デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
1節 東京市養育院其他
10款 其他 4. 上毛孤児院主金子尚雄表彰祝賀会
■綱文

第30巻 p.409-413(DK300044k) ページ画像

大正7年3月10日(1918年)

是日栄一、前橋ニ赴キ、上毛孤児院主事金子尚雄表彰祝賀会ニ出席シ、講演ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正七年(DK300044k-0001)
第30巻 p.409 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正七年     (渋沢子爵家所蔵)
三月十日 雨
午前七時半起床、入浴朝飧例ノ如クシテ、午前八時四十分王子発ノ汽車ニテ前橋ニ赴ク、高橋駒次郎・金井滋直二氏同行ス、蓋シ地方有志者ノ企望ニ応シテ、同地ニ開催スル上毛孤児院ノ祝賀会ニ出席シテ、慈善ニ関スル講演ヲ為スタメナリ、十二時過前橋市着、停車場ニハ多数ノ人士来リ迎フ、同市内ノ料理店嬉野ト云フ家ニ抵リ午飧ノ饗宴アリ、同地商業会議所ノ主催ニ係ル、畢リテ公園ニ抵リ、公会堂ニ抵リテ一場ノ講演ヲ為ス、来会者数百名、何レモ地方ノ有志者ナリト云フ畢テ上毛孤児院ヲ一覧シ、院主金子氏ニ会話ス、午後四時半頃前橋発夜九時頃帰宅 ○下略
   ○中略。
三月十四日 晴 日ヲ追フテ寒威ノ減スルヲ覚フ
○上略 上毛孤児院主金子氏ノ来訪ニ接シ、去ル十日前橋ニ赴キ祝賀会ニ臨席シタルニ付テ特ニ感謝ノ意ヲ述ヘラル ○下略


