デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

6章 旅行
■綱文

第29巻 p.458-459(DK290152k) ページ画像

明治32年9月9日(1899年)

是日栄一、東京ヲ発シ高崎ニ赴キ、十日帰京ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三二年(DK290152k-0001)
第29巻 p.458-459 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三二年     (渋沢子爵家所蔵)
九月九日 晴
午前七時二十分上野発ノ汽車ニ搭シ、曾テ高崎ノ実業団体ヨリ依頼セラレタル同地ニ開設スル秋季大会ニ赴ク、同行者ハ中野武営・荻原源太郎両氏《(萩原源太郎)》ナリ、午前十一時過高崎着、団体員一同停車場ニ於テ出迎フ着後荒町岡田源三郎ト云フ割烹店ニ抵リテ休憩シ、午餐後、高盛座ト称スル演劇場ニテ演説会ヲ開ク、荻原・中野ノ両氏先ツ演説ヲ為シ、最後ニ国家ノ隆盛ハ実業ノ発達ニ在リト云フ演題ヲ掲ケテ、第一実業ト云フ文字ノ定義、第二実業発達ノ沿革、第三実業ト他ノ事物トノ関係、第四将来実業ニ対スル企望ト、四節ヲ設ケ、毎節詳細ニ之ヲ説明セリ

午後四時旅亭ニ帰リ来人ニ接ス、午後六時岡源楼ニ於テ団体ノ懇親会ヲ開キ、諸方来会ノ人アリテ総員百弐十余名ニ達セリト云フ、席上此団体ニ企望スルノ趣旨ヲ以テ一場ノ演説ヲ為シ、夜十時散会、夫ヨリ中島伊平氏ノ宅ニ抵リテ投宿ス、此夜大雨、深更ニ至リテ歇ム
*欄外記事
 劇場ノ体裁ハ略新富座位ノモノト思ハル、聴衆満員、寸隙ナキ様子ナリキ
九月十日 曇
此日ハ白雲山ヲ一覧セントノ事ニテ、昨来中島氏其他ノ人々種々手配
 - 第29巻 p.459 -ページ画像 
セラレシモ、雲煙濛朧トシテ山色弁シ難キニヨリ、白雲山ニ登ル事ヲ止メ、転シテ汽車ニテ軽井沢行ヲ試ム、午前九時三十分高崎発、十二時軽井沢着、但此途中有名ノ碓井嶺《(氷)》アブト式ノ汽車アリ、着後十五分再ヒ西来《(マヽ)》ノ汽車ニ搭シテ三時高崎着、市中ノ一楼ニ於テ宴ヲ開ク、蓋シ高崎銀行・商業会議所員等ノ催ス処ナリ、席上又一場ノ演説ヲ為シテ諸氏ノ厚意ヲ謝シ、午後六時発ノ汽車ニテ十時過帰京ス


竜門雑誌 第一三六号・第三九頁 明治三二年九月 ○青淵先生高崎実業大会に臨まる(DK290152k-0002)
第29巻 p.459 ページ画像

竜門雑誌  第一三六号・第三九頁 明治三二年九月
○青淵先生高崎実業大会に臨まる 先生には群馬県下商工業者数十名の請に応し、去る十日高崎市《(九日)》に開会の群馬県下実業大会に臨席の上、「国家と実業」なる題目を以て、一場の演説をなし、翌日午前碓氷に「アブト」式鉄道を実視の後、午後実業大会の懇親会に臨まれ、同夜帰京せられたり、因に記す中野武営・萩原源太郎両氏も、先生と同行せられたりといふ
   ○栄一ノ演説筆記ヲ欠ク。