公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第29巻 p.512-515(DK290181k) ページ画像
明治40年1月1日(1907年)
是日栄一、東京ヲ発シ国府津ノ国府津館ニ赴キ、十六日帰京ス。
渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK290181k-0001)
第29巻 p.512-515 ページ画像
渋沢栄一 日記 明治四〇年 (渋沢子爵家所蔵)
一月一日 晴 軽暖 起床七時 就蓐十一時
○上略 十二時半ノ新橋発汽車ニテ国府津ニ抵ル、車中頗ル雑沓ス、四時国府津館ニ投宿ス
夕方ヨリ演説筆記ヲ修正ス、夜ニ入リテ書ヲ読ム
国府津ハ東京ト異リ気候寒カラス、甚タ人ニ可ナルヲ覚フ
一月二日 曇 寒 起床八時 就蓐十一時三十分
朝来先ツ入浴シ了テ朝飧ヲ為ス、食後演説筆記ノ修正又ハ文書ノ修正
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ニ努力ス、十一時神田鐳三来話ス、午飧後又来リテ国庫債券現物市場設立ノ事ヲ説カル、午後三時頃辞シ去ル
此日ハ夜ニ入ルマテ書類ノ整理ニ勉メ、漸クニシテ客年来ノ残務ヲ果スヲ得タリ、其快意識ルヘキナリ
夜少ク雪降ル
一月三日 晴 軽暖 起床六時四十分 就蓐十一時
起床後直ニ入浴シ、了テ日記ヲ編成ス、朝飧後韓国各地、木内・市原太田・麻生ノ四氏、其他内地各方面ヘノ書状ヲ裁ス
客年西沢之助氏ノ依頼ニヨリテ蓄音器ニ吹入レタル、商業道徳ニ関スル演説ノ筆記ヲ浄書ス、午飧後モ尚其浄書ヲ努メ、夜ニ入リテ筆ヲ止ム、夜飧後読書ニ消閑ス
一月四日 晴 軽暖 起床七時 就蓐十一時三十分
起床後入浴シ、了テ海岸ヲ散歩ス、行テ本村ノ西部ニ抵リテ東海道ニ出ツ、富岳目前ニ在テ積雪朝暾ニ映シ玲瓏タリ、壮観ヲ極ム、本村街頭ヲ通過シテ帰寓ス、朝食後演説筆記ノ浄書ヲ為ス
午後マテ浄書ヲ為ス、夜ニ入リテ止ム
夜食後読書又ハ遊戯ニ閑ヲ消ス
一月五日 曇 軽暖 起床七時 就蓐十一時三十分
起床後直ニ入浴シ了テ朝飧ヲ為ス、食後種々ノ揮毫ヲ試ム、松方伯七十ノ賀ニ一詩ヲ送ル、元治夫妻来訪ス、談話中尚揮毫ス
元治ノ帰京ニ托シテ東京ニ書状及書類ヲ送付ス
山田昌邦来話ス、頃日来浄書セシ演説筆記全ク成ル、依テ事由ヲ附記ス、蓋シ客臘天賞堂ニ於テ蓄音器ニ吹入レタルモノナリ、元治東京ヨリ書状ヲ持参ス、午後三時頃ヨリ散策シテ滝前ニ到リ、大鳥氏別荘ニテ梅花一枝ヲ購ヒ得テ帰ル
夜読書又ハ遊戯ニ消閑ス
午後六時加藤政之助・横山一平・森秀次・皆川四郎四氏来リ、自働車事業ニ関シテ会社設立ノ事ヲ談シ、且其会社ニ加入ノ事ヲ切望セラル
一月六日 晴 軽暖 起床六時四十分 就蓐十一時三十分
起床直ニ入浴シテ後日記ヲ編成ス、八時朝飧ヲ為シ、新聞紙ヲ一覧シ夫ヨリ揮毫ヲ試ム、午飧後モ尚之ヲ続ク、桃井可雄来話ス、昨年生糸販売ノ景況ヲ詳説セラル、夜食マテ揮毫ヲ為シ、数十紙ニ及フ、食後読書ニ閑ヲ消ス
一月七日 晴 軽暖 起床六時三十分 就蓐十一時三十分
起床後直ニ入浴シ了テ朝飧ヲ為ス、食後旅装ヲ整ヘ、八時五分発ノ汽車ニテ帰京ス、畑次郎随行、十一時新橋ニ着ス ○下略
一月八日 晴 軽暖 起床七時三十分 就蓐十一時三十分
○上略 午後三時五十五分新橋発ノ汽車ニ搭シ、七時国府津ニ達ス、夜飧後紀料及夏ノ夢ヲ一読ス
一月九日 晴 軽暖 起床七時 就蓐十一時三十分
起床後直ニ入浴シ、了テ日記ヲ編シ、且紀料ヲ読ム、八時朝飧ヲ了リ食後紀料及夏ノ夢等ノ書ヲ読ム
九時過郡司成忠・斎藤豁三郎・高田三六ノ三氏来訪、中野武営ノ添書ヲ持参シ、沿海州漁業株式会社設立ノ事ニ関シ種々ノ談話アリタリ、
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他日確答スヘキ旨ヲ以テ之ヲ謝ス、午飧後又読書及勅語ノ浄写ヲ努ム三時過実業ノ日本記者都倉義一来訪、目下経済界ニ関スル談話ヲ為ス了テ余ノ出身ニ関スル往事談等アリテ、午後五時過キ辞シ去ル、夜食後又浄書ヲ為シ、夜ニ入リテ紀料ト夏ノ夢トヲ読ム
此日ハ風強ク波高シ、午後鉄道線路ヲ超ヘ山手ノ散歩ヲ試ム、三十分余ニシテ帰宅ス
