デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

6章 旅行
■綱文

第29巻 p.590-592(DK290193k) ページ画像

明治42年5月14日(1909年)

是日栄一、夫人及ビ三女愛子ヲ同伴東京ヲ発シ、千葉県勝浦・小湊・北条・船形等ヲ巡回シ、十八日帰京ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四二年(DK290193k-0001)
第29巻 p.590-591 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年     (渋沢子爵家所蔵)
五月十四日 雨又晴 暖
午前六時起床、直ニ朝飧ヲ食シ、旅装ヲ整ヘテ馬車ニテ両国ニ抵ル、兼子・愛子同伴ス、停車場ニ篤二・八十島・星野錫氏等来リ送ル、八時二十五分発車ス、九時半千葉ニテ汽車ヲ替ヘ、十二時大原駅ニ抵ル竹屋ト云フ旅亭ニテ午飧ス、大原ヨリ馬車ヲ僦フテ四里、勝浦ニ抵リ小憩ス、勝浦ヨリ馬車ニテ小湊ニ抵ル、此間道路険悪、時々危惧ノ事アリ、夜七時半小湊町清海楼ニ投宿ス、勝浦ヨリ小湊ニ抵ルノ路次ハ上総東端太平洋ニ面スル土地ナレハ、眺望極テ開豁ナリ、只此日ハ雨降リテ且道路悪シカリシニヨリ、途上壮快ノ想ヲ減スル事アリシヲ憾トス
五月十五日 半晴 暖
午前六時起床、朝飧ヲ食シ、七時旅宿ヲ発シ、馬車ニテ誕生寺ニ抵リ別院ニ於テ住職金塚日梵上人ニ面会シ、祖師ノ経歴ニ関シテ種々ノ談話アリ、後寺内ノ宝物ヲ一覧ス、加藤清正ノ詩歌・祖師ノ書翰等アリ畢テ有栖川宮建立ノ釈伽堂ヲ拝シ、更ニ本堂ニ抵リテ拝礼ス、後船ニテ鯛ノ浦ニ抵ルモ、天候ノ為ナルヤ魚ハ見ヘサリキ、十時半馬車ニテ小湊ヲ発シ、午後一時鴨川ニ抵リテ午飧ス、二時鴨川ヲ発シ、途中仁右衛門島ニ抵ル、仁右衛門島ハ頼朝石橋山ノ戦敗レテ房州ニ遁レタル時ノ故事アリト云フモ、俗説信シ難キニ似タリ、砲台アリ、百年以内ノモノナラン、一覧畢テ途中北条ヨリ迎ノ為メニ来レル人々ニ会シ、夜八時北条着、吉野庵ニ投宿ス、夜煙火ヲ打揚ケテ余等ノ来着ヲ祝ス地方人士数名来リ迎フ
五月十六日 雨 冷
午前七時起床、日記ヲ編成ス、此日風強クシテ、地方有志者ヨリ案内アリシ島嶼一覧ノ事ヲ果スヲ得ス、八時朝飧ヲ食シ、地方人士ノ訪問ニ接ス、来客十数名ニ及フ、郡長・村長・町長等ノ人々多シ、正午旅宿ニテ午飧シ、午後一時人車ニテ雨中船形ニ抵リ、養育院分院ノ開院式ニ出席シ、一場ノ演説ヲ為ス、来会者弐百人許リナリ、分院ハ船形観音堂ノ下ニ在リテ、眺望佳絶、気候人ニ可ナリ、入院者百名余リ収容スルヲ得ヘク、構造頗ル堅牢ニシテ、且便利ナリ、式畢テ来賓ニ饗宴ヲ勧メ、後兼約ニヨリテ北条ニ抵リ、中学校内ニ開カルヽ講演会ニ臨席シ、一場ノ演説ヲ為ス、尾崎市長同伴ス、畢テ再ヒ船形町ニ来リ山口某氏ノ家ニ宿ス、夜安達憲忠・正木清一郎氏・桜井円次郎氏等来話ス
五月十七日 晴風強シ 暖
午前六時起床、船形観音堂ニ詣ス、後分院ニ抵リテ各室ヲ一覧ス、七
 - 第29巻 p.591 -ページ画像 
時朝飧ヲ食シ、直ニ山口氏ノ家ヲ発シ、馬車ニテ富浦ニ抵リ、川合氏ノ案内ニテ批把酒醸造所ヲ一覧ス、船形町長正木清一郎・安達憲忠氏等此地マテ送リ来ル、醸造所一覧後諸氏ニ分袂シ、海岸ニ沿フテ湊町ニ抵リ午飧シ、夫ヨリ分岐シテ鹿能山ニ登ル、山路険悪、僅ニ馬車ヲ通ス、五時鹿能山ニ抵ル、本堂ヲ拝シ、更ニ九十九谷ヲ眺望シ、六時過下山ノ途ニ就ク、路狭ク崖険ニシテ馬車殆ント転覆セントスル事幾回、夜八時半木更津ニ抵リ、旅亭島飼某《(鳥飼)》ニ投宿ス
五月十八日 晴 暖
午前六時起床、入浴シ畢テ市街ヲ散歩シ海岸ニ抵ル、八時帰寓、朝飧ヲ食ス、九時前旅宿ヲ発シ、馬車ヲ駆テ千葉ニ向フ、十二時半八幡駅東屋ニ投シテ午飧ス、午後三時半千葉ニ着ス、木更津ヨリ千葉ニ抵ル途上ハ只田圃ノミニシテ、風景ノ見ルヘキナシ、一方ハ東京湾ニ瀕シテ塩田多シ、千葉ニ抵リテ公園ヲ散歩シ、四時発ノ汽車ニ搭ス、浅田徳則氏同車ス、五時半過両国停車場着、家人ノ来リ迎フルアリ、停車場ヨリ馬車ニテ直ニ王子ニ帰宿ス ○下略


