デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

6章 旅行
■綱文

第29巻 p.501-502(DK290170k) ページ画像

明治36年8月18日(1903年)

是日栄一、東京ヲ発シ銚子ノ暁鶏館ニ赴キ、二十三日帰京ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三六年(DK290170k-0001)
第29巻 p.501-502 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三六年     (渋沢子爵家所蔵)
八月十八日 晴
○上略 十二時兜町ニ帰リ旅装ヲ理シ、午後二時本所錦糸堀ニ抵リ総武鉄道会社線ニテ出発ス、車中ノ炎熱塵埃堪ヘ難キ想アリシモ、夕方ニ至リテ風強クシテ聊カ清涼ヲ覚フ、連日ノ炎暑ニ逢フテ沿道ノ草木ハ衰凋セシモ、田畝ハ稲色青々トシテ其間既ニ実ヲ結フモノ少ナカラス、本年ノ豊作知ルヘキナリ、午後四時半銚子停車場ニ達ス、此日本所停車場ヨリ郷隆三郎氏ノ実兄松本信之助氏、余等案内ノ為メニ同行スルヲ以テ、各駅ノ景況ヲ詳述シテ大ニ車中ノ無聊ヲ慰メタリ、銚子停車場ヨリ腕車ヲ僦フテ犬吠岬ナル暁鶏館ニ抵リ《(ルカ)》、銚子ヨリ行程一里半、山路崎嶇頗ル険悪ナリ、七時暁鶏館ニ抵リ、狭隘ノ一室ヲ借リテ一家膝ヲ容ルヽヲ得タリ、夜食後松本氏ニ地方ノ景況ヲ諮詢ス
八月十九日 晴
午前六時起テ海水ニ入ル、朝気清爽加フルニ紅日波間ニ映シテ眺望頗ル壮快ナリ、午前八時朝飧ヲ畢リ、東京ヘノ書状ヲ裁シテ郵送ス、畢テ日記ヲ調理シ且読書ス
午後東京早川千吉郎ヨリ電報アリテ、井上伯ヨリ会見ノ事ヲ通シ来ル夜ニ入リテ隣家ナル伏見宮御僑居ニ於テ地方ニ行ハルヽ田舎踊ヲ催フサレ村内ノ婦女子多人数来リ聚ル、午後八時頃ヨリ雷鳴強ク驟雨来ル
八月廿日 晴
午前六時起床、直ニ海水ニ浴ス、七時朝飧後、東京八十島宛書状ヲ発ス、三井銀行早川氏ヘ電報シテ昨日ノ回答ヲ為ス、九時犬若巌一覧ノ為メ一行共ニ発ス、行程凡十丁余徒歩シテ行ク、松林間ヲ経テ戸川村ニ抵リ村内ヲ通過シテ海岸ニ出ツ、千貫巌・犬巌・若巌等相聯続シテ眺望佳絶ナリ、邱上ノ一小亭ニ小憩シテ帰途ニ就ク、十二時暁鶏館ニ
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帰着ス、北垣氏来訪シテ北海道鉄道会社々債ノ事ヲ談ス、野田夫人来訪セラル、東京ヨリ来状アリテ、篤二ノ書状ハヱブリー招宴ノ都合ヲ報シ来ル、早川ノ書状ハ電報ノ事ヲ書送スルニ在リ、依テ深川宅及兜町ニ各一書ヲ発シテ、ヱブリー氏招宴ノ事及廿三日帰京ノ事ヲ申遣ス
八月二十一日 晴
午前六時起床、直ニ海水ニ浴ス、朝飧後九時頃犬吠岬ノ灯台ニ抵リ、帰途海岸ヲ散歩ス、野田男爵ニ邂逅ス、明日同氏邸ヘ招宴ノ事ヲ請ハル、帰寓ノ後東京篤二其他ヘノ書状電報等ヲ発ス、午飧後読書、夜海岸ヲ散歩ス、此日秋涼ヲ覚フ
八月廿二日 晴
午前六時起床、海水ニ浴ス、朝飧後野田氏及東京篤二等ヘ書状・電報ヲ発シテ、ヱブリー氏招宴ノ事先方ニ廿四日差支アレハ、已ムヲ得ス見合スヘキ旨申遣ス、午後郷隆三郎氏来話ス、二時野田男爵ヲ銚子別荘ニ訪フ、夜ニ入リテ帰寓ス
八月廿三日 晴
午前六時起床、此日ハ海水ニ入浴セス、朝来書類ヲ整理ス、午後一時銚子発ノ汽車ニテ帰京ノ事ト定メ行李ヲ整頓ス、十一時半旅寓ニテ午飧シ、直ニ腕車ヲ僦フテ銚子停《(車場脱カ)》ニ抵ル、梅浦精一氏来リ会ス、松本・郷二氏及其母来リ送ル、、午後一時発車、午後五時半本所着 ○下略


(八十島親徳) 日録 明治三六年(DK290170k-0002)
第29巻 p.502 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三六年   (八十島親義氏所蔵)
八月十八日 晴 八十五度 稍涼シ
○上略 男爵出勤ノ上、午後二時本所発ノ汽車ニテ避暑ノ為メ銚子ニ赴カル、来廿四日帰京セラルヽ筈ナリ
○下略


竜門雑誌 第一八三号・第四八頁 明治三六年八月 【青淵先生 には本月十八…】(DK290170k-0003)
第29巻 p.502 ページ画像

竜門雑誌  第一八三号・第四八頁 明治三六年八月
○青淵先生 には本月十八日下総銚子に避暑せられたるも、同二十三日帰京せられたり