デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
2節 中央社会事業協会其他
1款 中央慈善協会
■綱文

第30巻 p.479-489(DK300052k) ページ画像

大正3年12月22日(1914年)

是ヨリ先十一月下旬、栄一府下東村山村全生病院ヲ視察ス。是日、当協会ハ全生病院長光田健輔其他ヲ帝国ホテルニ招待シ、癩病予防講話会ヲ開ク。栄一之ニ出席シ一場ノ挨拶ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第三二二号・第七五―八四頁 大正四年三月 ○癩病予防に関する相談会(DK300052k-0001)
第30巻 p.479-488 ページ画像

竜門雑誌  第三二二号・第七五―八四頁 大正四年三月
    ○癩病予防に関する相談会
中央慈善協会々長たる青淵先生は、昨年十二月二十二日午後五時全生病院長光田健輔氏其他を帝国ホテルに招待し、癩病予防講話会を開催せられたり、其顛末及光田医長其他諸氏の講話を続載して参考に資すと云
    青淵先生の案内状
 前略、然ば本邦癩患者救療の儀に付ては、曩に大方諸彦の注意する処と相成、数年前其筋へ建議の末、全国に五箇所の癩病院設置せられ、随時収容致居候得共、未だ以て満足と申し難く、東京市内に於てすら往々路傍に同患者を目撃するは、御同様憂慮に堪へざる次第に御座候、現に府下北多摩郡東村山村に設けられたる全生病院は、東京府及十一県之聯合にて創設いたし候ものにて、目下癩病者三百五十余人を収容し、其院長医学士光田健輔氏は先年東京市養育院に勤務せし縁故より、老生とは別て懇親に致居候に付、客月下旬全生病院へ罷越し、同氏の案内によりて院内を熟覧致候処、多数癩病者之惨状実に酸鼻の至に御座候、就て病院之現状承及候処、去る明治四十二年設立以後常に経費不充分にして、救療も行届兼、治術の改良等も意の如くならず、殊に恐るべき伝染性の病理研究さへ充分に為す能はざる趣、懇々申聞けられ真に同情の至りに有之候、其上光田氏は十数年来癩病研鑽に尽瘁致、同院奉職後も献身的に勉励致居候儀に付、此際当中央慈善協会に於て特に同氏を招待して一場の講話を請ひ候筈に御座候間、歳晩御繁忙の際御迷惑とは察上候得共、来二十二日午後五時帝国ホテルへ御光臨被下度候、此段御案内申上候                    敬具
  大正三年十二月十七日
                  中央慈善会々長
                      渋沢栄一
当夜の来会者は主催者青淵先生を始めとし、主賓光田健輔氏、及男爵高木兼寛・青山胤通・大谷靖・久米金弥・井上友一・窪田静太郎・清野長太郎・久保田政周・中川望・桑田熊蔵・早川千吉郎・山中隣之助佐竹作太郎・堀田貢・潮恵之助・本多恵孝・留岡幸助・安達憲忠・原
 - 第30巻 p.480 -ページ画像 
胤昭・生江孝之諸氏にして、青淵先生の簡単なる挨拶ありて後、全生病院長光田健輔氏の癩病予防に関する講演あり、右終りて別室に於て晩餐の饗応あり、食後更に同問題に関し来会諸氏の間に談話の交換ありて散会したるは午後十時過なりき、光田氏の講演は即ち左の如し
      癩病の予防に就て
 先日渋沢男爵が態々全生病院にお出で下さいまして、親しく癩患者の状態を視察に成りて深く御同情を下されましたが、其節此処に収容せられたる患者より尚ほ一層悲惨なる境遇にある患者が二十倍もあること、此患者自身の病苦に悩んで居る外に、家族が伝染の危険に瀕して居る事等を御話申上げましたときに、閣下は如何にしたらば患者の幸福となり、伝染の危険を防ぐ事が出来るか、又如何にしたならは此疾病が全快するやうになるだらうか、其の研究は遺憾なく進行して居るかと懇ろにお尋ね下さいました、其後御手紙を下さいまして、近日中央慈善協会が癩病予防相談会を催すから、其の席上に於て癩病に関する話をせよとのことでありました、私は身に余る光栄と存じまして今夕参つた次第であります、私の話しますことは極く卑近な事柄で御座いまして、或はお聴き苦しいかも分りませぬが暫くお聴きを願います。
