デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
2節 中央社会事業協会其他
2款 社会事業協会 = 財団法人中央社会事業協会
■綱文

第30巻 p.657-664(DK300083k) ページ画像

昭和6年12月12日(1931年)

是年十一月十一日栄一歿ス。仍テ是日、当協会ハ東京市・財団法人協調会並ニ社団法人国際聯盟協会ト共同主催ノモトニ日比谷公会堂ニ於テ追悼講演会ヲ開催シ、且ツ雑誌「社会事業」第十五巻第九号ヲ故渋沢会長追悼号トシテ発行ス。


■資料

社会事業 第一五巻第九号・第五五頁 昭和六年一二月 協会便り 故子爵渋沢栄一翁追悼講演会(DK300083k-0001)
第30巻 p.657-658 ページ画像

社会事業  第一五巻第九号・第五五頁 昭和六年一二月
 ○協会便り
    故子爵渋沢栄一翁追悼講演会
 本協会に於いては、去る十二月十二日午後一時より、東京市・財団法人協調会・社団法人国際聯盟協会と共同主催のもとに、日比谷公会堂に於いて故子爵渋沢栄一翁追悼講演会を開催した。会衆約千七百、来賓としては、男爵若槻礼次郎・安達謙蔵・鎌田栄吉・桜内幸雄・牛塚虎太郎・渡辺得男・白石喜太郎の諸氏、主催団体幹部としては、東京市永田秀次郎・斎藤守圀・協調会公爵徳川家達・床次竹二郎・吉田茂・林毅陸・国際聯盟協会新渡戸稲造・赤松祐之、本協会からは伯爵清浦奎吾・窪田静太郎・大野緑一郎・松井茂・桑田熊蔵等の諸氏が出席せられた。
 尚、当日プログラムは左の如くであつた。
                  司会者 原泰一氏
 一、開会の辞               吉田茂氏
 一、追悼式(主催各団体代表者献花)
  追悼の辞(主催者代表)         斎藤守圀氏
  追悼の辞(来賓代表)       男爵 若槻礼次郎氏
  遺族挨拶                渋沢敬三氏
 一、講演             司会者 赤松祐之氏
                   伯爵 清浦奎吾氏
                      安達謙蔵氏
                      床次竹二郎氏
                      永田秀次郎氏
 - 第30巻 p.658 -ページ画像 
                      鎌田栄吉氏
                      新渡戸稲造氏


社会事業 第一五巻第九号・目次 昭和六年一二月 故渋沢会長追悼号(DK300083k-0002)
第30巻 p.658 ページ画像

社会事業  第一五巻第九号・目次 昭和六年一二月
    故渋沢会長追悼号
  故渋沢会長の温容
  御沙汰書
  故渋沢会長の筆蹟
  故渋沢会長の葬儀
      □
 巻頭言                原泰一
      □
 故子爵渋沢栄一先生(弔辞)      窪田静太郎
 社会人の儀型渋沢子爵         原泰一
 故渋沢老子爵の追憶          田中太郎
 故渋沢子爵と女子教育         塘茂太郎
      □
 故渋沢会長小伝
 故渋沢会長年譜
 故渋沢会長関係役任表
      □
 故渋沢会長発病より臨終葬儀に至るまで
 ○下略


社会事業 第一五巻第九号・第二―五頁 昭和六年一二月 故子爵渋沢栄一先生(弔辞)(財団法人中央社会事業協会副会長窪田静太郎)(DK300083k-0003)
第30巻 p.658-660 ページ画像

