デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
2節 中央社会事業協会其他
1款 中央慈善協会
■綱文

第30巻 p.497-503(DK300057k) ページ画像

大正6年5月(1917年)

是月当協会ハ会則ヲ改正シ、且ツ従来季刊ノ機関誌「慈善」ヲ「社会と救済」ト改題シテ月刊トス。同年十月刊行ノ同誌第一巻第一号ニ、栄一「本誌改題に際しての所感」ナル一文ヲ掲載ス。


■資料

財団法人中央社会事業協会三十年史 同会編 第一〇四―一〇五頁 昭和一〇年一〇月刊(DK300057k-0001)
第30巻 p.497-498 ページ画像

財団法人中央社会事業協会三十年史 同会編
                     第一〇四―一〇五頁 昭和一〇年一〇月刊
 ○第一部
    第八章 会則の改正と事業の拡張
 中央慈善協会組織されて十有余年の歳月を経過し、世界大戦の勃発と共に聯盟与国たる任務を尽すべく遥に 皇師を地中海まで送つた我国は、其の余波を受けて社会情勢の動揺を来し、社会情勢の変化に伴ひ、思想・経済の両方面に於て大動揺を生じ、公私諸般の諸社会事業に於て一大転進を見るに至つた。其の一・二を摭つて見れば、内務省主催の感化救済事業地方講習会は開始以来已に其の第十四回に及び、群馬県慈善協会は其の第二回の総会を開き、愛知県救済協会は新に組織成りて県会の賛助の下に其の発会式を挙行し、東京に於ける社会事業施設中の尤なる一つである東京養老院及楽石社は何れも創立十五週年の紀念大会を開き、社会立法中の重要法制である軍事救護法は公布され地方局府県課中の一班に過ぎざりし救護係は独立して救護課となり、国立感化院は創設されて児童保護の方面に一新彩を加ふることとなつた。此に於て中央慈善協会は周囲の情勢に順応すべく、旧装を脱し、面目を更へ、益々其の使命に精進することゝなつた。而して会の組織に改廃が行はれ、従来四季の刊行であつた「慈善」も、亦改つて月刊「社会と救済」となり、大正六年十月を以て其の第一巻第一号を発行し、同時に第四回全国救済事業大会及第九回中央慈善協会総会開
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催の趣きを発表したのである。
 「社会と救済」第一号誌上に「会則の改正と事業の拡張」と題する一文があるが、是に依つて本協会進展の状態を明らかにすることが出来る。
     『会則の改正と事業の拡張
 本会は明治四十年の設立に係り、爾来十有余年聊か斯界に力を竭したるも、今や時運の進暢に伴ひ会務を拡張し、一層斯界の為に努力せざる可からざるを認め、本年五月会則を改正し、役員を改選し、以て会務の拡張を図れり。其の要旨左の如し。
 一、会員 従来会員を名誉会員・正会員の二種に分ちたれども、新会則は更に特別の出資其他の方法により本会の事業を援助する賛襄会員を加へて三種となせり。
 二、役員 旧会則の役員中幹事を廃して理事となし、新に副会長を置き、幹事長に代ふるに常務理事を以てし、且つ役員の任期四箇年を更めて三箇年となしたり。
 三、主事 新会則には庶務会計に従事せしむる為め、書記の外新に主事を置くことゝせり。
 四、雑誌(前略)本会の機関雑誌は従来単に学術雑誌として発行せしも、改題と同時に之を拡張して社会政策乃至社会事業全般に亘る事項を登載することゝし、且つ時事をも掲載することゝせり。』
 当時渋沢会長が「慈善」の改題に顧み、往時を追想して自ら草された一文がある。会組成後十年に亘る活ける記録を会長自身談るものであるから、今之を玆に引援して会史の一資料に宛てよう。協会が社会の無理解・無意識と闘ひながら、一鍬又一鋤社会事業の為めに醜の小草を苅払つて荒野を拓開した苦心の跡が実によく窺はれる。
○下略