 ○癩病は遺伝病なりや、将た伝染病なりや 世界の癩病を研究して居る大家が、前後三回癩病会議を開き、癩病は千八百七十三年那威のハンゼン氏が発見し、其後ナイセル氏が此れを保証したる癩菌によりて起る伝染病であることに一致して、殆んど疑ふものは無いのであります、只だ一人ザンパッコパシヤなる人が遺伝説を主張して居るのみであります、此れは同一の家族が最も数々侵されるからであります、此の家族が長年月の間一地方に限局して、綿々として癩患者を出だすからであります、本邦に於きましても、癩病血統の説は俗間に行はるゝのみならず、有名なる医家も特種の素因を有する癩病系の存在を信ずる者があります、此等の人々は今迄絶えて癩病を出した事なき家族中に一人の癩患者が発生すると、此れを未来永劫癩病系に葬り去り、結婚は勿論交際でもしない様になります、さうして自然に癩病村が出来て此村中でやり取りをして、此村には数人乃至十人の癩患者を発生し居るのであります、伝染説を主張する多数の学者は此状態を家族伝染と唱へて居ります、此れは何れの伝染病でも最も密接する人々に先づ感染するものであつて、必ず血統を引いた者と限らない、看護婦でも医者でも選ばないのであります若し玆に数百年来癩家族、若くは癩村と唱へられ、現に同患者の数人乃至数十人を有する処でありましても、其患者を取り去り病芽の根本を除去しますれば、将来癩の発生を防ぐことが出来ますのは火を賭るより明かな事実であります、然るに古来此理の明かでない所よりして、所謂純正の遺伝に等しき者と誤認せられて、一端癩病になつて汚れた血筋は決して清潔になり難い、丁度頭髪の黒いこと、或は赤いこと、色の黒いこと、鼻の形ち、左り利き、等の如く、純正の遺伝は其卵細胞及精虫に固着して居て、未来永劫子孫に遺伝する形質の遺伝と同一視せられ居るのは甚しき誤解である、癩菌の身
 - 第30巻 p.481 -ページ画像 
体に寄生するのは丁度栗の実に虫の着いたと同じ事で、貯蔵法の如何によりては虫を予防することが出来、決して本来栗の実の大小其味の如き形質に固着して虫が産れ出るもので無く、虫は全く外物で無関係のものであります、近来本邦で重症の癩患者の血液中に癩菌が浮游して居ることが発表になり、次で大阪療養所の菅井医学博士は、癩患者が産みたる初生児の胎盤中及初生児の血液中に癩菌を発見したのであります、斯の如き小児が成長の後菌を発することがありましよう、斯の如き場合でも、純正の遺伝では無くして母体血液中の癩菌が子宮より胎盤を通過し、胎児に移行し胎内にて癩菌を受けたる者であるか、或は又母体が癩病でないとすれば、受胎中男菌《(マヽ)》の精液中に稀に存生するが、癩羊膜を透して達したものである、而して此癩菌が将来其児童の成長と共に繁殖するかも知れない、又全く消滅に帰するかも知れない、併し私の見て居る癩婦の女児が二十四・五歳になるが、未だ癩の徴候がない、癩の子は必ず癩になるとは限らないのであります。
 以上私は、癩は伝染病であつて、決して純正なる遺伝と目すべきものでないことを申述べ、数百年来癩病系として卑められた人の為めに寃を雪がんと致す者でございます、而して明治三十三年窪田衛生局長の時代に癩病患者の調査がありました当時、全国の癩患者総数三万三百五十九人でありまして、癩病血統戸数が十九万九千七十五戸、此に属する家族人口は九十九万九千三百人あると云ふ事であります、此時此統計に関与せられた人の話を聞きますに、癩病の実数を調査するに、其周囲の関係を調査すれば比較的正確なる数が得られると云ふ考へからして、血統調査に従事せしめられたので、血統は癩患者の所属する家族に止まつた所もあり、或は其傍系に迄及ぼした所もあり、頗る茫漠たる調査であつたとの事でありますが、兎に角此の調査が一世を震駭せしめ、明治三十五年斎藤寿雄氏が議会に建議案を提出せられた次第であります、又ヱーレル氏の世界に於ける癩病の分布なる論文中に『日本の患者の数は今後増加すべきも内務省の統計は毫も確実なる事実を示さず、唯だ遠からずして九十九万九千三百人の日本人は多少癩病患者の相貌を現はさんと言ふに過ぎざるなり』と云ふてあります、されば此の調査の要旨は、我々日本人には血統調査として深刻に響きましたが、西洋人には何の事とも了解が出来ずして、政府が人道に反し家族を危険の位置に措くものと考へられた『方今に至る迄、帝国政府は仁政の誉高きにも拘はらず、癩病に罹りたる貧困なる患者の安寧を計る為め毫も慈善的処置を施こすことなく、彼等は屡々之を嫌悪する人民より排斥せられ、又政府は此れを病院に収容せざるを以て、悲惨なる生活を営み終に貧困に迫り餓死する者決して尠なからざるなり、横浜・神戸及長崎の欧人の団体新教派の伝導師の恩沢に依り、患者は漸く温かなる待遇を受け、極言せば癩病人の悲惨なる状態を注目するは独り西欧人にして、日本国にある患者に対し憐愍の情を懐ふは西欧人なりと云ふも、敢て不可なかるべし』云々と書いて居ります。
 今日癩療養所が出来て、ヱ氏が云ふが如き癩患者の悲惨なる生活は
 - 第30巻 p.482 -ページ画像 
多少改善せられて居りますが、其大部分は家族内に潜匿して家族内伝染の危険を醸成し居る者で御座います、我々は此の不幸なる患者を指導して安全なる地に救ひ出し、数十年の後には日本国に於いて全く癩病の跡を絶たねばならぬ責任を有するものであります。
