デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

6章 旅行
■綱文

第29巻 p.498-501(DK290169k) ページ画像

明治36年4月21日(1903年)

是日栄一、夫人同伴東京ヲ発シテ大阪ニ赴キ、二十三日全国銀行大会ニ出席シ、且ツ第五回内国勧業博覧会並ニ関係銀行会社ヲ視察シ、三十日帰京ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三六年(DK290169k-0001)
第29巻 p.498-500 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三六年     (渋沢子爵家所蔵)
四月廿一日
○上略 午後十二時半ノ汽車ニテ大坂ニ赴ク、兼子・久尾等同行ス、夜七時半浜松ニ抵リ、大米屋ニ投宿ス、此日ハ終日雨又ハ曇リテ車中寂寥タリ
四月廿二日 雨
午前七時発ノ汽車ニテ豊橋・名古屋ヲ経京都ニテ中川氏停車場ニ来訪ス、名古屋ニ於テ田中・佐々木二氏来訪ス、夕四時過大坂着、伝法屋ニ投宿ス、熊谷・伊藤・竹山・木村・山辺・大川等ノ諸氏十数名来リ
 - 第29巻 p.499 -ページ画像 
迎フ、夜食後博覧会場ニ抵リ夜中ノ電灯装飾ヲ一覧シ、場内不思議館ニ於テ学術上ノ試験ト米国女優 ○カーマンセラーノ舞踏ヲ観ル、十一時帰宿ス
四月廿三日 曇
午前八時朝飧ヲ畢ル、土岐僙氏来ル、広島水力電気会社松本・海塚・小島ノ三氏来訪、会社ノ要務ヲ協議ス、其他来人頗ル多シ、十一時第一銀行支店ニ抵リ、行員ニ面会シテ事務ヲ視ル、午飧後中ノ島集会堂ニ抵リ、全国銀行大会ニ列ス、来会者凡ソ七百人余、大隈伯ト余ト鶴原市長、添田寿一氏等ノ演説アリ、五時頃会ヲ散シテ、更ニ大坂ホテルニ於テ立食ノ饗応アリ、夜八時過帰宿ス、来訪人頗ル多ク、十二時頃ニ至リテ散ス
四月廿四日 晴
午前七時朝飧ヲ畢リ、二・三ノ来客ニ接シ、十時博覧会場ニ抵リ、美術館・加奈多館・運輸館等ヲ一覧ス、十一時半西区出張所ニ抵リ、竹山氏ノ案内ニテ行務取扱方ヲ一覧シ、午飧後熊谷氏ト共ニ安治川筋水上警察署ニ抵リ、川蒸気船ニテ築港ノ工事ヲ一覧ス、畢テ堺市ニ抵リテ水族館ヲ一覧ス、水族館ニ抵ルニ先テ埠頭ニ於テ藤本氏ノ園遊会アリ、蓋シ此日ノ築港及水族館等ノ遊覧ハ、総テ藤本氏ニ於テ来会銀行者ノ為ニ設クル所ニシテ、殊ニ大隈伯ト余トニ対シテ鄭重ノ饗応アリタリ、午後五時堺停車場ニテ汽車ニ搭シ、難波停車場ニ抵リ、更ニ大坂各銀行ノ催シタル饗宴ニ列スル為、道頓堀富田屋ニ抵ル、来会者凡ソ六・七十人許リ、日本料理ノ饗応アリ、十時頃ヨリ兼子ト共ニ劇場ニ抵リ、歌舞数番ヲ観テ夜十二時帰宿ス
四月廿五日 小雨
午前七時朝飧ヲ畢リ二・三ノ来人ニ接シ、九時三軒屋紡績会社ニ抵リ工場ヲ一覧シ、社員ヲ会シテ執務ノ得失ヲ討議ス、畢テ帰途松本重太郎宅ヲ訪ヒ、日本銀行支店ヲ訪問シ支店長ニ面会シ、住友銀行・大隈伯ノ旅寓等ヲ尋問シテ、十二時北浜銀行ニ抵リテ午飧ス、大隈伯其他ノ諸氏ト共ニ饗宴セラルヽヲ以テナリ、午後二時宴畢テ網島ニ藤田氏ヲ訪ヒ、井上伯ニ面会ス、松本重太郎氏来会シテ瓦斯会社ノ事、及大坂紡績会社ノ事ヲ協議ス、午後五時大坂精糖会社ニ抵リ、工場ヲ一覧シ、畢テ帰路安治川停車場ヨリ汽車ニ搭シ、博覧会場ニ抵リ、浪華踊一番ヲ観テ夜九時帰宿ス
四月廿六日 雨
午前七時朝飧ヲ畢リ、二・三ノ来人ニ接シ、八時大坂汽車製造会社ニ抵リ、井上社長ニ面会シ会社営業ノ近況ヲ聴ク、共ニ工場ヲ一覧シ、十時博覧会場ニ抵リ器械館・農林水産館・工業館等ヲ巡覧ス、伊藤与七・木村雄次ノ二氏同伴ス、十二時会場中ノ西洋料理店ニ於テ午飧ヲ為ス、午後二時過梅田伝法屋ニ抵リテ小憩シ二時二十分発ノ汽車ニテ神戸ニ赴ク、住吉停車場ニ於テ車ヲ下リ、御影ナル松方伯別荘ヲ訪ヒ伯ニ面会シテ京釜鉄道会社々債ノ事ヲ談話シ、午後五時過ノ汽車ニテ神戸支店ニ抵ル、熊谷辰太郎・岸崎昌其他ノ諸氏来リ迎フ、着後直ニ熊谷・岸崎二氏ト共ニ兵庫出張所ヲ一覧ス、更ニ支店ニ抵リテ夜飧ヲ為シ、午後七時半ノ汽車ニテ京都ニ抵ル、九時過京都着、中川知一氏ヲ始メ諸氏来リ迎フ、木屋町玉川楼ニ投宿ス、兼子ノ一行ハ朝来方向
 - 第29巻 p.500 -ページ画像 
ヲ異ニシテ午後七時半京都着、同シク玉川楼ニ宿ス
四月廿七日 曇
午前八時朝飧ヲ畢リ、二・三ノ来人ニ接シ、九時第一銀行支店ニ抵リ事務ヲ視ル、十一時ヨリ兼子等ト共ニ北野天神ニ詣シ、平野神社ニ抵リ更ニ金閣寺ニ抵リテ、寺内庭園ヲ一覧シ宝物ヲ拝観ス、古器・古画頗ル多シ、金閣楼上ヲモ一覧シ、畢テ嵯峨ニ抵リ嵐山ヲ眺望ス、新緑殊ニ佳ナリ、時鳥亭ニ於テ午飧ヲ為ス、食後大偃川ニ船ヲ浮ヘ、温泉近傍マテ遡リテ、再ヒ船ヲ下シテ渡月橋辺ニ於テ上陸シ、虚空像《(蔵)》ノ祀《(祠)》ヲ詣ス、渡月橋ヲ越ヘテ更ニ時鳥亭ニ抵リ、徒歩天竜寺内ヲ散策シテ停車場ニ抵リ、汽車ニテ二条停車場ニ抵リ、夫ヨリ上七軒ニ抵リ、第一ト唱フル割烹店ニ於テ夜飧ヲ為ス、畢テ祇園地内歌舞練場ニ抵リ、都踊ヲ一覧シ、夜十時帰宿ス
四月廿八日 朝晴午後雨
午前八時朝飧ヲ畢リ、九時京都綿ネル会社ニ抵リ、工場ヲ一覧ス、社長辻忠三郎・支配人小林銀三氏等工場ヲ案内シテ、営業ノ景況ヲ説明ス、十一時織物会社ニ抵リ、田中源太郎・渡辺伊之助氏等ニ面会シ工場ヲ一覧ス、一時瓢亭ニテ午飧ス、食後博覧会場・美術展観場等ヲ一覧シ、六時玉川楼ニ帰宿ス、菊地市太郎来ル、諸井恒平・北川俊二氏来話ス、北川氏ハ来月三日発ノ汽船ニテ独乙ニ渡航スルニヨリ、調査事務打合ノ為、且告別トシテ来訪セラレタルナリ、依テ種々ノ協議ヲ為シテ別ヲ告ク
四月二十九日 雨
午前六時朝飧ヲ畢リ、六時四十五分七条発ノ汽車ニテ京都ヲ発シ四日市ニ向フ、途中雨強クシテ車中寂寥タリ、柘植ニ抵リテ四日市ヨリ斎藤恒三氏来リ迎フ、午前十時四十分四日市着、常盤館ニテ休憩シ、午飧後金州丸歓迎会式場ニ臨席ス、三重県・愛知県知事古荘・深野二氏来会ス、来賓会員等ニテ来会スル者二百名余、雨中ナカラ盛況ナリ、式場ニ於テ市長ヲ始トシテ伊藤氏・知事、其他ノ演説又ハ祝詞・報告等アリ、余モ亦一場ノ演説ヲ為ス、畢テ第一銀行支店ニ抵リ、行員ニ面会シ行務ヲ視ル、五時松茂楼ニ抵リ宴会ニ列ス、歌妓ノ舞踏数番アリ、夜九時昌栄館ニ帰宿シ、伊藤・九鬼其他ノ諸氏ト要務ヲ協議ス
四月三十日 雨
午前四時朝飧ヲ畢リ、五時四日市ヲ発シ、六時半名古屋ニ抵ル、田中西条ノ諸氏来リ迎フ、寸時休息ノ後更ニ汽車ニ搭シ、七時名古屋ヲ発シ、午後一時静岡停車場ニ抵リ、車中ニテ午飧シ七時半新橋ニ達ス、篤二・敦子・尾高・八十島及来リ迎フ者数十人アリ、直ニ馬車ニテ午後九時王子別荘ニ帰着ス