竜門雑誌 第三六三号・第二二―二六頁 大正七年八月 ○慈善事業に就て(青淵先生)(DK300044k-0002)
第30巻 p.409-412 ページ画像

竜門雑誌  第三六三号・第二二―二六頁 大正七年八月
    ○慈善事業に就て (青淵先生)
 本篇は本年三月中旬青淵先生が上州前橋市貴賓館に於て講演せられたるものにて、同地新聞に掲載せるものなりとす(編者識)
 知事閣下並に満場の諸君、今日は上毛孤児院主事金子氏が内務省から表彰されたに就いて、其同志及び後援者主催の下に表彰祝賀会を開
 - 第30巻 p.410 -ページ画像 
催せらるゝにつき、御招待を受けて推参致した次第であります。
 御承知の如く両三年前から東京に中央慈善協会と云ふものが設立されてあります、之れは全国の慈善事業団体と聯絡を取り、内務省の役人などとも種々協議を遂ぐる機関であつて、半官半民の団体であります、此の会頭に推選された関係、また一方には東京養育院の方は明治五年の創立であるが、七年から関係を有ち四拾余年間遣つて居る処から、秩序ある学問上よりは至つて浅学の方であるが、実際の経験上に就ては多少とも諸君の御参考になることもあらば光栄と存じます。
 此方へ参りまする汽車中、金子氏が此度お頒ちに相成つた『回顧二拾五年』と云ふ印刷物を瞥見致しました、其中に氏が此の慈善事業を遣つて見やうと云ふ覚悟を持たのは二十五の歳であつたと云ふこと、而して其事を兄に相談すると忽ち反対に逢ひ『乞食の親方にならなくも何か遣ることがありそうなものだ』と言はれ、母に諮れば是亦大反対であつて、家庭に於ては迚も此の問題が無事に通過しそうにも無つた、併し一旦決心した以上は、多少困難の事情が伏在して居るにもせよ、之を排して素志を貫徹すると云ふ覚悟を以て、断乎として決行することゝ成つた。
 氏の決心が確いので母なども折れて、其処は母の慈愛で若干の旅費を貰つて、先づ第一に岡山孤児院へ行て、院長の石井十次氏に相談した、処が石井氏の言ふには苟も慈善事業に関係し様と云ふ者は独身では行ない、先づ妻君を迎へてからやるべしと言はれ、忽ち玆に一の困難を生じたが(中略)先の妻君を迎へたが肺結核の為め遂に斃れ、又今の妻君を迎ふるなど、其の間一身上に就ても種々の困難があつたにも拘らず、万難を排し、百折不撓、千蹉不屈、遂に今日内務省から表彰さるゝに至る効果を収め得たのであるが、其出発点は誠に能く私の若い時と同じやうであると感じた。
 私の若い時国を出たのは、当時喧しかつた鎖港攘夷の説に左袒致し什麼しても之を遣らなければ国家の存立を危くすると云ふ考からであつて、勿論金子氏のソレとは違ふが、恰も私が廿四歳の時であつて、従来外国の遣方を見ると仏法に鉄砲……仏法では無いがツマリ宗教を以て人心を引寄せ、其次は鉄砲を以て他国を侵略すると云ふ遣方で、近く支那には阿片事件で香港を占領した実例もあり、其他にも幾多の例証があつて、侵略主義――禍心を包蔵して居ることは推測に余りある次第である、特に当時幕府の腑甲斐なき有様を見ては、愛国の至情の迸出する処、黙して坐視するに忍びず、遂に親族や故旧の諫止や忠告にも耳を仮さず、故郷を出奔したのである、今日から顧みれば敢て侵略主義と云ふ許りでも無く、当時我れ我れの懐いて居た私《(考カ)》にも多少見込み違のこともあつたのであるが、数十年後の今日――世界戦乱の実況に鑑みて全然誤つて居た観察でも無いやうに思はれる、併し其常時に於ては一農家に生れた私共が、所謂浪人となつて国事に奔走するに就ては、志士とか識者とか云ふ側では歓迎して呉れるものもあつたが、親戚や郷党に於ては、殆んど誰も歯して呉れるものは無いやうな有様であつた、即ち金子君が母上や兄に反対されたにも拘はらず、敢然として其所信を決行したと云ふ意気は実に立派なものである、此意
 - 第30巻 p.411 -ページ画像 
気があつたればこそ今日の成功を収め得たのであつて、苟も一事業を為さんとする者は此意気が無くては叶はぬ、古人も陽気発する処金石亦透る、精神一到何事か成らざらんと言はれた……之は慥か朱子の語であると思ひますが、何人も此英気を欠てはならぬ事である。
 其目的は違つて居るが、志を立てゝ事を為さんとする出発点は金子氏も私も同様の事情であつた、併し今日から顧みれば、其当時私共の想像したことにも多少の誤解も無いとは言へない、ケレども近く数年間に亘る今般の欧洲大戦乱の結果から見ても、満更私共当時の考へが違つてばかり居たとも思へないのである、即ち露西亜は御承知の如く分裂して悪魔の手はシベリヤから北の方に廻り、御互に覚悟をしなければならぬ場合に遭遇して居る、戦争によつて糸値が高い、生産費も高い、成金が出来たと高を括つて手を束ねて居る今日ではない、諸君の前に騒々しい事を云ふやうに聞こえるが、両三年前から俗に云ふトントン拍子に金廻りがよくなり、之に眩惑されて人々が華美に陥いり驕奢に流れ、いろいろの罪悪を伏蔵して居るが、現在は斯う云ふ時でなくつて、大なる且強き或責任を全般に負はなければならない時である、即ち六十年前に外国は甚しく侵略すると私達が憂ひたのが、幸に間違ひでなく其事が折に触れて発現されて、前述の如く私共の眼前に展開されたのであるから、諸君に一言苦言を呈して本論に入る事にする。
