デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
1節 東京市養育院其他
1款 東京市養育院
■綱文

第30巻 p.234-235(DK300021k) ページ画像

大正13年4月18日(1924年)

是日栄一、当院巣鴨分院児童ヲ飛鳥山邸ニ招ジ、
 - 第30巻 p.235 -ページ画像 
慰安園遊会ヲ催シ、一場ノ挨拶ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第四二九号・第七三頁 大正一三年六月 ○東京市養育院児童慰安会(DK300021k-0001)
第30巻 p.235 ページ画像

竜門雑誌  第四二九号・第七三頁 大正一三年六月
○東京市養育院児童慰安会 東京市養育院長たる青淵先生は、院収容の児童慰安の為め、四月十八日午前十時より、飛鳥山の邸に於て園遊会を催されたり。此日招かれたるは、巣鴨分院収容の三百四十余名なるが、一同到着するや、先生は例によりて、温情溢るゝばかりなる一場の挨拶を述べられたる後、庭園を開放して自由に嬉遊せしめらる。園内には団子・甘酒・桜餅などの摸擬店あり、菓子あり、折詰の鮓あり、児童はこれらの珍味に舌鼓を鳴らしつゝ、余興の奇術に見入りて春の晷の傾くを知らざりしが、午後四時頃、職員・保姆に促されて、残り惜しげに帰途に就きたり。


(増田明六) 日誌 大正一三年(DK300021k-0002)
第30巻 p.235 ページ画像

(増田明六) 日誌  大正一三年    (増田正純氏所蔵)
四月十八日 金 曇
午前九時半飛鳥山邸ニ至り、子爵ニ於て与へられし養育院児童慰安園遊会ニ付き、種々の指揮を為す
前十時児童三百余名・付添数十名陸続来会す、七才以上十五才以下何れも憫れむべき弧児又棄児《(孤)》が、無心にして嘗て出会せさる広闊なる景色良き庭園に来りし愉快なる相貊顔《(貌)》ニ表ハれ、其禧々《(嘻)》たるの状実ニ暗涙を催したり、聞けば昨夜ハ、明朝院長の家ニ至るのだとて殆と眠らす、今朝ハ午前三時頃起き出てゝ、少女は髪を結ひ少年は服を改めて出発の時刻を待ちたりとの事、真ニ涙の流るゝを感したり、子爵並田中幹事より一場の談話あり、夫より後庭ニ於ける露店ニ於て、甘酒・団子・桜餅を饗し、又折詰寿司を配布し、午後一時より余興場前ニ於て袋入煎餅及森永製菓会社より寄附したるキヤラメル及□を与へ《(原本欠字)》、次て余興を観覧せしめたるが、孰れも喜色満面、時の移るを知らす、午後二時半再度列を為して帰院したり
○下略