 ○医学上より見たる癩病 明治四十年三月発布に相成りました癩予防規則によりますると、癩病患者を診断致しましたる医師は、患者及び其の家人に対して消毒其他の予防方法を教へ、且三日以内に行政官庁に届出づべき義務を負ふて居ります、此れが世界各国の癩病予防規則に載て居るのでありますが、恐らく本邦に於けるが如く患者及医師の苦痛を感ずる処は尠いであらう、前に申述べた如く、癩病患者自身は死刑の宣告を受けたと同様に感ずるの外、家族も悉く癩系統なる汚名の下に婚約破談離縁と云ふことが続出するのでありますから、随分醜悪なる顔貌を呈する迄他の病名の下に治療して居ります、患者が自ら覚えた場合には家族内に潜伏し、誠に窮屈なる生活を送るのであります、有福なる患者は都会に出て皮膚科の医師を尋ねますが、医者も癩病は好みません、若し癩病なることが他の患者に知れると、遂に門前雀羅を張るに至るので、実に割りの悪い患者であります。
 併し医学上には興味は絶大のものでありまして、支那の医書には癘と書てありますが、実に一病にして万種の疾を具ふるものであります、就中癩菌は結核菌よりは八年以前に発見せられたものであるが此れが培養は世界の癩病存生地で種々研究せられて居るが、信を措くに足るものが無い、又癩病血清は梅毒の血清と同じき反応を現はし、尚ほ頗る不明の点が多い、皮膚病上よりするも、各種の発疹は其拠て来る各種の意味を有するものであり、眼科よりするも眼科医が一生研究すべき題目であり、神経科よりするも世界無比の獲物であり、耳鼻科・外科・内科孰れよりも実に興味ある病理学上の事実を語るものである、畢竟するに細菌と身体と争闘の限度、妥協の限度を知るには、癩を措て他に好個の材料が無いと云ふてもよいので本邦医学が将来此領域より世界に向て貢献すべき好題目であるのであります、米国政府は其領地布哇「ロモカイ」島の癩殖民地に於て「フイリツピン」群島の癩病離隔地なる「キユリオン」島に於て、大なる研究所を設立したりと云ふ、誠にさもあるべきことであります、本邦に於ても研究室及研究設備も皆無にはあらず、学者としては高価なる器械必ず役に立つものにあらざるも、癩病治療は未だ充分の域に達せず、現今益々旺盛ならんとする理学的療法を応用し、治療の一生面を開き、根治せざる迄も患者に日々の希望を生ぜしむるは、癩病治療家として当然の責任であります、今日の処では宗教家の建てた病院と何等の選ぶ所はないので、此等の設備の世界的潮流に併行して参るやうに御同情を願ひたいのであります。
 而して今日は如何なる治療を施して居るかと云ふに、日本で三百年間経験を有する大風子と申す油を、皮下若くは筋肉内に注射し創傷には繃帯を施して置くのであります、然るに全生病院開院当時には三百人中二百人は潰瘍が出来頗る重態でありましたが、今日は三百
 - 第30巻 p.483 -ページ画像 
五十人中百人位が重態であり、残る二百五十人は何か仕事でもしたいと云ふて無聊に苦んで居るものであります、併し此れが根治療法は絶望ではないが容易の業でない、彼の慢性の結核菌を御覧なさい結核菌の人工培養が出来て已に三十三年になり、其生物学的の知識は進歩して居る事は癩病の比でない、種々特種血清が製造せられ、化学療法が発見せられて居るに拘はらず、未だ根治療法は前途遼遠なりとは云はざる可からず、今日に於ては臨床細菌学者も等しく結核離隔療養所の必要を唱へて居ります、此れ一は患者の療養の目的でありますが、其主眼とする所は離隔によりて他の伝染病に於けるが如く病毒の散漫を防ぐ、是は確かに予防上に於て非常に効果がある、それで独逸では盛に公立私立の療養所が出来てゝ二百以上もあり、独逸全国重症患者の半数約十万の患者を容るゝ可き設備があると申すことであります、本邦でも近年公私結核療養所が続々出来るのであります、之れに拠りて見ますれば、結核の如き肺の一局部を侵す病気でも未だ人工的に治療せしむることが容易でない、況んや此れよりも慢性なる癩病に至りては、全軍各処の貴要の臓器の細胞と、癩菌とが妥協を遂げては、共同生存を営んで居るのであるから癩菌を殺せば細胞の生命をも害さねばならぬ、中々面倒なることで研究に研究を重ねて、多年の後ち霊薬の発見を待たねばならぬのである、其間一刻も猶予すべきでないことは、他の伝染病の如く病毒の散漫を防ぐが為めに離隔をせねばならぬ、蓋し癩病離隔の事は数千年来人類疾病の歴史に於て大書せられある項目でありますから、玆に簡単に御話致します。