社会と救済 第一巻第一号・第一―三頁 大正六年一〇月 本誌改題に際しての所感(本会々長 男爵渋沢栄一)(DK300057k-0002)
第30巻 p.498-500 ページ画像

社会と救済  第一巻第一号・第一―三頁 大正六年一〇月
    本誌改題に際しての所感 (本会々長 男爵 渋沢栄一)
 我中央慈善協会は創立以来既に十年の星霜を閲みし、其間余は会長として其職を辱しめ来たつたのである。十年と云へば天地の悠久に比しては一瞬時に過ぎざるものであるが、十年一昔の諺より考ふれば長日月と云はねばならぬ。然かも此間に我中央慈善協会が如何なる事績を挙げたるかと問はゞ、殆ど語るに足るものがないので会長としての余は云ふ迄もなく、責任ある当局一同は深く漸愧に堪へぬのである。
 抑も中央慈善協会設立の目的は、国内各地に設立せる多種多様の社会事業の聯絡を図り、一致の歩調を進め、一面に於ては感化救済事業の新知識を啓発し、一面に於ては其弊害を芟除すると同時にこれが改善進歩を促し、事業の効果を一層顕著ならしめ、以て社会事業に対する世間の注意と同情とを喚起せんと欲するに存したのである。而して余は当初より不肖の身を以て会長に推され、清浦子爵を顧問に仰ぎ、数名の幹事と共に其事務に鞅掌したのである。
 会の事業としては、時々講演会又は懇談会を開きて同業者相互の実験談若くは学者の研究報告等を聴き、以て会員の見聞を広め、又年四
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回「慈善」と題する雑誌を発行して会員に頒布することにして居たが懇談会の集会者も甚だ多からず、雑誌の発行部数も亦た僅少にして、事業萎微として振はず、其所期の目的たる社会事業の連絡統一及び改善等は云ふも更らなり、世人の注意と同情とを慈善事業の上に払はしめんと欲することすら、満足に達し得ざる有様であつた。
 中央慈善協会てふ名称は洵に権威あるが如くにして、其の実は当面の事務なき処から、自然関係の範囲浩漠として適切の効果少き為に、世間は漸くにして其の存在をさへ忘るゝに至つた程である。是即ち最近に於ける我中央慈善協会の実況であつて、而して余及び他の幹部諸氏に於ては深く此の実状に憂慮し、数次商議の末、遂に会の組識を改め、事業の範囲を拡張し、以て時代の要求に応ずるの機関となして、実績を挙ぐるの策を採るに至つたのである。従つて幹部の顔触れも多少変更し、専任幹事も名実共に具はれる者を聘することゝし、従来年四回の発行に止まりたる雑誌「慈善」も改題して「社会と救済」となし且つ之を毎月発行の事に改むるに至つたのである。但し之れを実行するに就ては従前に比し、稍や多額の経費を要すべきは勿論であるが幸にして本年度より内務省より毎年一千円の補助を与へらるゝことゝなり、又市内有力なる多数の富豪は賛襄員となりて、特に金円寄附の約束をせられたから、或程度までは経費不足の懸念もなく、会務を進捗せしむることが出来るやうになつたのである。
