デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

8章 住宅
■綱文

第29巻 p.609-613(DK290195k) ページ画像

明治6年7月8日(1873年)

是日栄一、神田小川町裏神保小路ヨリ海運橋兜町二番地ニ移転ス。


■資料

渋沢家文書(DK290195k-0001)
第29巻 p.609 ページ画像

渋沢家文書                (渋沢子爵家所蔵)
六年七月八日 兜町二番地第一銀行構内ナル三井御用所跡借入相成、本日御引移相成候事
○下略


三井文庫所蔵文書(DK290195k-0002)
第29巻 p.609-611 ページ画像

三井文庫所蔵文書
 写
 兜町弐番地
    約定書
                      渋沢
                      三井組
  東京海運橋兜町弐番地之地所家作を三井組より渋沢栄一へ貸渡したるニ付、双方之間ニ於て左之条々を約定せり
    第一条
現今三井組ニ於て所持する第一大区拾五小区海運橋兜町弐番地ニて、別紙絵図面 ○第六一〇頁図版之地所家作を渋沢栄一へ、当明治六年七月より双方此約定之条款ニ異議なき間は、其貸借を承諾すへし
    第二条
渋沢氏ハ地代家賃として別段不払ニ付、明治六年七月より已往此家屋ニ住居中金弐千円を無利足ニて三井組へ預け置、三井組ハ弐千円之金を使用して其金より生する利足を渋沢氏之地代家賃と見倣《(做)》すへし
  但渋沢氏此家屋引払ひ他ニ移住する時は、条中之金額を三井組より返却して約定を解くへし
    第三条
明治六年七月、渋沢氏此家へ移住已後、新ニ建築せし土蔵及玄関脇之小間・庭園・井戸・物置、其外一時模様替之小繕ひニ無之此家屋ニ住居するニ付緊要之なる作事向は、都而渋沢氏ニ於て仕払置、其計算を明了ニして別段ニ記載し置へし
    第四条
此家屋ニ存在したる畳・戸障子、其外之建具類素より有形之儘を以て渋沢氏之を使用し、若し破損不足等あれハ便宜之を補給すへし、尤も右有形之外ニ渋沢氏移住之際、持越したる家具及其後買入れたる等ハ勿論渋沢氏所有ニ付、若し此約定を解き、他江転居之節ハ随意之持除へし
    第五条
 - 第29巻 p.610 -ページ画像 
十九間半 十六間半 十三間 四間 四間半 四間半 九間半 十二坪 壱坪 壱坪 床 押入 押入 七坪五合 四坪五合 五坪 五坪 六坪 押入 壱坪 同 床 五坪 六坪 押入 同 四坪 四坪 同 押入 三坪七合五夕 三坪七合五夕 弐坪 三坪 同 押入 五坪 三坪 同 押入 四坪 四坪 同 四坪五合 押入 六坪 押入 二階坪拾四坪 床 同
(太字ハ朱書)
惣地坪弐百九拾五坪三七五
 内土蔵 十弐坪
 〃建家 八十五坪
 〃二階 十四坪
 〃物置 六坪
○上図中、坪・間数ヲ表ハス文字及ビ点線ハ朱書。
 - 第29巻 p.611 -ページ画像 
渋沢氏住居中ハ雨洩・下水、其外之修繕迄一切同氏ニおゐて之を為すへし、若し又間取不都合之事あれは、其模様替等も随意ニ之を取計ふへし
    第六条
渋沢氏ハ此家屋ニ住居中、第二条之金額を三井組ニ預け置ニ付、区入費其外一切之費用ハ都而関係せす、皆三井組之受持たるへし
    第七条
若し渋沢氏之都合を以て、此家屋を引払ひ他ニ住居せんと欲せは、第三条ニ記せし新築又ハ修繕之入費は、実費遣払之半額を三井組より受取、其新築修繕ハ都而三井組へ引渡すへし、若し又三井組都合を以て渋沢氏へ引払を望まハ、右築修繕入費実額八分通十分之八を渋沢氏へ相渡すへし
  但右新築修繕共更ニ破損して其価を失ふ時ハ、其額内ニ算すへからす
    第八条
前条之都合あれは双方とも必三ケ月前ニ其事を一方へ通達し、共ニ差掛りたる困難無之様取計ふへし
  但渋沢氏都合ニ而他江移住し、続て渋沢氏名義にて他人を此家屋ニ住居さす事あらハ、其時三井組より更ニ条約するとも、此条約ハ渋沢氏ニ限るへし
    第九条
渋沢氏借家中、万一此家屋自他之火災にて焼失する事あれハ、家屋焼失ハ三井組之損失とし、新築修繕之焼失ハ渋沢氏之損失として此約定を解くへし
右之条々を約定せし証として爰に双方之姓名記し且調印いたし候也
               貸主 三井次郎右衛門代理
  明治六年七月五日           三野村利助(印)《(黒印)》
               借主 渋沢栄一代理
                     金子充(印)《(朱印)》
此約定書は弐通ニ製し、本紙を渋沢氏ニ預り、写を三井組ニ預り候事


三井文庫所蔵文書(DK290195k-0003)
第29巻 p.611-612 ページ画像

三井文庫所蔵文書
拝啓然者小生住居之為メ是迄御借用仕候海運橋兜町弐番地家作之義、此度都合ニより無拠立払、深川福住町ヘ転居可致ニ付而ハ、兼而御組と小生との間ニ取結候御約定書第三条之趣旨ニ拠り、小生借用中新築修繕等相加ヘ候場処ハ右立払ニ際し、是迄之実費仕払高ニ照合し、現存候部分ハ其価之半額ハ御組より小生ヘ御渡被下、且敷金として差入置候金弐千円も御戻し被下、家作ハ有姿之儘返上可仕候
右ハ三ケ月前ニ御通知申上候御約定ニ候得共、小生転居之義ハ都合も有之候ニ付、或ハ五月下旬にも可相成歟ニ候間、其辺も御承知被下度候、尤前書敷金御戻し被下修繕費之半額御渡被成家作返却候ハ、其立払之節にて交収し御約定を解き申度存候
此段御通知迄可得御意如此御座候也
  明治九年四月十八日
 - 第29巻 p.612 -ページ画像 
                    渋沢栄一《(朱印)》
   三井組
    三野村利助様