 ○歴史一般 西洋には昔しから有つた旧約新約全書の所々にも書てあつて、其惨憺たる光景は聖者の同情を引いたのでありますが、併し此れが増加して参りましては家庭より追出し、乞丐を致す様に成り其乞丐の群は遂に市外に追出された、独逸語の『アウスザッツ』と云ふ意味は、病人を公衆の内より追出すと云ふことであります、此の乞丐の群を十字軍の前後から市外の病院に置き、二種の衣服及帽子を着せ、四つ竹叩いて賽銭箱に喜捨を受けるのである、又賽銭箱を癩病院の門前に吊して喜捨を受ける、後ちに癩病院が金持ちになり、堂々たる建築を構へ、乞丐をせないでも立派に公費で救助せられたとのことであります、此れ等の癩病院は一村一市の公立や、或は騎士の団体や、或は僧侶の団体で、貴族は常に此れが保護者でありました。
 仏王ルイ九世も癩病患者の同情者であらせられ、手づから治療されたり給仕されたりしたと云ふことであります、当時仏国のみにても二千の癩病院があり、欧洲の『クリスト』教国には千二百四十四年頃には一万九千の癩病院があり、熱心に離隔された結果十五世紀頃から英国・仏国・独逸・伊太利より癩病の跡を絶つた、爾来此の癩病離隔法は「ペスト」「チブス」「発疹チブス」に応用し、常に伝染病の予防撲滅に偉功を奏しました、彼の「ラツアレト」軍病院と申す字は、本と癩病院の守護神として祭りありたる聖「ラツアレス」より来りたると云ふことであります。
 - 第30巻 p.484 -ページ画像 
       世界に於ける癩病分布

   国名         年          患者数
 独逸      一九○○乃至一九○八   年々二四乃至三七
 澳洪国           一九○九        一三六
 瑞西            一九○六          六
 仏蘭西巴里              *一六〇乃至*二〇〇
  其他                        七五
 英国倫敦                      *若干
 白爾義                       *若干
 和蘭             十年間        *四〇
 丁抹                          三
 瑞典            一九○七         八九
 那威            一九○七        四三八
 氷洲            一九○七         九八
 魯西亜           一九○八       二二三〇
 ルーマニヤ         一九○八        三三八
 モンテネグロ        一八九七        一〇〇
 セルヴヤ          一八九八          三
 ブルガリヤ         一九○九         一〇
 西班牙           一九○四        五二二
 葡萄牙           一八九七        四六〇
 伊太利             ――         二〇
 ヱルバ島          一九○九         五〇
 シシリー島         一九○四         七七
 マルタ島            ――        一〇〇
 土耳其コンスタンチノーブル 一八九○        六〇〇
 希臘              ――        四〇〇
 クレー島          一九○○        三七八
 欧羅巴は中古離隔の結果其数極めて少数でありまして、英国・仏国伯国・和蘭・独逸にあるものは、概ね殖民地にて感染帰還したるもので*の標を附して置きました。
 土耳古ヱルザレム        ――        八〇〇
 シーベル島         一九○○        一一二
 アラビヤ            ――       四〇〇〇
 ペルシヤ            ――         不明
 英領印度          一九○一     九七、三四〇
 セーロン島         一九○三        五八九
 仏領印度 ボンヂシエリー  一九○四        三〇〇
 マラツカ半島        一九○六        四九六
 仏領印度支那        一九○六
  東京                      三〇〇〇
  安南                      二五〇〇
  交趾支那                    三〇〇〇
  ガンボチヤ                   一五〇〇
 - 第30巻 p.485 -ページ画像 
  ラオー                      五〇〇
 邏羅磐谷          一九○○        七〇〇
 爪哇            一九○二      四、四四三
 ボルネオ及セレベス       ――         少数
 スマトラ          一九○二        五五八