 由来雑誌の改題などは、一面から言へば極めて無意味なる事柄で聊か形式に属する行為であるが、更に他の一面から見て、改題は即ち旗幟を新にしたるものであるとすれば、其処に又若干の意味も生じて来るのである。今や「慈善」は改題せられて「社会と救済」となつた。之は単に雑誌の表紙に於ける文字の変更たるのみに止まらずして、其内容も亦之れに伴うて改善せられねばならないのである。従来の「慈善」必ずしも価値に乏しき雑誌ではなかつたと思ふが、或は恐る、此雑誌が斯業従事者及び研究者に取つて必ずしも須要不可欠のものでなかつたかを。試に今日我邦の銀行業者の社会より「銀行通信録」なる雑誌を奪ひ去つたならば、彼等の不便と不利益とは決して少からざるものであるが、之れと同じく感化救済事業者の社会より、従来の「慈善」を奪ひ去つたとしても、彼等の感ずる不便と不利益とは「銀行通信録」の消滅と同一程度に在りと云ふことが出来ようか。而して今回中央慈善協会の組織改正と同時に機関雑誌の改良を行はんとするに至つたのは、蓋し有益有効なる雑誌を発行せんが為めであつて、改題後の内容が従来に比して著るしく面目を新にするに至るべきは、余及び幹部の人々の責任として勉強すべき所である。但し新聞雑誌は足にて書くべきものなりてふ諺もある如く、向後本誌の編纂に従事する者は事務室内に面壁を学むで空しく外部よりの寄稿を待つことなく、進んで専門の学者・名士・実際家等を訪問して意見を聴取し、其概要を誌上に紹介し、又各地の事業を視察して其実況を報道し、或は社会事業全般に関する海外の新聞・学説若しくは組織的統計調査等を蒐集して之れを読者の参考に供し、之によりて斯業従事者の誘掖指導を努むると同時に一般読者の裨益をも図り、以て世人をして「社会と救済」を
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読まずんば共に社会事業を談ずる能はずと言はしむることを希望するのである。
 斯く言はゞ、人或は余を評して、余りに多きを求むるものなりと言はるゝならむも、人は抱負と期待とを以て事に当らずんば、決して有益なる効果を挙ぐる事は出来ないのである。要するに余の希望は、少くとも本誌をして社会事業従事者の指南車たらしめたいと期念するのである。
 余や今玆に七十八歳、客年喜寿を迎へたるを機会とし、四十有余年間従事せし第一銀行頭取の職を辞すると同時に、一切の実業的活動の渦中より引退し、余生を心の欲する処に従ふて楽しみつゝ送らんとするのである。余は過去四十有余年間本邦の実業発展の為めに全力を傾注した。故に今後は其方面を変へて感化救済に関する事業に尽力し、出来得る限り余生を費したいと思つて居る。而して之れ即ち余が残生の楽みなるものである。
 伊達政宗の詩に、馬上少年過、時平白髪多、残躯天所賜、不楽今如何、と云ふてあつたと記憶して居るが、余は今七十八の高齢である。而して其健康は幸にして余に壮年の時と相違せぬと思ふ。抑も此健全なる残躯と云ふものは余に与へられたる天の賜物であつて、楽しまずんば今如何、である。
 余は是迄とても此等精神的方面の事業に多少の趣味を持ちて、過去四十有余年間東京市養育院の事務に努力したのである。然かし之れは過去に於ける一つの楽みであつたから、余は昨年実業界より引退したるも養育院長の椅子は之れを擲たなかつた。蓋し之れ将来に於て楽しまんとする余の期念であるからである。
 養育院長としての身柄から言へば、余も亦社会事業従事者の一人であつて、我中央慈善協会の指導誘掖を受くべきものであるから、若し今後発行する「社会と救済」が有益なる雑誌として現はれ来るに於ては、余も他の同業者と同様に之を読みて知見を啓発せらるゝの恩恵に浴し得べきである。