竜門雑誌 第二五二号・第七九―八〇頁 明治四二年五月 ○青淵先生の総房地方旅行(DK290193k-0002)
第29巻 p.591-592 ページ画像

竜門雑誌  第二五二号・第七九―八〇頁 明治四二年五月
○青淵先生の総房地方旅行 青淵先生の院長たらるゝ東京市養育院の安房分院は、此度新築落成を告げ、本月十六日開院式を挙行せらるゝに付き、先生には令夫人と共に之に出席の序を以て、是迄旅行せられざりし総房地方の古蹟形勝の地を探らん為め、令嬢を伴ひ、渋沢事務所員増田明六君等を随ひ、去る十四日午前八時廿五分両国を発車せられたり、玆に右旅行の経過を簡単に摘録すれば左の如し
 十四日雨 午前八時廿五分両国を発し、正午大原に着し、同地竹屋に小憩、午食の後一行馬車に乗じて太平洋沿岸の壮大なる景色を賞しつゝ、午後七時小湊に到り、清海楼に投宿せらる、本日の行、勝浦小湊間道路険悪、加之連日降雨の為め崖崩等ありて困難を極められたり
 十五日雨 早朝雨を衝て日蓮上人出生の誕生寺に詣で、現住職金塚日梵氏と語られ、夫れより鯛の浦に出遊し、返りて馬車に乗じ途中小松原に日蓮の遭難を偲び、鴨川に至りて午食を為し、午後沿岸の景色を賞しつゝ進み、仁右衛門島に渡り、頼朝の古蹟を観、再び沿岸の道路を進行して御前村に到り、安房郡長太田資行氏(代理)船形町長正木清一郎氏の出迎はれたるに遇ふ、夫れより松田に到れば東京市養育院安達憲忠・桜井円次郎の両氏出迎はる、此日午後八時十五分北条に着し、吉野庵に投宿せらる
 十六日雨 午食の後吉野庵を発して船形町に到り、午後二時東京市養育院安房分院開院式に臨まれ、一場の演説を為し、式終りて先生には午後五時より北条中学に催ふされたる講演会に臨み、経済上に関する演説を為し、船形に帰りて一行の旅宿と定められたる山口弥惣次氏方に投宿せらる
  因に安房分院は、青淵先生令夫人の会長たらるゝ養育院婦人慈善会に於て建築費二万余円を投じ新設の上、同院に寄付せられたるものにて、院児の虚弱者・肺病疑似者、其他主として呼吸病患者
 - 第29巻 p.592 -ページ画像 
を玆に収容して、其保養に充つる目的なりと云ふ
 十七日晴 午後六時四十分馬車に乗じて船形を発し、東京湾沿岸の道路を進み、富浦に於て同村長川名正吉郎氏の案内にて枇杷酒製造株式会社を一覧し、勝山・保田を過ぎ、鋸山を望み、湊町に到りて午食を為し、此地に於て尚馬車一輛を雇ひ、一行之に分乗して総房第一の高山(千五百尺)と称する鹿野山に登り、頂上の薬師如来に詣で、九十九谷の勝景を賞し、夫れより再び馬車を駆りて、午後九時木更津に到り、鳥飼に投宿せらる
 十八日晴 午前八時木更津を発し、途中八幡に於て午食を為し、夫れより千葉町を一見して、午後四時二分同地発汽車に搭じ、五時四十五分両国に帰着、直に飛鳥山邸に帰館せらる


竜門雑誌 第二五三号・第四六頁 明治四二年六月 北条町に於ける講演会(DK290193k-0003)
第29巻 p.592 ページ画像

竜門雑誌  第二五三号・第四六頁 明治四二年六月
○北条町に於ける講演会 青淵先生には、去月十六日東京市養育院船形分院の開院式に列席せられたる序を以て、安房郡長太田資行氏の懇請を容れ、同日午後五時北条中学校に於て開催せられたる講演会に出席の上、一場の経済講話を為さられたり
   ○講演筆記ヲ欠ク。
   ○本費料第二十四巻所収「東京市養育院」明治四十二年五月十六日ノ条参照