 フイリツヒン群島      一九○九       二二四一
 支那              ――         不明
 即ち亜細亜の如き自然に放任してあつた処は、際限もなく病毒の蔓するは明かな事実である。
 亜弗利加
  アルゼリヤ  自一八九八至一九○九        一〇九
  チユニス           ――        一〇〇
  埃及           一九○三       二二〇四
  独領亜弗利加         ――        二〇〇
  アベシニヤ          ――        二〇〇
  喜望峰殖民地       一九○八       二六六〇
  マタカスカル         ――       八四八〇
  コモール群島       一九○六       一六六〇
 南北亜米利加
  合衆国          一九○九        一四七
  加奈陀            ――         二〇
  キユバ            ――       一五〇〇
  ジヤマイカ          ――        二〇〇
  トリニダツト       一九○二        三〇五
  バナマ          一九○九          七
  コロンビヤ          ――       四三〇四
  蘭領グヤナ          ――       二〇〇〇
  英領グヤナ          ――        五〇〇
  仏領グヤナ          ――         若干
  ブラジル           ――       五〇〇〇
  アルゼンチン         ――        七三〇
 濠洲及ボリネシヤ
  澳太利亜           ――         八八
  サンドウヰチ群島     一九一一        五〇〇
  ニユカレドニヤ        ――        三〇〇
  ロヤルチー群島        ――        三〇〇
 
以上世界の各国に亘て多少あるが、野蛮である国にして衛生の何物たるを解しない国には劇しい勢で拡がり、其伝染の事実を認めて適宜なる所置をやる国には減少する傾向が見える、而して万を以て数へる国は英領印度の九万七千三百四十、日本の二万三千、仏領印度一万五千、蘭領印度一万一千、支那の精細なる調査はないが英領印度の数と伯仲するか其上にあるであらう、然りとするも日本が第三位に位することは動かす可からざる事実であります、左に内務省で明治三十九年調査せられた表を御覧に入ます。
 - 第30巻 p.486 -ページ画像 
      第一表 癩患者概数表  (明治三十九年四月現在調査)

図表を画像で表示第一表 癩患者概数表

 道庁及府県  戸数       人戸         患家戸数  戸数毎    患家戸数   人口毎           患者数          人口毎  男毎百   一定居所なき  同上原籍別                                  千患家戸数         千患家人口                     千患者数  女患者数  患者数                                                        男    女       計 北海道  二一一、六三三   一、一二〇、五八四    四九〇  二・三二   二、五三五  二・二六    二一二   九〇     三〇二  〇・二四  四二・四五     六     五 東京   六〇七、一六五   二、六七一、五四六    一二九  〇・二一     五四四  〇・二〇    一二〇   五〇     一七〇  〇・〇六  四一・六六    一四    一〇 京都   二二〇、三八三     九九二、四一二    一五一  〇・六九     五二四  〇・五三    一三三   五六     一八九  〇・一九  四二・一一     一    一一 大阪   三八五、七九二   一、八六〇、二四五    三六八  〇・九五   一、三二四  〇・七一    二九八  一一二     四一〇  〇・二二  三七・五八    七一    四〇 神奈川  一一二、八八五     六二七、〇五七    一九五  一・七二     七三〇  一・一六    一二八   七七     二〇五  〇・二七  六一・五六    ――     二 兵庫   三三七、七八五   一、五八四、五九九  一、一五〇  三・四〇   一、九七〇  一・二四    五〇六  