財団法人中央社会事業協会三十年史 同会編 第一〇九―一一二頁 昭和一〇年一〇月刊(DK300057k-0003)
第30巻 p.500-502 ページ画像

財団法人中央社会事業協会三十年史 同会編
                      第一〇九―一一二頁 昭和一〇年一〇月刊
 ○第一部
    第八章 会則の改正と事業の拡張
○上略
 会則も従来のものに比すれば完膚なきまでに改正された。即ち左の如くである
      中央慈善協会会則(明治四十一年十一月設定 大正六年五月改正)
 第一条 及第二条(略)
 第三条 本会ハ慈善救済ニ関スル智識ノ普及ヲ図リ、其事業ノ健全ナル発達ヲ期スルヲ以テ目的トス
 第四条 前条ノ目的ヲ達スル為本会ニ於テ行フ事業ノ概目左ノ如シ
  一、慈恵救済ニ関スル団体相互ノ聯絡ヲ図ルコト
  二、慈恵救済ニ関スル団体ト慈善家トノ聯絡ヲ図ルコト
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  三、慈恵救済事業ヲ指導誘掖シ之ニ関スル行政ヲ翼賛スルコト
  四、内外国ニ於ケル慈恵救済ニ関スル調査ヲ為スコト
  五、慈恵救済ニ関スル雑誌其ノ他印刷物ヲ発行シ、及講習会・講演会等ヲ開催スルコト
  六、其ノ他評議員会ノ議決ニ依リ必要ト認メタル事項
 第五条 本会ハ毎年一回総会ヲ開キ前年中ノ事務及会計ニ関スル報告ヲ為シ其他必要ナル事項ヲ議決ス
 第六条 本会ノ会員ヲ分チテ名誉会員・賛襄会員及正会員ノ三種トス
  名誉会員ハ、慈恵救済事業若ハ本会ニ功労アル者又ハ学識徳望アル者ノ中ニ就キ、役員会ノ議決ヲ経テ会長之ヲ推薦ス
  賛襄会員ハ、特別ノ出資其他ノ方法ニ依リ本会ノ事業ヲ援助スル者ノ中ニ就キ、会長之ヲ推薦ス
  正会員ハ、会費トシテ毎年金拾円ヲ納ムルモノトス、但一時金五拾円以上又ハ五年間毎年金拾円以上ヲ寄附スル者ハ、会費ヲ要セス 団体タル正会員ノ会費ハ別ニ之ヲ定ム
 第七条 本会ノ会員タラント欲スル者ハ氏名・住所ヲ記シテ申出ツヘシ
  慈恵救済ニ関スル団体ニシテ本会ノ会員タラント欲スル者ハ、其団体ノ名称・目的及所在地ヲ記シ代表者ノ名ヲ以テ申出テ、役員会ノ承認ヲ経ルコトヲ要ス
  会員ノ氏名・住所、又ハ団体ノ名称・目的・所在地、若ハ代表者ニ異動ヲ生シタルトキハ直ニ其ノ旨届出ツヘシ
  退会セント欲スルトキハ其ノ旨申出ツヘシ
 第八条 本会ノ会員ニシテ会員タルノ名誉ヲ毀損スル行為アリト認ムルトキハ、評議員会ノ議決ヲ経テ之ヲ除名スルコトアルヘシ
 第九条 本会ニ左ノ役員ヲ置ク
   一、会長     一名
   二、副会長    一名
   三、理事     若干名
   理事中ニ常務理事ヲ置ク
   会長・副会長及理事ヲ以テ役員会ヲ組織ス
 第十条 本会ハ総裁ヲ推戴シ顧問ヲ推薦スルコトアルヘシ
 第十一条 会長・副会長及理事ハ評議員会ニ於イテ会員ノ中ニ就キ之ヲ選挙ス
  常務理事ハ理事ノ互選ニ依リ会長之ヲ嘱託ス
 第十二条 役員ノ任期ハ三年トス、但シ再選ヲ妨ケス
  役員中欠員ヲ生シ補欠ノ必要アルトキハ補欠選挙ヲ行フ、補欠員ハ前任者ノ任期ヲ継承ス
  役員ハ任期満了後ト雖、後任者ノ就職スルマテ仍其ノ職務ヲ行フ
 第十三条 会長ハ本会ノ会務ヲ総理シ本会ヲ代表ス
  副会長ハ会長ヲ補翼シ、会長事故アルトキハ之ヲ代理ス
  理事ハ会長ノ指揮ヲ承ケ会務ヲ処理ス
  常務理事ノ処理スヘキ事項ハ役員会ノ定ムル所ニ依ル
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 第十四条 本会ニ評議員若干名ヲ置ク
 第十五条 評議員ハ会員ノ中ニ就キ役員会ノ議決ヲ経テ会長之ヲ嘱託ス、其ノ任期ハ三年トス
  評議員会ハ予算決算其ノ他重要ナル事項ヲ議決ス、評議員会ハ必要ニ応シ会長之ヲ召集ス、評議員会ノ議長ハ会長之ニ当リ其ノ議事ハ出席員ノ過半数ヲ以テ決ス、可否同数ナルトキハ議長ノ決スル所ニ依ル
 第十六条 賛襄会員ハ財務ニ関スル事項ニ就キ諮詢ヲ受ク
  賛襄会員ハ評議員会ノ議事ニ参与シ議決ニ加ハルコトヲ得
 第十七条 本会ニ委員ヲ置クコトヲ得
  委員ハ役員会ノ議決ヲ経テ会長之ヲ嘱託ス
  委員ハ会長ノ嘱託アルトキハ役員会ノ議事ニ参与スルコトヲ得
 第十八条 本会ハ必要ノ地ニ地方委員ヲ置ク、地方委員ハ役員会ノ議決ヲ経テ会長之ヲ嘱託ス
 第十九条 本会ニ主事及書記若干名ヲ置ク、主事及書記ニハ手当ヲ給スルコトヲ得
  主事及書記ハ会長之ヲ任免ス
  主事及書記ハ役員ノ指揮ヲ承ケ庶務・会計ニ従事ス
 第二十条 本会ノ経費ハ左ノ収入ヲ以テ之ニ充ツ
  一、会費
  二、補助及寄附ノ金品
  三、其ノ他ノ諸収入
 第二十一条 本会ノ資産ハ役員会ノ議決ヲ経テ確実ナル方法ニ依リ之ヲ保管ス
 第二十二条 本会ノ会計年度ハ毎年四月一日ニ始リ翌年三月三十一日ニ終ル
 第二十三条 本会則ノ施行ニ必要ナル細則ハ役員会ノ議決ヲ経テ会長之ヲ定ム
 第二十四条 本会則ハ評議員会ニ於テ出席員三分ノ二以上ノ同意ヲ得ルニアラザレバ之ヲ変更スルコトヲ得ズ
 仮に現今に於ける協会の活動か壮年期に在るものとすれば、当時の此の改革は児童期より少年期への転進と見れば見られるのである。