一月十日 晴 寒 起床七時二十分 就蓐十一時三十分
起床後入浴シ了テ新聞紙ヲ一覧ス、八時朝飧ヲ為シ、食後東京ヨリ転送セル三重伊藤伝七氏来状ヲ一覧シ、直ニ其返書ヲ作リテ発送ス
大川平三郎・田中栄八郎来話ス、八巻道成来話ス、午後成瀬仁蔵来話ス、添書シテ箱根岩崎氏ヲ訪問セシム
此日午前ヨリ引続キ来人多ク、終日読書又ハ揮毫ノ暇ナシ、夜ニ入テ夏ノ夢ヲ読ム
一月十一日 晴 寒 起床六時三十分 就蓐十一時三十分
起床後直ニ入浴シ了テ朝飧ヲ喫ス、午前八時五分発ノ汽車ニテ東京ニ抵ル、十時四十分新橋着、直ニ馬車ニテ兜町事務所ニ抵リ留守中ノ事務ヲ処理ス ○下略
一月十二日 晴 寒 起床七時
○上略 午後六時夜飧ヲ了リ、六時三十分発ノ急行列車ニテ国府津ニ抵ル八時九分国府津館ニ着ス、汽車中浅野総一郎・江間俊一氏等ト談話ス銀行集会所戸田宇八来ル、倶楽部晩飧会ノ事ヲ談ス
一月十三日 曇 寒 起床七時 就蓐十一時三十分
起床後入浴シ、浴後朝飧ヲ喫ス、食事畢テ新聞紙ヲ一覧ス、午前岡部老母来話ス、小田原牛乳店ノ現況ヲ縷述セラル、午飧後教育勅語ノ清書ニ努ム、書《(マヽ)》ニ入リテ東京平岡煕氏ヨリ来状アリ、汽車製造会社ノ事ニ関シ通知アリタリ、依テ直ニ返書ヲ発ス、又名古屋奥田正香氏ヘ一書ヲ発ス
午前大川英太郎・三好退蔵等ヘノ書状ヲ発付ス
夜紀料ヲ読ム、越中高岡大橋半七郎ヨリ来状アリタレハ、其回答書状ヲ発ス
朝鹿児島第七高等学校ヘ向ケ正雄ヘ書状ヲ発ス
一月十四日 曇 寒 起床七時三十分
起床後直ニ入浴シ、浴後朝飧ヲ喫シ、新聞紙ヲ一覧ス、午前加藤孝之氏来訪ス、横山徳次郎氏ヨリ添書ヲ持参ス、蓋シ加藤氏ハ現ニ判事奉職ノ身ナレトモ、向後実業界ニ従事スルヲ企望スルニヨリ、余ノ面識ヲ求ムル為メ来レルナリ、款談数時ニシテ辞シ去ル、十一時頃林茂麿来話、羽二重織物ニ関シ、機械工場設立ノ事ヲ談話ス
東京ヨリ二・三ノ来状アリ
午後近江谷栄次氏来話ス、製材会社設立ノ事及沿海漁業会社ノ事等ヲ談ス、夜勅語ノ浄書ヲ為シ、又夏ノ夢及紀料等ヲ読ム
一月十五日 晴 軽暖 起床七時三十分 就蓐十一時三十分
起床後直ニ入浴シ、了テ朝飧ヲ為ス、食後東京ヨリ送リ越セシ来状ヲ一覧ス、又新聞紙ヲ一読シ、畢テ揮毫ヲ為ス、午飧後モ同シク揮毫ヲ継続シ、夜ニ入リテ止ム
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夜食後紀料ト夏ノ夢トヲ読ム
平岡煕氏ヨリ電報及来状アリテ、明日麻布井上伯邸ヘ参会ノ事ヲ通知セラル、汽車製造会社ノ事ニ関シテナリ
一月十六日 晴 寒 起床七時 就蓐十一時三十分
起床後直ニ入浴シ、了テ朝飧ヲ為ス、食後新聞紙及他ノ書籍ヲ一覧ス午前九時五十五分発ノ汽車ニテ国府津ヲ発シ、十二時新橋ニ着ス ○下略
竜門雑誌 第二二四号・第四三頁 明治四〇年一月 ○青淵先生の避寒(DK290181k-0002)
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竜門雑誌 第二二四号・第四三頁 明治四〇年一月
○青淵先生の避寒 青淵先生には元旦午後新橋発の汽車にて、避寒旁旁静養の為め国府津に赴かれ、同所国府津館に滞留、其間一両度は已み難き要務の為め帰京せられしも、月半まで世塵に遠ざかり、青松白砂の間に閑風月を楽まれ、本月十六日に至りて帰京せられしが ○下略
(八十島親徳) 日録 明治四〇年(DK290181k-0003)
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(八十島親徳) 日録 明治四〇年 (八十島親義氏所蔵)
一月一日 快晴 無風
○上略 青淵先生及令夫人ハ ○中略 十二時半ノ汽車ニテ国府津ヘ避寒セラル ○下略
○中略。
一月七日 快晴
○上略 男爵ハ一泊掛ニテ今日国府津ヨリ帰京 ○下略
○中略。
一月十一日 極寒 晴
○上略 男爵国府津ヨリ帰京、明日ハ又赴カルヽ筈ナリ ○下略
一月十二日 晴
○上略 男爵ハ六時半ノ汽車ニテ又国府津ニ赴カル ○下略
○中略。
一月十六日 晴
○上略 男爵今昼国府津ヲ切リ上ゲ帰京アリ、夕刻事務所ヘモ立ヨラル、七時帰宅