一三九     六四五  〇・四一  二七・四七    四四    四七 長崎   一七六、一八〇   一、〇三四、一九六    六〇四  三・四三   二、五六〇  二・四七    四五三  一九三     六四六  〇・六二  四二、六〇[四二・六〇]     四    一四 新潟   四七三、二七九   一、六九二、〇五六    五一四  一・〇九   二、八一七  一・六六    三七三  二一八     五九一  〇・三五  五八・四五     五    一〇 埼玉   二〇七、六八四   一、二四六、六〇七    二五七  一・二四   一、四三七  一・一五    一九三   八八     二八一  〇・二三  四五・五〇     九     九 群馬   一四〇、一〇九     九〇一、二六七    四三二  三・〇八   一、九六九  二・一七    三九一  二二二     六一三  〇・六五  五六・七八    七七    一〇 千葉   二二二、二四七   一、三三九、四一八    四二七  一・九二   一、九四三  一・四五    三三四  一五八     四九二  〇・三七  四七・三〇    二六    二一 茨城   二〇三、四四三   一、一九七、六六八    三三五  一・六五   一、七五八  一、四七    二五七  一〇五     三六二  〇・三〇  四〇・八六    六一    一五 栃木    五八、〇一五     八七一、四九二    四三〇  二・七二   二、三八二  二・七三    三一一  一一五     四二六  〇・四九  三六・九八    四二    一九 奈良   一〇三、〇七六     五二三、一八五    三八七  三・七五   一、八五八  三・五五    一九五   九八     二九三  〇・五六  五〇・二五     四    一〇 三重   一九四、四八二     九五五、二二二    四七八  二・四八   二、五五一  二・六七    三六〇  一五六     五一六  〇・五四  四三・三五     八    一九 愛知   三五六、九八六   一、七九四、〇三三    八八三  二・四七   三、五八六  一、九九    六六八  二四五     九一三  〇・五一  三六・六八    二三    三一 静岡   二一九、七八一   一、二八九、三四三    六〇八  二・七六   二、八八四  二・二三    五二八  二二五     七五三  〇・五九  四二・六一    七一    一六 山梨    九九、五四六     五四五、〇七六    二四四  二・四五   一、三二五  二・四七    一九一   六一     二五二  〇・四六  三一・九四    一四    一〇 滋賀   一三一、六二四     七三九、九六八    二八四  二・一六   一、三四二  一・八一    二二三   八三     三〇六  〇・四一  三七・二二    ――     八 岐阜   一九七、一九七     九八三、三四七    五八九  二・九八   三、三七五  一・四三    四九四  一五九     六五三  〇・六六  三二・一九    一五    二三 長野   二五四、六四五   一、三〇一、七六五    三六四  一・四二   一、四八三  一・一三    二六三  一三一     三九四  〇・三〇  四九・八一     七    一六 宮城   一三七、三七三     八二七、一〇〇    四一一  二・九九   二、二一一  二・六七    二九七  一八二     四七九  〇・五七  六一・二八     三     八 福島   一九八、二六五   一、一六九、九三六    四五九  二・三一   二、五六七  二・一九    三四三  一七六     五一九  〇・四四  五一・三一     五    一六  以下p.487 ページ画像  岩手   一一八、六七七     七四四、二四三    五五三  四・六五   二、九二八  三・九三     ――    ――     ――  〇・八五  五二・二八    ――     一 青森    九八、八七七     六五九、五七五    五四三  五・四八   三、〇七〇  四・六五    四四七   一七三    六二〇  〇・九四  三八・六八     一     二 山形   一三七、一九一     八一〇、四一三    三二九  二・三九   一、八五三  二・二八    二四三   一一四    三五七  〇・四四  四六・九一     二     六 秋田   