デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
1節 東京市養育院其他
5款 埼玉育児院
■綱文

第30巻 p.379-381(DK300035k) ページ画像

大正7年5月14日(1918年)

是日、松山町城恩寺ニ於テ当院第一回社員総会ヲ催ス。栄一之ニ出席シ一場ノ演説ヲナス。翌八年二月、栄一在京埼玉県人等ト謀リ当院後援会ヲ組織シ、帝国劇場ニ於テ慈善演芸会ヲ催シ純益金二千円余ヲ寄附ス。


■資料

竜門雑誌 第三六一号・第八五頁 大正七年六月 ○埼玉育児院総会(DK300035k-0001)
第30巻 p.379-380 ページ画像

竜門雑誌  第三六一号・第八五頁 大正七年六月
 - 第30巻 p.380 -ページ画像 
○埼玉育児院総会 青淵先生には五月十四日埼玉県比企郡松山町なる埼玉育児院の懇請を容れられ、其総会に臨席の為め当日同地に出張せられ、該総会に於て有益なる一場の演説を試みられたる由なり。
   ○演説速記ヲ欠ク。


埼玉育児院文書 【大正七年五月十四日 第一回社員総会開催】(DK300035k-0002)
第30巻 p.380 ページ画像

埼玉育児院文書            (社団法人埼玉育児院所蔵)
大正七年五月十四日
    第一回社員総会開催
午前十時名誉顧問渋沢男爵来院、院児及ヒ関係者一同ニ会シ、懇篤ナル慰撫ノ辞ト訓戒トヲ与ヘラレタリ、午後一時名誉顧問岡田本県知事代理成毛内務部長・伊藤地方課長臨場、総会ヲ開会、事業及会計報告ノ後、渋沢男爵ノ講演アリ、終テ成毛内務部長ノ訓示的講演アリ、午後三時三十分総会終了、参会シタル会員三百名ニシテ盛会ナリキ


社会と救済 第二巻第三号・第二二五頁 大正七年六月 埼玉育児院第一回社員総会(DK300035k-0003)
第30巻 p.380 ページ画像

社会と救済  第二巻第三号・第二二五頁 大正七年六月
    ▽埼玉育児院第一回社員総会
 埼玉県比企郡松山町埼玉育児院は、大正元年創立以来種々なる障害の為め、経営頗る困艱を極め、一時其の存続すら危惧せられたりしも当事者の誠心誠意の努力は遂に地方人士を動かし、昨年末県内名望家発智左平翁《(発智庄平翁)》の主唱により、渋沢男爵の後援の下に、地方有力者設立発起人として社団法人組織の手続中なりしが、去る二月二十三日は内務大臣より許可の指令あり、五月十四日午後一時より同町城恩寺に於て名誉顧問渋沢男爵・知事代理成毛内務部長・豊田地方課長臨席の下に第一回社員総会を開催せり。
 当日定刻先づ院児の君ケ代合唱あり、次で発智院長の勅語捧読、岩淵副院長の式辞朗読あり、後来賓の祝辞、院児の挨拶、発智院長の答辞、馬場庶務主任の事業報告、金井塚会計主任の会計報告・同院の維持拡張に関する議事ありて閉会せり。
 尚ほ当日渋沢男爵は午前十時来着、武田比企郡長・小林県会議員・石川松山町長・小島埼玉育児院父、其他重立者出迎の人々と共に、吉見百穴巌窟ホテル・箭弓神社等を歴訪し、十一時同院着、中食後会場城恩寺に於て「救済事業の意義」と題する約一時間半に亘る有益なる講演の後、松山町有志の主催に係る歓迎会に臨席、席上熱誠なる歓迎を謝すると同時に、懇々同院事業翼賛の事を依頼せられ、会衆歓呼の中に帰京せられたり。(埼玉育児院所報)


埼玉育児院報 二・大正七年度報 刊(DK300035k-0004)
第30巻 p.380-381 ページ画像

埼玉育児院報  二・大正七年度報 刊
大正七年度重要事項
五月十四日
○上略 事業及会計報告ノ後、渋沢男爵ノ講演アリ、微ヨリ細ニ入リ、備サニ救済事業ノ真精神ヲ説示セラレ、会衆殆ント酔ヘルカ如シ
○中略
同月 ○大正八年二月下旬、渋沢男爵其他在京県人諸氏ノ本院後援会ヲ組織シ帝国劇場ニ於テ一週間慈善演芸会開催セラレ、純益弐千有余円ヲ得テ
 - 第30巻 p.381 -ページ画像 
本院ニ寄贈セラル


渋沢栄一 日記 大正八年(DK300035k-0005)
第30巻 p.381 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正八年      (渋沢子爵家所蔵)
一月二十四日 曇 寒
○上略 発智庄平氏ノ来訪ニ接シ、埼玉育児院ノ事ヲ談ス ○下略
   ○中略。
二月十八日 雨 寒
○上略 埼玉育児院ノ事ニ付、小島乗真氏来ル ○下略