(八十島親徳) 日録 明治三六年(DK290169k-0002)
第29巻 p.500-501 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三六年   (八十島親義氏所蔵)
四月廿一日 雨
○上略 十二時三十分ノ緩行列車ニテ新橋より大阪向出発セラル ○中略 同行ハ男爵夫人・八木・田中寿尾、及老婢よし也、来廿三日大阪ニテ開会ノ銀行大会ヘ出席ト博覧会見物トヲ兼ネタルモノニテ、月末迄ニハ帰京ノ予定トノ事
 - 第29巻 p.501 -ページ画像 
○下略
   ○中略。
四月三十日 曇
○上略 七時四十分男爵ノ一行関西ヨリ帰京ニ付、新橋ヘ出迎フ
○下略
   ○本資料第六巻所収「択善会・東京銀行集会所」明治三十六年四月二十三日ノ条並ニ第二十三巻所収「第五回内国勧業博覧会」ノ各条参照。


竜門雑誌 第一七九号・第四五頁 明治三六年四月 ○青淵先生及同令夫人の下阪(DK290169k-0003)
第29巻 p.501 ページ画像

竜門雑誌  第一七九号・第四五頁 明治三六年四月
○青淵先生及同令夫人の下阪 青淵先生には去二十一日正午十二時三十分発汽車にて下阪せられたり、其重なる用向は二十三日開会の全国銀行大会に出席の外、関西地方に於ける関係銀行会社視察、及博覧会見物等にして、帰京は来月二日頃の予定なるが、令夫人にも博覧会見物の為め御同行せられたり