一二八、〇一一     八三八、九五四    三二二  二・五一   一、九三七  二・三〇    二七四   一三〇    四〇四  〇・四八  四七・四五     九     四 福井   一二二、三一七     五八九、二七五    二三三  一・九〇   一、〇一九  一・七二    一七六    七二    二四八  〇・四二  四〇・九一     四     二 石川   一五二、二〇七     七五三、七二八    一六二  一・〇六     七六五  一・〇一    一一七    五六    一七三  〇・二三  四七・八六    ――     九 富山   一四五、四一八     七八一、〇一六    一〇九  〇・七四     五四〇  〇・六九     九一    二七    一一八  〇・一五  二九・六七    ――     六 鳥取    八八、八九二     四二四、六二八    一七〇  一・九一     七二〇  一・六九    一二九    五四    一八三  〇・四三  四一・八六     一    一一 島根   一四七、二六五     七二五、一二五    二七四  一・一八   一、〇五五  一・四五    二四一    九二    三三三  〇・三二  三九・一七    一二     八 岡山   二四六、六九八   一、一二四、六五三    四一二  一・六七   一、四二二  一・二六    三三九   一一〇    四四九  〇・四〇  三二・四五    一六    四四 広島   二九四、六九九   一、四六〇、〇〇〇    三七三  一・二七   一、四六九  一・〇一    三〇三   一〇七    四一〇  〇・三八  三五・三一    八六    二二 山口   二一八、四五七   一、〇三二、三一五    五七五  二・六二   二、五五二  三・四七    四七二   一七一    六四三  〇・六二  三六・二三    四〇    一一 和歌山  一四〇、七一一     六三八、九九三    二三三  一・五六   一、一四四  一・七九    一八六    六八    二五四  〇・四〇  三六・五六     六    三七 徳島   一二五、七七一     七〇六、三六五    四〇六  三・二二   二、〇一四  二・八五    二九八   一二一    四一九  〇・五九  四〇・六〇   一一九    一〇 香川   一二三、四四二     五九六、四八四    三二七  二・四五   一、四七八  二・四八    二七一    七二    三四三  〇・五八  二六・五六    二〇    一三 愛媛   一九四、一八〇   一、〇三二、〇九六    六一九  三・一九   二、三七四  三・三〇    四八九   一八三    六七二  〇・六三  三七・四二    一五    二〇 高知   一二七、六七四     六四八、九〇七    三九三  四・八五   一、四二八  二・二〇    三二〇   一一五    四三五  〇・六七  三五・九四     四    三七 福岡   三〇二、九三一   一、五五三、二五四    七三二  二・四二   三、二九一  二・一二    五七九   二六三    八四二  〇・五四  四五・四二   一〇〇    二二 大分   一四六、五八〇     七四三、六五〇    八五〇  五・七九   三、三五四  四・五一    六五二   二六〇    九一二  〇・二二  三九・八七    一一    一九 佐賀   一一一、一〇二     六二四、〇四九    四九五  四・四六   二、二六二  三・六二    三五五   一九四    五四九  〇・八八  五四・六五    一一    三一 熊本   二一八、九一九   一、一六三、一九九  一、七四三  七・九六   八、八二二  七・五八  一、二五六   六三一  一、八八七  一・六二  五〇・二四   一二八    一九 宮崎   一四四、一五七     五一九、九四七    七三二  七・〇三   三、二〇八  六・一七    五七二   二四一    八一三  一・五六  四二・一三    三一    三七 鹿児島  二二〇、〇二一   一、二二二、五七八  一、四九二  六・七八   五、六二〇  四・五九  一、〇八五   五八六  一、六七一  一・三六  五三・九一    二八    一六 沖縄   一〇〇、五一一     四九八、一一四    六二四  六・二一   二、五八五  五・一八    四四一   二二九    六七〇  一・五四  五一・九二    二八                                                                                             △四二三 合計 九、一六四、二七三  四七、一六一、四〇三 二二、八八七  二・五〇 一〇二、五八五  二・一八 一六、六〇七 七、二〇八 二三、八一五  〇・五〇  四三・四〇 一、一八二 二、一八二 △印を付したるは原籍不明のものとす 



