純夫・泉二郎。


青淵先生六十年史 竜門社編 第二巻・第八七八―八七九頁 明治三三年二月刊(DK290102k-0023)
第29巻 p.337 ページ画像

青淵先生六十年史 竜門社編  第二巻・第八七八―八七九頁 明治三三年二月刊
 ○第五十九章 雑事
    第十九節 家政顧問
○上略
一徳川前将軍家ノ資産ニ関スル家政ハ、前将軍(慶喜)挙テ先生ニ托ス、増殖スル所頗ル多シ、前将軍深ク先生ヲ信愛シ、事毎ニ先生ニ聞ク、又徳川家重宝土佐又平ノ六枚屏風其他数々賞賜アリ、前将軍ノ静岡ニ住居スルヤ、先生毎年伺候ヲ怠ラス、京阪往復ノ途次ハ必ス静岡ニ寄ル、又時々物ヲ贈リ、或ハ落語家等ヲ伴ヒ前将軍ノ楽ニ供スルコトアリ、前将軍亦常ニ人ヲシテ先生ノ起居ヲ問ハシム、其癌腫ヲ病ムヲ聞クヤ頗ル憂慮セリ、数年以来先生将軍ノ詳伝編纂ニ従事ス、蓋シ維新ノ際ニ於ケル前将軍ノ心事ヲ明カニシ、之ヲ後世ニ伝ヘント欲スルナリ、初メ先生ノ詳伝ヲ編纂セントスルヤ、前将軍ハ心事ヲ沈黙ニ付センコトヲ欲シ、其意ヲ先生ニ告ク、先生固ク請フテ曰ク、閣下カ心事ヲ沈黙ニ付センコトヲ欲スルハ閣下一人ノ美徳ナリ、事実ヲ歴史ニ伝フルハ国家万世ノ為メナリ、況ンヤ大政転換ノ事、閣下其ノ衝ニ当ル、最モ事実ヲ明ニセサルヘカラス、願クハ三思ヲ賜ヘト、前将軍終ニ先生ノ言ニ従フ、嗚呼先生ハ徳川氏ノ末慶応年間一橋家ニ奉仕シタルモノ、譜代恩故ノ家臣ニアラス、而シテ先生ノ義子平九郎ハ徳川氏ノ為メニ戦死シ、先生又タ恩義ヲ重スルコト三十余年一日ノ如シ、豈ニ高節ノ士ト謂ハサルヘケンヤ


徳川慶喜公伝 渋沢栄一著 自序・第一七―一八頁 大正七年一月刊(DK290102k-0024)
第29巻 p.337-338 ページ画像

徳川慶喜公伝 渋沢栄一著  自序・第一七―一八頁 大正七年一月刊
    自序
○上略
官に居る間は、思ふ様に静岡へ往復する事も出来なかつたが、自由の身になつた後は、銀行用で大阪へ往復の折には、必ず静岡に伺候する事と定め、紺屋町の御住居へも数回参り、後に草深町に御新邸が出来てからは、其方へも度々伺候した。伺候の数の増す毎に、親しく御話も出来るやうになり、御慰藉として時候に適する品物などを持参したり、又落語家・講釈師などを連れて御慰め申した事もあつた。私が官を罷めて後始めて拝謁した時に、在官中の見聞を話題として、三条・岩倉、又は大久保利通・西郷隆盛・木戸孝允などいふ諸公の話を申上げると、公は何時もそ知らぬ風をなされて、話題を外に転ぜさせられるので、公は全く政界の事を見聞せらるゝを避け給ふ御意志であると
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悟つたから、其後は聊も政治に渉る事をば申上げなかつた。 ○下略
   ○本資料第二十七巻所収「徳川慶喜公伝編纂」ノ条及ビ第二十八巻所収「徳川慶喜授爵祝賀会」並ニ「同方会」ノ各条参照。