明治六年七月中兜町弐番地ニ造立之家屋渋沢氏ヘ貸置候処、同氏は明治九年七月十七日深川福住町ヘ転住ニ相成、右明家引渡サレ、尤六年七月中貸借ニ付条約書第三条・第七条ニ依リ、住居中於同氏土蔵新築並廊下化粧所建足シ、建具類其外とも営繕総入費五廉ニ書取ヲ以右半価出金之義申来候処、小繕之弐廉は皆引抜模様替、新建築費用之内も下ケ札之分は相除、左ニ計算相立、渋沢氏ヘ掛合ニ及置候処、承諾之廻答有之ニ付割合之半価相渡、証書取置申度、此段相伺候也
  九年七月二十五日
一金弐千八百九円九拾銭弐厘五毛 五廉 営繕入費高 渋沢氏より申出高
   内引抜《(太字ハ朱書)》
  一金百三拾壱円七拾九銭壱リ      模様換之部ノ内 小繕ひニ当可申分 下ケ札
  一金百拾八円五拾銭          庭園模様替之部 云々付同断
  一金百拾八円七拾銭三リ        修繕之部 同断丸除
  一金百六拾壱円七拾四銭壱リ九毛    小繕之部 丸除
   〆
 右四廉引去
  金弐千弐百七拾九円拾六銭六リ 但シ三百六拾八円余下ケ札減方高
   此半価
  金千百三拾九円五拾八銭三リ 渋沢ヘ可相渡高
    証
一金千百三拾九円五拾八銭三厘
右者第一大区拾五小区兜町弐番地ニ有之御所有之家屋、去ル明治六年七月ヨリ拙者借家居住候処、今般勝手ニ付深川福住町四番地ヘ転住候ニ付、前書兜町明家後引渡申候、尤借家居住中拙者方ニ而建築セシ土蔵及建足し都而模様替等之入費トシテ前書之金額御渡被成正請取申候然ル上者右家屋ニ付向後異論決而無之候、為後証仍如件
               第六大区壱小区
                深川福住町四番地
  明治九年七月廿六日          渋沢栄一(印)《(黒印)》
   三井銀行
    三野村利助殿
   ○神田小川町裏神保小路邸ニ就イテハ、本資料第三巻所収明治四年十二月ノ条参照。
   ○栄一ガ此ノ家ニ居住シタルハ「東京第一国立銀行と渋沢栄一との契約書」ニ依ルモノカ。即チソノ第九条ニハ「渋沢氏ハ右職務勤仕中、銀行最寄リニ来住シ、銀行ヲ以テ我居宅ト心得、銀行事務取扱時限外ノ事マテモ其取締向万端ノ事ニ配慮スヘシ」トアリ。(本資料第四巻所収「第一国立銀行」明治六年六月十一日ノ条参照)


佐々木勇之助氏ヲ囲ム座談会 第二回・第一四―一五頁(DK290195k-0004)
第29巻 p.612-613 ページ画像

佐々木勇之助氏ヲ囲ム座談会  第二回・第一四―一五頁
                   (株式会社第一銀行所蔵)
 - 第29巻 p.613 -ページ画像 
  佐々木勇之助氏を囲む座談会(第二回)速記録
      出席者
         佐々木勇之助氏     土屋喬雄
         石井健吾氏       佐治祐吉
         明石照男氏       太田慶一
         渋沢敬三氏       山本鉞治
         大沢佳郎氏       市川弘勝
         野口弘毅氏
         佐々木修二郎氏  昭和十一年七月二日
         永井啓氏       於第一銀行会議室
○上略
佐々木氏 ○中略 恰度兜町の、何ですね、今言ひましたらば、株式取引所の今の仮普請の先の所辺りですよ。二階建の家がありました。何でも其家に暫く御住ひになつて……
石井氏 川縁ですか。
佐々木氏 いや川縁ぢやありませぬ。あれは何でも三井の何の為に拵へたのですか、三井で以て拵へた、それは何ですよ。二階家でしてね、さうしてちよつとした、可なりの何でして、お子さん方が、今の篤二さんとかそれから阪谷の奥さんなどは其処から出て来て銀行の脇の横町を通つていらつしやつた。阪谷の奥さんなどは踊りの稽古にいらつしやるのに通られる。篤二さんなどは乳母が附いて通つたりなんかされたと云ふことはあるのですけれども、どうも銀行に御泊り込みと云ふことは私記憶にありませぬな。どうもさう云ふことはなかつたやうに思ふのです。
渋沢子 深川の家の出来る前ですか。
石井氏 さうです。
○下略
   ○右文中「銀行御泊り込み」云々トアルハ、質問中ニ栄一ガ銀行集会所会長辞任ノ際ノ演説中「……当時私は大抵銀行に泊り込みで仕事をして居り」トアルニ就イテノ回答ナリ。
   ○末行渋沢子ノ問ヒニ「さうです」ト返答セルヲ石井氏トナスハ初メニ「川縁ですか」ト佐々木氏ニ質問セルニ照合スレバ、佐々木氏ノ誤リカト疑ハル。訂正セズ。尚「川縁」ハ後ニベニス風ノ洋館ノ建チシ地ヲ意味ス。