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    第二表 癩患者数の多少を府県別に列挙すれば下の如し
一、〇〇〇以上 熊本・鹿児島
  八〇〇以上 愛知・大分・福岡・宮崎
  六〇〇以上 静岡・沖縄・岐阜・愛媛・兵庫・長崎・山口・岩手青森・群馬
  四〇〇以上 新潟・佐賀・福島・三重・千葉・宮城・岡山・高知徳島・栃木・広島・大阪・秋田
  二〇〇以上 長野・茨城・山形・島根・滋賀・北海道・奈良・埼玉・和歌山・山梨・福井・神奈川
  二〇〇以上 京都・鳥取・石川・東京・富山
   更に人口一〇〇〇に対する患者の比例上、多数なる府県は左の如し
    人口一〇〇〇に対し患者一以上を算するもの
        熊本・宮城・沖縄・鹿児島・大分
  〇・八以上 青森・佐賀・岩手
  〇・六以上 高知・岐阜・群馬・愛媛・長崎
  〇・四以上 静岡・徳島・香川・宮城・奈良
    比例上最も多きは東京・富山・京都及大阪にして埼玉・石川北海道・神奈川・宮城之に次ぎ共に〇・三以下なりとす
   最多数の患者を有する郡部を抜記すれば左の如し
    二〇〇以上の患者を有する郡
熊本県  玉名郡 上益城郡
鹿児島県 薩摩郡 大島郡
静岡県  駿東郡
群馬県  吾妻郡
    一〇〇以上の患者を有する郡
熊本県  飽託郡 鹿本郡 菊地郡 阿蘇郡 下益城郡 八代郡 葦北郡 球磨郡 天草郡
鹿児島県 日置郡 川辺郡 囎唹郡 出水郡 熊毛郡 肝属郡 姶良郡
大分県  下毛郡 日田郡 大野郡 直入郡
宮崎県  宮崎郡 南那珂郡 東臼杵郡
愛知県  碧海郡
沖縄県  島尻郡 中頭郡 国頭郡 宮古郡
長崎県  西彼杵郡 南高来郡 北松浦郡
山口県  玖珂郡 阿武郡
青森県  東津軽郡 南津軽郡
佐賀県  東松浦郡
高知県  高田郡 幡多郡
栃木県  那須郡                 (未完)


集会日時通知表 大正三年(DK300052k-0002)
第30巻 p.488 ページ画像

集会日時通知表  大正三年       (渋沢子爵家所蔵)
十二月廿二日 午後五時 癩病予防会(帝国ホテル)

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慈善 第六編第三号・第三〇七―三〇八頁 大正四年一月 癩病予防談話会(DK300052k-0003)
第30巻 p.489 ページ画像

慈善  第六編第三号・第三〇七―三〇八頁 大正四年一月
○癩病予防談話会 過般渋沢男爵には忙中閑を偸みて、府下東村山村の全生病院(癩療養所)を視察せられけるが、其の際癩病予防及び同患者の保護方法に関し更に一段の調査研究を要すべきを痛切に感ぜられ、同男爵には中央慈善協会長の名義を以て朝野の有志を帝国ホテルに招待し、去る十二月二十二日癩病予防談話会を催ふされたり。最初に男爵の簡単なる挨拶ありて後、多年同病予防及其の治療の為め全力を傾注し、目下全生病院長たる光田健輔氏の同病予防に関する有益なる講演(説苑参照)ありて後、一同別室に於て晩餐を共にし、食後更に同問題に関し懇談を重ね、清野長太郎氏は目黒慰癈園の現況に於て井上友一氏は本会幹事として中央衛生会及中央慈善協会等と相提携して同問題に努力すべきを陳べられ、早川千吉郎氏は実業家の方面より大谷靖氏は済生会の見地より、窪田静太郎氏は癩予防法制定当時の状況、中川望氏は衛生局長として希望を開陳し、最後に青山博士は医師の方面より予防の一策を献ぜられ、最後に重ねて渋沢男爵の挨拶ありて、閉会せしは午後十時半にして、近来稀に見る有益なる集会なりしが、其の結果他日同病予防に関し具体的の成案を見るに至るべきや信じて疑がはざる所なり。同夜出席の諸氏は左掲の如し
男爵渋沢栄一・男爵高木兼寛・青山胤通・大谷靖・久米金弥・井上友一・窪田静太郎・清野長太郎・久保田政周・中川望・桑田熊蔵・早川千吉郎・山中隣之助・佐竹作太郎・堀田貢・潮恵之輔・光田健輔・本多慧孝・留岡幸助・安達憲忠・原胤昭・生江孝之の諸氏なりき
                       (次第不同)