社会事業  第一五巻第九号・第二―五頁 昭和六年一二月
    故子爵渋沢栄一先生(弔辞)(財団法人中央社会事業協会副会長 窪田静太郎)
 故子爵渋沢栄一先生。
 私は、先生が、その創立の当初から、熱心以つてこれが成長を育くまれました中央社会事業協会の役員として、先生が協会その他各種社会事業のために尽された、その行蹟を追憶し、先生の薨去を衷心より悼む次第であります。
 先生。
 先生の社会事業界に於ける行蹟は、先生の、経済界に於けるそれと同一でありました。即ち先生は経済界に於いて常にその先覚であられたと同様に、社会事業界に於いても常にその先覚であられました。故に私共は、今日の中央社会事業協会の前身である中央慈善協会を創立するに当つて、先生を推して会長と仰ぐに至つたのであります。中央慈善協会が、明治四十一年に初めてその呱々の声を挙げ、先生を会長として戴くまでには、更にその前身である貧民研究会、後の庚子会、若くは慈善研究会の名のもとに、数名の有志が会合して、その名の示す問題に就いて研究を重ねて居りましたが、その間、蔭になり日向になつてその指導誘掖に尽された先生は、既に協会創立以前から「我等の会長」であられたのであります。かくて、我が中央社会事業協会は先生を生みの親とし、又育ての親として、戴いて来たのであります。
 - 第30巻 p.659 -ページ画像 
 中央社会事業協会は、その名が示す如く、自ら事業を経営して現業に尽すのでなく、各種社会事業の連絡統一を図るを目的とするために一般世間に示す有形の事業は極めて尠いのであります。しかしながら社会事業の必要を提唱して新しき事業の発生を促し、或は又既設事業に対しては、これに便益を与へ、これが応援をなして、その発達を促進し、更にこれら施設間の連絡を図り、又一般社会に対しては、斯業に対する理解同情を進め、殊に最近に至つては、斯業従事員の養成をなし、又各種研究調査をなし、これを発表する等、我が国社会事業の進歩発達に寄与するところ尠くないことは、自らも認め、人も又これを赦すところであります。しかして、これらは云ふまでもなく、先生の変りなき御熱心と、惜みなき御指導に依る賜物であります。
 協会は、全国にある社会事業家を集めて大会を開きました。第一回第六回を大阪に、第二回を名古屋に、第三回を京都に、第四回・第五回・第七回を東京に。協会は又、各種事業別に協議会を開きました。児童保護事業協議会・救護事業協議会・方面委員協議会・救護並に救療事業協議会等。協会は又、講習会を開きました。社会事業講習会・方面委員講習会等。先生は病気その他已むを得ない場合の他は、必らずこれらの会に出席せられ、会員を指導奨励せられたのであります。
 協会は又、各種の研究会・調査会・座談会を開き、その結果を機関雑誌その他に依つて一般に発表いたしました。先生は、これらの諸会合にも出席せられ、或は意見を述べられ、或は自らこれが指導をせられたのであります。協会は又、共済組合部を設け、社会事業従事員をして後顧の憂ひなからしむるやう、着々その事業を進めて居ります。ここにも先生の御事蹟が伺はれます。
 この他、先生は、半ば協会の会長として、半ば個人として、あらゆる機会に於いて社会事業の指導奨励に当られました。それらの行蹟はあまりに多く、その一つ一つを挙ぐることは到底不可能ながら、ここにその二・三を挙ぐることが赦されるならば、次の如きことがありました。
 先生は、前記大会・協議会・講習会等のために社会事業家が東京に集り、斯業に就いて研究協議をなすが如き場合には、常に飛鳥山邸を開放し、これらの参集者を招待せられましたが、中にも明治三十七・八年の頃、熊本回春病院の資金募集に就いてリデル嬢を援助せられた場合の如き、又明治四十一年救世軍のブース大将来朝に当つて、自ら飛鳥山邸に於いて、関係官民招待の上、大将歓迎会を開かれた場合の如き、先生の御心情、誠に温きものがありました。殊に、ブース大将歓迎会は、その当時、娼妓の自由廃業その他特種の伝道方法のために一般から誤解されてゐた救世軍が、その後事業を進めて行く上に、この会合は非常な好縁故となつたのでありました。又大正七年米国人ベリー氏が来朝せらるゝに当つて、協会は帝国ホテルに、これが歓迎の宴を設け、更に先生は、飛鳥山邸に於いて社会事業家・米国人等数十名を陪賓として、同氏と意見の交換をなす機会を与へらるゝ等、明治四十二年、有識者数十名を招き、国家又は公共団体及び私設団体として、如何なる事業がその当時の社会に必要であるかに就いて意見交換
 - 第30巻 p.660 -ページ画像 
の機会を与へられ、その上、これが調査を中央慈善協会に委嘱、報告書作製の上、広く一般に配布せられました如き、この早き時代に於いてさへも、かく多くの事業を計画又は実施せられたのであります。
 更に眼を転じて、先生の関与せられました他の社会事業団体を見まする時に、その数又十指を超えるのであります。即ち明治七年以来東京市養育院を院長として統督せられましたほか、東京慈恵会医院が明治四十年財団法人として認可せられて以来副会長として、恩賜財団済生会は明治四十四年創立以来顧問として、財団法人協調会は大正八年創立以来副会長として、財団法人報効会は大正九年創立以来会長として、財団法人滝の川学園も又大正九年以来理事長として、日本結核予防協会には大正十年創立以来会長として、恩賜財団慶福会には大正十四年以来顧問として、それぞれ指導誘掖せられたのであります。
 この他、最近に至つては、昭和四年不幸なる盲人のために中央盲人福祉協会を設けられ、又本年一月には、財団法人癩予防協会を創設せられて、日本をこの病魔より救ひ出す計画を完成せられ、又明年一月より愈々実施さるゝに至つた救護法のためには、自ら病躯を冒して当局を訪ね、これが実施促進に尽力せられました等、全日本は先生に対し、感謝の言葉を知らぬのであります。
 以上、私は中央社会事業協会に関することを中心に申上げて、生前先生がなされた数々の行蹟に対し、限りなき感謝を捧ぐるとともに、その間、あらゆる機会に於いて示されました先生の、温かき隣保相愛同胞皆和、四海相和の大精神を追憶し、先生の薨去を衷心より悼むものであります。
 今や、先生の温容、先生の慈声に接する能はずと雖も、願はくば、英霊、生前我等に遺されました御言葉の通り、永久に、我等残るものの上を御護りたまはんことを。(完)


社会事業 第一五巻第九号・第六―一一頁 昭和六年一二月 社会人の儀型渋沢子爵 (財団法人中央社会事業協会総務部長原泰一)(DK300083k-0004)
第30巻 p.660-664 ページ画像

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