 抑も慈善と云ふ事は何れの時代にも存在する事であつて、凡ての宗教・学問、苟くも慈善に関する美事は千古を徹したものである、儒教では仁、仏教では慈悲、基督教では愛と唱へる、是は只従来の日本風の慈善、即ち衷情から発する行動として美事には相違ないが、或所作によつては慈悲が慈悲、美事が美事に収まらない事がある。例せば老婆が可愛き孫に飴を与ふる事は、愛情の発露にして決して悪きことでは無いが、其与へ方によりては孫の胃を害し健康を損ずる事あると同様である、然るに前述の弊害なく完全なる慈善事業の存在を認められつゝあるは、欧米に於て英吉利・丁抹の二ケ国なりと伝へられる、露国も一時完備せりと称せられしも、調査の結果大弊害ある事を発見された、元は露国の孤児院は皇后の御下賜金により経営されつゝありとは云へ、私生児を公然の秘密として棄児とし、其捨児を直に拾ひ上げて孤児院に於て育成しつゝありと伝へられ、裏面には種々の弊害が多いやうである……近来露国分裂の事と思ひ合はして其間の消息も略々察見せらるゝのであります。
 慈善も時に弊害に陥ると云ふに就て、近く東京の一例を示せは、彼の慈善病院へ窮民ならざるものが他より汚れし衣類の借衣をして貧民を装ひ、無料診察を受けに来るものあるが如き例もある、故に慈善事業を経営せんとするには、最も適度と云ふことに重きを置かねばならぬ、左り乍ら又適度に而已意を用ふる時は其活動に渋滞を来すの虞あり、是れ慈善事業に関し深く研究を要し考慮を要する所であります。而て国の目的は、大体に於て富の程度を増すにあるは論を俟たざる所であるが、富の程度の進むに従ひ、貧民の数の増加するは是亦数の知れざる所である、是に於てか吾々は都鄙を論ぜず、道に餓莩の横はる
 - 第30巻 p.412 -ページ画像 
が如き事無からしむるに努力しなければなりません、是れ救済事業の起る所以であらうと存じます、苟くも国家の文明を云為し、忠良なる臣民として此世に処して居る以上は、此慈善事業に対し相当の設備をなし、周到なる組織によりて事業の完全を期することは、殆んど人類としての義務と申しても可らうと思ひます、因て私は是より自己が関係して居る東京養育院の近況を述べて、聊か御参考に供しやうと思ひます。
 養育院で収容して居る人員は合計二千五百五拾五人にして、之を分類すれば貧にして病人、病気に非ざるも自活し能はざる者、小児に於ては棄児・幼児孤児・白痴・不良少年等であつて、其収容所は府下井の頭・大塚町・巣鴨町・房州船形等なるが、其内大塚町は地代高価となるに加へて交通頻繁、収容所に適せざるを以て大正九年までに板橋へ移転するの計画を樹て、目下着々進捗しつゝあるのであります、前述総人員中目下教養しつゝある者、之より教養せんとする者、即ち幼年者は合せて約八百人、里児に預けある者三百人、是等は何れも本院経費の関係上、小学校教育以上を授くる事能はず、是等児童が成長して社会に乗り出せし暁に於て、現在の如き生存競争激烈なる内に処して克く独立し自活し得らるゝや否やに付、私共の深く憂ひつゝあるは此一事であります、養育院に於ては先頃来東京市を始め、其他に於て有志者より寄附金の募集中でありますが、幸ひに此募集にして予期に反せざらんには、板橋町への移転料を差引き、尚ほ且つ数万円の剰余ある筈なれば、之を以て将来見込みある者に対しては農商工其他適当なる小学以上の教育を授け、以て独立し得る基礎としたき希望であります、彼の米国費府に所在の孤児院は、殆んど一個人の寄附で一千万弗ある為め、其利子を以て孤児は農商工等皆大学程度の教育を受け居らざる者なしと云ふ有様、彼此相対照して遺憾の感がある。
 之を要するに慈善救済事業は、秩序を整へ適度に地方地方の救済方法を完全にすれば、無用の民は減じて良民のみとなり、真に鼓腹撃壌の楽みを見る事を得るのであらうと思ひます云々。



〔参考〕全国社会事業名簿[全国社会事業名鑑] 昭和二年版 中央社会事業協会編 第五〇四頁 昭和二年一〇月刊(DK300044k-0003)
第30巻 p.412-413 ページ画像

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