デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

5章 交遊
節 [--]
款 [--] 19. 三遊亭円朝
■綱文

第29巻 p.401-402(DK290120k) ページ画像

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■資料

円朝全集 鈴木行三編 巻一三・第五八三頁 昭和三年一月刊(DK290120k-0001)
第29巻 p.401 ページ画像

円朝全集 鈴木行三編  巻一三・第五八三頁 昭和三年一月刊
 ○円朝遺聞(鈴木古鶴)
    名士の観た円朝
○上略
 渋沢子爵と円朝 子爵は語る、円朝は随分世話もしたが、誠に芸人に珍らしい忠孝の念の篤い男であつた。それで酒席へなど呼んでも、諂ふといふやうな態度は少しも無かつた。話は旨いもんだつたね、円朝が親子の聾といふ話をすると、ほんの一言か二言だが、実に何うも何とも云へなく面白かつた。徳川公のお見舞に私が円朝を連れて駿府へ往つた事があつた。この時は確か塩原多助を一席演つたと思つた。公も非常な御満足であつたよ。井上侯がひどく贔屓であつた。川田(小一郎)も随分贔屓にした、大倉も馬越も皆円朝贔屓で、その時分円朝の速記本が出ると夢中になつて読んだものだつた。云々。
○下略


円朝全集 鈴木行三編 巻一三・第五八八―五八九頁 昭和三年一月刊(DK290120k-0002)
第29巻 p.401-402 ページ画像

円朝全集 鈴木行三編  巻一三・第五八八―五八九頁 昭和三年一月刊
 ○円朝遺聞(鈴木古鶴)
 - 第29巻 p.402 -ページ画像 
    退隠の事情
○上略
 退隠後の円朝 ○中略 井上侯は三周を呼んで、円朝も気の毒であるから、せめて二・三万円もあつたら余生を安楽に送る事が出来やう。私が千円出さう、渋沢、川田氏等も千円づつ出すと云ふからこれを基本にして贔屓を説いたら二・三万円は直きに集まるであらうと、誰々の分であつたか二千円出されたので、三周は喜んで円朝に話すと、円朝は驚いてそれは以ての外だ、今迄一方ならぬお世話になつてゐながら又今さう云ふ金子を頂戴することは出来ぬと云ふので、直ぐに井上侯の処へ往つて、お断りをした。それは芸人などと云ふものは世の中の垢のやうなものだ、仮令野たれ死をするとも分相当であるのに、その一芸人たる私のやうなものゝ為に人民の上に立つて身を以て範を示すべき方々が、心配して醵金して下さるといふ事は、思召は誠に有難い事ではあるが甚だ宜しくない事である。私風情などよりはもつと救はねばならぬ者が世の中には沢山有らうといふのであつた。井上侯もこれには困つて、三周にその処分方を托した。三周も当惑して兎も角もこれを渋沢子爵へ預けて置いた。 ○下略
   ○三周トハ藤浦富太郎ナリ。