竜門雑誌 第三四八号・第八九頁 大正六年五月 ○中央慈善協会の事業拡張(DK300057k-0004)
第30巻 p.502 ページ画像

竜門雑誌  第三四八号・第八九頁 大正六年五月
○中央慈善協会の事業拡張 青淵先生を会頭とせる同協会は、其後各地方に於ける支部漸次完成せるに依り本部の事業を拡張する必要あり今回内務省に対して協議したる結果、目下具体的の調査に着手せるが其第一として同協会を慈善事業の研究機関たらしめ、又各支部との連絡を図りて二重救済を防止し、尚進んで現に内務省に於て行はれつゝある救済事業講習会をも引受くる事となるべしと。


社会と救済 第一巻第一号・第六七頁 大正六年一〇月 雑誌の改題と編輯の監修(DK300057k-0005)
第30巻 p.502-503 ページ画像

社会と救済  第一巻第一号・第六七頁 大正六年一〇月
    雑誌の改題と編輯の監修
 本会にては従来年四回雑誌「慈善」を発行せしも、今回規則改正の
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結果「社会と救済」と改題して之を月刊となし、其編輯には桑田熊蔵小河滋次郎の両博士監修となり、田子一民・生江孝之・高田慎吉・相田良雄の四氏委員として、共に力を尽さるゝことゝなれり。