デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

5章 交遊
節 [--]
款 [--] 8. 三野村利左衛門
■綱文

第29巻 p.374-375(DK290109k) ページ画像

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■資料

はゝその落葉 穂積歌子著 改訂版・第九七―九八頁 昭和五年一〇月二二日(DK290109k-0001)
第29巻 p.374-375 ページ画像

はゝその落葉 穂積歌子著  改訂版・第九七―九八頁 昭和五年一〇月二二日
○上略
 三井組の三野村利左衛門氏は、神保町の時代に近しく度々来訪せられたが、これも話の面白い御人であつた。父上 ○栄一が大蔵省から調べものゝ書類を沢山持つて帰られ、机の上にうづ高く積み上げて置き、一つ一つ精読調印して居らるゝを、傍で隙を見て用談をしやうと待つて居るうち、父上が「此通り用が多くては骨が折れてたまらぬ」と云はれたら、「あなたはまだ若いのにそれ位いの仕事を苦にしてはならぬ。私なんぞは若い時車力をして、石を積んだ荷車を引つぱつてぬかるみ道を歩いたことがあるが、あれなんぞがほんとの骨折と云ふものだ」など云うて人を笑はせた。年の暮には二台も三台もの人力車に品物を積んで持つて来て、家の者一同に福引を引かせた。いろいろの品物の中に美しい反物だの帯側だの、御菓子や御もちやも沢山あるので好い御爺さんだと思うたことがある。或時三野村氏の懇ろな請待により、父上・母上が私をも連れて深川の同氏の宅へ御客に行つたことがあるが、まづ其邸宅の大きいのと庭の広いのに驚いた。これは元大名の下屋敷であつたといふ。三井宗家の御主人を始め、一族の人々幾人か待ち受けて接待せられた。其時の母上の御服装は桐生縮緬の栗梅色の紋付本ごくの帯といふやうな訳、私の衣服も手織斜子の花色のぼかし染に、裾と袖に少しばかり模様があるといふやうなものであつた。其時三井家の御主人が庭で母上や私の写真をうつして下さつたが、其頃はまだ東京中に専門の写真館が何軒といふ位で、撮影術も初歩の時であつたから、レンズの蓋が明いてから、宜しいと云はれるまで瞬きも出来ずものゝ七・八分もぢつとして居らねばならぬのであつた。後に母上が「あの時は東京に来てからまだ三・四年で、他にとゝのへねばならぬ物が多かつたから、自分たちの衣服などには手が廻らぬのであつたが、大分限の三井の御主人から賓客扱ひにせられるには、あまりに不適当な貧弱な身なりであつたから、なんぼなんでも肩身が狭かつた、そしてあの撮影の時は、首の座にでも直されたやうな気がしたつけ」と云うて御笑ひなされた。
○下略
   ○「はゝその落葉」ハ明治三十三年二月刊行サレシヲ、昭和五年ニ至リ、著者自ラ現代文ニ改メ増補出版セリ。右ハソノ増補ノ個所ニ当ル。
   ○文中「あの時は東京に来てからまだ三・四年で云々」トアルハ、栄一家族ノ静岡ヨリ上京セルハ明治二年十二月十八日ノコトナレバ(本資料第二巻同日ノ条参照)栄一大蔵省在官時代ノコトニシテ、前掲三井家トノ関係文
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書ニヨレバ、三井家及ビ三野村ト特別ノ関係ノ生ゼシハ明治六年ノコトナリ。栄一妻子ノ三野村家訪問ハコノ当時ノコトカ、他ニ資料ヲ欠クタメ分明ナラズ。
   ○三井家主人トハ八郎右衛門カ。